「芸能界に人権は無い」って愚かな考え方だな。それこそ「個人の感想ですよね」って話。だったらTVで「人権が~!」って言うなという話。そんな考え方を認めているから、その延長上にセクシー田中さんの原作者自殺があると思うよ。全て自己完結しるなら自分たちは身勝手に生きてもいいけど、そのノリwを一般社会にも押し付けるから悲劇が起きる。
労働組合がないのです、そうです。労働組合は、たとえば芸能事務所(会社)の社員が作っているということはあるかもしれないけれど、タレントや芸人たちが作らないのは、感覚としては当たり前かなと思います。芸能人というのは、動物園・水族館・サーカスの動物たちと同じようなものなのです。彼らは「番組や作品制作、イベントを成立させるための道具や材料」でしかなくて、そのために芸能事務所が貸し出しているわけで、モノや動物と扱いは変わらないでしょう。プライベートを晒されてしまうのも、そういう意味では当たり前なのです。人は、モノや動物に遠慮するわけがない。マスコミもそうなのです、あたり前です。人権云々を言っていたら、成立しなくなるような、そういうヤバい世界です。人気商売をやっていれば、そういうことになります。自分の意志とは関係なく、プライベートまで切り売りすることになります。だから、人気が出て売れれば、高い報酬が得られるし、マスコミに取り上げられてチヤホヤされて気分が良いこともある。でも、人気が落ちて売れなくなったら、どんどんゴミ扱いされて行く。”自分”を売り物にしている以上、水商売であると言ってよい。そういう意味では、俳優やアーティストの方がまだマシかも知れないです。こういう演技をしよう、こういう作品を作りたいということで続けていけるし、あくまでも自分が作り出すものを主体に考えていられれば、勘違いししないでやっていけるかも知れない。もちろん、”自分”にとらわれて周りにチヤホヤされることを強く望むようになると、やっぱり狂ってしまうのだろうけれど。芸能人になりたい、人気者になりたいなんてことばっかり考えて、芸能界なんてところに足をつっこむべきじゃないってことです。自分が何らかの実力を以て成長していけるところに行くべきです。人気になることを求めることになる仕事なんか、そもそもおかしいのですから。(このことをちゃんと理解しないと、岡田さんが言う「評価経済社会」も理解できない。単に「人気者になれ」ってことじゃないのです)ほとんどの人にとって、芸能界なんてところは関係を持つべきところではないのです。
昭和の頃は、大御所の芸能人にもドッキリってあったような気がする(ドッキリの種類が違ったりとか、そもそもやらせだったりの可能性もあるけど)。ドッキリが人気番組で季節の変わり目ごとに放送されていたから、出ないことが逆に損だったのかもしれないけど。
元々芸人とか役者は河原者として市民社会の外側の人間として差別された。なぜ差別されたかは偏に性モラルが壊れてるから。客や贔屓筋と人気取りのため平気で寝る。その乱れは市民的には受け入れられなかった。但し、市民も芸を鑑賞しおひねりも投げる。芸事の真似事をすれば「まあ粋ねえ」と感心される。ところが外側の人間は人としては差別される。現代で言えば選挙権がない。市民社会の内側に入り込むことは許されなかった。これが社会とすれば座りが良かった。ところが、現代は外側と内側の区別が極めて曖昧になってる。ファッションや音楽や芸も外側発信のものが大半だ。ボンデージファッションなんかSMで一部の猟奇的趣味の者以外近付かない秘匿の世界だった。或いは、良識の権化たるべきコメンテーターを元来外側の人間である芸人が務める。この境界が曖昧になると社会は混乱する。外側の人間には発言権なんかないし、芸だけは評価されたが人としては認められなかった。発言できない者が大威張りで発言し、評価される。