いわゆるなろう系と呼ばれる創作物は努力したくない人たちに支持されてるって言われるが俺は逆だと思ってるこのご時世努力ってものがなかなか認められない、それどころか能力ってもの自体がなんなら求められないってところがある周りの人と上手く足並みを合わせて努力も能力の発揮も過度にやらないって雰囲気が会社家庭学校まであまねく蔓延してしまったなろう系ってのは飛びぬけた能力がちゃんと成果を発揮して認められていく世界を書いているそして追放ものに代表されるように影の努力がちゃんと評価されるという展開を作っているそれがこの閉塞した社会に求められていた結果なんだろうと俺は思う
méritocratie、démocratie、これらは支配層都合の詐欺の代名詞。巧妙に下層は騙され、下層同志で戦いを強いられ、上層が吸い上げる仕組み。それならば、autocratie回帰なんてことを考える人間もいるが、いずれにせよ、我々下層は、上層に操られ、流され、生き、殺される。しかしこの数年のAIなどの進歩が思わぬ方向に傾くかもしれない、これに期待すべきかと思う。もともとあるべき、私、その他の人間、それぞれは、もっと自然になれる可能性があると思う。
欧米の能力主義の劣化コピーなんだろうが、向こうは基本が契約社会であり、日本と異なり契約以外の事は一切やらない等、評価も可視化数値化しやすくなっている。一方日本の場合、正規非正規問わず、雇用契約後は何でもこなす万能細胞になる事を求められ、しかも間接業務に関しては、評価方法どころか業務フローすら怪しい所が多い。そうなると、能力が評価できない=賃金を上げる理由が無い となり、経営層にとって大変都合の良い「日本版能力主義」が出来上がったのである。
実力主義になれば実力のある私達は認められるように成る、というようにいずれの思想も承認欲求に帰結するような気がするな。ただ思想の多様性から評価軸にも多様性をもたせるのはアリじゃないかなと思う。評価軸にも比較対象が生まれれば相互に評価の質も高められるし、それによって人材の采配も適材適所になっていくんじゃないか。 そもそも、現状の能力主義をそのまま実行しようとしても、能力主義と言えどその能力の評価の方法に偏りがあったり表面的な能力しか見えず潜在的な能力に気づけていないがゆえに能力評価の方法を合理的に突き詰められない、という側面も出てくるような気がするから、最悪なのは評価軸が単一化されるような状況だと思うけどね。まあでも思想が単一化するのは平和に直結するしある意味、評価過程にかかるコスト面では安上がりなんだよな。 つまり、人材の合理的采配、と、コストは反比例にある。でも時には前者を優先しないと革新的経済的発展は望めない。いわば未来への投資だよね。
これ面白いiPhoneの話、やっぱり人間の心説明は2次元では再現できないし三次元でもできない、こころの繋がり方は4時間と思ってて、岡田さんのこの解説でさらに確信した、岡田先生と個人的にトークしたいわ、そんなイベントあったら金払ってでも行きたい、岡田さんの話は聞いてて飽きないし普段興味ない話も深掘りしていってくれて自分の中に疑問や矛盾を新たに見つけられる、興味に食わず嫌いすることがよくないとわかってても実行できてないのがすごく理解できるし
初代の金持ち以外は努力して金持ちになったとは限らない。親が金持ちなら、よほどの無能でない限り金持ちのままで居続けられる。 それとは別に、人の能力はDNAでほぼ決まる。努力できるかどうかもDNAでほぼ決まる。あとは環境に恵まれたかどうか。環境20%、DNA80%環境もDNAも両方運だ。 つまるところ、金持ちは運がよかっただけだ。
それを否定する方向に世界は向かってる。AIは人間より賢いし、機械に人間の力はかなわないからね。ガンダムseedFreedomはそれのアンチテーゼの作品だし。高学歴者は20世紀の貴族階級だけど、だからこそ大半は力を失うんだろうな。
能力主義者て、親ガチャに当たった人だからね。生まれつき恵まれてるんだよ。劣悪な環境から、這い上がる人はごく稀であって、殆どの人は子供の頃の環境が恵まれている。努力以前に環境に恵まれてる事を認めないと駄目だよ。
主義がいらない
いわゆるなろう系と呼ばれる創作物は努力したくない人たちに支持されてるって言われるが俺は逆だと思ってる
このご時世努力ってものがなかなか認められない、それどころか能力ってもの自体がなんなら求められないってところがある
周りの人と上手く足並みを合わせて努力も能力の発揮も過度にやらないって雰囲気が会社家庭学校まであまねく蔓延してしまった
なろう系ってのは飛びぬけた能力がちゃんと成果を発揮して認められていく世界を書いている
そして追放ものに代表されるように影の努力がちゃんと評価されるという展開を作っている
それがこの閉塞した社会に求められていた結果なんだろうと俺は思う
