「こいつ中身なさそうだな」↑この言葉を書いた本人ではありませんが、こういう言葉を投げつける人は、相手の実際の中身の有無なんてどうでもいいのです。こういうのは水風船みたいなもんで、当たっても身体へのダメージはないが、確実に相手の心に傷がつく、そういう効果を理解していて書いているんだと思います。気にしたら負けです。似たようなものに「くさそう」「親も頭悪そう」「文系っぽい」などがあるかなと思います。
心理学の実験だと人は自分が考えて判断しているようでいて、さほどの根拠もなく結構適当に判断しているようです。本能とまでは言わなくとも脳の自動化とでもいうのでしょうか。あまり深く考えないで自分が楽しいと思うことを一生懸命していれば、反社会的なことでない限り周りが勝手に中身があるように思ってくれるかもしれません。好きこそものの上手なり。
信念があるか否か。信念とは揺るぎない行動原則。何故、揺るぎない行動原則を維持しようとしているかと言えば、それが格好いいからである。瘦せ我慢で「この場合はこうすべきでは・・・」という雑念を振り払い「ええい、俺のキャラはこうなんだ!」と信念を守る。即ち「中身がある」の「中身」とは「格好付けの痩せ我慢でやってる演出」に過ぎない。これに対して「俺はそんな格好付けはしない。俺は常に合理的・効率的にすべきことをして生きるのだ!」と思うと、それも「格好付けの痩せ我慢でやってる演出」になってしまう。岡田さんの言うのと同じ様なことだが「中身」は求めた瞬間に下らないものになる。何も考えずに生きましょうw
みんなの中身の定義も面白い! 公式化して最初に提示するのはさすがですね。私は【自分軸×(思考+経験)】だと思いますね。物事について自分なりのロジック・視座で深く解釈ができること + 自分の経験に基づく話があること。他人が話していたことや本の内容をそのまま話したり、なんとなくみんながそうしてるからという理由で選んでいたり、自分で思考も経験もしていない場合はめっちゃ中身ないってことになるけど、ちょっと極端?笑 動帝さん、なんて質問したんだろう?自分軸で生きる人は人からズレやすいので、そういう意味では「歪み」なのかも。でも清楚キャラ(特に演じている場合)は仮に実績があっても中身があるとは思わんのと、平凡に生きている人も自分軸で生きていれば中身がないとは思わないけどなぁ。あ、岡田さんも言ってるけどあくまでそう見えやすいって話か。
子どもの頃から歪みっぱなし自分の場合、本当に歪まないための努力の連続で、宿題を片付けるべく自分の命題を反芻しながら紐解いて、実社会でのキャリアは大したことがないまま死ぬ模様です。親ガチャや環境って大事。
所詮就活は騙し合いとかいうけど、就職できたらできたで、職場は舞台で役柄を演じる場所とかいうけれど、、、それでも人間は、本音を、ありのままを受け入れてもらえる誰かを探し続ける歪みがあって苦しみ続ける、一水四見、顛倒の妄念、そんなの自分自身の内側でなんとか折り合いつけていくしかないのにね
ある物事に対してどれだけの感情、気づきを得られるかが中身だと個人的に思ってます。自分の選択で判断して行動することも中身に繋がると思います。他人と違うことしたから中身がある人間になれる訳では無いと考えます
知性における人の中身とは「主観」ではないでしょうか。対義語の客観性と照らし合わせて悪く言われることの多い言葉ですが、借りてきた言葉ばかり喋る人や、他者からの評価が基準になっている人の話は薄くて味がしないものです
岡田さんは一貫性を檻と表現されてました。 納得はできるのですが。 価値観をversion upする事に抵抗があるか否かが、一貫性に拘るか否かの理由付けだと自分は考えています。 どちらが正しいかではありません。
精神性は身体に由来しますから、自分の中身に実感がない人は身体と対話しましょう。身体を鍛えたり、自らの生い立ちや環境、経験や知識、挫折や自尊心など、身体に対する思考や理解が進むと、貴方の身体は貴方だけのものですから、身体への理解が進むにつれ、それに伴うオリジナルな精神性や考え方や思想が芽生えるはずです。それは残念ながら、なかなか共感されたり、理解されることは多くありません。ですからこそ、理解できる相手が現れたら、その縁は大切にする方が良いでしょう。真に中身があり、オリジナルな自己を確立できた人は孤独を抱えることになります。その孤独になかなか人は太刀打ちできません。社会性があるからです。人はひとりでは生きていませんから、その孤独をどう愛し、受け容れ、付き合ってゆくかの覚悟が必要になります。肩の力を抜いて空を見上げると良いと思います。貴方にとって貴方はかけがえのない大切なひとりですが、世界からしたら、何十億のうちのひとりに過ぎません。深呼吸をし、宇宙や地球を感じることが出来れば、貴方はひとりではなくなるかも知れません。
