本が軽ければいいというのはどうかな。仮にトマス・アクィナス『神学大全』を全部読みたいとしよう。この本がどれだけでかいか。百何十年前とかにこの本が発見されて、それから翻訳が始まった。1998年だったか忘れたが、翻訳が終わった。人類史上で初めての翻訳終了だという。人類史上初めて発見されてから、人類史上初めて翻訳が終わるのに100年以上かかってるんだ。もちろん、なん10冊かあるんだ。たぶん400ページ、600ページとかの本がね。何10冊か。電子書籍で読めるとすると、「いつになったら終わるんだー」というのがすげーストレスになるんだ。紙の本だと、これ気にしなくていい。「ここが1冊目の終わり」とわかる。紙で400ページの本を読むのも時間がかかるのに、終わりがわからなかったらそうとうつらいよ。ニート生活、就職できない生活をいつまでしなきゃいけないんだと考えたら死にたくなるようにね。 岡田さんが言ったように、「中身をちょっと見て自分が知りたいようなことが書いていそうなら買う」というのができないんだ。 では、本がでかすぎるデメリットをどうするかというと、1回は普通に全部読んで構わない。終わって、家に帰るまで次の本が読めない。じゃあどうするかというと、家に帰るまでの時間で一冊見返すんだ。このとき、全部読む必要はなく、全体から「ここがわからなかった」とか「もう忘れた」というところを見る。あとは、全体の内容からだいたいわかるところだけピックアップして選ぶ。選んだ項目をさらにじっくり読まず、フォトリーディングみたいに、パラパラだけするんだ。思い出そうとしながら、文字をページの全体ぼやーっと見渡して、何が書いてあったかボヤ―っと読み取ろうとしてパラパラ1項目めくってしまう。ようするに、確認だけすればいいんだ。あ、そうだった。これだけ。また確実に記憶しようとか、100%見直す必要はないんだ。あ、だいたいそうだった。これで、家に帰るまでの時間がどんなにハンパでもなんとかなると思う。またじっくり読むと、先に進まないのがなんかイヤになるから、パラパラだけ、ボヤっと見渡して「あ、そうだった」とだいたいわかればよい。2回目に思い出すので、記憶に必須の反復にもなるんだ。 家に帰ったら次の本にすぐ移れるように、この確認の量を調節すればいいでしょ。一回目と同じように読んだら、飽きてしまうからね。 そして、教育については、岡田さんが言う「日本人が全員同じことを楽しんだ」と言っていて、よさそうに聞こえる。実は「島国根性」で、外の世界を知らないままでいることになる。自分たちの詳しいことしか知らずに、ほかは素材しないとまで言う人が出てくるし、今の日本にそういう人がいる。好奇心がないとか、自分がよく知っていることしか考えないような人だ。こういう人は関心ごとがほとんどないので、人生でどんなに些細なことが起きてもとても苦しむだろう。無知だから、変化自体が怖いんだ。 だから、できるだけ多くの日本人を外国の世界的に有名な大学のように優秀にする。レベルの低い人に合わせる日本の文化は、恐ろしい勘違いだ。レベルの低い人にわかりやすく示し、小学生でもわかるように説明して、ほとんどの人間が優秀になれる可能性を教育で与える、ということをしていない。レベルが低すぎて、生きていきこともできない人を放っておく。 そうじゃなくて、勉強が全然できない人もほとんどの人が90何点、100点を良くとれるようにするのと同じことをする。100点取って終わりではなく、人生で直面する問題解決と、人類愛で社会問題解決のアイディアを実行する人を養成するんだ。経済面では強いアジアになる必要があるんだ。 今の日本が神のように争いのない世界を求めるのは1000年早い。まずは、世界規模で優秀な人が日本から大勢出てきて、世界で活躍し、社会問題をどんどん解決することだ。そのための調査力と、自己管理能力のために勉強をするんだ。今の日本はこれを一部の人を除いてしてないので、弱者に合わせる考え方は勘違いだ。中二病だ。 なぜ、弱者を弱いまま放っておくのか。
電子書籍の方が便利という一部の理由にスペースを気にされている時点で、もう底辺に近いところにいるようなものだ。家が広ければそんなことは気にすることは決してない。問題にすら思いもよらない。車は駐車スペースの問題で大きいものは買えないという時点でお金がない。車は高級車というカテゴリーがあるが、本ですらもう貧富の差が生まれている。
電子書籍なんて、目が疲れるし、紙の本がいいと思ってたけど、今は電子書籍が当たり前になってしまった。紙の本は、傷むし、人の触ったものを触ることに抵抗感が生まれた(汗)でも、縦にスクロールする漫画は余り好きではない。
図書館遠いし、本屋があって助かってる。
本が軽ければいいというのはどうかな。
仮にトマス・アクィナス『神学大全』を全部読みたいとしよう。この本がどれだけでかいか。
