◇目次◇0:00 分断戦争が始まっている2:36 ドワンゴにつかれた嘘5:59 現代思想の4代派閥10:47 僕がAbemaを見ない訳11:23 論理的思考力について14:13 インテリとバカの壁 岡田斗司夫マインドをご視聴いただきありがとうございます。チャンネル登録・高評価宜しくお願い致します♪
とてもよくわかる! 高学歴の人がよく「あいつは勉強ができるだけのバカだから」と言われる根本がここにあると感じました。論理的思考力とは突き詰めれば主語を「私」以外にして考えることと教えられたことがあります。かっこよく言えば客観視ですが、感性が乏しいとも言えるわけですね。 対して、”いわゆる”バカとレッテルを貼られている人は感性が思考を凌駕している、と。
個人的には朝まで生テレビを今風にパッケージしたもので、キャッチーな時事ネタを扱う分、なかなか完成した商品ではないでしょうか。 論争という一番面白いところだけを楽しむエンターテイメントのデザインとしては、例えテーマに対して結論や妥協点が行方不明でも間違いではありません。願わくは濃い味のジャンクフードのように飽きられるその日まで、なんなら濃い味を思い出して、また摘むその日まで続いて欲しいと思います。
正直、議論というものをするのならばひろゆき程度のロジカルさは標準装備しておいて欲しいんだけども意気揚々とメディアに出てくるようなのは大概はお気持ち勢なので毎度、芸の出来る猿にオモチャを与えてそれを眺めて楽しむみたいにしかならない まぁ、そういう主旨で作っている番組なんだけども
ネットで何かコメントするとよく誤解されて批判されて、そんなつもりで言ったんじゃないと思って詳しく自分の考えを書いてもなぜか伝わらないことがよくある。自分の書き方が悪くて、もっと丁寧に説明したらきっと意図を分かってくれるはずだと思ってたけど、この動画を見てなんか納得した。
Abemaはマイノリティに対して集団で言葉を浴びせて叩き、マジョリティーのようでただの第三者でしかない視聴者を優越感に浸らせる事で視聴回数稼いでんだろなーって思ってしまう回がよくある。 マイノリティの回答を聞いて理解を深めたいのに、叩くだけ叩いたらろくな回答待たずに次の内容に飛んだりするし。 初期こそ平石さんが一方的過ぎる展開や言葉不足、論点のすり替えなんかをフォローしてたけど、最近はほとんど仕事せず流れを傍観してる。
アベプラでヴィーガン特集やっててヴィーガン側が一人で否定派が5人でやってたの見たことあるほんといじめみたいな構図になってて見る気なくなった覚えがあるはなからヴィーガン側を晒し物にする前提なのがほんとひどかった
気持ちの壁、論理の壁の説明に凄く納得します。お互い見えない事を大前提として議論すれば、相手を尊重出来たり、理解しようという新しい方向性が生まれるのに。どうせ時間を費やすのなら、相手を屈服させるより「まぁ、そういう考え方もアリだな」と共存の道を選んだ方が、今より自由で生きやすい社会になりそうなのに、勿体無いですね。人間は万能じゃないし、思考の全てを言語化する事なんて土台無理なのだから。
それは敏夫の抽象度が低いだけなんじゃないの?いや、そもそも言論人というか、既存の教育を経て権威をまとっている人々の抽象度が低いということか。いや、抽象度という言い方が私には納得がいかないのだが。むしろ、、、細分化された定義の解像度が低い。だから発言のあらを指摘された時に説明ができずにポジションを移動するようなことになる。なので、言葉の意味がなくなった年ではなく、自称言論人の馬鹿さが浮き彫りになった年というだけのことでしょう。自分たちの発言の定義の解像度の低さを言葉の価値の低さに置き換えるとは、傲慢にもほどがありますわな。いや、その傲慢さが全ての問題の根源で、その傲慢さが生まれる背景にあるものは被害妄想であり、改善しなければならないものは信念の低さ、覚悟の低さだと言えるだろう。しかし覚悟というものは信心に由来し、覚悟を持つためとか信念を持つために必要なことは偶発性で、答えありきの覚悟や信念などは、何の意味もない。
Abemaが討論番組だとは全く思わない。駄々っ子意見のひろゆき推しで、MCは番組の意向で偏向すまくるし。見ると頭悪くなる。議論とは程遠い、異なる意見をたたいて楽しんでいる頭の悪いエンタメ番組に過ぎない。
◇目次◇
0:00 分断戦争が始まっている
2:36 ドワンゴにつかれた嘘
5:59 現代思想の4代派閥
10:47 僕がAbemaを見ない訳
11:23 論理的思考力について
14:13 インテリとバカの壁
岡田斗司夫マインドをご視聴いただきありがとうございます。
チャンネル登録・高評価宜しくお願い致します♪
とてもよくわかる!
