違うよ怠けるほうが好きなんだって。その次が好きなことつまり怠けることに才能があるということ。べつに生活できているなら問題ない。正解。ヒトカドの人間にならなきゃって思い込んでいる人間が多いから歪んでいる。実は世の中のほうが曲がっているということ
漫画が好きで漫画家になってお金を手に入れたいと思ってましたが、漫画描くのも読むのも好きですが、初期投資をしてあとは勝手にお金が入ってくるシステム(印税)が特に興味があるとわかって今は投資信託や高配当株にハマってますねマイナスになったら悔しいし難しい単語が多いですが関連する本を読むのもあまり苦じゃなく楽しいです
なるほど!好きを仕事にとか、お金になるとか、変わるもんじゃないんだと、当たり前ですが気づきました!好きは違いが分かると言うのが、ものすごい腹落ちして、好きな物は自分が好きなようにもっと好きになりたいと思いました。
好き、興味のあることなら、英語が苦手でも英語圏の人の話を聞く努力はできるはずです。それでも、苦手を好きにすれば、いいのです。英語耳を造るのです。問題なのは英語圏の誰の話を聞けばいいか?です。例えば、ビートルズが好きなら、どうして、英国の人の生の映像をYouTubeで見ないのですか?と聞けば、その発想がなかったとなります。しかし、この裏に英語の点数を上げるには教科書(文部省が定めた内容)が理解できなければ、いい点数が効率的に取れないと言う暗示に中学生から罹っているからです。小林克也さんは短波ラジオで英語を勉強したそうです。多くの中学校の先生は夜ラジオを聞かず、寝なさいでした。今はいつでもどこでもラジオが聞けます。それなのに、英語のラジオが聞きません。みんなの話題に付いていくには、みんなに合わす、ここ。自分の目標が何かが分からず、親が勉強しないで勉強するから、興味のない学問を必死に勉強します。興味のあることと関係付けさせる考えが学問を勉強させると、遠回りの勉強が一生役に立つ勉強に変わるのです。先ず、効率的(コスパ的)とすることを辞めることです。
ゲーム好きだからゲームずっとしてるは『努力』とは言わない訳だから。『努力』なんて思うわけないでしょうに。甘党が甘い物ばかり食べてるのだって同じ。頭で考えてばかりだから本質を見誤る。人は思考の働きを休める必要もある。
自分に合った適切な努力の方法を見つけるには、指導者を探す、本を読み漁る、試行錯誤する…などの途方もない道があって、最悪寿命の方が先に来る大多数の人が、自分に合った適切な努力の方法を見つけられていないつまり努力することを始められてさえいない
好きと努力は=では無いと言うのが自分の中の結論です。努力が何処まで出来るのかは、その人の中の焦燥感が何処まで大きいのか。 仮に漫画が好きで何十年も周囲に何を言われても見続けるだけの人と自分自身で最高の漫画を作りたいと考える人が居るとして、どちらも漫画に対する愛情は本物でそこに優劣はないけれど、前者は他人が作る作品で十分満足出来るのにたいして、後者は他人が作る漫画では満足しきれなくなっている。勿論、現実はその間に多くのグラデーションがあって、こんなに両極端という事はそうはないけど、結局努力し続けられる人はそれが必要だから出来るのだと思っている。
才能と能力と意思がすべて明後日の方向を向いていて辛い( ;∀;)
好きの度合いと知識量は比例してると思うから才能として捉えるのはほんとに活気的に思えた。
才能がある奴は、「努力できる」でも出来の悪い私は、「努力しても結果が出ない」グリットや積み上げが下手くそ。
努力というのは自分を基準に考えるべきというのは名言ですね
頑張りたいとか努力を続けたいなら、名詞ではなく動詞を大事にしないといけないなと思いました
違うよ
怠けるほうが好きなんだって。その次が好きなこと
つまり怠けることに才能があるということ。べつに生活できているなら問題ない。正解。
ヒトカドの人間にならなきゃって思い込んでいる人間が多いから歪んでいる。実は世の中のほうが曲がっているということ
