成績上位が学校やっても死ぬで。クリティカルシンキングとか関係ねえわ。間違ってることでもクリティカルできるし、できたとしても1人のただの愚痴で終わる。というか思ってる以上に、みんな矛盾に気づいてるのよ。でも我慢して働いてるのよひろゆき?
中学校の英語教員が私と同じ学年クラスを持っていたので、まるまる3年間その先生の授業を受けなければならない事が苦でした。なぜかと云うと、日本人なのに日本語さえもつっかえて話し、英語も同様で説明も上手ではありませんでした。私は洋楽が好きなので、中学で新たに英語を学び始める事を楽しみにしていましたが、先生のつたない英語を聞かなくてならない事が苦痛で、耳栓も出来ないし、英語の時間は睡眠時間にあてました。大学の様に先生を選べたら良いのに…と今も思います。出会える人で人生も変わるから、子供を馬鹿にしないで欲しいです。
1.なるほど、環境が厳しすぎてヒマで無能ならいじめを始めるのか2.子供の状況に合わせてちゃんと考えられる教師がいてほしい。ただし違法になるかもしれない。なぜなら、法律を作っている人が人によって合わせるのが微妙にできていないから。法律にあると人は性格になるくらい守るんですけど、法律にない事ガンガンやるんですよw法律にないからと言って、人を傷つけたりして、それが倫理上問題があるとは思わないんです。だから法律ができたんですね。倫理上、何か忘れてはいけないものを考えない人がめちゃ多いんですよね。法律にあると今度は、考えなくていいので守れるんですよ。だから法律がちゃんと守ってくれなかったら、何百万人の子供の人生が狂っても、守れないんですよね。そこがルールが自由が利かない欠点かもしれません。自由を聞かせると言葉の上で矛盾してしまって、これに対応する方法が人類にないと思うんですね。それで、一人ひとりの立場で、その都度考え直して対応すると違法になるわけですね。でも違法な方が教育に本当にいい対応になります。よって、法律を作っている人は、人の気持ちなどよくわかってないのですよw言葉の矛盾をなんとかしようとして、科学哲学とか、プラグマティズムというのが出てきているそうですけど、認めている人は少なそうです。科学哲学だと、理屈と、理屈に合わないところどっちも扱える折衷案みたいな哲学なんですけど。 今のところ、一人ひとりにあわせてちゃんと考えなおせる人はアニメや作品の中にしかいないようです。つまり、一人ひとりちゃんと考えてもいいという社会は現実にはありませんwアニメの中にしかそういう社会はありません。これを実現させれば、本当に善い世の中ですよね。3.3人目の相談。もう書いてしまったけど、無能がいると害悪でしかないのが分かりますね。しかも無能が上司だったら部下は殺されます。なぜなら、部下を生かす能力がないからw無能が支配した組織って、人によっては生きて帰れないんですよね。ここに無頓着なんですよね、日本社会って。 ある程度勉強できる人を量産するためには、すべての日本人に独学をお勧めします。自分で知らないことを知るのが楽しいという子供が多いというように、自分で好きなように進めていいんですね。「あ、俺できるんでやらないっす」という生徒がテストから逃げたとする。それでも戒めがあるのは、教師の都合で決まります。あなたが本当にできるからやらないのか、無能が逃げてるだけなのか、教師にはわからない。「やらなくていいけど、100とったらな」ということで、結局やらせているじゃん、というねwやりたくないつってんだろって思うんだけどねw 4.大活躍していて無能で人をいじめる教師は、本当に善い授業をしたい無能の教師に劣る。ひろゆきは、ようするに少しだけめっちゃ準備した授業をする。あとはできなくてもいい。どうせできないからじゃない。無能は能力低すぎて、普通のことをやるのも大変だ。もっとレベルが低いことをしないと続かないんだ。そこで、タスクを小さくする、一度にやることを小さくして、ちょっとずつ進めると、どんなに無能でもいつかはできるはずなんだ。ひろゆきはこのやり方を言っている。 自分は本当に無能で、全く勉強できなくて、治すこともできないし、どこが分からないのかもわからない、絶望です、という人がいるとする。自分だと思いますかwまあそんなに悲観しないでwこういう人がどうやったらできるようになるか。この人は何をしても失敗してきた。どうすればよかったかというと、じゃあもっと小さくしましょうと。本当に小さいこともできないんです、というならもっと小さくして「一発でできる範囲だけ」に絞ります。