まあ、学歴の種類にもよるでしょうね。天才を育てたいのか、秀才を増やしたいのかで教育は変わるからね。今一岡田さんの求めていた教育がわからなかった。岡田さんはテストの点が取れる子供に育って欲しかったのかな?飛び級はいると思うけど、平均点が高い学校ってそんなに価値があるのかな。運動部のレギュラーの話も、日本のトーナメント制の運動部だけで成り立つ話だしね・・・。
そもそも教育に何を求めるかですね。戦前と戦後でも社会的要件や国体の考え方の変化により方向性が違う訳で。受験が目的なら東大と京大以外のレベルの大学は学部にもよるとはいえ良い講師がいて、本人にやる気があれば、本来はどうにかなるでしょう。しかし偏差値で上から合格者を決めていく行く構造のままなら、いくら生徒全体のレベルが上がっても、ネームのある大学に行くことはその生徒の枠の問題からして困難でしょうし、全員百点ならば抽選などとなるでしょう。つまりは社会的役割と要件に合致する、ならびに構造変化のための柔軟性を養うという観点から、教育もそれに対応すべくその素地を提供できるようなやり方に変えていくということも、マスにとってはひとつのやり方なのかもしれません。
岡田さんの言っていることにすごく納得。システム的に冗長性を持たせること、工業的には生産技術、誰がやってもフェイルセーフ、フールプルーフ的な仕組みを作るのは当然です。上澄み層だけ、外れ値だけ集めたスター軍団で事業を回すのは、特定の能力で「優秀」さを測っているので、事業環境変化に弱い。例えば生物の絶滅しかり、岡田さんが挙げた高度経済成長期の日本の大企業しかり。同じ志向性は一時の成長には大事ですが、組織に多様性がないと、いずれは既存事業で頭打ちになると思っています。だからGAFAなんかは優秀な人+買収で範囲を広げているのでしょうが・・・いつまで勢いが続くか。盛者必衰という言葉があるように。ネットフリックスはポートフォリオが狭いので、今契約者数が頭打ちになりつつあり、困っていますね。
働き蜂(蟻)の法則の亜種みたいので優秀な25%を抜かれた公立校も今までヤンチャしてた子が真面目になるみたいなのあると思います(逆に私立のレベルの高さで勉強好き→嫌いになる子も)。まあそれでも私立の方が確率的に将来有望ではあると思いますが
私立校の話はたぶん都会(東京など)での話だよね。自分の地域では、小中高公立に行くのが普通(私立高校は滑り止めで受験するか部活とか本当にそこでやりたいことがある人が行く)。それで公立校の校内が荒れてるかといえば別に荒れてなかった。都会と地方でここまで違うのには驚く。
これ、神回じゃね?自分は中堅の私立中高一貫、子供は全部公立へ行ったが、最終学歴は自分より子供の方が優秀になりそう。笑どっちでもいいと思う。子供に合ってれば。生徒と保護者として両方経験した(PTA執行部にいたから学校の内情もよく理解してる)身から言えば、中学校に関して言えば先生の質はそう大差ない。公立を定年になった優秀だったであろうおじいちゃん先生がいたりしたけど。岡田氏の言う通り、入試で選別されてほぼ決まる。公立中には、私立に比べて普通とそれ以外はそりゃ多くなるが、「ピン」もいることはいる。自分の成功体験から、「公立で十分」と思ってる親も一定数いたりするんで。うちは夫婦の意見が合わず、本腰入れてやれなかったのと子供が精神的に幼かったせいもあって中学受験は失敗した。結果的には県内普通公立高校トップ校に入り難関国立大に行ったが、下手なぬるま湯私立(要するに私の母校みたいなとこ。笑)に入ってたらこうはならなかったかもしれないと思ってるし、雑な環境で過ごしてきただけあって、自分よりはるかに逞しい。(ちなみに塾は本人が必要ないというんで、中学受験の時以来一度も行ってない。)大学進学するなら、家から出すに限る。もっと逞しくなる。笑
とある田舎の私立中高一貫校で非常勤講師で働いてました。よく生徒に話したのは、「田舎町の進学校では、東大京大行っても1か2名位、有名私立校だと30名近く行き、高校での先輩後輩関係で既に大学内人脈が出来ている。勉強も重要だが、人脈作りの会話力と趣味は大切だ。東大京大行くだけけではなく、人脈作らないと置いていかれるぞ」と。勉強だけ出来る歪な生徒には共感されませんでしたが。
Netflixの有能無能がなにを指していっているのかわかりませんが、人間関係の良いコミュニティを作れる人々が結局最強だと私は考えています。お互いに持っている知識、能力を存分に気兼ねなく使える関係性を作れなければ、各個人の中で腐って朽ち果てるだけでしょうから。能力が上位のものだけ残る仕組みであれば、協力ではなく、競争になり、そこから足の引っ張り合いとなる。組織全体の利益よりも個人の実績に走る。失敗を隠し、成功を大きく見せる。他人を蹴落とす。そんな人々が残る仕組みにしか思えませんが、私よりも数段賢い人々がそうしているのですから、その辺はなにか対策済みなんでしょうけどね。