社会の基軸にある性モラルが乱れるのも当然だ。松本事件はその象徴的出来事で外側の乱入だ。芸能界は乱れている。そういうものだし、外側で勝手にやってろ、なのだ。それが芸能人の不倫をこと上げしたり、まっとうなあり方を期待したり、お門違いも甚だしい。松本はどうしても素人女とやりたかった。それが外側の人間の本音である。狭い認識だが、外側の人間であることを正しく自覚しているのは江頭2:50ぐらいではないか。彼は風俗にしか行かない。それでいいのである。女の子に嗤われる。それがストレスというが元々そういうものなのだ。蔑まれてなんぼの存在なのだ。それがストレスということは半分内側に足を踏み入れてるつもりだからだろう。現代の「差別はいかん」とかの噴飯ものの通り一遍の人権意識と、いい人ぶりたい市民意識の蔓延る時代の後押しもあり、芸人と雖も差別されることはないだろう。それで社会は健全になるのかどうかは松本が教えてくれてる。
あの養成所ができてから変わったな。実力がなくても派閥に入ってればテレビにでやすい。笑われて人気者、ヒエラルキーの頂点でいられるのは学生まで。しかもそれは身内受けでの笑いがほとんど。社会に出てもそのまま勘違いして芸人になってキャッキャ身内でやってる人が多い気がする。フリートークできない芸人多すぎ。パンツ一丁になったら受けると勘違いしてるやつも多すぎ。
実際つい最近まで地方の営業しようとしても手配は地元のヤ〇ザ屋さんを通してやってたし、そも事務所もヤ〇ザ屋さんのフロント企業から始まってるとこも多し、芸能界がヤ〇ザな世界というよりヤ〇ザの世界の表の一部が芸能界だったのが岡田さん曰くホワイト社会でいきなり方向転換しようとしても無理が出るわ
1人で働いて納税して、色んな料金を払って、仕事がなくなったときや老後のための資産運用ができる人なんていませんよ。だからほとんどの人はサラリーマンになって、会社のシステムに頼っている。頼っている中で、できるところから資産運用とか副業とかする時代になってきましたよね。残業ができなくなってきた分、自分のライフプランを考える時代になっている。
個人で勝負している表現者や、ビジネスをしている人にも組合なんてありません。それで、ストレスの発散の行き場が特殊な方向に行くのを容認するという考え方は間違っているように思います。岡田さんの洞察力にいつも感心していますが、これについては違うんじゃない??と感じた次第です。結局は個人力の差では?
よく 「女性の敵は女性」 と言ったりして、うちの会社でも女性派遣 SE(子持ち) が派遣先で大事な作業の日に子供が倒れて休んだら、一番ヒステリックに非難したのは派遣先の女性リーダーで、 「今日休むなんてあり得ないよね」 「あんな人、もう明日から外して」 と怒り狂ってましたが、確かに当人は女性を捨ててる、一生結婚&出産には縁がなさそーなブ○でしたが、偉そうに 「この仕事を選んだ以上『子供が倒れた』で休まれちゃ困るの!!」 と言ってましたが… パワハラの波を乗り越えてきた岡田さんだからこそ、「芸能界に来た以上、パワハラは当たり前」 とつい言っちゃうのかなと思いました。
良く口回るなぁ
才能だよなぁ
関与していません。
ヤ〇ザと言えば、2014年にクリミア戦争が起きました。2022年に戦争が起こっています。日本史で言うと、いわゆる乱が起きているような感じがします。幻聴が聴こえていて、幻聴の乱を感じています。
芸能人が辞めないのは、契約期間とかあってだと思いますね。
YouTubeはそんな縛りがないので。
今の時代、労働組合なんか通常の会社でもほぼ全滅してるわ
パートやバイトも労働組合外存在では?
2020年の連続不審死 三浦春馬さん竹内結子さん芦名星さん藤木孝さん津野米咲さん達は自〇だとは思っていません!