能力主義も努力主義もルッキズムも本質的に同じ。憎しみ合い、社会は滅ぶ。それこれが人のさだめ、人の業。
最近ではビックモーターの問題(暴走の方が近いかも)が証明している様に思った。
完全同意。
méritocratie、démocratie、これらは支配層都合の詐欺の代名詞。巧妙に下層は騙され、下層同志で戦いを強いられ、上層が吸い上げる仕組み。それならば、autocratie回帰なんてことを考える人間もいるが、いずれにせよ、我々下層は、上層に操られ、流され、生き、殺される。しかしこの数年のAIなどの進歩が思わぬ方向に傾くかもしれない、これに期待すべきかと思う。もともとあるべき、私、その他の人間、それぞれは、もっと自然になれる可能性があると思う。
なるほど
能力主義は自己責任社会にとって都合がいい
差別は特権に繋がるからやめられないだろう。
勉強になりました ありがとうございます。
病『なくせるものならなくしてみろwwwww』
ズバババーン
病『第二第三の…』
欧米の能力主義の劣化コピーなんだろうが、向こうは基本が契約社会であり、
日本と異なり契約以外の事は一切やらない等、評価も可視化数値化しやすくなっている。
一方日本の場合、正規非正規問わず、雇用契約後は何でもこなす万能細胞になる事を求められ、
しかも間接業務に関しては、評価方法どころか業務フローすら怪しい所が多い。
そうなると、能力が評価できない=賃金を上げる理由が無い となり、
経営層にとって大変都合の良い「日本版能力主義」が出来上がったのである。
実力主義になれば実力のある私達は認められるように成る、というようにいずれの思想も承認欲求に帰結するような気がするな。ただ思想の多様性から評価軸にも多様性をもたせるのはアリじゃないかなと思う。評価軸にも比較対象が生まれれば相互に評価の質も高められるし、それによって人材の采配も適材適所になっていくんじゃないか。
そもそも、現状の能力主義をそのまま実行しようとしても、能力主義と言えどその能力の評価の方法に偏りがあったり表面的な能力しか見えず潜在的な能力に気づけていないがゆえに能力評価の方法を合理的に突き詰められない、という側面も出てくるような気がするから、最悪なのは評価軸が単一化されるような状況だと思うけどね。まあでも思想が単一化するのは平和に直結するしある意味、評価過程にかかるコスト面では安上がりなんだよな。
つまり、人材の合理的采配、と、コストは反比例にある。でも時には前者を優先しないと革新的経済的発展は望めない。いわば未来への投資だよね。
日頃、能力主義押し付けといて、その前段階の学歴は金で買えるってのは、なんだかなぁ。
むしろ、学歴以降の部分を能力のみで評価し過ぎる現代社会が嫌だ。
袖の下と改竄と…ボンボン嬢ちゃんはまあそうだよね。だから国が下降の一途。
これ面白いiPhoneの話、やっぱり人間の心説明は2次元では再現できないし三次元でもできない、こころの繋がり方は4時間と思ってて、岡田さんのこの解説でさらに確信した、岡田先生と個人的にトークしたいわ、そんなイベントあったら金払ってでも行きたい、岡田さんの話は聞いてて飽きないし普段興味ない話も深掘りしていってくれて自分の中に疑問や矛盾を新たに見つけられる、興味に食わず嫌いすることがよくないとわかってても実行できてないのがすごく理解できるし
初代の金持ち以外は努力して金持ちになったとは限らない。
親が金持ちなら、よほどの無能でない限り金持ちのままで居続けられる。
それとは別に、人の能力はDNAでほぼ決まる。努力できるかどうかもDNAでほぼ決まる。
あとは環境に恵まれたかどうか。
環境20%、DNA80%
環境もDNAも両方運だ。
つまるところ、金持ちは運がよかっただけだ。
TVでお馴染みのZ武さんは少なくともメディア界では
「Mr.能力主義」と祀り上げられてるのかもしれんね
個人的には彼は立派だとは思うが
一般の障害者にとっては却って息苦しい存在になってる危険性も…
それを否定する方向に世界は向かってる。AIは人間より賢いし、機械に人間の力はかなわないからね。
ガンダムseedFreedomはそれのアンチテーゼの作品だし。
高学歴者は20世紀の貴族階級だけど、
だからこそ大半は力を失うんだろうな。
能力主義者て、親ガチャに当たった人だからね。
生まれつき恵まれてるんだよ。
劣悪な環境から、這い上がる人はごく稀であって、
殆どの人は子供の頃の環境が恵まれている。
努力以前に環境に恵まれてる事を認めないと駄目だよ。
日本社会は?無意識平等社会を意志未差別社会にしたからね。
あー、昔、岡田講座で聞いたんか。
そうか、医学部不正入学慶応だってあるのに、隠蔽しきったという話が、予備校界で、あったんだが、レガシー枠があるから、バックレることができたのね。