TV版Zこそがマニア向け過ぎて1st好きのライト層離れと一般層のアニメファン蔑視を確定させた金字塔的な作品だと勝手に解釈している。Z/ZZ/逆シャアがあったからこそ良質なスピンオフ作品群が生まれ、後にアナザーも含めた一大コンテンツに成長したのは理解してるけどね。 Zのファンが「1st信者はウザイ」だの「ZZは不要」だの、果ては「富野先生以外が作るガンダムは認めない」だの言ってるのは滑稽でしかない※個人の感想です。
Z以降の続編は誰がなんと言おうとあって良かったと断言出来る。続編が嫌いな人は初代ガンダムだけ見て、自分の脳内でストーリー完結しといてください。以降の作品は見なければ良いだけ。私はカミーユの悲劇も、ジュドーの受難も、ロンドベルの皆の生きざまも、以降のガンダム作品の美しいストーリーを見れて感謝してる。
ファースト原理主義者はフラットに見れないフラットに作品として見たら、Zは富野人間作劇の最高作その点ではファースト超えてるそれ故に最後壊れてしまって、それがその後のガンダムの宿題テーマになったヤマトが延々パターン繰り返して作品自体として終わったのとは違うだからガンダムは作品として終わらず未だに作品として作り続けられる
「スポンサーの顔色を気にしていても、描きたかった物語」が、ファーストガンダムだったと思います。「プラモデルが売れるアニメを作ってくれ」と無言のプレッシャーがあって(それを隠すため?)「何故、ガンダムの続編を作るのか…」と富野由悠季さんが自問自答しながら始めたのがZガンダムとお見受けしています、が…「変形する主役メカ」は、とうにマクロスで確立していましたからね、かなりZガンダムはデザインに混沌としてしまったのでしょ?そっちにエネルギーが奪われたし「本編内にもっとMSVでもいいから…」と圧がかかってジャブローで…ダカールから宇宙へ舞台が移ってから最終回まで、登場人物の酷い迷走が目立ったと記憶しています。 ある日、とある模型雑誌に「ガンダムは、ニュータイプという概念のさらなる掘り起こしの為、続編を作る事となりました。機動戦士ガンダムダブルゼータです」…「なんか、安直…」第一印象でした。Zガンダム最終回の翌週はガンダムZZの予告編(でも初代やZガンダムの総集編っぽいしガキ臭くて退屈でヒドい印象しかなかったです)…これまでの習慣で土曜夕方にサンライズアニメを見た、が…ガンダムZZ第一話前半でリタイアしました。「あぁ⤵もう見なくていいや…」 宇宙戦艦ヤマトが映画版、TV版どちらもですがリアル思考のアニメからテレビまんがに落ちぶれてしまった様に、ガンダムもかよ!!と落胆したものでした。同じサンライズさんのアニメ「蒼き流星SPTレイズナー」が、スポンサーの都合で打ち切りにこそなってしまいましたが、後にOVAで再編集や打ち切り後の分も追加され物語としてちゃんと完結出来たのを拝見し、私は一旦アニメーション鑑賞を卒業しました。社会人になってから、何となくですがレンタルビデオで「逆襲のシャア」は見ました。けど…「富野由悠季さん、何を描きたかったんだろう?メカデザインは大河原邦男さんではなくなってる…ガンダムらしさが感じられない」一度だけ見てすぐ返却しました。 どれ程誹謗されようとも私の意見は変わりませんし変えるつもりも無いです。ガンダムは、ファーストで完結させるべきだったと思います。続編、ではなくSEEDやダブルオーの様にタイトルやモビルスーツの名称にガンダムを冠した、別の作品として作るべきだったと。「Z(ゼータ)はダメだがダブルゼータや逆シャアこと正当な続編だ」なんて主張をSNSでよく見かけますが…おおかた「財団Bのまわし者の発言」か「ニセ・ガノタの教祖様担ぎ」としか思えず、いつも苦笑いが浮かびます。
「僕が一番うまくガンダムを作れるのに」というせりふがおもいうかんだ。Ζは、なんとなく生固い、特にクロトワとレコアの性格のぶれかたに違和感があったし。テターンズの若造は一貫して成長しないし。ZZは、一話見て見放した。
