この動画は2017年4月・2022年3月に配信されたものです。 【元動画はこちら↓】 https://www.youtube.com/watch?v=49yszzKchuo&t=0s … source Favorite0
昔宮本輝さんの小説家になる為の講義を受けた時に「言いたい事を全部詰め込むのでは無くむしろ削いで削いで自分では不本意な位に削いだ内容を書いた方が自分の言いたい事が伝わります」と言われた事を思い出しました 宮本輝さんも「言いたい事を全部書くのは初心者がやりがち」と仰ってました
評価軸みたいなのを用意しておくといいんじゃないかな。テンポは良かったか? キャラクターに感情移入できたか? 意表をつく展開があったか? エンディングには納得できたか? みたいな感じで何種類か持ってるとなぜ面白かったのか、あるいはつまらないと思ったのかがわかるんじゃないかと。
私が相談者への意見は、本なら好きな台詞や登場した人物について考える。例えば、名前が洒落てる・ダサい、作者の登場人物紹介が自分のイメージと合うか?をしてみたりすると良いと答えますね。 で、岡田さんも言ってましたけど…言語化するのは出来る方が良いと言ってましたね。言語化する最大な利点は、私は物事を客観的に見れる力だと思います。 結果ではなくそれに至った経緯などが分からないとまた、同じことが起きる可能性がありますからね
私の知り合いもそんな感じですかねー。説明する時に、主語もない上に細かいことまで長々とするから情報量が多くて処理しきれないんですよね。その癖、「言ってる意味分かる?」とか聞いてくるからたまにイラッとなるんですよね(無意識なんだろうけど)周り見てもそんな感じの説明しかしない奴ばっかりだから、相手の言葉をすぐに理解出来ない自分が悪いのかと思ってたんですが、みんな下手くそだったんですねw
モヤモヤ思ってることを言語化すること。それって何の意味あるの?って二重にモヤモヤしていました。でも岡田さんのおかげで吹っ切れました。言語化することで初めて意思になるのなら、他の人の言語化が入れば気づかないうちに他の人の意思になるのかも。だから、自分で言語化するのが役に立つんだなって。納得です!
映画ドラマ、漫画、音楽が何で出来ているのか、ですね。映画ドラマなら、脚本、演技、カメラワーク、小道具、大道具その他などで出来ています。漫画は、絵、セリフ、コマ割りその他。音楽は演奏、歌唱、ギターやドラムなどの楽器音、テンポ、その他で出来ています。 その何で出来ているかの中で、どれが良かったのかだけでも「面白かったつまらなかった」よりは少し具体的になります。面白かったセリフを役者がどういう動きで言ったかとか、ドラムの人が物凄い速いテンポで叩いていたとか、映画や音楽が何で出来ているかを把握すれば少し具体的に感想を言えることがあります。
「よかった」は結論。テレビとか見ていると、一言だけで済ませてばかりいる。何か一言ワーッと言ったら、しばらく止まる。ワーッといって止まる。これで複雑なことを伝えようとする。あまりにも限定的すぎて、とっかかりが少なすぎる。一言だけ言ってだまった、意味が分からない。考えるんだけど、情報が少なすぎて、全く思いつかない。テレビはわかりやすさを勘違いしているからこうなるんだけど、単語一つゆっくり発音して、間を置く。こんな話し方していたら、何が言いたいのかわからない。アニメでも映画でもなんでもいいが、日本の作品は、全部のセリフが、一言叫ぶだけなんだよ。でっかい声で、ゆっくり単語一つだけ叫んで、何か伝えた気になっている。こんな話し方を一生聞き続けたら、そういう風に話すもんなんだと思ってしまう。テレビと同じように話して、会話が成立しないのなら、現実は違うということだね。現実はテレビと違うという、不都合な真実に気づいたら、ちょっとずつ変えていく。岡田さんが言った、デッサンを増やしていくみたいな。ある程度たくさん書いて、形ができてきて、最初は端っこの方から書き始めていたのが分かるわけだ。だから、最初の一言で、わかるわけがないんだ。日本のメディアはこれが改善されない。わかりやすさを誤解しているんだ。 何か一ついって、興味を持ってくれたら「それからどうした」といって、具体的に聞き出そうとしてくる。「あ、そうそう、ここがこうでね」と、後から出てくる。それを一人で作るには、岡田さんの言った「面白さの色」。自分が見たものは、単純に分けると、明るかったか、暗かったか。これだけ。肯定的か、否定的かしかないんだ。その中間はあるけど、どっちともとれるというのは、肯定しにくい。だから難しいことが分からない人は否定ととらえたりするんだ。 私はコミック版「まどか☆マギカ」を読んで面白かった。全2巻で完結してる。友達に話した時、内容はほとんど思い出せないんだけど、「面白かったけど、重かったw」といって笑ったんだ。