一発でできるので、こんなの瞬間で終わりますから、どんどん進めるのです。何が違うかというと、「一瞬で終わって、できているとほぼ決まっている」という安心感ですね。これが「やりやすさ」を生みます。少しは生きやすくなるかもしれません。 優秀な人は、ようするに一瞬で終わって、できているとほぼ決まっている範囲がもっと広いというだけなんですね。結局、できる範囲だけをどんどん進めて、いろいろできるようになっただけなんです。 無能とは、これが小さいだけでして、どんどん小さくしても、できる範囲は必ず来ますから、その範囲でしかやらないとするといいです。慣れ来て、おそらくわかることも増えるでしょう。それから一瞬やる範囲を増やすことも可能です。一瞬でやれる範囲が広がっていきますので、楽しくなるでしょう。 さて、すぐに優秀に慣れた人には悲劇が待っています。「いままでと同じようにやっていたらできるだろう」と侮るようになります。侮らないようにするということが「自分との闘い」というものなのです。油断大敵。じゃあどうするかというと、無能が成長するときに一度にやることを増やすのと同じです。できる人も、一度にやることをもっと増やすのです。「ある程度できるんだから、そこまでしなくてもいいじゃん」って思い始めます。無能が成長する時はあり得ない現象です。やらなくていいと思うのは傲慢だとわかります。勉強には新鮮さが大事で、新鮮な気持ちの驚きがなく、死んだように同じことをするのは大敵なのです。優秀でも全然できない人のような新鮮さを保つことができれば、もっと成長します。 そして由修な人は油断しないように言うと、そうやってわかるようになった知識を使って将来仕事をするのです。覚えて満足しているようではいけません。大人になったらがんばらなくなるでしょう。学生時代にあれほど頑張ったんだから「やらなくても問題ない」と感じるはずです。そうやって舐め腐った人間になります。そういう人間が尊敬できない上司になるのです。 過去すごかった事なんかどうでもよいのです。今も何をしているかです。最悪無職になっても、何歳になっても自分の中に成長しようとしている部分がある人は、ヒマでいじめっこになることは絶対にありません。絶対にありません。 どっちが偉いかで判断する日本社会は、もう頑張らなくなった年寄りが支配しているということです。この年よりもあと20年もたてば全滅します。このとき、私やあなたが、がんばる人、苦しんでいる人のことを少しでもわかってあげられる年寄りに成長しましょう。そのためには、一生学び続ける姿勢を保つのです。どんなに些細な事でもいいですから、できないことができるようになる、知らないことを知り続けることです。そうすることで「俺様が偉いから正しい」などとアホなことは考えなくなるのです。 ひろゆきが、救いようがない人間に対して言うアホ、バカという言葉は、二つの意味があります。1.まともに考えることができない悪党であることと、2.人として大事な倫理的な何かを大切にしないで、他人を不幸に陥れ、命も奪う、愛情がない最低人間という意味です。 アホ、バカにはこういう意味があるのです。「正確に暗記していない」という意味はないのです。なぜなら暗記だけを重視しなくても生きていけるからです。倫理道徳を無視して生きたら自分に都合がいい世の中を作れますが、ホロコーストを行うでしょう。 一人ひとりの状況によく考えて対応するのは、アニメの中にしかありません。アニメキャラが全員の立場をよく考えて対応するのは、現実にやる人がいません。日本はアニメをバカにする人がいると思いますが、そのアニメにリアルは劣るのです。 なぜアニメにちゃんと公平に対応する風景が描かれるかというと、みんなが望んでいるのだと思います。そして世界も公平な対応を望んでいます。望んでいないのは日本国だけなのです。日本国が異常なんだと思っておいてください。 日本の頭がおかしい状況を変えましょう。
理科の共有の話、素晴らしいですね。草の根運動みたいに少しずつ広まれば変わるかな? 教師志望にも、志の有る人は居るはずなのに何でこんなに成ってしまったのか・・・悪い環境が整い過ぎてしまったのか・・・明治初期の様な”~塾”みたいなものは、もう出来ないのかな~
成績上位が学校やっても死ぬで。
クリティカルシンキングとか関係ねえわ。間違ってることでもクリティカルできるし、できたとしても1人のただの愚痴で終わる。
というか思ってる以上に、みんな矛盾に気づいてるのよ。でも我慢して働いてるのよひろゆき?