Z作らなければ、その後のガンダムはないし、岡田斗司夫だってこんな動画出せないんだよ。物語的に美しいとかいってるけど、人間は生きてる限り生き汚いもの。シャアだってそれは変わらない。死と生は表裏一体であり、死を描けば生も描かなければならない。これもまた富野アニメの真骨頂ですよ。
Zガンダムの時は、ガンダムじゃないと次のアニメを創らせない、富野監督が創らないと他の人間にガンダムを作らせるという手前くらいまで来てたんじゃないでしょうか?あの枠はバンダイがメインで、バンダイにしてもガンダムじゃないとプラモが売れないんだって感じだったでしょうし。結果としてみればZガンダムが創られその後、富野監督の手を離れてからもガンダムの名を冠する作品が創られ続けたから、今の時代になっても若い子も最初のガンダム観てみようと思う効果はあったと思います。後続作のないザンボット3観ようとかイデオン観ようとか思い立つ子は本当に尖ったオタクエリートくらいです、視聴のきっかけになり易いスパロボも作られなかったでしょうし。でも、ガンダムなら観ようという若い人がいるのは、Z以降続いたからですし。
一作目が物語としても綺麗に完結して商業的に成功してしまうと、商業作品である以上は「続編を造れ」という声がどうしても大きくなる。それは非常に困難な課題。文学的にも商業的にも成功したと言えるような作品はほぼ見かけない。ビジネス優先で動いた結果、製作現場から音声収録現場まで殺伐としており、現代で言うパワハラ/私刑を当該作品では「修正」と称していたが、体現していた。そんな最悪の環境でも救いようがない駄作にまで堕ちなかったのは御大の手腕故か。1stTV版を信奉していたファンからは落胆の声が終始聞こえた。 時代も京都の歌留多屋が出したヴィデオゲームが世界的にヒットした事でキッズ〜ティーンに娯楽が変化。スポンサーが期待したプラモデルは次第に売れなくなり試作品止まりになった物もある。それでも一定数は数が出たから、サントラ共々ガンダムに関わる映像作家達に十字架として重荷になる。
劇場版3でシャアが爆発の中逃げるシーンが追加されたことで続編あるのか?って期待しながら当時思ってたけどZ始まってから制作現場のスタッフのスケジュール調整とかで当時のスタッフでもなく新人が多く参加した現場に安彦さんが作画不参加だったこと あと効果音が変わって一番違和感だったな。ファーストはファースト ゼータはゼータだなって思いました。アニメーターが変わるだけでここまで雰囲気が変わってしまうのかと言う違和感がありましたね。ゼータの頃の復習が終わったシャアはあまりかっこよくなかったな。
確かにファーストのエンディングが見事に大団円になっていたので蛇足感はあったかもしれないけど、その後も戦争を続ける人間の業の深さと、その業から逃れられないクワトロの苦しみが描かれていたからZはZで好きでした。あと、完全変形のガンプラが出せるほどの見事なデザインの可変機や全天周囲モニターやドダイ改を使った高速戦闘など新機軸のアイデアがてんこ盛りで、しかもこのアイデアが作画を楽にするという狙いもあってさすがだと思いました。泥沼化した戦局で仲間が次々と亡くなる暗澹たるストーリーでファーストのような爽快感はないかもしれませんが、死の商人アナハイムやジオン残党の暗躍など重要な存在もZで登場しており、宇宙世紀の歴史を語る上でもZは欠かせない作品ではなかったかと…。
僕は、Ζガンダムを実はよく見たことがないんです。が、いきなりリアリティーのないアニメになった感が拭えません。あれだけ、何でもありを無くすために注意を払って作ったアニメのあと、マジンガーZかよ!っていう何でもありの体たらく……。緻密に作られた最初のガンダムに勝るガンダムは存在しないと思います。
富野さんがトップランナー出た時に、ファースト終了後にスポンサーだかTV局だかから「ガンダムの続編作れ」というオファーが来て、想定してない中で嫌々作ったような事言ってましたね。その割りにはZは劇場版で作り直してるから嫌悪してる訳では無いと思いますが。
