宗教は学問では学べない人道、倫理を学ぶためにあるのに悪人や政治に利用されその本質が見えなくなってる。達成したい目標や生き方のために指標もらのではなく現実逃避として使うアポ。新興宗教のイエス様〜悪魔が〜ってキリスト教の本質をまるで理解してない。死と向き合うことは大切だけど、今の生き方を冒涜してる。人の為や思いやりの心をなくす生き方をして後に一体何が残る?虚空の神様だけが残るなんて哀れだわ。
確かに、今の伝統宗教はほとんど人の役に立っていないね。自分の場合は、日本神道系は全く信用してない。仏教とユダヤ教を信仰しているが、宗教団体は全く頼りにせず、自分で宗教を学んで直接神を信仰している。新興宗教を信じている人はバカみたいと思う。人間を神だと思ってはいけない。
生きた人を奉ってるような宗教団体は詐欺師。 でも今の神社や寺が困ってる人に手を差し伸べないのはどうなのかな?と思っています。宗教法人特権で税金とか払わなくていい分、人助けとかしてもらえば寺や神社に感謝してお参りする人沢山来ると思うけど。
宗教の問題って複雑で難しいのに分かりやすく解説する、ひろゆきさんはやっぱりすごい。 新興宗教が発展した経緯とか、寺や神社についてなど、分かりやすくて勉強になりました。 「儲かる」って「信者」なんだなと変な所に気づいちゃいました。 この字は宗教から来たのかな。
伝統的な神社や寺が普段から何も相談に乗ってくれない、社会的弱者を助けないっていうのは同意する。政権与党の創価学会なんて、選挙の時は盛り上がるけど、普段は自分たちのことで精一杯だもんね。だから日本人はそもそも毎週日曜にキリスト教会に行くって習慣もないんだろう。
伝統宗教へのエールありがとうございます。私はカトリック教徒の広報部員です。福音宣教もっと頑張らねばと、全く合意します。カトリックは、色々失敗している面もありますが、釜ヶ崎の出会いの家などを通じて、ホームレス支援などをしたり、身近な困っている人の話を聞いたりしてポチポチ助けたりしています。これからも伝統既存宗教へのエールよろしくお願いします。
宗教は要するに、神を信じる行為と経営を一緒にやっているだけですよ。宗教って人類の最初の時期からずっとありますから、個人がいちおうなんか神みたいな、世界を動かすみたいな力の存在を信じているわけですよ。そういうのあるよねーそうだよねーって人が集まって、社(やしろ)ができるんです。石ころに柵を儲けても、木で簡単な家を作って人形を置いてもいいので、そういうのに向かって、偉大な力みたいなのを信仰するわけですよ。人が集まって、組織になって、あとは組織がしっかりしてくると見た目は仕事をする組織と変わらない。法律が宗教を理解できそうにないのもあって、そっくりです。 「偉大な力があってもなくてもいいっスわ」て人が、神を特に新興せずに自分でやるわけですよ。そういうのマジ無理って人が信仰をする。 その人たちの相談役というのは街にかならずいるものです。なぜなら、王様が「何でも知ってます、未来わかります」なんて豪語しちゃっているものだから、弱音がはけないんですね。王様やっている人が神を冒涜するような強いメンタル持ってないことが多いんですよ。それで、信用できる人に、たまに弱音を吐いたりしてるんです。そうやって、信仰というものが続くんですよ。 もし、「神」という言葉が気に入らないなら「正義を守る公平な行動」をする風潮を廃れさせないとか、「相談役」がいればいいんですよ。ようするに、それが宗教がやってるわけですよ。偶然かどうか知りませんが、「それはさすがに人として節操がないんじゃないの?」という価値観がどこから来たかというと、人間はなんとなく「こうするとさすがに、節操がない、人としてまずいんじゃないか?」みたいな気がしてくるんです。そこをいったい、どこに効けばいいのでしょうか。 いちおう哲学という学問がありますが、哲学がそういう問題を追及しているのと、科学を一緒にやって始まったんですよ。過去に科学はなかったんで、哲学者が宇宙のこととか物質のこととか研究してたんですよ。古代ギリシャとかの時代にね。 そんなの誰に聞けばええねんってことで、相談役を買って出る人が現れるでしょ。それと、神を利用した節操ない連中が悪いことをしたり、宗教で真面目な人がちゃんと人生相談に乗ったりするのですよ。 いま、日本でメンタルとか心の問題について、あっちこっちに聞いて、どこに聞けばいいかわからない状態です。 街を俯瞰してつくる視点で言えば、街に何があるか、活動する場所と、活動に悩んで考える場所というのがいるんですよ。