高学歴の人がよく「あいつは勉強ができるだけのバカだから」と言われる根本がここにあると感じました。論理的思考力とは突き詰めれば主語を「私」以外にして考えることと教えられたことがあります。かっこよく言えば客観視ですが、感性が乏しいとも言えるわけですね。
対して、”いわゆる”バカとレッテルを貼られている人は感性が思考を凌駕している、と。
視点の高さってこういうことなのかって思いました。
正当性は知らんが呼んどいて吊し上げて合法リンチしたり、素知らぬ顔してしょうもない新語を視聴者にけしかけるスタンスを感じてアベマはいつしか全く見なくなったなー、倫理観は全然新しい感じがしない。。
ABEMAはもうオワコンになるよ。視界が変わってからMCとの馴れ合い糞番組に変わってしまった。
有難う御座居ます。 参考にさせて 頂きます。
そもそも、岡田信者にろくな奴はいないと思うんだが。
まあその番組否定しないと自分のポジション取れないしな
最近モノ申す系のyoutuberも長いものに巻かれて負けないように否定形が増えて、これこそ分断分裂を生んでそうな感じはある
大衆の反乱も岡田さん多分読了されていそう。
今年一番笑ったのが志位和夫の「民主主義を守る」の一言だった、正にフレーバーだなと感じたなw
論理的な人間でも気持ちの壁は見えてるんだよ。
それに流されるだけで論理的な整合も取ろうとしない人間が馬鹿に思えるだけで。
顔色悪い。体調に気を付けてください。
奇人変人ショーとして楽しむ分には良いと思います。暇ならね。懐かしの朝生と似た感じ。
個人的には朝まで生テレビを今風にパッケージしたもので、
キャッチーな時事ネタを扱う分、なかなか完成した商品ではないでしょうか。
論争という一番面白いところだけを楽しむエンターテイメントのデザインとしては、
例えテーマに対して結論や妥協点が行方不明でも間違いではありません。
願わくは濃い味のジャンクフードのように飽きられるその日まで、
なんなら濃い味を思い出して、また摘むその日まで続いて欲しいと思います。
abemaのニュースを論争としてみたことなかった。
みんなが自慰行為に浸ってそれを正当化するだけの番組。
俺、私のほうが気持ちいいとね
岡田先生のお話は音楽のように聞ける。楽しいです。
ひろゆきが優しと思えるのは精神性にいて、ホリエモンが冷たいのは思想性にいるからか、、、
abemaニュースを勝ち負けで見ちゃう岡田さんの視点だね。
情報番組として見てるので、結構楽しい。速報性もけっこうあるし、ほかでは見れない意見とか発言が見れる点に価値を感じてるね
正直、議論というものをするのならばひろゆき程度のロジカルさは標準装備しておいて欲しいんだけども
意気揚々とメディアに出てくるようなのは大概はお気持ち勢なので
毎度、芸の出来る猿にオモチャを与えてそれを眺めて楽しむみたいにしかならない まぁ、そういう主旨で作っている番組なんだけども
ネットで何かコメントするとよく誤解されて批判されて、そんなつもりで言ったんじゃないと思って詳しく自分の考えを書いてもなぜか伝わらないことがよくある。
自分の書き方が悪くて、もっと丁寧に説明したらきっと意図を分かってくれるはずだと思ってたけど、この動画を見てなんか納得した。
久々に見たけどなんか、岡田敏夫大丈夫か?