好きな作品の続編や話の流れがどうしても好きになれない気持ちは自分も経験があります、綺麗に終わってる作品ならなおの事ですね。もっとも岡田さんご自身がおっしゃってる様に「冨野監督の魂の軌跡だから否定してはいけない」って言葉が模範解答だとは思いますが
ガンダムブームはファミコン、ラジコンブーム前夜だったのが大きいと思う。なぜならガンダムとプラモデルブームは切り離せない関係になった最初のアニメ作品だから。初代ガンダムのしっかりした設定がガンプラブーム、MSVを生みオリジナルアニメに更に奥行きをあたえていく。私は再放送組ですが、関東では夕方に放映されていて、ほぼ同時期の夕方の時間帯でアメリカの人気ドラマ「コンバット」が放映されていたと記憶してます。これはガンダムから始まり、ダグラム、ザブングル、ボトムズそしてマクロスと続いてゆくリアルロボットのミリタリー路線化になんらかの影響があったと思っています。これらのアニメ作品は当時の私たち子供に抜き難い印象を残しました。そして、この歳になって、岡田さんによって、アニメ作品ガンダムとして、きめ細やかな演出に驚愕する。
最終回「脱出」にて本来ならば明確にしぼうさせたであろう赤い彗星さんをファンサービスで生存に含みを持たせた結末にしました→Zガンダムでいけしゃあしゃあ(あっ、駄洒落になってるなw)と生きていましたという少年ジャンプ的ご都合展開が21世紀になってから種以降のアナザー宇宙世紀で様式美的には繰り返されるとは1980年ガンダムテレビシリーズ終了時の冨野監督としては思ってもいなかっただろうな?
正直、Zが始まるときは物凄く期待してたんだ。けど、2話3話と観ていくうちに首を傾げはじめ、中盤あたりに来たときには何、演出家ってここまで劣化すんの?って愕然とした。粗筋だけ聞くとそれなりに面白そうなのに、見せ方が平板で「富野語」っぽいポエムのやり取りが横行するだけの盛り上がりも緊張感もない展開がダラダラ続く。印象としては毎回何かしょっぱいビームライフルの打ち合いの戦闘が適当な理由で痛み分けに終わって決着つかず、最後にデッキにクルー全員集合してポエム大会みたいな反省会が行われアーガマのロングショットでENDみたいなのをずーっと見てた感じ。ファーストのギレン総帥の「立てよ国民」の演説は今でもほぼ丸々思い出せるのに、Zのシャアのダカールの演説とかどんな台詞だったか全く思い出せねーわ。
正直、ファーストガンダムは、『まぁ面白いなぁ』程度だった。
でもℤガンダムで、はまった! 無茶苦茶面白かった。
顎が長くしゃくれているように見える…アニメの輪郭協調、これが重要。
それを考えずに、実写でシャアをやったらイメージがぶっ壊れた理由。
キャラのイメージを中心に顔や体系を合わせて行かないとこうなる。
富野さんは「なんであんなにキレイな終わり方した作品なのに続編を作るんですか?」とオーディションで言った飛田展男さんを主役に抜擢した事からもわかるように……
自覚はあったんだと思いますね。
Sキューブリックが2001年作って10年経っても関係者へアソコはこうすべきだったとか言い続けていた話があるんですが、日本人がガンダム語り続けるのはそれ以上のものがあるw呆れるやらスゴいやら。
TV版Zこそがマニア向け過ぎて1st好きのライト層離れと
一般層のアニメファン蔑視を確定させた金字塔的な作品だと
勝手に解釈している。Z/ZZ/逆シャアがあったからこそ
良質なスピンオフ作品群が生まれ、後にアナザーも含めた
一大コンテンツに成長したのは理解してるけどね。
Zのファンが「1st信者はウザイ」だの「ZZは不要」だの、
果ては「富野先生以外が作るガンダムは認めない」だの
言ってるのは滑稽でしかない※個人の感想です。
北斗の拳もラオウで終われば良かった。
Z以降の続編は
誰がなんと言おうとあって良かったと断言出来る。
続編が嫌いな人は初代ガンダムだけ見て、自分の脳内でストーリー完結しといてください。以降の作品は見なければ良いだけ。
私はカミーユの悲劇も、ジュドーの受難も、ロンドベルの皆の生きざまも、以降のガンダム作品の美しいストーリーを見れて感謝してる。
Zはダレますよねぇ
なるほど。プレステのケツアゴシャアは原作を忠実に再現した結果なんだな