ビジネスは考える場所なんかあったらサボってんじゃねーよというだけです。人間は、金儲けをするマシーンじゃなくて、働きすぎたら疲れる生き物です。疲れるとメンタルが一時的に弱ります。もともとメンタル弱い人もいて、疲れたらうつ病っぽくなるんですね。誰に聞けばいいのでしょうか。医者でも「わかりません」って言ってるのに。 金儲けではなく、ただ聞いてくれる人がいま求められているんですよ。 意外と、アニメとかで問題を一つ一つ検討して解決しているストーリーになってますが、あれこそが、問題解決へのルーチンワークになります。ただ、解決のために一つ一つ考えて解決していく。今我々が悩む一方で、解決の方向に全く向かわないのは、こうやって一つ一つ考えるという習慣がないからです。疲れて、考えようとも思わない。そのまま働くので、金儲けマシーンであるかのようにふるまうのです。 どうしても困ったときは、アドバイスが必要なのではなく、ちゃんと聞いてもらって整理する必要があるのです。心の整理をする活動が今の日本に欠けていて、意外とアニメのように一つ一つをほぐしていく、という対応の仕方と、人生相談役が街を作っている要素の一つとして復活する必要があるんです。 日本人はメンタルが全く守られていないのが、頭がおかしい国になった理由の一つです。昭和時代から、政治家から20歳の人まで、ほとんど休んだことがなく、脳が破壊されているのです。そうです、日本政府の頭がおかしいのは、休まないから脳が破壊されているのです。脳が破壊されると普通に考えなくなりますので、日本を良くしない。だって、戦後のつらい時期を経験して、すっかり心が傷ついた年寄りが日本政府を支配しているんですよ。人生がつらすぎて、頭が狂った人が日本政府で、「日本はよくならなくていいから、年寄りの国にしよう」ってやってるわけです。 日本が世界と違って、独特の狂い方をしているのは、睡眠不足からくる思考の混乱です。日本でも、勉強がよくできるとか、何かとても優秀な人は必ず、十分な睡眠をとることを心掛けています。ですから、日本は疲れ切った凡人が支配しているわけです。元気な凡人じゃないんです。 日本人はメンタルをこれ以上破壊されないように、相談役の立場の人が必要なのです。 相談役は街に必ずどこかにいて、偶然かしりませんが、宗教がそれをやりやすかった。ようするに、街に相談できる場所が、教会みたいに大きな建物で、いつでも相談に来ていいですよ、ってすればいいんですよ。精神科医が金をとってやるべきじゃありません。精神科医も人の心をかなり理解していますが、薬をすぐに出そうとする以外、しゃべっているだけでほとんど何もしません。金を無限に儲ける仕組みは、人生相談のような活動に導入すべきではない。 逆に、小売店で信用市にして、いつでも商品が盗めるようにしているから、防犯カメラでみつけて逮捕して、今回も商品を窃盗しましたというニュースが流れる。なぜ、信用できないビジネスで信用市にして、人生相談が金儲けの対象なのか。人を疑うなら、金をとる場所と、金をとらない場所の対応を逆にするなんてありえない。人を信用しているふりをして信用市にして、逮捕するなんて、店側に損をさせる策略じゃないですか。なぜ信用市にしなければいけないのでしょうか。無人店舗の商品取ったら入り口に鉄格子が閉まったらいいでしょう。「やっぱり信用してないんじゃん」と言われたくなくて開放しているのでしょうが、そもそも、なんで信用市にするのでしょうか。店員が見ていなくても、客が全員、いつでもちゃんと金を払うと思う根拠がありません。日本人は信用すべきところと、疑うべきところを逆にしていることが多い。 人生相談の方は金をとらず、金のことを気にせずにじっくり心の整理をするしかないのです。今の日本人は心がほとんど壊れているのです。だから、「日本社会が良くならなくていい」などと、滅亡に向かうようなことをしても平気なのです。
伝統宗教が困っている人を直接助けてない、声かけてないってのは正しいな坊さんも葬式以外で会うことないもんそりゃ気づいたら親戚が新興宗教はまってるわけだわ 対応策としては家族とか、一族とかのつながりを強くすることかなぁまずは自分が周りの人間を今までより頼る今までなら相談なんてしなかったこともわざと相談してみる何事も身内に一回相談してみるのが当たり前だよね~にする
そうだね。観音像がそうだね。如来荒神が本来、本物の神様、解る人殆どいない。インドで産まれた達磨大師が仏教の生みの親で中国で芽が出て日本で花咲いた。だるまさんが転んだ選挙のだるまもそう、七転び八起きもそう。長いから以上そうえばブッダもいたな?