「芸能界に人権は無い」って愚かな考え方だな。それこそ「個人の感想ですよね」って話。だったらTVで「人権が~!」って言うなという話。そんな考え方を認めているから、その延長上にセクシー田中さんの原作者自殺があると思うよ。全て自己完結しるなら自分たちは身勝手に生きてもいいけど、そのノリwを一般社会にも押し付けるから悲劇が起きる。
ビートたけしも笑われるんじゃねえぞ笑わせるんだよ
って言ってたよな
労働組合がないのです、そうです。
労働組合は、たとえば芸能事務所(会社)の社員が作っているということはあるかもしれないけれど、
タレントや芸人たちが作らないのは、感覚としては当たり前かなと思います。
芸能人というのは、動物園・水族館・サーカスの動物たちと同じようなものなのです。
彼らは「番組や作品制作、イベントを成立させるための道具や材料」でしかなくて、
そのために芸能事務所が貸し出しているわけで、モノや動物と扱いは変わらないでしょう。
プライベートを晒されてしまうのも、そういう意味では当たり前なのです。
人は、モノや動物に遠慮するわけがない。マスコミもそうなのです、あたり前です。
人権云々を言っていたら、成立しなくなるような、そういうヤバい世界です。
人気商売をやっていれば、そういうことになります。
自分の意志とは関係なく、プライベートまで切り売りすることになります。
だから、人気が出て売れれば、高い報酬が得られるし、
マスコミに取り上げられてチヤホヤされて気分が良いこともある。
でも、人気が落ちて売れなくなったら、どんどんゴミ扱いされて行く。
”自分”を売り物にしている以上、水商売であると言ってよい。
そういう意味では、俳優やアーティストの方がまだマシかも知れないです。
こういう演技をしよう、こういう作品を作りたいということで続けていけるし、
あくまでも自分が作り出すものを主体に考えていられれば、
勘違いししないでやっていけるかも知れない。
もちろん、”自分”にとらわれて周りにチヤホヤされることを強く望むようになると、
やっぱり狂ってしまうのだろうけれど。
芸能人になりたい、人気者になりたいなんてことばっかり考えて、
芸能界なんてところに足をつっこむべきじゃないってことです。
自分が何らかの実力を以て成長していけるところに行くべきです。
人気になることを求めることになる仕事なんか、そもそもおかしいのですから。
(このことをちゃんと理解しないと、岡田さんが言う「評価経済社会」も理解できない。
単に「人気者になれ」ってことじゃないのです)
ほとんどの人にとって、芸能界なんてところは関係を持つべきところではないのです。
昭和の頃は、大御所の芸能人にもドッキリってあったような気がする(ドッキリの種類が違ったりとか、そもそもやらせだったりの可能性もあるけど)。ドッキリが人気番組で季節の変わり目ごとに放送されていたから、出ないことが逆に損だったのかもしれないけど。
元々芸人とか役者は河原者として市民社会の外側の人間として差別された。なぜ差別されたかは偏に性モラルが壊れてるから。客や贔屓筋と人気取りのため平気で寝る。その乱れは市民的には受け入れられなかった。但し、市民も芸を鑑賞しおひねりも投げる。芸事の真似事をすれば「まあ粋ねえ」と感心される。ところが外側の人間は人としては差別される。現代で言えば選挙権がない。市民社会の内側に入り込むことは許されなかった。これが社会とすれば座りが良かった。
ところが、現代は外側と内側の区別が極めて曖昧になってる。ファッションや音楽や芸も外側発信のものが大半だ。ボンデージファッションなんかSMで一部の猟奇的趣味の者以外近付かない秘匿の世界だった。或いは、良識の権化たるべきコメンテーターを元来外側の人間である芸人が務める。