ブラックもだけど、先生なのに学校によってはいじめ陰口悪口三昧。教師が原因というよりもっと上が問題。実は、教育行政に着目すべし!なんです。
私塾と違い淘汰されないのです。教師だけでなく公務員全般にある問題かと思います。ダメなら首に出来るのは議員くらいですね。
今は親がうるさくて教師辞める人多い、教師も大変な時代になった。いい大学出ていないと親に馬鹿にされる時代
小学校、簡単過ぎて飛び級したかったな
そういうの日本アホ
4:53俺って珍しい
教師の質が下がっているのは過労死レベルで働かないといけない状況にあるのも問題だよなー
中学校の英語教員が私と同じ学年クラスを持っていたので、まるまる3年間その先生の授業を受けなければならない事が苦でした。なぜかと云うと、日本人なのに日本語さえもつっかえて話し、英語も同様で説明も上手ではありませんでした。
私は洋楽が好きなので、中学で新たに英語を学び始める事を楽しみにしていましたが、先生のつたない英語を聞かなくてならない事が苦痛で、耳栓も出来ないし、英語の時間は睡眠時間にあてました。大学の様に先生を選べたら良いのに…と今も思います。出会える人で人生も変わるから、子供を馬鹿にしないで欲しいです。
教師が窓際族だと、リモート教育で じゅうぶん です。
いわゆる勉強出来るだけが取り柄の、スーパー駄目人間とかが公務員という事で採用試験受けるから、教員はスーパー駄目人間しかいないんだよね
公立の教員でまともな人間を見た事がない
最近、学校でゼロトランス・スタンダードと言われ始めている。
たぶん、無能な教師が増えたのかな・・・
ていうか小学校って校則はないが、謎ルールが多過ぎる。
だいたい担任の裁量なんだよね。
全身タイツ・セーター・ニット帽・マフラー・手袋・ブーツ
寒冷地でなければ、ジャンバー無くても温かいけど・・・
1.なるほど、環境が厳しすぎてヒマで無能ならいじめを始めるのか
2.子供の状況に合わせてちゃんと考えられる教師がいてほしい。
ただし違法になるかもしれない。なぜなら、法律を作っている人が人によって合わせるのが微妙にできていないから。
法律にあると人は性格になるくらい守るんですけど、法律にない事ガンガンやるんですよw
法律にないからと言って、人を傷つけたりして、それが倫理上問題があるとは思わないんです。
だから法律ができたんですね。
倫理上、何か忘れてはいけないものを考えない人がめちゃ多いんですよね。
法律にあると今度は、考えなくていいので守れるんですよ。
だから法律がちゃんと守ってくれなかったら、何百万人の子供の人生が狂っても、守れないんですよね。
そこがルールが自由が利かない欠点かもしれません。
自由を聞かせると言葉の上で矛盾してしまって、これに対応する方法が人類にないと思うんですね。
それで、一人ひとりの立場で、その都度考え直して対応すると違法になるわけですね。
でも違法な方が教育に本当にいい対応になります。
よって、法律を作っている人は、人の気持ちなどよくわかってないのですよw
言葉の矛盾をなんとかしようとして、科学哲学とか、プラグマティズムというのが出てきているそうですけど、認めている人は少なそうです。
科学哲学だと、理屈と、理屈に合わないところどっちも扱える折衷案みたいな哲学なんですけど。
今のところ、一人ひとりにあわせてちゃんと考えなおせる人はアニメや作品の中にしかいないようです。
つまり、一人ひとりちゃんと考えてもいいという社会は現実にはありませんw
アニメの中にしかそういう社会はありません。
これを実現させれば、本当に善い世の中ですよね。
3.3人目の相談。もう書いてしまったけど、無能がいると害悪でしかないのが分かりますね。
しかも無能が上司だったら部下は殺されます。なぜなら、部下を生かす能力がないからw
無能が支配した組織って、人によっては生きて帰れないんですよね。
ここに無頓着なんですよね、日本社会って。
ある程度勉強できる人を量産するためには、すべての日本人に独学をお勧めします。
自分で知らないことを知るのが楽しいという子供が多いというように、自分で好きなように進めていいんですね。
「あ、俺できるんでやらないっす」という生徒がテストから逃げたとする。
それでも戒めがあるのは、教師の都合で決まります。
あなたが本当にできるからやらないのか、無能が逃げてるだけなのか、教師にはわからない。
「やらなくていいけど、100とったらな」ということで、結局やらせているじゃん、というねw
やりたくないつってんだろって思うんだけどねw
4.大活躍していて無能で人をいじめる教師は、本当に善い授業をしたい無能の教師に劣る。
ひろゆきは、ようするに少しだけめっちゃ準備した授業をする。あとはできなくてもいい。どうせできないからじゃない。
無能は能力低すぎて、普通のことをやるのも大変だ。もっとレベルが低いことをしないと続かないんだ。
そこで、タスクを小さくする、一度にやることを小さくして、ちょっとずつ進めると、どんなに無能でもいつかはできるはずなんだ。
ひろゆきはこのやり方を言っている。
自分は本当に無能で、全く勉強できなくて、治すこともできないし、どこが分からないのかもわからない、絶望です、