オウム真理教や統一教会の問題は、
キリスト教がおこした数々の歴史上の大問題
(十字軍、異端狩り、魔女狩り、宗教戦争、世界侵略)にくらべれば
取るに足らないことです。
りゅうほうちゃんの憑依芸は笑うわ❤
宗教は学問では学べない人道、倫理を学ぶためにあるのに悪人や政治に利用されその本質が見えなくなってる。達成したい目標や生き方のために指標もらのではなく現実逃避として使うアポ。新興宗教のイエス様〜悪魔が〜ってキリスト教の本質をまるで理解してない。死と向き合うことは大切だけど、今の生き方を冒涜してる。人の為や思いやりの心をなくす生き方をして後に一体何が残る?虚空の神様だけが残るなんて哀れだわ。
確かに、今の伝統宗教はほとんど人の役に立っていないね。
自分の場合は、日本神道系は全く信用してない。仏教とユダヤ教を信仰しているが、宗教団体は全く頼りにせず、自分で宗教を学んで直接神を信仰している。
新興宗教を信じている人はバカみたいと思う。
人間を神だと思ってはいけない。
新興宗教によくある『〇〇会』『〇〇○会』って端から狂ってますからね…何とかセンセ〜とか。、まじキモチ悪い組織!
大川隆法さんの息子さんのインタビュー見ましたが
本当に芸人で食って行けるくらい無茶振りに対応してました。
伝統という仮面を被ったエセ宗教も結構あるので気をつけてください
そもそも伝統宗教も本質は同じなので
何千年も昔から、人心掌握して権力を得るためのツール
生きた人を奉ってるような宗教団体は詐欺師。
でも今の神社や寺が困ってる人に手を差し伸べないのはどうなのかな?と思っています。
宗教法人特権で税金とか払わなくていい分、人助けとかしてもらえば寺や神社に感謝してお参りする人沢山来ると思うけど。
占いとかはガチで元手ゼロでできる最高の自営だね
真光教はレベチ
サッカーの練習試合中にベンチに布教しに来た
宗教の問題って複雑で難しいのに
分かりやすく解説する、ひろゆきさんはやっぱりすごい。
新興宗教が発展した経緯とか、寺や神社についてなど、分かりやすくて勉強になりました。
「儲かる」って「信者」なんだなと
変な所に気づいちゃいました。
この字は宗教から来たのかな。
人は噓をつくし裏切ることもある
そんなことは特別でもないのに
何かに盲目的になるって心理がむしろ心臓強い
リューフォーさんで
伝統的な神社や寺が普段から何も相談に乗ってくれない、社会的弱者を助けないっていうのは同意する。
政権与党の創価学会なんて、選挙の時は盛り上がるけど、普段は自分たちのことで精一杯だもんね。
だから日本人はそもそも毎週日曜にキリスト教会に行くって習慣もないんだろう。
これだけ人口減少が加速化しているのだからお墓文化は廃退していくでしょう。子孫を残さないなら、参る人がいなくなるのは当然。
伝統宗教の坊さんにお布施これくらいでいいですか?って5万包んだら「5万なんかじゃ恥ずかしいですよ?」と罵られた話を思い出して鬱になるわ
寺も神社もここは聖地だ変な奴は来るなおこがましいみたいに勘違いしてる所があります、浅草寺お前だよ。
伝統宗教へのエールありがとうございます。私はカトリック教徒の広報部員です。福音宣教もっと頑張らねばと、全く合意します。カトリックは、色々失敗している面もありますが、釜ヶ崎の出会いの家などを通じて、ホームレス支援などをしたり、身近な困っている人の話を聞いたりしてポチポチ助けたりしています。これからも伝統既存宗教へのエールよろしくお願いします。
日本のキリスト教は口だけだからな
「お祈りしてますう~」で何もしない、ファッションだよ
おはようございます〜
毎年既婚男性(創価)が新人職員(女性)を選挙目的で飲みに無理やり誘い新職の子が困ってます。上司は全く話の通じないタイプなのですが、どうしたらそれをやめると思いますか?