この境界が曖昧になると社会は混乱する。外側の人間には発言権なんかないし、芸だけは評価されたが人としては認められなかった。発言できない者が大威張りで発言し、評価される。社会の基軸にある性モラルが乱れるのも当然だ。松本事件はその象徴的出来事で外側の乱入だ。芸能界は乱れている。そういうものだし、外側で勝手にやってろ、なのだ。それが芸能人の不倫をこと上げしたり、まっとうなあり方を期待したり、お門違いも甚だしい。松本はどうしても素人女とやりたかった。それが外側の人間の本音である。狭い認識だが、外側の人間であることを正しく自覚しているのは江頭2:50ぐらいではないか。彼は風俗にしか行かない。それでいいのである。
女の子に嗤われる。それがストレスというが元々そういうものなのだ。蔑まれてなんぼの存在なのだ。それがストレスということは半分内側に足を踏み入れてるつもりだからだろう。現代の「差別はいかん」とかの噴飯ものの通り一遍の人権意識と、いい人ぶりたい市民意識の蔓延る時代の後押しもあり、芸人と雖も差別されることはないだろう。それで社会は健全になるのかどうかは松本が教えてくれてる。
この芸人論はありだけど。松本人志がやった事は一般社会では許されないよね。これテレビ局社長がしたら死ぬでしょう。
あの養成所ができてから変わったな。実力がなくても派閥に入ってればテレビにでやすい。笑われて人気者、ヒエラルキーの頂点でいられるのは学生まで。しかもそれは身内受けでの笑いがほとんど。社会に出てもそのまま勘違いして芸人になってキャッキャ身内でやってる人が多い気がする。フリートークできない芸人多すぎ。パンツ一丁になったら受けると勘違いしてるやつも多すぎ。
芸能人が金儲け出来るので扱いが変わ炭だべ 昔は軽蔑の対象だった
もう、そういう時代じゃないしょ。コンプラとか、ちゃんとしないと。
実際つい最近まで地方の営業しようとしても手配は地元のヤ〇ザ屋さんを通してやってたし、
そも事務所もヤ〇ザ屋さんのフロント企業から始まってるとこも多し、
芸能界がヤ〇ザな世界というよりヤ〇ザの世界の表の一部が芸能界だったのが岡田さん曰くホワイト社会でいきなり方向転換しようとしても無理が出るわ
芸能界だけじゃなく、「人権とは何か」が日本では知られてないし守られてない気がする
お笑いから逃げた
誰もお笑いを職業にしろと強制なんてしてないだろ。お笑いの職業がそんなに辛いなら即やめろ。
1人で働いて納税して、色んな料金を払って、仕事がなくなったときや老後のための資産運用ができる人なんていませんよ。
だからほとんどの人はサラリーマンになって、会社のシステムに頼っている。
頼っている中で、できるところから資産運用とか副業とかする時代になってきましたよね。残業ができなくなってきた分、自分のライフプランを考える時代になっている。
プロじゃない様な
気がします。
金とは違うけどデザイナーやってた時は本当のスキルじゃない気がしたけど、エンジニアやったら本当のスキルになった気がしました。
個人で勝負している表現者や、ビジネスをしている人にも組合なんてありません。それで、ストレスの発散の行き場が特殊な方向に行くのを容認するという考え方は間違っているように思います。
岡田さんの洞察力にいつも感心していますが、これについては違うんじゃない??と感じた次第です。結局は個人力の差では?
八忘者って言い方しますよね
この前亡くなった坂田@、通称「アホの坂田」氏曰く「ワシはアホやない、「アホの坂田」を仕事にしとるだけや」、と言っていたらしい。
よく 「女性の敵は女性」 と言ったりして、うちの会社でも女性派遣 SE(子持ち) が派遣先で大事な作業の日に子供が倒れて休んだら、一番ヒステリックに非難したのは派遣先の女性リーダーで、
「今日休むなんてあり得ないよね」 「あんな人、もう明日から外して」 と怒り狂ってましたが、確かに当人は女性を捨ててる、一生結婚&出産には縁がなさそーなブ○でしたが、偉そうに 「この仕事を選んだ以上『子供が倒れた』で休まれちゃ困るの!!」 と言ってましたが…
パワハラの波を乗り越えてきた岡田さんだからこそ、「芸能界に来た以上、パワハラは当たり前」 とつい言っちゃうのかなと思いました。