【続きの動画はこちら↓】僕を含めた日本人の95%は既に●●です。まさか、まだ自分の事を”普通”だと思ってませんよね?この事実に多くの日本人はまだ気付いていないんです。https://youtu.be/6LqRr2mCtSo
"本当の"って言い方するからイヤらしくて、『強烈な感動』とか『純度100%の感動』とかその強度がMAXだって言い方してくれれば良いのに、『本当の感動』って言い方したらそれ以外は『偽物』になっちゃうじゃん。
フィリピン人は貧しいのではなく働かない。 親族の誰かが稼げていればそれに頼る。 アジアの国は基本的にこの感覚で成立していたのではないか。 日本に限っては「定職に就く」というのは家を継ぐ事と同義。 資本主義と民主主義を輸出する為には根底の概念を変える必要があったって事だろうな。
「火垂るの墓」は「トトロ」と2本立てで、ロードショー公開されました。この2本の映画は、普通の人の悪意と善意の、コインの裏表の関係にありました。そういう意味で、この2本の映画は、2本立てでロードショーされた必然性があります。当時、私は友人に『映画館に行くときは、1本目は「火垂るの墓」を見て、2本目に「トトロ」を見て、映画館を出るようにしなさい。そうしないと後悔するよ』と語りました。
本来であればただの貧乏なのに、世間が勝ち組や負け組で区別したがったりするようになったせいで、貧困な気がしてしまう。個人的には、たまにYouTubeで見かける低収入を馬鹿にするような広告が辛いような。 みんな人様のことをとやかく言わないで、自分の幸せのことだけを考えるようになれればなと、勝手ながら思ってしまう。 まぁ、それが収入多くすればいいんだけどね…。
アニメではなく小説判「火垂るの墓」を読んだ元海軍関係者の話ですが、「もし本当に主人公の子らが海軍エリートの子だったら、絶対に飢え死にするようなことはない。なぜなら海軍エリート達は互いに助け合うものであり、もしもの時に頼る相手を子供に教えていたはずだ」とのことです。
昔は平均寿命もそれほどでは無かったんで、直ぐ死んでるんですよね。姥捨て山なんて話がなんで民話になっているか、よーく考えましょう。その日暮らしなんて都市部だけですよ。江戸時代からそうです。今は日本全国路上に行き倒れが滅多に居ないだけでも凄いことなんですよ。貧困とはなにか?どこまでが貧困?全くわかりません。アホなこと考えてないで知識を増やして知性を磨きましょう。これだけが人類の義務です。 ああ、ドイツは変態というか最早黒魔術w
これてきとうこいてるぞ江戸時代でさえ四大飢饉、天草一揆、米騒動なんかの誰しもが情けで解決できない絶対的貧困による出来事で大量の死亡者が出とる。江戸時代以前かて貧困による子食いや死体食いは多発しとる。そもそも子供の語源がそもそも間引きの歴史やからな。1600年後期の集義和書でもしっかり困窮という言葉が使われて貧しく困るという概念はあったで
野坂昭如は実際は、自分は妹をイジメていて、邪魔に思っていて、妹の分の食べ物を奪って食べ、おばさんの家で妹そっちのけでその家の娘に恋心をいただいて、妹のことなんて考えてなかった ってことを読みましたよ。妹を殺したのは自分だと。火垂るの墓という作品は妹への謝罪であると。おばさんはとても優しかったそうです。
骨董展示会で第二次対戦当時のドイツ軍のコートを試着した事がありました。何気なくポケットに手を入れたら、小さな紙片らしきものが手に触れ、手に取るとそれは切符でBERLIN 1945年とある日付がスタンプされていました。それを見た瞬間に全身が総毛立ち、息を呑むばかりで、声が出ませんでした。キャリコのお話でその事を思い出して、30数年ぶりにまた強烈な寒気に襲われました。
コミュニケーション障害ではなく、コミュニティ障害もなかなか根深い問題で、社会的に存在がコミュニティ内で認められているか否か(自らのコミュニティ内の役割があるかないか)はかなり重要かとコミュニティという建物の中で、この人要らないよねあの人要らないよね、と柱をどんどん抜いていくようなものは、本来のコミュニティのタフさが失われるところで、なんだかよくわからんけど色んな商売色んな人種がいるよね、といい寛容さがないと、さっき言ったコミュニティという建物が揺さぶられた時に、崩壊して残酷な自助社会になっちゃうんですよ
それは感動ではなくて、ショックを受けたて事だと思います。人が感動するというのは、その事象を理解できるから、その人の脳が判断できる範囲で感情が発生した結果です。映画をみてその内容を理解したら、その次にリアクションとして泣いたり・笑ったりする。人は自分が理解できない事に遭遇してショックを受けると、感情で判断しません・・・本能が反応するからです。暗闇を怖いと感じるのは、人間の本能です、暗闇には何か潜んでいて危ないと本能が教えているのです。
【続きの動画はこちら↓】
僕を含めた日本人の95%は既に●●です。
まさか、まだ自分の事を”普通”だと思ってませんよね?