ひろゆきはエドワードスノーデンみたいに暴露しすぎて消えない事を祈る、
胡散くせーインフルエンサーとかにハマって
スパチャとかでバンバン金払って
どうでもいいこと聞いて安心してずっとお金を取られ続ける・・・
いやなんでもないです。
明治天皇の一人称明治
宗教は要するに、神を信じる行為と経営を一緒にやっているだけですよ。
宗教って人類の最初の時期からずっとありますから、個人がいちおうなんか神みたいな、
世界を動かすみたいな力の存在を信じているわけですよ。
そういうのあるよねーそうだよねーって人が集まって、社(やしろ)ができるんです。
石ころに柵を儲けても、木で簡単な家を作って人形を置いてもいいので、そういうのに向かって、偉大な力みたいなのを信仰するわけですよ。
人が集まって、組織になって、あとは組織がしっかりしてくると見た目は仕事をする組織と変わらない。
法律が宗教を理解できそうにないのもあって、そっくりです。
「偉大な力があってもなくてもいいっスわ」て人が、神を特に新興せずに自分でやるわけですよ。
そういうのマジ無理って人が信仰をする。
その人たちの相談役というのは街にかならずいるものです。
なぜなら、王様が「何でも知ってます、未来わかります」なんて豪語しちゃっているものだから、弱音がはけないんですね。
王様やっている人が神を冒涜するような強いメンタル持ってないことが多いんですよ。
それで、信用できる人に、たまに弱音を吐いたりしてるんです。
そうやって、信仰というものが続くんですよ。
もし、「神」という言葉が気に入らないなら「正義を守る公平な行動」をする風潮を
廃れさせないとか、「相談役」がいればいいんですよ。
ようするに、それが宗教がやってるわけですよ。
偶然かどうか知りませんが、「それはさすがに人として節操がないんじゃないの?」という価値観がどこから来たかというと、人間はなんとなく「こうするとさすがに、節操がない、人としてまずいんじゃないか?」みたいな気がしてくるんです。
そこをいったい、どこに効けばいいのでしょうか。
いちおう哲学という学問がありますが、哲学がそういう問題を追及しているのと、科学を一緒にやって始まったんですよ。
過去に科学はなかったんで、哲学者が宇宙のこととか物質のこととか研究してたんですよ。
古代ギリシャとかの時代にね。
そんなの誰に聞けばええねんってことで、相談役を買って出る人が現れるでしょ。
それと、神を利用した節操ない連中が悪いことをしたり、宗教で真面目な人がちゃんと人生相談に乗ったりするのですよ。
いま、日本でメンタルとか心の問題について、あっちこっちに聞いて、どこに聞けばいいかわからない状態です。
街を俯瞰してつくる視点で言えば、街に何があるか、活動する場所と、活動に悩んで考える場所というのがいるんですよ。
ビジネスは考える場所なんかあったらサボってんじゃねーよというだけです。
人間は、金儲けをするマシーンじゃなくて、働きすぎたら疲れる生き物です。
疲れるとメンタルが一時的に弱ります。
もともとメンタル弱い人もいて、疲れたらうつ病っぽくなるんですね。
誰に聞けばいいのでしょうか。医者でも「わかりません」って言ってるのに。
金儲けではなく、ただ聞いてくれる人がいま求められているんですよ。
意外と、アニメとかで問題を一つ一つ検討して解決しているストーリーになってますが、あれこそが、問題解決へのルーチンワークになります。
ただ、解決のために一つ一つ考えて解決していく。
今我々が悩む一方で、解決の方向に全く向かわないのは、こうやって一つ一つ考えるという習慣がないからです。
疲れて、考えようとも思わない。そのまま働くので、金儲けマシーンであるかのようにふるまうのです。
どうしても困ったときは、アドバイスが必要なのではなく、ちゃんと聞いてもらって整理する必要があるのです。
心の整理をする活動が今の日本に欠けていて、意外とアニメのように一つ一つをほぐしていく、という対応の仕方と、人生相談役が街を作っている要素の一つとして復活する必要があるんです。
