1クールでキャラ成長(厚みを増す)に重点を置くなら1人称視点の構成でないと難しいでしょうね 群集劇でソレをやるとキャラを深掘りする時間が取れずにブレた感じで終わるのが関の山 日常モノなら何とかやれても世界観を見せるファンタジー物、アクションを見せるロボット物では不可能、短編でそれらのジャンルを描くならキャラは「属性」に固定してシナリオ重視で行くのは仕方ないと思いますこれも長編が作れなくなった時代の流れというものですよ
ビルディングスロマンはこの先もメジャーたり得ない…この2014年の予測はまさに当たってる。そして2022年の今から先もその予感がある。岡田氏はリアルタイム視聴から時流も良く捉えている。共感できて、しかもその部分がずっと変わらない安心感、そんなものをキャラとして求めるのも時流かな。エヴァのシンジはTV版初期からは信じられんような成長をシンのラストまででしたけど、20年以上かかったなぁw
映画も古典文学をやけに引用するようなところがあったり。文芸かどうかは、ご説明の通り、成長段階のコンテンツが市民権を得ようとしたときに深掘りされがち。漫画がアニメ化したり、ゲームが映画化したりするのも同じ流れだと思うけど、その背伸びでほとんどが失敗する。
うーん・・・富野は、未だに手塚治虫の後追いをやってるということか。新しい才能に嫉妬するのが創作の根本エネルギーだという岡田発言にはハッとさせられた。そうか、それだから、過去の自分に嫉妬して、過去の自分を超えようと同じものを作っては失敗するのか(笑)
これだけ大量の作品が氾濫している時代では、視聴者側が少ない労力でその作品を消費できるものである事が求められているのだと思いますなのでキャラが記号化していき所謂テンプレキャラという一回見ただけでそのキャラが類型の一つのパターンであると理解出来てしまうのが昨今の作品では無いかと思います
冨野監督の作品はテンポとキャラの演技のさせ方が昭和のままずっと変わって無い、まるで時代劇見てるような感覚自分みたいなファンはそれで良いけどね。レコンギスタだって好きだし。でも〇〇の良さが解らないって言ってる監督だからこそずっと変わらないままなんだろうなぁっていう悲しさも感じる
岡田斗司夫のまどマギ論は、作者である虚淵自身が言ってる。キャラクターとは何なのか?ということを体系化して、キャラを起(た)てるという言葉を生んだ、漫画原作者の小池一夫との対談の中で虚淵は、まどマギは物語ありきで、そこにキャラをはめ込んだだけであって、元からキャラの成長とか度外視してると。小池さんは、物語はキャラクターが勝手に動くことで生み出されるっていう、いわばキャラ物の方程式を作ったわけだが、まどマギを見て、自分とは真逆の作り方をしていて、しかも面白いとべた褒め。今まで劇画村塾などで教えてきた漫画はキャラだっていう概念を修正する必要があるかも的な発言までしてる。 なんでそんな作り方をしたのかというと、虚淵自身が元々エロゲー業界の出身であり、まどマギはその文脈で作られているからだと。これはエロゲーやってた人からするとすんなり腑に落ちる。ちなみに虚淵は特故菅野ひろゆきの影響を多大に受けており、まどマギのほむらは彼の作品、泣きゲーの元祖デザイアのマルチナの救出と同義であり、ほむらの魔法はまさにYU-NOの宝玉リフレクターデバイスそのもの。
冨野さんはいい意味でも悪い意味でも自分を変えない人だからなあ。だからこれは凄いって作品が出ても、それを参考にせず負けん気を出して自分流に凄い作品を出そうとしてしまう。もちろんそれが空回りする事も多いのだろうけど、それも含めて冨野さんだから。
視聴者がともに創るという点はガンダムの方がより顕著だと思うが 完結までの脚本を重視した設計のなかにキャラというパーツが完成品として組み込まれているせいで流動的なキャラクターを描くビルディングスロマンとは別種の楽しみ方をするものだという点は理解できる
富野さんに嫉妬の鬼でも憑依したのかな? そもそもまどマギは保守的な一般庶民が主役になった様なものだからね(見滝原市から外に出ないのもそういう意図的だと思う)だからまどマギの登場人物の多くは冒険するなんて頭も回らないし狭い環境で足掻くしかないと言う事を描きたかったんだろうね。
成長をささえてくれる環境、仲間、家族って筋ならパワーだけ強くなるシナリオなんてのは要らないと思うなぁ、
1クールでキャラ成長(厚みを増す)に重点を置くなら1人称視点の構成でないと難しいでしょうね
群集劇でソレをやるとキャラを深掘りする時間が取れずにブレた感じで終わるのが関の山
日常モノなら何とかやれても世界観を見せるファンタジー物、アクションを見せるロボット物では不可能、短編でそれらのジャンルを描くならキャラは「属性」に固定してシナリオ重視で行くのは仕方ないと思います
これも長編が作れなくなった時代の流れというものですよ
そもそも冨野監督はまどマギを観た事あるの?