という人がいるとする。自分だと思いますかwまあそんなに悲観しないでw
こういう人がどうやったらできるようになるか。この人は何をしても失敗してきた。
どうすればよかったかというと、じゃあもっと小さくしましょうと。
本当に小さいこともできないんです、というならもっと小さくして「一発でできる範囲だけ」に絞ります。
一発でできるので、こんなの瞬間で終わりますから、どんどん進めるのです。
何が違うかというと、「一瞬で終わって、できているとほぼ決まっている」という安心感ですね。
これが「やりやすさ」を生みます。少しは生きやすくなるかもしれません。
優秀な人は、ようするに一瞬で終わって、できているとほぼ決まっている範囲がもっと広いというだけなんですね。
結局、できる範囲だけをどんどん進めて、いろいろできるようになっただけなんです。
無能とは、これが小さいだけでして、どんどん小さくしても、できる範囲は必ず来ますから、その範囲でしかやらないとするといいです。
慣れ来て、おそらくわかることも増えるでしょう。
それから一瞬やる範囲を増やすことも可能です。
一瞬でやれる範囲が広がっていきますので、楽しくなるでしょう。
さて、すぐに優秀に慣れた人には悲劇が待っています。
「いままでと同じようにやっていたらできるだろう」と侮るようになります。
侮らないようにするということが「自分との闘い」というものなのです。
油断大敵。
じゃあどうするかというと、無能が成長するときに一度にやることを増やすのと同じです。
できる人も、一度にやることをもっと増やすのです。
「ある程度できるんだから、そこまでしなくてもいいじゃん」って思い始めます。
無能が成長する時はあり得ない現象です。やらなくていいと思うのは傲慢だとわかります。
勉強には新鮮さが大事で、新鮮な気持ちの驚きがなく、死んだように同じことをするのは大敵なのです。
優秀でも全然できない人のような新鮮さを保つことができれば、もっと成長します。
そして由修な人は油断しないように言うと、そうやってわかるようになった知識を使って将来仕事をするのです。
覚えて満足しているようではいけません。大人になったらがんばらなくなるでしょう。
学生時代にあれほど頑張ったんだから「やらなくても問題ない」と感じるはずです。
そうやって舐め腐った人間になります。そういう人間が尊敬できない上司になるのです。
過去すごかった事なんかどうでもよいのです。
今も何をしているかです。
最悪無職になっても、何歳になっても自分の中に成長しようとしている部分がある人は、
ヒマでいじめっこになることは絶対にありません。
絶対にありません。
どっちが偉いかで判断する日本社会は、もう頑張らなくなった年寄りが支配しているということです。
この年よりもあと20年もたてば全滅します。
このとき、私やあなたが、がんばる人、苦しんでいる人のことを少しでもわかってあげられる年寄りに成長しましょう。
そのためには、一生学び続ける姿勢を保つのです。
どんなに些細な事でもいいですから、できないことができるようになる、知らないことを知り続けることです。
そうすることで「俺様が偉いから正しい」などとアホなことは考えなくなるのです。
ひろゆきが、救いようがない人間に対して言うアホ、バカという言葉は、二つの意味があります。
1.まともに考えることができない悪党であることと、
2.人として大事な倫理的な何かを大切にしないで、他人を不幸に陥れ、命も奪う、愛情がない最低人間という意味です。
アホ、バカにはこういう意味があるのです。
「正確に暗記していない」という意味はないのです。
なぜなら暗記だけを重視しなくても生きていけるからです。
倫理道徳を無視して生きたら自分に都合がいい世の中を作れますが、ホロコーストを行うでしょう。
一人ひとりの状況によく考えて対応するのは、アニメの中にしかありません。
アニメキャラが全員の立場をよく考えて対応するのは、現実にやる人がいません。
日本はアニメをバカにする人がいると思いますが、そのアニメにリアルは劣るのです。
なぜアニメにちゃんと公平に対応する風景が描かれるかというと、みんなが望んでいるのだと思います。
そして世界も公平な対応を望んでいます。望んでいないのは日本国だけなのです。
日本国が異常なんだと思っておいてください。
日本の頭がおかしい状況を変えましょう。
理科の共有の話、素晴らしいですね。草の根運動みたいに少しずつ広まれば変わるかな?
教師志望にも、志の有る人は居るはずなのに何でこんなに成ってしまったのか・・・
悪い環境が整い過ぎてしまったのか・・・
明治初期の様な”~塾”みたいなものは、もう出来ないのかな~
クリティカルシンキングできる教師はよ
乙武さん懐かしいですね。乙武さんも学校でいじめにあっていたんですか?それは知らなかったです。よく乙武さんいじめを乗り越えましたね。
田舎ヤクザの教師が担任になってひたすらボコられていた。理由は俺の顔が嫌いだったからだそうだ。小学生ながらに教師はクズだと思い知った
実際やってみないと教師の気持ちわかんないだろうな、実際そんな余裕ないだろうね。