百何十年前とかにこの本が発見されて、それから翻訳が始まった。
1998年だったか忘れたが、翻訳が終わった。人類史上で初めての翻訳終了だという。
人類史上初めて発見されてから、人類史上初めて翻訳が終わるのに100年以上かかってるんだ。
もちろん、なん10冊かあるんだ。たぶん400ページ、600ページとかの本がね。何10冊か。
電子書籍で読めるとすると、「いつになったら終わるんだー」というのがすげーストレスになるんだ。
紙の本だと、これ気にしなくていい。
「ここが1冊目の終わり」とわかる。
紙で400ページの本を読むのも時間がかかるのに、終わりがわからなかったらそうとうつらいよ。
ニート生活、就職できない生活をいつまでしなきゃいけないんだと考えたら死にたくなるようにね。
岡田さんが言ったように、「中身をちょっと見て自分が知りたいようなことが書いていそうなら買う」というのができないんだ。
では、本がでかすぎるデメリットをどうするかというと、1回は普通に全部読んで構わない。
終わって、家に帰るまで次の本が読めない。
じゃあどうするかというと、家に帰るまでの時間で一冊見返すんだ。
このとき、全部読む必要はなく、全体から「ここがわからなかった」とか「もう忘れた」というところを見る。
あとは、全体の内容からだいたいわかるところだけピックアップして選ぶ。
選んだ項目をさらにじっくり読まず、フォトリーディングみたいに、パラパラだけするんだ。
思い出そうとしながら、文字をページの全体ぼやーっと見渡して、何が書いてあったかボヤ―っと読み取ろうとして
パラパラ1項目めくってしまう。
ようするに、確認だけすればいいんだ。あ、そうだった。これだけ。
また確実に記憶しようとか、100%見直す必要はないんだ。あ、だいたいそうだった。
これで、家に帰るまでの時間がどんなにハンパでもなんとかなると思う。
またじっくり読むと、先に進まないのがなんかイヤになるから、パラパラだけ、ボヤっと見渡して「あ、そうだった」と
だいたいわかればよい。
2回目に思い出すので、記憶に必須の反復にもなるんだ。
家に帰ったら次の本にすぐ移れるように、この確認の量を調節すればいいでしょ。
一回目と同じように読んだら、飽きてしまうからね。
そして、教育については、岡田さんが言う「日本人が全員同じことを楽しんだ」と言っていて、よさそうに聞こえる。
実は「島国根性」で、外の世界を知らないままでいることになる。
自分たちの詳しいことしか知らずに、ほかは素材しないとまで言う人が出てくるし、今の日本にそういう人がいる。
好奇心がないとか、自分がよく知っていることしか考えないような人だ。
こういう人は関心ごとがほとんどないので、人生でどんなに些細なことが起きてもとても苦しむだろう。
無知だから、変化自体が怖いんだ。
だから、できるだけ多くの日本人を外国の世界的に有名な大学のように優秀にする。
レベルの低い人に合わせる日本の文化は、恐ろしい勘違いだ。
レベルの低い人にわかりやすく示し、小学生でもわかるように説明して、ほとんどの人間が優秀になれる可能性を
教育で与える、ということをしていない。
レベルが低すぎて、生きていきこともできない人を放っておく。
そうじゃなくて、勉強が全然できない人もほとんどの人が90何点、100点を良くとれるようにするのと同じことをする。
100点取って終わりではなく、人生で直面する問題解決と、人類愛で社会問題解決のアイディアを実行する人を養成するんだ。
経済面では強いアジアになる必要があるんだ。
今の日本が神のように争いのない世界を求めるのは1000年早い。
まずは、世界規模で優秀な人が日本から大勢出てきて、世界で活躍し、社会問題をどんどん解決することだ。
そのための調査力と、自己管理能力のために勉強をするんだ。
今の日本はこれを一部の人を除いてしてないので、弱者に合わせる考え方は勘違いだ。中二病だ。
なぜ、弱者を弱いまま放っておくのか。
知的でもなんでもないただの天下り先の大学はつぶれてもいいんじゃない?
電子書籍の方が便利という一部の理由にスペースを気にされている時点で、もう底辺に近いところにいるようなものだ。家が広ければそんなことは気にすることは決してない。問題にすら思いもよらない。車は駐車スペースの問題で大きいものは買えないという時点でお金がない。車は高級車というカテゴリーがあるが、本ですらもう貧富の差が生まれている。
こんにちは
無用の用にならないように
電子書籍なんて、目が疲れるし、紙の本がいいと思ってたけど、今は電子書籍が当たり前になってしまった。紙の本は、傷むし、人の触ったものを触ることに抵抗感が生まれた(汗)でも、縦にスクロールする漫画は余り好きではない。
音楽もダウンロードで済ます。もう何年も買ってない。