というか他人のアニメを観る人なのかな~?
この切り抜きのおかげで、岡田斗司夫がまどマギの脚本の虚淵や彼のニトロプラス時代の
作品について何も知らないのはよく分かった。
でも、ガンダムと比較しながら虚淵の分析は多根清史の専門だからしゃーなし。
『まどかマギカ』はまさに『Z世代』に合致したアニメということなのでしょうね。
懐かしいw
ビルディングスロマンはこの先もメジャーたり得ない…この2014年の予測はまさに当たってる。そして2022年の今から先もその予感がある。岡田氏はリアルタイム視聴から時流も良く捉えている。
共感できて、しかもその部分がずっと変わらない安心感、そんなものをキャラとして求めるのも時流かな。エヴァのシンジはTV版初期からは信じられんような成長をシンのラストまででしたけど、20年以上かかったなぁw
こんなところで手塚治虫の系譜。巨人の星のどこが面白いんだっていうエピソードがリフレインする。
富野由悠季本人じゃなくて、なりすましの相談だろ。サムネタイトル詐欺やめろよ。本人だと思い込んでる馬鹿もるじゃん。
映画も古典文学をやけに引用するようなところがあったり。
文芸かどうかは、ご説明の通り、成長段階のコンテンツが市民権を得ようとしたときに深掘りされがち。
漫画がアニメ化したり、ゲームが映画化したりするのも同じ流れだと思うけど、その背伸びでほとんどが失敗する。
新しい才能のくだり手塚先生と同じ?
出来たでしょでも自分はこれじゃないみたいな?
表現手段にアニメを選んだ富野『監督』と
『アニメ』を作ったオタクスタッフ
の違いってだけよ
登場人物の成長と言えば聞こえはいいが、それは登場人物として軸がぶれているとも言える。
うーん・・・富野は、未だに手塚治虫の後追いをやってるということか。
新しい才能に嫉妬するのが創作の根本エネルギーだという岡田発言にはハッとさせられた。
そうか、それだから、過去の自分に嫉妬して、過去の自分を超えようと同じものを作っては失敗するのか(笑)
岡田さんの女性経験の話はいつきいても羨ましいですね。ガーシーみたいな人にめくられて欲しくなるくらい嫉妬しちゃう♥
これだけ大量の作品が氾濫している時代では、視聴者側が少ない労力でその作品を消費できるものである事が求められているのだと思います
なのでキャラが記号化していき所謂テンプレキャラという一回見ただけでそのキャラが類型の一つのパターンであると理解出来てしまうのが昨今の作品では無いかと思います
一つのアニメ像に対してクラウド化が云々ってところは良い表現されるなーて思いました。
調味料セットを作るか、料理を作るか……
アニメ文化の説明が凄い。
冨野監督の作品はテンポとキャラの演技のさせ方が昭和のままずっと変わって無い、まるで時代劇見てるような感覚
自分みたいなファンはそれで良いけどね。レコンギスタだって好きだし。
でも〇〇の良さが解らないって言ってる監督だからこそずっと変わらないままなんだろうなぁっていう悲しさも感じる
昔の様に掘り下げずうわべの友情ごっこを推奨するんです しかもみて貰うのに人気キャラ推進。ここまで狂ってるんですよ 文部科学省
おしゃべりロボットプロレスな機動戦士ガンダムのいったい何が良いのか教えてくれ!
な感じで勇者ライディーンあたりを見てた小僧が、装甲騎兵ボトムズを観て以来ようやく心が震えた
岡田斗司夫のまどマギ論は、作者である虚淵自身が言ってる。
キャラクターとは何なのか?