ファースト原理主義者はフラットに見れない
フラットに作品として見たら、Zは富野人間作劇の最高作
その点ではファースト超えてる
それ故に最後壊れてしまって、それがその後のガンダムの宿題テーマになった
ヤマトが延々パターン繰り返して作品自体として終わったのとは違う
だからガンダムは作品として終わらず未だに作品として作り続けられる
「スポンサーの顔色を気にしていても、描きたかった物語」が、ファーストガンダムだったと思います。
「プラモデルが売れるアニメを作ってくれ」と無言のプレッシャーがあって(それを隠すため?)「何故、ガンダムの続編を作るのか…」と富野由悠季さんが自問自答しながら始めたのがZガンダムとお見受けしています、が…
「変形する主役メカ」は、とうにマクロスで確立していましたからね、かなりZガンダムはデザインに混沌としてしまったのでしょ?そっちにエネルギーが奪われたし「本編内にもっとMSVでもいいから…」と圧がかかってジャブローで…
ダカールから宇宙へ舞台が移ってから最終回まで、登場人物の酷い迷走が目立ったと記憶しています。
ある日、とある模型雑誌に
「ガンダムは、ニュータイプという概念のさらなる掘り起こしの為、続編を作る事となりました。機動戦士ガンダムダブルゼータです」
…
「なんか、安直…」第一印象でした。
Zガンダム最終回の翌週はガンダムZZの予告編(でも初代やZガンダムの総集編っぽいしガキ臭くて退屈でヒドい印象しかなかったです)…
これまでの習慣で土曜夕方にサンライズアニメを見た、が…ガンダムZZ第一話前半でリタイアしました。
「あぁ⤵もう見なくていいや…」
宇宙戦艦ヤマトが映画版、TV版どちらもですが
リアル思考のアニメからテレビまんがに落ちぶれてしまった様に、ガンダムもかよ!!と落胆したものでした。
同じサンライズさんのアニメ「蒼き流星SPTレイズナー」が、スポンサーの都合で打ち切りにこそなってしまいましたが、後にOVAで再編集や打ち切り後の分も追加され物語としてちゃんと完結出来たのを拝見し、私は一旦アニメーション鑑賞を卒業しました。
社会人になってから、何となくですがレンタルビデオで「逆襲のシャア」は見ました。けど…「富野由悠季さん、何を描きたかったんだろう?メカデザインは大河原邦男さんではなくなってる…ガンダムらしさが感じられない」一度だけ見てすぐ返却しました。
どれ程誹謗されようとも私の意見は変わりませんし変えるつもりも無いです。
ガンダムは、ファーストで完結させるべきだったと思います。
続編、ではなくSEEDやダブルオーの様にタイトルやモビルスーツの名称にガンダムを冠した、別の作品として作るべきだったと。
「Z(ゼータ)はダメだがダブルゼータや逆シャアこと正当な続編だ」なんて主張をSNSでよく見かけますが…おおかた「財団Bのまわし者の発言」か「ニセ・ガノタの教祖様担ぎ」としか思えず、いつも苦笑いが浮かびます。
Zガンダムはリアルタイムは、訳分からんので脱落したけど、大人になってから改めてまとめて見た!その時には設定やストーリーが頭に入っていたからなのか、めちゃくちゃ面白くてビックリしたけどなぁ。
「僕が一番うまくガンダムを作れるのに」というせりふがおもいうかんだ。
Ζは、
なんとなく生固い、特にクロトワとレコアの性格のぶれかたに違和感があったし。テターンズの若造は一貫して成長しないし。
ZZは、一話見て見放した。
Z作らなければ、その後のガンダムはないし、岡田斗司夫だってこんな動画出せないんだよ。
物語的に美しいとかいってるけど、人間は生きてる限り生き汚いもの。シャアだってそれは変わらない。死と生は表裏一体であり、死を描けば生も描かなければならない。これもまた富野アニメの真骨頂ですよ。
Z放送当時は小学校高学年。子どもアニメとしては理屈っぽすぎたため途中で観るのを止めました…10代半ば頃に再放送で夢中になりました。
Zガンダムの時は、ガンダムじゃないと次のアニメを創らせない、富野監督が創らないと他の人間にガンダムを作らせるという手前くらいまで来てたんじゃないでしょうか?