そういってから、「話の進め方がとてもよくて重かったw」といった。まどか☆マギカの話の進め方は、日本的じゃないんだ。外国の必ず面白く感じる話し方のタイプで、この書き方ができれば誰でも最低限度の面白い話にできちゃうんだ。外国はそういう方法誰でも使えるんだけど、日本人はこの方法は勉強したことがないんだ。だからマンガを面白くしようとする作家は、外国のこの話し方を知っていてできる人はほとんどいない。編集から恣意的なダメ出しを食らって(笑)、自己流で直しているうちに、外国のような話し方をするようになるんだけど、外国の話し方を知らないままなんだ。 このように、「肯定的」「否定的」だけでも分類して、「重かった」「でも面白かった」などと、ざっくり切っていくんだ。2つ、4つ、8つとなって、どこがおもしろかったかを考えるとっかかりを作ることができる。 どんなにムズ開始話をされても、肯定的か、否定的かだけでまず分ける。否定肯定、入り乱れた結果、結局肯定だった、これで「どっちやねん」とツッコミを入れると、まず理解できるようにならないんだ。結局肯定だった、だから肯定と思えばいい。肯定、否定、入り乱れているってことは、こういうことだ。細かい事情があり、どっちか決めづらいので、最初は決まってなかったんだ。肯定、否定を試している間、肯定だろうと決まったんだ。「じゃあ話す前から決め溶けやカス」と思うだろうが、おそらく、自力では決められなかったんだ。デッサンを増やして、人に話しているうちに、整理されたんだ。一人では今後10年は整理できなかったかもしれない。とりあえず言ってみる、というのは、整理にはとても効果的なんだ。だから整理するためには、ツッコミの精神は邪魔になりかねないということだ。ツッコミを入れるだけってのは、どうなろうと知ったことじゃなくて、ツッコめたらなんでもいい。それじゃ、言語化できないんだ。 どうやって言語化するか、岡田さんが言った通り。まずは簡単に評価してみる。「面白かった」「軽く読めて面白かった」「面白かったが重くてしんどかったw」魔法少女がどんだけ重苦しいこと考え天然w魔法少女がゲスなこと考えているってネタはそろそろ飽きるやろwって私は思ったんだ。
面白いものっていうのは、つまりは似ているものがすぐに見つかるものを指すということなのだろうか。似ているっていうのは、具体例があるから、こんな風におもしろいって具体的な感想が言える点で、共感を得やすいのだと思う。逆に誰もやったことのないことは、「すごい!」とは一定数に思われるけども、面白いになるとは限らない。ダウンタウンの松本さんは、本当に自分が面白いと思う漫才は、誰にも理解できないと著書で綴っていたから、それが理解できる時代になるまでは、誰もやったことがないことをやるのは結構リスキーなのかもしれない。
感想を聞いて『アレ』の様だった。と言われると、欲しい感想の向こう側に『アレ』を思い出しているだけで、そのものを見てもらえて無い様に感じてしまいます。『アレ』を見たときと同じモノを感じた。とか言ってもらえればまた違うと思うのですが。とは言うものの「『アレ』みたいなもの」の需要もわかる気がするので、なかなか難しいところです。
言語化が苦手な人は ストーリーの構成全体を面白さとして説明するけど
言語化が得意な人は面白さが詰まった一瞬のシーンを説明する
これは同時処理 継次処理のどちらが優位かで変わりそう。後者はおそらく得意。
最近、言語化能力が急激に退化したけど、肉体言語が急激に進化しました!
昔宮本輝さんの小説家になる為の講義を受けた時に
「言いたい事を全部詰め込むのでは無くむしろ
削いで削いで自分では不本意な位に削いだ内容を
書いた方が自分の言いたい事が伝わります」
と言われた事を思い出しました
宮本輝さんも「言いたい事を全部書くのは
初心者がやりがち」と仰ってました
火の鳥の鳳凰篇を80分かけて最初から最後まで喋っちゃってる人がいて嫌いになりました。
評価軸みたいなのを用意しておくといいんじゃないかな。テンポは良かったか? キャラクターに感情移入できたか? 意表をつく展開があったか? エンディングには納得できたか? みたいな感じで何種類か持ってるとなぜ面白かったのか、あるいはつまらないと思ったのかがわかるんじゃないかと。
私が相談者への意見は、
本なら好きな台詞や登場した人物について考える。例えば、名前が洒落てる・ダサい、作者の登場人物紹介が自分のイメージと合うか?をしてみたりすると良いと答えますね。
で、岡田さんも言ってましたけど…言語化するのは出来る方が良いと言ってましたね。言語化する最大な利点は、私は物事を客観的に見れる力だと思います。
結果ではなくそれに至った経緯などが分からないとまた、同じことが起きる可能性がありますからね
有吉弘行のラジオで有吉が好きなドラマとか映画とかアニメとかたまに紹介するんだけど、毎度上手くて感心する
時間順にやりがちでした!
