◇目次◇ 0:00 論理的思考が偉いわけではない 5:38 所詮人間だから人間 7:40 ひろゆきに聞け 11:12 論理的思考力は大事か 14:02 君と僕の思考力の違い 18:21 「せやな」と答えろ 岡田斗司夫マインドをご視聴いただきありがとうございます。 チャンネル登録・高評価宜しくお願い致します♪
僕は結構論理的に考えるタイプなんですけど、レゴブロックのように物事を単純化することは避けるようにしています。ただ、やっぱり限界がありますね。複雑化させる程大変になって、単純化する程精度が落ちる。とはいえ、これだけ聞くと万事に共通する普通のことですし、他にどんな思考法で考えれば良いのかもよくわかりませんからとりあえず論理的思考をしていれば良いと思います。 それはそうとして、論理的思考にはまだ落とし穴があります。いわゆる「理論武装」とかっていう振る舞いをしている人とかは、恐らくこの落とし穴に気づいていない人が多いのでしょう。それは、「正しさには多様性がある」ということです。論理的にどうこうというのは、前提として「これが正しくて、これが間違っている」という条件があって初めて成り立つものです。例えば、「Aになりたい」という目標があって初めて、「Aになることに繋がる行為は論理的な行為であり、逆は論理的な行為ではない。」という命題が成立するのであって、絶対に正しいこととか、絶対に論理的なことっていうのは存在しません。だから、「論理とは正しさを追求した結果生まれたもの」というのは確かにその通りなのですが、問題は「その人にとって正しければ相手にとっても正しい」とは言えないというところにあります。そこを理解できていない人が俗に「理論武装をしている」と言われて軽蔑されているのではないでしょうか。
う~ん…岡田先生の仰るレゴのような論理というのは単純化された比喩を組み合わせた何かでしかないのではないか?と思いました。単純化したものの塊でしかないので、論の理は薄まり、実際の何かを言語化したものから遠くはなれてしまうのではないでしょうか?論理から離れた単純化した何かの塊を論理として定義した場合、根底から現実離れして文字通り論理破綻する事が予測できてしまいます。また、問題解決の議論をする際には問題を解決するどころか問題を拡大するばかりというのは昨今の我が国政府を見ていればよく理解できるかと思います。 論として理を説くには、事実や現実、現象をできるだけ具体的かつ写実的に言語化するのは不可欠だと思うのですが。例)日本の借金≠政府債務 多文化共生≠他文化強制 民主主義≠民主制 法治国家→放置国家 …etc. 理を無視した議論にもなっていない諍い、言い合いばかりがネットには溢れてしまいましたが、黎明期にはもう少し議論のようなものがあったと思います。ポストトゥルースの時代とはよく言ったもので、文字通りあらゆる分野の理を無視し、教養も知識も経緯もすっ飛ばして、それらしい事を言ったもん勝ち、真偽のほどはさほど興味ない。というタイパ、加速時代に相応しい思考、言論の劣化具合だと思います。
ひろゆきさんの動画を、2,3見ました。まー私でそのそのような感想は言えるなのレベルです。巷の何もかかわっていない事って僕でも感想くらい言えるってレベルでした。しかし、堀江さんは違うと思います。多分、関わった人や自分の体験から語ってる部分がヒロユキさんより豊富な感じです。僕も、出来るだけ自分の体験(内面から眺めた私)を重視してコメするように努めています。
直感だよね(笑) その直感を根拠付ける「説明」で論理的に展開する。 司法試験の論述や論証もそう。はじめに自分なりに妥当だと思った「直感」に基づいて通説とされる学説や判例を材料として、法律を解釈して解答を行います。
◇目次◇
0:00 論理的思考が偉いわけではない
5:38 所詮人間だから人間
7:40 ひろゆきに聞け
11:12 論理的思考力は大事か
14:02 君と僕の思考力の違い
18:21 「せやな」と答えろ
岡田斗司夫マインドをご視聴いただきありがとうございます。
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世の中理屈だけで割りきれない事は確かにある。むしろその方が多いくらい。だが、生き方としたら合理的論理的に生きることを目指さないと、それを否定する生き方は猿と変わらない。