あの枠はバンダイがメインで、バンダイにしてもガンダムじゃないとプラモが売れないんだって感じだったでしょうし。
結果としてみればZガンダムが創られその後、富野監督の手を離れてからもガンダムの名を冠する作品が創られ続けたから、今の時代になっても若い子も最初のガンダム観てみようと思う効果はあったと思います。
後続作のないザンボット3観ようとかイデオン観ようとか思い立つ子は本当に尖ったオタクエリートくらいです、視聴のきっかけになり易いスパロボも作られなかったでしょうし。でも、ガンダムなら観ようという若い人がいるのは、Z以降続いたからですし。
一作目が物語としても綺麗に完結して商業的に成功してしまうと、
商業作品である以上は「続編を造れ」という声がどうしても大きくなる。
それは非常に困難な課題。
文学的にも商業的にも成功したと言えるような作品はほぼ見かけない。
ビジネス優先で動いた結果、製作現場から音声収録現場まで殺伐としており、
現代で言うパワハラ/私刑を当該作品では「修正」と称していたが、体現していた。
そんな最悪の環境でも救いようがない駄作にまで堕ちなかったのは御大の手腕故か。
1stTV版を信奉していたファンからは落胆の声が終始聞こえた。
時代も京都の歌留多屋が出したヴィデオゲームが世界的にヒットした事でキッズ〜ティーンに娯楽が変化。
スポンサーが期待したプラモデルは次第に売れなくなり試作品止まりになった物もある。
それでも一定数は数が出たから、サントラ共々ガンダムに関わる映像作家達に十字架として重荷になる。
自分にとってZガンダムがガンダムシリーズの中で1番好きな作品ですが、続編は作らずこのまま終わってほしかったって意見も理解できます。
劇場版3でシャアが爆発の中逃げるシーンが追加されたことで続編あるのか?って期待しながら当時思ってたけどZ始まってから制作現場のスタッフのスケジュール調整とかで当時のスタッフでもなく新人が多く参加した現場に安彦さんが作画不参加だったこと あと効果音が変わって一番違和感だったな。ファーストはファースト ゼータはゼータだなって思いました。アニメーターが変わるだけでここまで雰囲気が変わってしまうのかと言う違和感がありましたね。ゼータの頃の復習が終わったシャアはあまりかっこよくなかったな。
そう言っても、岡田氏の大好きなバックトゥザフューチャーだって1で綺麗に終わってたのに続編作られてるわけで
世に「続き」が放たれた以上は野暮なことは言わんとこうよ
Zガンダムでシャアとアムロの立ち位置がなんか不安で不自然に感じていましたよ。
この二人は出さないで新キャラを出してほしかったな。
俺はZガンダムからガンダムにハマった人なのでZガンダム作ってくれた富野さんには感謝です!Zガンダム無かったら0083も作られなかったし!
まぁ逆襲のシャアはゼータのダイジェストみたいなもんだし…
ギレンの野望ではジェミトフの提案を許可するとニュータイプ研究所を作ってプロトゼロて強化人間を作ってましたね!
確かにファーストのエンディングが見事に大団円になっていたので蛇足感はあったかもしれないけど、その後も戦争を続ける人間の業の深さと、その業から逃れられないクワトロの苦しみが描かれていたからZはZで好きでした。あと、完全変形のガンプラが出せるほどの見事なデザインの可変機や全天周囲モニターやドダイ改を使った高速戦闘など新機軸のアイデアがてんこ盛りで、しかもこのアイデアが作画を楽にするという狙いもあってさすがだと思いました。泥沼化した戦局で仲間が次々と亡くなる暗澹たるストーリーでファーストのような爽快感はないかもしれませんが、死の商人アナハイムやジオン残党の暗躍など重要な存在もZで登場しており、宇宙世紀の歴史を語る上でもZは欠かせない作品ではなかったかと…。
つまりシャアは冨野?