この事実に多くの日本人はまだ気付いていないんです。
https://youtu.be/6LqRr2mCtSo
心が固くなると貧困なんだ!?と改まりました!
お金持ちが貧乏や貧困を語ってもねぇ
例えば、資産が10億円ある人が派遣社員の給料13万で暮らしていたとして、その人は貧乏生活だけど貧困では無いって事か。
"本当の"って言い方するからイヤらしくて、『強烈な感動』とか『純度100%の感動』とかその強度がMAXだって言い方してくれれば良いのに、『本当の感動』って言い方したらそれ以外は『偽物』になっちゃうじゃん。
岡田斗司夫もなかなかの顔しとる
ニュースや自分の身の回りを見てると貧しくても心が豊かな人が減ってきましたね。
うーん、感動して泣くってもっと単純な事だと思うし、そこには色々な泣く理由があると思うから、としおさんの言う感動とはそもそも違う種類のものもある様に感じました。
児童虐待も輸入文化ですもんね
フィリピン人は貧しいのではなく働かない。
親族の誰かが稼げていればそれに頼る。
アジアの国は基本的にこの感覚で成立していたのではないか。
日本に限っては「定職に就く」というのは家を継ぐ事と同義。
資本主義と民主主義を輸出する為には根底の概念を変える必要があったって事だろうな。
「火垂るの墓」は「トトロ」と2本立てで、ロードショー公開されました。この2本の映画は、普通の人の悪意と善意の、コインの裏表の関係にありました。
そういう意味で、この2本の映画は、2本立てでロードショーされた必然性があります。
当時、私は友人に『映画館に行くときは、1本目は「火垂るの墓」を見て、2本目に「トトロ」を見て、映画館を出るようにしなさい。そうしないと後悔するよ』と語りました。
これがどうも嫉妬ゴミ坊主らしいぞ
やじバンが!
いいかげんクソが消えてなくなれ
日本も立派な貧困国家ですよ。平成生まれの子供は貧困国家日本しか見ていない。
無策の岸田と財務省のおかげでそこら中に乞食と餓死者が溢れますよ。
感動かどうかは分からないが、エヴァの旧劇場版を見終わった観客は唖然としてたな
その後見た俺もなんとも言えない顔してた
本来であればただの貧乏なのに、世間が勝ち組や負け組で区別したがったりするようになったせいで、貧困な気がしてしまう。
個人的には、たまにYouTubeで見かける低収入を馬鹿にするような広告が辛いような。
みんな人様のことをとやかく言わないで、自分の幸せのことだけを考えるようになれればなと、勝手ながら思ってしまう。
まぁ、それが収入多くすればいいんだけどね…。
正直2畳の生活で声が出ないって、なんなの??
バラック生活、路上生活、現在でも多くあります。
やはり高みから見える風景なんでしょうかね・・・
アニメではなく小説判「火垂るの墓」を読んだ元海軍関係者の話ですが、「もし本当に主人公の子らが海軍エリートの子だったら、絶対に飢え死にするようなことはない。なぜなら海軍エリート達は互いに助け合うものであり、もしもの時に頼る相手を子供に教えていたはずだ」とのことです。
昭和でも貧乏でしたが、昔は近所で助け合って生きてました。今の隣の金持ちは、"努力不足が悪いのだ"とマウントとって気持ち良くなってる。"情緒と想像力と人間性"の貧困が問題なんだと思う。
高橋留美子先生の「貧乏が好きなんですね」は確かに貧乏の話であり、 良く報道される「カップラーメンしか食べられない」は確かに貧困だと言うことが分かりました。さすが岡田先生。
昔は平均寿命もそれほどでは無かったんで、直ぐ死んでるんですよね。
姥捨て山なんて話がなんで民話になっているか、よーく考えましょう。
その日暮らしなんて都市部だけですよ。江戸時代からそうです。今は日本全国路上に行き倒れが滅多に居ないだけでも凄いことなんですよ。貧困とはなにか?どこまでが貧困?全くわかりません。
アホなこと考えてないで知識を増やして知性を磨きましょう。これだけが人類の義務です。
ああ、ドイツは変態というか最早黒魔術w
ありがとうございます。
意識というか感覚というか、私の中で
すごく今回のお話で明確になった気がします。人生で使ってなかった感情の勉強になりました。
今は、先進国で貧乏な国ですね。
俺もyoutubeばっかり見てねぇで真面目に生きるわ