鬱モードなのかな?
ノーガキって、あくまでノーガキで
現実は何も生み出さない、クソの役にもたたねーw
自分が理屈っぽいからこそ俺は気持ちで感じるようにしてる、本能で感じろ❤
わかってるじゃん。Abemaはゴミだよ。朝日が捏造するクッサいクッサい言論アイドル番組。
なんかうすっぺらいな
Abemaはマイノリティに対して集団で言葉を浴びせて叩き、マジョリティーのようでただの第三者でしかない視聴者を優越感に浸らせる事で視聴回数稼いでんだろなーって思ってしまう回がよくある。
マイノリティの回答を聞いて理解を深めたいのに、叩くだけ叩いたらろくな回答待たずに次の内容に飛んだりするし。
初期こそ平石さんが一方的過ぎる展開や言葉不足、論点のすり替えなんかをフォローしてたけど、最近はほとんど仕事せず流れを傍観してる。
アベプラでヴィーガン特集やっててヴィーガン側が一人で否定派が5人でやってたの見たことある
ほんといじめみたいな構図になってて見る気なくなった覚えがある
はなからヴィーガン側を晒し物にする前提なのがほんとひどかった
アベマみたいのはそれを見て何か物事の本質を分かったような気になったり、対立する者同士の一方が他方を舌鋒鋭く論破をするのを見て留飲を下げるだけのポルノみたいものでしかないんだよな。いわば溜飲下げポルノ。
議論は次元をひくくするだけだからな!
理屈や理論はある種の武器だと僕は思う。
だから理論自体に非はないが、理論を武器として使う人が人である以上絶対的な合理は無いと思うです。
気持ちの壁、論理の壁の説明に凄く納得します。
お互い見えない事を大前提として議論すれば、相手を尊重出来たり、理解しようという新しい方向性が生まれるのに。
どうせ時間を費やすのなら、相手を屈服させるより「まぁ、そういう考え方もアリだな」と共存の道を選んだ方が、今より自由で生きやすい社会になりそうなのに、勿体無いですね。
人間は万能じゃないし、思考の全てを言語化する事なんて土台無理なのだから。
この会話の壁を踏まえてる人と踏まえてない人の討論が傍から見てていっちゃんすこ
日本における分断は性別と世代ですね
誰かが何かについて自由や平等を訴えた瞬間に
その何かから自由や平等が無くなる気がします
それは敏夫の抽象度が低いだけなんじゃないの?いや、そもそも言論人というか、既存の教育を経て権威をまとっている人々の抽象度が低いということか。いや、抽象度という言い方が私には納得がいかないのだが。むしろ、、、細分化された定義の解像度が低い。だから発言のあらを指摘された時に説明ができずにポジションを移動するようなことになる。なので、言葉の意味がなくなった年ではなく、自称言論人の馬鹿さが浮き彫りになった年というだけのことでしょう。自分たちの発言の定義の解像度の低さを言葉の価値の低さに置き換えるとは、傲慢にもほどがありますわな。いや、その傲慢さが全ての問題の根源で、その傲慢さが生まれる背景にあるものは被害妄想であり、改善しなければならないものは信念の低さ、覚悟の低さだと言えるだろう。しかし覚悟というものは信心に由来し、覚悟を持つためとか信念を持つために必要なことは偶発性で、答えありきの覚悟や信念などは、何の意味もない。
Abemaが討論番組だとは全く思わない。駄々っ子意見のひろゆき推しで、MCは番組の意向で偏向すまくるし。見ると頭悪くなる。議論とは程遠い、異なる意見をたたいて楽しんでいる頭の悪いエンタメ番組に過ぎない。
また随分太ったな