漫画が好きで漫画家になってお金を手に入れたいと思ってましたが、漫画描くのも読むのも好きですが、初期投資をしてあとは勝手にお金が入ってくるシステム(印税)が特に興味があるとわかって今は投資信託や高配当株にハマってますね
マイナスになったら悔しいし難しい単語が多いですが関連する本を読むのもあまり苦じゃなく楽しいです
なるほど!好きを仕事にとか、お金になるとか、変わるもんじゃないんだと、当たり前ですが気づきました!好きは違いが分かると言うのが、ものすごい腹落ちして、好きな物は自分が好きなようにもっと好きになりたいと思いました。
仕事でしか努力できない。
お金貰わないと努力できない人間なんだと気づいた今日このごろ
好き、興味のあることなら、英語が苦手でも英語圏の人の話を聞く努力はできるはずです。
それでも、苦手を好きにすれば、いいのです。英語耳を造るのです。問題なのは英語圏の誰の話を聞けばいいか?です。
例えば、ビートルズが好きなら、どうして、英国の人の生の映像をYouTubeで見ないのですか?と聞けば、その発想がなかったとなります。しかし、この裏に英語の点数を上げるには教科書(文部省が定めた内容)が理解できなければ、いい点数が効率的に取れないと言う暗示に中学生から罹っているからです。小林克也さんは短波ラジオで英語を勉強したそうです。多くの中学校の先生は夜ラジオを聞かず、寝なさいでした。今はいつでもどこでもラジオが聞けます。それなのに、英語のラジオが聞きません。みんなの話題に付いていくには、みんなに合わす、ここ。自分の目標が何かが分からず、親が勉強しないで勉強するから、興味のない学問を必死に勉強します。興味のあることと関係付けさせる考えが学問を勉強させると、遠回りの勉強が一生役に立つ勉強に変わるのです。先ず、効率的(コスパ的)とすることを辞めることです。
頑張るよりも、努力することよりも、没頭し夢中になり、とめどない衝動に突き動かされる事を見つけ、それを極める事が何よりも大切、というかそれが幸せへの近道。
なるほど。『好き』は『好き』でも【好きの方向】か。モヤモヤが少し晴れた気がします。
さらに【努力は努力していない自分と努力した自分との比較】ね。
好きは、わかる。それが、才能で、才能がある人が努力するともっと、高く上にいる。才能が低い僕は、努力してもそんなに高くなれない。
努力できる人とつきあう
ゲーム好きだからゲームずっとしてるは『努力』とは言わない訳だから。『努力』なんて思うわけないでしょうに。甘党が甘い物ばかり食べてるのだって同じ。
頭で考えてばかりだから本質を見誤る。人は思考の働きを休める必要もある。
ニトリさんめちゃわかる。
好きなものには真摯でありたいと思ってやり続ける
最初の人、うつ病になりやすそう
自分に合った適切な努力の方法を見つけるには、指導者を探す、本を読み漁る、試行錯誤する…などの途方もない道があって、最悪寿命の方が先に来る
大多数の人が、自分に合った適切な努力の方法を見つけられていない
つまり努力することを始められてさえいない
必要条件と十分条件の違いが理解できてない人はわりといる。努力するのに必要な条件に好きがあるが、好きは努力するのに十分な条件ではない。
好きと努力は=では無いと言うのが自分の中の結論です。
努力が何処まで出来るのかは、その人の中の焦燥感が何処まで大きいのか。
仮に漫画が好きで何十年も周囲に何を言われても見続けるだけの人と
自分自身で最高の漫画を作りたいと考える人が居るとして、
どちらも漫画に対する愛情は本物でそこに優劣はないけれど、前者は他人が作る作品で十分満足出来るのにたいして、後者は他人が作る漫画では満足しきれなくなっている。
勿論、現実はその間に多くのグラデーションがあって、こんなに両極端という事はそうはないけど、結局努力し続けられる人はそれが必要だから出来るのだと思っている。