僕は、Ζガンダムを実はよく見たことがないんです。が、いきなりリアリティーのないアニメになった感が拭えません。あれだけ、何でもありを無くすために注意を払って作ったアニメのあと、マジンガーZかよ!っていう何でもありの体たらく……。緻密に作られた最初のガンダムに勝るガンダムは存在しないと思います。
富野さんがトップランナー出た時に、ファースト終了後にスポンサーだかTV局だかから「ガンダムの続編作れ」というオファーが来て、想定してない中で嫌々作ったような事言ってましたね。
その割りにはZは劇場版で作り直してるから嫌悪してる訳では無いと思いますが。
Zはモビルスーツはいいけど、話としては駄作以外の何でもない。まさに傑作を作ろうとして大滑りに滑ったもの。まともな鑑賞能力があるなら観るに耐えない作品。
好きな作品の続編や話の流れがどうしても好きになれない気持ちは自分も経験があります、綺麗に終わってる作品ならなおの事ですね。もっとも岡田さんご自身がおっしゃってる様に「冨野監督の魂の軌跡だから否定してはいけない」って言葉が模範解答だとは思いますが
ガンダムブームはファミコン、ラジコンブーム前夜だったのが大きいと思う。なぜならガンダムとプラモデルブームは切り離せない関係になった最初のアニメ作品だから。初代ガンダムのしっかりした設定がガンプラブーム、MSVを生みオリジナルアニメに更に奥行きをあたえていく。
私は再放送組ですが、関東では夕方に放映されていて、ほぼ同時期の夕方の時間帯でアメリカの人気ドラマ「コンバット」が放映されていたと記憶してます。
これはガンダムから始まり、ダグラム、ザブングル、ボトムズそしてマクロスと続いてゆくリアルロボットのミリタリー路線化になんらかの影響があったと思っています。
これらのアニメ作品は当時の私たち子供に抜き難い印象を残しました。そして、この歳になって、岡田さんによって、アニメ作品ガンダムとして、きめ細やかな演出に驚愕する。
カミーユ役の飛田展男さんもZガンダムのオーディションで「なんで続編作るんですか」と言ったそうな。
ファースト世代で後からZもZZも見たけど、どうしても世界観に入っていけなくってなんとなく見ただけ。でも逆シャアだけは好き。
最終回「脱出」にて
本来ならば明確にしぼうさせたであろう
赤い彗星さんをファンサービスで
生存に含みを持たせた結末にしました→
Zガンダムでいけしゃあしゃあ(あっ、駄洒落になってるなw)と
生きていましたという
少年ジャンプ的ご都合展開が
21世紀になってから
種以降のアナザー宇宙世紀で
様式美的には繰り返されるとは
1980年ガンダムテレビシリーズ終了時の冨野監督としては思ってもいなかっただろうな?
Ζは勧善懲悪な世界観をガンダムに持ち込んでしまったのがね
バンドで有名になったギタリストが脱退して薬漬けで作ったソロアルバムが不要なわけがなかろう!
「続編作んなよ」
踊る大捜査線もそうだよな。
奇麗に終わってるのに・・・
あっちは作るとしたら、
青島は巡査のままで、ちょい役で出す形ならまだ良かった。
単なる問題提起アニメではなく、その時々を生きる人々の心に寄り添い、未来を見ようと顎を上げる勇気を人々にもたらす作品群としての『ガンダム』に昇華するきっかけとしてゼータは重要な作品。
正直、Zが始まるときは物凄く期待してたんだ。けど、2話3話と観ていくうちに首を傾げはじめ、中盤あたりに来たときには何、演出家ってここまで劣化すんの?って愕然とした。粗筋だけ聞くとそれなりに面白そうなのに、見せ方が平板で「富野語」っぽいポエムのやり取りが横行するだけの盛り上がりも緊張感もない展開がダラダラ続く。印象としては毎回何かしょっぱいビームライフルの打ち合いの戦闘が適当な理由で痛み分けに終わって決着つかず、最後にデッキにクルー全員集合してポエム大会みたいな反省会が行われアーガマのロングショットでENDみたいなのをずーっと見てた感じ。ファーストのギレン総帥の「立てよ国民」の演説は今でもほぼ丸々思い出せるのに、Zのシャアのダカールの演説とかどんな台詞だったか全く思い出せねーわ。