「艦長、それは非論理的です。」
この立ち位置が重要なんだろな。
僕は結構論理的に考えるタイプなんですけど、レゴブロックのように物事を単純化することは避けるようにしています。
ただ、やっぱり限界がありますね。
複雑化させる程大変になって、単純化する程精度が落ちる。
とはいえ、これだけ聞くと万事に共通する普通のことですし、他にどんな思考法で考えれば良いのかもよくわかりませんからとりあえず論理的思考をしていれば良いと思います。
それはそうとして、論理的思考にはまだ落とし穴があります。いわゆる「理論武装」とかっていう振る舞いをしている人とかは、恐らくこの落とし穴に気づいていない人が多いのでしょう。
それは、「正しさには多様性がある」ということです。
論理的にどうこうというのは、前提として「これが正しくて、これが間違っている」という条件があって初めて成り立つものです。
例えば、「Aになりたい」という目標があって初めて、「Aになることに繋がる行為は論理的な行為であり、逆は論理的な行為ではない。」という命題が成立するのであって、絶対に正しいこととか、絶対に論理的なことっていうのは存在しません。
だから、「論理とは正しさを追求した結果生まれたもの」というのは確かにその通りなのですが、問題は「その人にとって正しければ相手にとっても正しい」とは言えないというところにあります。そこを理解できていない人が俗に「理論武装をしている」と言われて軽蔑されているのではないでしょうか。
幼女戦記を見ればいいんじゃないですかね
写像はひろゆきのお陰で知りました ありがとう勝間さん
問題を因数分解したものがレゴブロック 素晴らしい表現!
そして論理的思考の根本は意識してるかは関係ない感情
論理思考・・ビジネスで求められる思考の一つですが、実行力も伴う必要あり。
行動なき論理発言は、ただただ声のでかさでしかない。声の大きい者の言いなりとなる組織ほど危ういものです。
う~ん…岡田先生の仰るレゴのような論理というのは単純化された比喩を組み合わせた何かでしかないのではないか?と思いました。
単純化したものの塊でしかないので、論の理は薄まり、実際の何かを言語化したものから遠くはなれてしまうのではないでしょうか?
論理から離れた単純化した何かの塊を論理として定義した場合、根底から現実離れして文字通り論理破綻する事が予測できてしまいます。また、問題解決の議論をする際には問題を解決するどころか問題を拡大するばかりというのは昨今の我が国政府を見ていればよく理解できるかと思います。
論として理を説くには、事実や現実、現象をできるだけ具体的かつ写実的に言語化するのは不可欠だと思うのですが。
例)日本の借金≠政府債務
多文化共生≠他文化強制
民主主義≠民主制
法治国家→放置国家 …etc.
理を無視した議論にもなっていない諍い、言い合いばかりがネットには溢れてしまいましたが、黎明期にはもう少し議論のようなものがあったと思います。
ポストトゥルースの時代とはよく言ったもので、文字通りあらゆる分野の理を無視し、教養も知識も経緯もすっ飛ばして、それらしい事を言ったもん勝ち、真偽のほどはさほど興味ない。というタイパ、加速時代に相応しい思考、言論の劣化具合だと思います。
前の上司が講習会出てから開眼し、事あるときにロジカルロジカル煩かったです。結局、部下追い込んで駄目にしてるし。
ひろゆきさんの動画を、2,3見ました。まー私でそのそのような感想は言えるなのレベルです。巷の何もかかわっていない事って僕でも感想くらい言えるってレベルでした。しかし、堀江さんは違うと思います。多分、関わった人や自分の体験から語ってる部分がヒロユキさんより豊富な感じです。僕も、出来るだけ自分の体験(内面から眺めた私)を重視してコメするように努めています。
直感だよね(笑)
その直感を根拠付ける「説明」で論理的に展開する。
司法試験の論述や論証もそう。はじめに自分なりに妥当だと思った「直感」に基づいて通説とされる学説や判例を材料として、法律を解釈して解答を行います。