日本人はメンタルが全く守られていないのが、頭がおかしい国になった理由の一つです。
昭和時代から、政治家から20歳の人まで、ほとんど休んだことがなく、脳が破壊されているのです。
そうです、日本政府の頭がおかしいのは、休まないから脳が破壊されているのです。
脳が破壊されると普通に考えなくなりますので、日本を良くしない。
だって、戦後のつらい時期を経験して、すっかり心が傷ついた年寄りが日本政府を支配しているんですよ。
人生がつらすぎて、頭が狂った人が日本政府で、「日本はよくならなくていいから、年寄りの国にしよう」ってやってるわけです。
日本が世界と違って、独特の狂い方をしているのは、睡眠不足からくる思考の混乱です。
日本でも、勉強がよくできるとか、何かとても優秀な人は必ず、十分な睡眠をとることを心掛けています。
ですから、日本は疲れ切った凡人が支配しているわけです。
元気な凡人じゃないんです。
日本人はメンタルをこれ以上破壊されないように、相談役の立場の人が必要なのです。
相談役は街に必ずどこかにいて、偶然かしりませんが、宗教がそれをやりやすかった。
ようするに、街に相談できる場所が、教会みたいに大きな建物で、いつでも相談に来ていいですよ、ってすればいいんですよ。
精神科医が金をとってやるべきじゃありません。
精神科医も人の心をかなり理解していますが、薬をすぐに出そうとする以外、しゃべっているだけでほとんど何もしません。
金を無限に儲ける仕組みは、人生相談のような活動に導入すべきではない。
逆に、小売店で信用市にして、いつでも商品が盗めるようにしているから、防犯カメラでみつけて逮捕して、今回も商品を窃盗しましたというニュースが流れる。
なぜ、信用できないビジネスで信用市にして、人生相談が金儲けの対象なのか。
人を疑うなら、金をとる場所と、金をとらない場所の対応を逆にするなんてありえない。
人を信用しているふりをして信用市にして、逮捕するなんて、店側に損をさせる策略じゃないですか。
なぜ信用市にしなければいけないのでしょうか。
無人店舗の商品取ったら入り口に鉄格子が閉まったらいいでしょう。
「やっぱり信用してないんじゃん」と言われたくなくて開放しているのでしょうが、
そもそも、なんで信用市にするのでしょうか。
店員が見ていなくても、客が全員、いつでもちゃんと金を払うと思う根拠がありません。
日本人は信用すべきところと、疑うべきところを逆にしていることが多い。
人生相談の方は金をとらず、金のことを気にせずにじっくり心の整理をするしかないのです。
今の日本人は心がほとんど壊れているのです。
だから、「日本社会が良くならなくていい」などと、滅亡に向かうようなことをしても平気なのです。
伝統宗教が困っている人を直接助けてない、声かけてないってのは正しいな
坊さんも葬式以外で会うことないもん
そりゃ気づいたら親戚が新興宗教はまってるわけだわ
対応策としては家族とか、一族とかのつながりを強くすることかなぁ
まずは自分が周りの人間を今までより頼る
今までなら相談なんてしなかったこともわざと相談してみる
何事も身内に一回相談してみるのが当たり前だよね~にする
そうだね。観音像がそうだね。如来荒神が本来、本物の神様、解る人殆どいない。インドで産まれた達磨大師が仏教の生みの親で中国で芽が出て日本で花咲いた。だるまさんが転んだ選挙のだるまもそう、七転び八起きもそう。長いから以上そうえばブッダもいたな?
宗教が文明文化の発展に必要だったのは分かるけど今更要らなくね?
新興宗教なんか人ごと焼いちまえ
神社では甘酒もらったことある。でも飯は無いかな。
「こんにちは、明治です」は草
宗教法人に課税は賛成です、田舎の儲かっていない神社、仏閣は経費を計算すれば税金はどうせ無くなると思います。
創価学会が無税とかだと、何をやっているか把握出来ないと思います。
そも宗教を全然信じてない日本人のが
世界から見ると少数派なんよなー