アムロに見えてしまった父親が●ぬ未来。誰にも伝わらなかった富野由悠季の演出【ガンダム 34話】【岡田斗司夫/切り抜き】【岡田斗司夫まとめ】



0:00 アムロが外出した理由 0:57 アムロとテムレイの会話 2:34 大事なシーン、ショックを受けるアムロ 3:47 アムロに見えた父親の未来の …

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「アムロに見えてしまった父親が●ぬ未来。誰にも伝わらなかった富野由悠季の演出【ガンダム 34話】【岡田斗司夫/切り抜き】【岡田斗司夫まとめ】」への23件のフィードバック

  1. より:

    こんなにも考えを要求される、考えて見ないといけないアニメはガンダムなんだよね。
    政治的にも、哲学的にも、人としての考え方、あらゆる面で考えてしまうなぁ。

  2. より:

    作画のお父さん、顔を上げているように見えてるからではないか? 机の上で意識を失って4ぬ絵には見えないよ。

  3. より:

    むぅ、アムロはララアによって覚醒していたのか・・・。

  4. より:

    ガキ向けアニメにしては、この演出は分かり難いですね。

  5. より:

    ここは改めておかしくなった父親を認知したことで、
    「形としての家族は在るけど以前のような家庭はもうない」ことへの悲しみで泣いているんだと思ってました

    なので、車が立ち往生したときには冷めたてたのは「でも冷静に考えたら前とほとんど変わってなくね?」的なノリかと笑

  6. より:

    庵野さん、シン-イデオンやらんかなー

  7. より:

    視聴者はレベルが低い(70年代子供向けアニメ)
    富野はよく視聴者層への配慮無視した奢りが見える
    この時代大人が見るのも多くないのにターゲットを無視したらそうなるわ

  8. より:

    ナラティブでさらっとニュータイプを解説したのが
    許されない事なんだよね
    あの絵と内容で、さらに余計な解説をかましたので、黒歴史と言われる

  9. より:

    UCでサイコフレームに時間遡行能力付加されてるね

  10. より:

    シャアは多分ニュータイプじゃなくても分かる笑

  11. より:

    劇場版でレベルを下げるやり方はGレコでもやってますよね。
    Gレコも劇場版の方がわかりやすくなっているけれどもTV版よりも蛇足感が否めません。

  12. より:

    ニュータイプって両親に恵まれてないなぁ

  13. より:

    まー、ガンダムの開発者としてその業界では名前が残りそうなのが救いなのかも?

  14. より:

    死を4に変換せんと削除対象なるんか??なんだかなあyoutube規制 まるで規制ウイルスやな

  15. より:

    あの姿は低レベルな図面しか書けなくなった姿にしか見えないけどな。図面をドラフティングテープで固定もしてないし。エンジニアとしては死んでる。

  16. より:

    ツイン・ピークスとか流行ってたからエヴァはそれかと思ったが富野監督の影響だったのね

  17. より:

    人類のニュータイプ化はもうすぐ

  18. より:

    ✖ニュータイプラッシュ
    ◯ニュータイプフラッシュ

  19. より:

    テム・レイってアムロを見捨てた事なんてなくて、基本アムロのために仕事頑張ってたけれど、不器用なんでアムロに伝わってない。
    おかしくなってからもアムロのために頑張ってたりするんだけど、やっぱりニュータイプになって未来予想できるようになっても伝わらない、わかりあえないというね・・・

  20. より:

    レベルを下げたはずの演出すら理解されてないのを見ると何かモヤモヤする。

  21. より:

    テレビ版の細かい映像までは思い出せないけど、少なくとも写真を見る限りでは死んでいるようには見えない。
    死んでいる姿にするならもっと頭を俯かせるべきであり、これだと単に図面を見ている様にしか見えない。
    テレビ版の画像がこのままであるならむしろ「このままいかにも単純な役に立ちそうもない機械の図面を引くことしか出来ない父親の姿」を見たのだと言われた方が納得出来そうで演出というより画の問題。というかこの画を見て理解出来ないことを嘆かれてもそれはそれで問題だとさえ思ってしまう。

  22. より:

    私はファースト世代の微妙にちょっと後の世代です
    言い方を変えるとファースト映画世代です
    テレビ版は当時作画が汚くて(ばらつきの振り子が酷くて)内容を把握する気力が萎えていました
    ので、書き直しの多い『めぐりあい』は大好きでした
    しかし、今回の内容の父親の亡くなるシーン(階段落ち)は嫌いでした…が、映画だけのシーンだッたとは…
    そこでテレビ版を見返して見ましたが…
    あの作画では伝わりませんよ
    演出のせいではなく、作画のせいです
    岡田さんの裏事情を知ってる解説でそうだったのかと思いましたが…ちょっと…あの画では…
    あからさまに伝えるのが好きではないから観る側が理解しろっていうのはあの作画では無理があるのではなかろうか?
    演出の問題ではないのです
    首の角度、手の位置、微妙な仕草をかき分けてさえいれば態々死にました演出の階段落ちをしなくてもよかったのではないかと思いました

  23. より:

    ゼータで、シャーと再び 相まみえるわけですが
    それの、最初の瞬間がここだったのですね
    さっきの少女 ララア との再会ですね

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