確かに感動して泣いたりするときは、感動という表現より、可哀そうで涙が出てる気がするが、それを感動だと思っていた。私、ほんとの感動したことないです。石の家を見てみたいです。
火垂るの墓はコミュ障の話だったのか。
江戸時代の人、その日暮らしの人はクリエイティブだし、比較的安定した暮らししてる人は精神的な余裕があるのね
これてきとうこいてるぞ
江戸時代でさえ
四大飢饉、天草一揆、米騒動なんかの誰しもが情けで解決できない絶対的貧困による出来事で大量の死亡者が出とる。江戸時代以前かて貧困による子食いや死体食いは多発しとる。そもそも子供の語源がそもそも間引きの歴史やからな。
1600年後期の集義和書でもしっかり困窮という言葉が使われて貧しく困るという概念はあったで
貧困ろ貧乏の大きな違いが人の心の暗部が全面に出るかどうかというのも大きな要素のひとつではないかと思います。
江戸時代の貧困の例を無理にでも挙げるなら「木枯し紋次郎」なんかがそうじゃないのかなと。
江戸時代の暑さをしのぐ方法を調べたら働かないだった
野坂昭如は実際は、自分は妹をイジメていて、邪魔に思っていて、妹の分の食べ物を奪って食べ、おばさんの家で妹そっちのけでその家の娘に恋心をいただいて、妹のことなんて考えてなかった ってことを読みましたよ。妹を殺したのは自分だと。火垂るの墓という作品は妹への謝罪であると。おばさんはとても優しかったそうです。
小泉政権の時が、日本における「貧困問題のポイント・オブ・ノーリターン」であったと歴史に記録されるだろうと思う。
来日した宣教師が、「不幸にあえぐ人々」が居ないので困った、というね。
年代を問わず、気持ち悪いオタクは好きなものを語る時に早口になるのと引き笑いになるんだなあってこの瞳てると思う笑
昔、隣に住んでた老夫婦に金があっても食べるものが無く、自分らの子供を食べる訳にもいかず子供を交換して食べたって聞いた。そうだな「ゆきゆきて進軍」が流行った頃だから口が滑ったのだろうか?真実は知らない。
火垂るの墓…貧乏や貧困っていう話か…?
自分勝手な子供が大金持って働かずに破産する話じゃん…
骨董展示会で第二次対戦当時のドイツ軍のコートを試着した事がありました。
何気なくポケットに手を入れたら、小さな紙片らしきものが手に触れ、手に取るとそれは切符で
BERLIN 1945年とある日付がスタンプされていました。
それを見た瞬間に全身が総毛立ち、息を呑むばかりで、声が出ませんでした。
キャリコのお話でその事を思い出して、30数年ぶりにまた強烈な寒気に襲われました。
節子をお医者さんに診せたとき、清太、ちゃんと声に出して「そんなもんどこにあるんですか!」と叫んでいましたよ?
コミュニケーション障害ではなく、コミュニティ障害もなかなか根深い問題で、社会的に存在がコミュニティ内で認められているか否か(自らのコミュニティ内の役割があるかないか)はかなり重要かと
コミュニティという建物の中で、この人要らないよねあの人要らないよね、と柱をどんどん抜いていくようなものは、
本来のコミュニティのタフさが失われるところで、なんだかよくわからんけど色んな商売色んな人種がいるよね、といい寛容さがないと、
さっき言ったコミュニティという建物が揺さぶられた時に、崩壊して残酷な自助社会になっちゃうんですよ
それは感動ではなくて、ショックを受けたて事だと思います。人が感動するというのは、その事象を理解できるから、その人の脳が判断できる範囲で感情が発生した結果です。映画をみてその内容を理解したら、その次にリアクションとして泣いたり・笑ったりする。人は自分が理解できない事に遭遇してショックを受けると、感情で判断しません・・・本能が反応するからです。
暗闇を怖いと感じるのは、人間の本能です、暗闇には何か潜んでいて危ないと本能が教えているのです。
その土地に合った自分の世界で幸せを感じて着の身着のまま暮らす幸せがあったのに世界を知って周りと比較して周りと比べて心が貧しくなったんだなぁ
ほたるの墓が、可哀そう?はぁ??
クレイジージャーニー好きだったのに。復活してほしいな。
江戸の粋が必要だね。
現代でも無職なのに毎日朝まで誰かの奢りでふらふら街を飲み歩いているおじさんがいます
貧乏でも豊かだったのは江戸時代だけのことじゃないと思います