一番楽しいところ、似てる作品の比較
面白いかんがえでした!
食レポ上手い人と同じですかね?どう美味しかったのかを知るにはある程度知識と経験が必要だよね。
考えを言語化する心の地図か
最近公開された映画が「令和の(実写版)デビルマン」と称された時に、一瞬で全てを悟った体験を説明してもらった気がする。
私の知り合いもそんな感じですかねー。説明する時に、主語もない上に細かいことまで長々とするから情報量が多くて処理しきれないんですよね。
その癖、「言ってる意味分かる?」とか聞いてくるからたまにイラッとなるんですよね(無意識なんだろうけど)
周り見てもそんな感じの説明しかしない奴ばっかりだから、相手の言葉をすぐに理解出来ない自分が悪いのかと思ってたんですが、みんな下手くそだったんですねw
なんか俳句っぽい。
一点だけに絞ってのところが。
自分も感想文とか苦手だったなあ
小並感しか出ないんだよなあ
モヤモヤ思ってることを言語化すること。それって何の意味あるの?って二重にモヤモヤしていました。でも岡田さんのおかげで吹っ切れました。言語化することで初めて意思になるのなら、他の人の言語化が入れば気づかないうちに他の人の意思になるのかも。だから、自分で言語化するのが役に立つんだなって。納得です!
言語化することが秀逸な上に、自分の気持ちに害が及ぶようなことに関しては回避出来る大人、やっぱり流石だなぁ
順番に話していくと、気づいたら感想ではなくあらすじを話してるみたいになりそう。
映画ドラマ、漫画、音楽が何で出来ているのか、ですね。
映画ドラマなら、脚本、演技、カメラワーク、小道具、大道具その他などで出来ています。
漫画は、絵、セリフ、コマ割りその他。
音楽は演奏、歌唱、ギターやドラムなどの楽器音、テンポ、その他で出来ています。
その何で出来ているかの中で、どれが良かったのかだけでも「面白かったつまらなかった」よりは少し具体的になります。
面白かったセリフを役者がどういう動きで言ったかとか、ドラムの人が物凄い速いテンポで叩いていたとか、映画や音楽が何で出来ているかを把握すれば少し具体的に感想を言えることがあります。
実際にはコミュ力高い人ほどむしろ言語化が苦手なんだよね。
自分の視点のみで語って過程もどんどん省いて話すんだけど、聞き手の反応をよく見てるし堂々と話すから相手も質問しやすい
自分は最初の質問者と同じ悩みを小学生の頃持っていましたが、
自分は先生にウケの良かった同級生の感想文を見て参考にしてました。
>全部伝えようとしちゃダメ
浜村 淳「お、おう・・」
因数分解みたいなもんで何で面白いのかつまらないのかを解剖して、分解すればいいだけです。
話すのが下手な人に対して感想の言語化を無理強いする人も結構多いのですよ、これは切り抜きなのでそういうことに対してもうとっくに答えは出てると思いますが。
この人のように説明上手くなりたい
最近のマンガ広告ですね
「よかった」は結論。
テレビとか見ていると、一言だけで済ませてばかりいる。何か一言ワーッと言ったら、しばらく止まる。ワーッといって止まる。これで複雑なことを伝えようとする。
あまりにも限定的すぎて、とっかかりが少なすぎる。一言だけ言ってだまった、意味が分からない。考えるんだけど、情報が少なすぎて、全く思いつかない。テレビはわかりやすさを勘違いしているからこうなるんだけど、単語一つゆっくり発音して、間を置く。こんな話し方していたら、何が言いたいのかわからない。
アニメでも映画でもなんでもいいが、日本の作品は、全部のセリフが、一言叫ぶだけなんだよ。
でっかい声で、ゆっくり単語一つだけ叫んで、何か伝えた気になっている。
こんな話し方を一生聞き続けたら、そういう風に話すもんなんだと思ってしまう。
テレビと同じように話して、会話が成立しないのなら、現実は違うということだね。
現実はテレビと違うという、不都合な真実に気づいたら、ちょっとずつ変えていく。
岡田さんが言った、デッサンを増やしていくみたいな。ある程度たくさん書いて、形ができてきて、最初は端っこの方から書き始めていたのが分かるわけだ。
だから、最初の一言で、わかるわけがないんだ。日本のメディアはこれが改善されない。
わかりやすさを誤解しているんだ。
何か一ついって、興味を持ってくれたら「それからどうした」といって、具体的に聞き出そうとしてくる。
「あ、そうそう、ここがこうでね」と、後から出てくる。