自分の信念とは矛盾することを少しすることによって人間に面白みが出るアニメのキャラクターとかでも悪に染まったやつだが親には優しい。肉は食べないと決めているが、ラストシーンで敬意を払って食べるといったような自己矛盾的な行動が人間をより深くより面白くすると私は思う。
ストレートど真ん中な人も結局は中身がありますけどね。多分ここでのストレートってのはもっと普遍的な言い方をするならば普通の人って事ですけど結局普通なんてありとあらゆる物事の最頻値か平均値を寄せ集めて導き出す考えですしそう定義した場合じゃあこの世にその定義の条件にピッタリ当てはまる人は何人いますか?ってなったら多分ほんの極僅か、もしかしたら全く居ないかもしれないという結論になりますし。だってほぼ居ない人が普遍的な人間なはずが無いですから。
ファッション挫折 っていわれているようなもので、 頭にきて当然に聞こえる
「こいつ中身なさそうだな」
↑この言葉を書いた本人ではありませんが、こういう言葉を投げつける人は、相手の実際の中身の有無なんてどうでもいいのです。
こういうのは水風船みたいなもんで、当たっても身体へのダメージはないが、確実に相手の心に傷がつく、そういう効果を理解していて書いているんだと思います。
気にしたら負けです。
似たようなものに「くさそう」「親も頭悪そう」「文系っぽい」などがあるかなと思います。
「おまえ中身無いな笑笑」ってその人の中身を引き出せてない人が言うセリフではないよな。
中身は誰でもあると思いますよ。必要以上に自分を大きく見せなければ、経験はその人を作っていくと思います。
想像力を欠いた人間の最後の拠り所が一貫性
逸脱ではなく歪みと言うのがいいね
心理学の実験だと人は自分が考えて判断しているようでいて、さほどの根拠もなく結構適当に判断しているようです。本能とまでは言わなくとも脳の自動化とでもいうのでしょうか。あまり深く考えないで自分が楽しいと思うことを一生懸命していれば、反社会的なことでない限り周りが勝手に中身があるように思ってくれるかもしれません。好きこそものの上手なり。
中身があるというと、一見いいことのようだが、社会悪の強い中身だったりするからなあ。
信念があるか否か。信念とは揺るぎない行動原則。
何故、揺るぎない行動原則を維持しようとしているかと言えば、それが格好いいからである。瘦せ我慢で「この場合はこうすべきでは・・・」という雑念を振り払い「ええい、俺のキャラはこうなんだ!」と信念を守る。即ち「中身がある」の「中身」とは「格好付けの痩せ我慢でやってる演出」に過ぎない。これに対して「俺はそんな格好付けはしない。俺は常に合理的・効率的にすべきことをして生きるのだ!」と思うと、それも「格好付けの痩せ我慢でやってる演出」になってしまう。
岡田さんの言うのと同じ様なことだが「中身」は求めた瞬間に下らないものになる。何も考えずに生きましょうw
知性がなくても‥自分の言葉で語れる人は中身があります。ネット記事を何の工夫もなく使いまわししてる人は中身が無い。
自分が話す内容や感じる気持ちは、読んだ本から引っ張ってくることが多い。
こーゆー自分には中身がないんだろーな…
実績が実積になってるという歪みがまず気になった
みんなの中身の定義も面白い! 公式化して最初に提示するのはさすがですね。
私は【自分軸×(思考+経験)】だと思いますね。物事について自分なりのロジック・視座で深く解釈ができること + 自分の経験に基づく話があること。他人が話していたことや本の内容をそのまま話したり、なんとなくみんながそうしてるからという理由で選んでいたり、自分で思考も経験もしていない場合はめっちゃ中身ないってことになるけど、ちょっと極端?笑 動帝さん、なんて質問したんだろう?