ということを体系化して、キャラを起(た)てるという言葉を生んだ、漫画原作者の小池一夫との対談の中で
虚淵は、まどマギは物語ありきで、そこにキャラをはめ込んだだけであって、元からキャラの成長とか度外視してると。
小池さんは、物語はキャラクターが勝手に動くことで生み出されるっていう、いわばキャラ物の方程式を作ったわけだが、
まどマギを見て、自分とは真逆の作り方をしていて、しかも面白いとべた褒め。今まで劇画村塾などで教えてきた漫画はキャラだっていう
概念を修正する必要があるかも的な発言までしてる。
なんでそんな作り方をしたのかというと、虚淵自身が元々エロゲー業界の出身であり、まどマギはその文脈で作られているからだと。
これはエロゲーやってた人からするとすんなり腑に落ちる。
ちなみに虚淵は特故菅野ひろゆきの影響を多大に受けており、まどマギのほむらは彼の作品、泣きゲーの元祖デザイアのマルチナの救出と同義であり、
ほむらの魔法はまさにYU-NOの宝玉リフレクターデバイスそのもの。
冨野さんはいい意味でも悪い意味でも自分を変えない人だからなあ。だからこれは凄いって作品が出ても、それを参考にせず負けん気を出して自分流に凄い作品を出そうとしてしまう。もちろんそれが空回りする事も多いのだろうけど、それも含めて冨野さんだから。
つまりまどマギはマックで、ガンダムは二郎ってコト?
富野監督って、いつまでも貪欲だし精力的なんですね
素晴らしい
視聴者がともに創るという点はガンダムの方がより顕著だと思うが
完結までの脚本を重視した設計のなかにキャラというパーツが完成品として組み込まれているせいで
流動的なキャラクターを描くビルディングスロマンとは別種の楽しみ方をするものだという点は理解できる
富野もドズル・ザビというキャラを描いてるじゃん
最後まで自分を曲げないキャラ
アムロやシャアよりもドズル・ザビが好きだ!っていう人たちに人気があるのがまどマギ
自分なら「けいおん!」かなあ。
あのぬるい内容でどうして大人気なのか。
キャラが良ければあとはいいのか?
これ公開したのGレコの頃か
うーん、最近の富野さんの描くものって、そのキャラクターが何言ってるか分からないんだよな。
富野節なんて言うけど、私は小泉構文みたいに感じる。
分かるわ。俺もキャラは3Dが良いと思う派。まどマギは展開や状況で魅せようとするけど、どうにも子供っぽい。でもアニメとしては、アニメは元々子ども用に作られていることを加味すれば、それでいいんだろうな。
まどマギは見る人によってとらえかたが違って面白い。
エロゲ時代から虚淵作品につきあってればまた違う感想になるんだよなあ
審査員の人が複数発言されてますが文科省の役人は賞の選定には干渉しないそうですよ、反対に賞としてそういう利権を産み出さないものだったので、まぁなくなったんでしょうが
趣向品なんで優劣は置いておいて、うる星のビューティフルドリーマーに原作者が怒った話に通じる感じがします。
富野監督へのラブレターでした。好きで、い続けて、考え続けると、ここまで到達するのですね。
監督は、作画が弱くても見応えのある作品を作るために、選ばざるを得なかった方法論だと思うけどね。
富野さんに嫉妬の鬼でも憑依したのかな?
そもそもまどマギは保守的な一般庶民が主役になった様なものだからね(見滝原市から外に出ないのもそういう意図的だと思う)だからまどマギの登場人物の多くは冒険するなんて頭も回らないし狭い環境で足掻くしかないと言う事を描きたかったんだろうね。
昔の特にロボアニメは全体のストーリーより状況を描くドラマだったから
最近のアニメと根本的に違う気がする
"属性"という設定は
大衆小説みたいなサクサク読みたいものでは話を転がすのには有効だけど
文芸ロマンだと邪魔になるのでは?
分かりにくい例で挙げると
大長編ドラえもんで
侠気をみせるジャイアン!とか?
岡田さんが言おうとしているのは、脳内補完か!
オタキング凄い解説、頭イイんだろうな〜
上手く表現出来れば厚みだけどもそれが出来ないとキャラのブレや矛盾で終わってしまうんだよなぁ…Gレコ
選んだ人たちは、何が良いものかを考えるより、何か良いものを感じたんだと思うな。
ガンダムは現実的ウソ話 まどかマギカは 面白いが ウソの上にウソ話 200パーファンタジーアニメ ふつーの話しジャ満足出来ない人のタメの 薬 ミタイな〜