それを一人で作るには、岡田さんの言った「面白さの色」。
自分が見たものは、単純に分けると、明るかったか、暗かったか。これだけ。
肯定的か、否定的かしかないんだ。その中間はあるけど、どっちともとれるというのは、肯定しにくい。だから難しいことが分からない人は否定ととらえたりするんだ。
私はコミック版「まどか☆マギカ」を読んで面白かった。全2巻で完結してる。
友達に話した時、内容はほとんど思い出せないんだけど、「面白かったけど、重かったw」といって笑ったんだ。
そういってから、「話の進め方がとてもよくて重かったw」といった。
まどか☆マギカの話の進め方は、日本的じゃないんだ。外国の必ず面白く感じる話し方のタイプで、この書き方ができれば誰でも最低限度の面白い話にできちゃうんだ。外国はそういう方法誰でも使えるんだけど、日本人はこの方法は勉強したことがないんだ。だからマンガを面白くしようとする作家は、外国のこの話し方を知っていてできる人はほとんどいない。編集から恣意的なダメ出しを食らって(笑)、自己流で直しているうちに、外国のような話し方をするようになるんだけど、外国の話し方を知らないままなんだ。
このように、「肯定的」「否定的」だけでも分類して、「重かった」「でも面白かった」などと、ざっくり切っていくんだ。
2つ、4つ、8つとなって、どこがおもしろかったかを考えるとっかかりを作ることができる。
どんなにムズ開始話をされても、肯定的か、否定的かだけでまず分ける。
否定肯定、入り乱れた結果、結局肯定だった、これで「どっちやねん」とツッコミを入れると、まず理解できるようにならないんだ。結局肯定だった、だから肯定と思えばいい。
肯定、否定、入り乱れているってことは、こういうことだ。細かい事情があり、どっちか決めづらいので、最初は決まってなかったんだ。肯定、否定を試している間、肯定だろうと決まったんだ。「じゃあ話す前から決め溶けやカス」と思うだろうが、おそらく、自力では決められなかったんだ。
デッサンを増やして、人に話しているうちに、整理されたんだ。一人では今後10年は整理できなかったかもしれない。
とりあえず言ってみる、というのは、整理にはとても効果的なんだ。
だから整理するためには、ツッコミの精神は邪魔になりかねないということだ。
ツッコミを入れるだけってのは、どうなろうと知ったことじゃなくて、ツッコめたらなんでもいい。
それじゃ、言語化できないんだ。
どうやって言語化するか、岡田さんが言った通り。まずは簡単に評価してみる。「面白かった」
「軽く読めて面白かった」「面白かったが重くてしんどかったw」
魔法少女がどんだけ重苦しいこと考え天然w
魔法少女がゲスなこと考えているってネタはそろそろ飽きるやろwって私は思ったんだ。
人に説明するときとか個人的に意識してるのは「”普通に”考えたらこうだよね」って一般人が考うるオチを先出しして説明することかな
話したいオチがさらに際立つから、ウケがよくなる
岡田斗司夫のようになりたいから、言語化頑張る。
言語化が必要な場面はけっこうあるぞ。
面白いものっていうのは、つまりは似ているものがすぐに見つかるものを指すということなのだろうか。
似ているっていうのは、具体例があるから、こんな風におもしろいって具体的な感想が言える点で、共感を得やすいのだと思う。
逆に誰もやったことのないことは、「すごい!」とは一定数に思われるけども、面白いになるとは限らない。
ダウンタウンの松本さんは、本当に自分が面白いと思う漫才は、誰にも理解できないと著書で綴っていたから、それが理解できる時代になるまでは、誰もやったことがないことをやるのは結構リスキーなのかもしれない。
でも、ネットでは○○みたいに!って書くとめちゃくちゃ叩かれるよな。
全部伝えようとしちゃダメ!って回でコメントを全部は見ない!ともってくあたり流石だな
言語化するのは私も苦手だからめっちゃ分かる
感情ラベリングって言う技法がありますね。
プフのスピリチュアルメッセージみたいに、怒り4、焦り4、悔しさ2みたいに割合で考えるのも良いですね。
感想を聞いて
『アレ』の様だった。
と言われると、
欲しい感想の向こう側に『アレ』を思い出しているだけで、そのものを見てもらえて無い様に感じてしまいます。
『アレ』を見たときと同じモノを感じた。
とか言ってもらえればまた違うと思うのですが。
とは言うものの
「『アレ』みたいなもの」
の需要もわかる気がするので、なかなか難しいところです。