自分軸で生きる人は人からズレやすいので、そういう意味では「歪み」なのかも。でも清楚キャラ(特に演じている場合)は仮に実績があっても中身があるとは思わんのと、平凡に生きている人も自分軸で生きていれば中身がないとは思わないけどなぁ。あ、岡田さんも言ってるけどあくまでそう見えやすいって話か。
子どもの頃から
歪みっぱなし
自分の場合、本当に歪まないための努力の連続で、宿題を片付けるべく自分の命題を反芻しながら紐解いて、実社会でのキャリアは大したことがないまま死ぬ模様です。親ガチャや環境って大事。
所詮就活は騙し合いとかいうけど、就職できたらできたで、職場は舞台で役柄を演じる場所とかいうけれど、、、
それでも人間は、本音を、ありのままを受け入れてもらえる誰かを探し続ける歪みがあって苦しみ続ける、一水四見、顛倒の妄念、そんなの自分自身の内側でなんとか折り合いつけていくしかないのにね
中身がないってのは、たとえ模範的な生き方してても無個性であるみたいな感じか
中身はこしあん派です(中身無いねって思ってね!)
ある物事に対してどれだけの感情、気づきを得られるかが中身だと個人的に思ってます。
自分の選択で判断して行動することも中身に繋がると思います。
他人と違うことしたから中身がある人間になれる訳では無いと考えます
知性における人の中身とは「主観」ではないでしょうか。対義語の客観性と照らし合わせて悪く言われることの多い言葉ですが、借りてきた言葉ばかり喋る人や、他者からの評価が基準になっている人の話は薄くて味がしないものです
一貫性の話が深すぎる
初っ端から名前のインパクト強すぎるし、何事もなかったかのように進行するのも面白い。
岡田さんは一貫性を檻と表現されてました。 納得はできるのですが。
価値観をversion upする事に抵抗があるか否かが、一貫性に拘るか否かの理由付けだと自分は考えています。 どちらが正しいかではありません。
「誰」が判断する中身でしょうか?
自分自身の中身でしょうか? 他人が判断する中身でしょうか?
自分が考える時の前提です。
精神性は身体に由来しますから、自分の中身に実感がない人は身体と対話しましょう。身体を鍛えたり、自らの生い立ちや環境、経験や知識、挫折や自尊心など、身体に対する思考や理解が進むと、貴方の身体は貴方だけのものですから、身体への理解が進むにつれ、それに伴うオリジナルな精神性や考え方や思想が芽生えるはずです。
それは残念ながら、なかなか共感されたり、理解されることは多くありません。
ですからこそ、理解できる相手が現れたら、その縁は大切にする方が良いでしょう。
真に中身があり、オリジナルな自己を確立できた人は孤独を抱えることになります。
その孤独になかなか人は太刀打ちできません。社会性があるからです。人はひとりでは生きていませんから、その孤独をどう愛し、受け容れ、付き合ってゆくかの覚悟が必要になります。
肩の力を抜いて空を見上げると良いと思います。
貴方にとって貴方はかけがえのない大切なひとりですが、世界からしたら、何十億のうちのひとりに過ぎません。深呼吸をし、宇宙や地球を感じることが出来れば、貴方はひとりではなくなるかも知れません。
「中身がある」とか「一貫性」とか何かを成す過程において発生するものであり、自己で感じるものでも無いのでしょうね。
誰かから言われて(認められて)、そこで初めて認識するようなもののように思えます。
歪みって言葉よく出たなー
自分の信念とは矛盾することを少しすることによって人間に面白みが出る
アニメのキャラクターとかでも悪に染まったやつだが親には優しい。肉は食べないと決めているが、ラストシーンで敬意を払って食べるといったような自己矛盾的な行動が人間をより深くより面白くすると私は思う。
中身がある=具体性ですよ
抽象的なことしか言わない人は中身がない、なぜ?と聞かれたときに答えられない人
漫画太郎もコピーを使った連続性を上手く利用してるよね。
つまんないけど、長い動画だこら寝落ちに丁度いいから見てます。
ストレートど真ん中な人も結局は中身がありますけどね。多分ここでのストレートってのはもっと普遍的な言い方をするならば普通の人って事ですけど結局普通なんてありとあらゆる物事の最頻値か平均値を寄せ集めて導き出す考えですしそう定義した場合じゃあこの世にその定義の条件にピッタリ当てはまる人は何人いますか?ってなったら多分ほんの極僅か、もしかしたら全く居ないかもしれないという結論になりますし。だってほぼ居ない人が普遍的な人間なはずが無いですから。
山田胡瓜の作品のキャラクターには中身がない。上辺だけの記号でしかない。
イチローもウルフソンもイワンもクモも゙誰一人として共感することができないのはそのため