無能に使われる有能は正解か、有能を集められる無能は成功か。個人々々がそれそれぞれの幸せを感じられればいいのか、人類社会全体が幸せになる事を考えないといけないのか。やれる事をやるしかない、ではダメかねぇ…
以前NHKで放送したヤングライダースというドラマがありました。最近シーズン1のみ吹き替え版がYOUTUBEに出ています。南北戦争のころの若者たちの成長を描いていますが銃社会を中心に人種問題やネイティブアメリカンや資本家と労働の問題、戦争観、西部開拓史も含めています。ナバホの人たちに代表されるネイティブはもともと土地を私有化するという概念がなくバッファローを追いかけ木の実やトウモロコシなど神の恵みをそこに住むものすべてが享受できると考えていたので白人の移民者も受け入れても問題は起きないと思っていた。酋長も実は政治的な統治者でなくシャーマンの最高権威者だったと思います。そういう意味からするとトランプの言動はアメリカ的デモクラシーから逸脱するのでは?マイケルサンデルの議論なんかも出てきた背景では。ウクライナの戦争にもつながってしまっているのではと思えます。
自分が今出向してる会社は有能でも無能でも同じことができるようなシステムや仕組みを目指してやってますね。誰がやっても同じにできないものは不完全なものという考えによるところです。みんながそれを目指してるし、過ちに対しても前向きです。その会社は今の世の中でも生き残ってるので、岡田さんが言ってるのは的を得てると実感しました。
Netflixの経営方法や放送している内容を分析した上で私個人の意見を言うNetflixは「典型的な学力が高ければ〜と人の事を上かしたかで判断する朝鮮系バリバリの企業」外面や経歴ばかり重視し、人の内面や視聴者が求めているものを理解しようとしない殿様商売…あれじゃダメになって当然
違うな。冒険だと思いますね。ペーパーテストの欠点というか、優秀になればなるほど、冒険をしなくなる。知識の本質は、利己主義です。いい成績を取りたい。出世したい。お金持ちになりたい。凡人よりも不安感が強いから、先行投資する。臆病だから、お金持ちになろうとする。優秀であればあるほど、一か八かの冒険をしなくなり、現状を維持する気持ちが強くなる。ソニーやパナソニックは、戦前の人たちが作った会社。欧米諸国に対して、追いつけ、追い越せの気持ちがありました。軍事でそれをやって失敗し、民間でそれをやったのが、ソニーやパナソニック。追いついて、追い越したとき、冒険する理由がなくなりました。日本人全体が、なにをしていいか、わからなくなりました。会社には、一か八かの冒険をするバカも必要です。宴会が大好きで、仕事が終われば飲み歩く楽天家も必要です。楽天家の仕事は、人と人とを結び合せること。縁結びの神様ですね。社会は多様であればあるほど、強いです。優秀な人材という言葉は、心理学的には、特定の、限られた衝動を持つ人々の集まり。学校という環境があり、その環境にもっともよく適合した人たちは、別の環境では真っ先に不適合になる人たちです。学校という環境が、ペーパーテストによって特殊化されてしまった。万能に思えたペーパーテストが、特殊な精神範疇の人しか合格できない淘汰システムになりました。ペーパーテストで振るい落とされる人のなかに、天才がいることに気づくべきですね。アインシュタインも、ヴィトゲンシュタインも、スティーブ・ジョブズも、学校の成績は普通です。普通だからこそ、冒険心をなくさなかった。
駅伝とか、スポーツのドリームチームがいまいちうまく機能しないのはそういうことかな?完全であるがゆえに、失敗ができない。しかし、スポーツをするうえで失敗はつきものだから、本人たちは一生懸命頑張っていても、周囲の人たちの期待に耐えうるだけの結果が出ない。 お互いの欠点を理解しあって、初めて物事はうまくいく。逆に言うと欠点を補うようにすれば、どんな組織でもうまくいくのでは?
優秀が入ったら下から切られる、クビじゃなくても左遷や追い出し部署行きという形で多くの組織で実践されてる気もしますね、、優秀の意味が立ち回りや手の抜き方、責任のなすりつけ方とか色々なベクトルがあるのでしょうけど。
みんな私立に行かせればいいじゃん(無償化補助金)→じゃあその財源は?公教育を蔑ろにするのも違うと思う先生も悩みながら間違いながら反省しながら…という所はすごく納得するものがありました。そしてそのためには世間が(企業が家庭が地域社会が)教育ということを考えて若者とぶつかったり受け入れたりしながら共に成長していく。そういう気持ちをもってほしい。
私立中学校に良い印象がない。言われるように上澄みは上澄みなんだけど、その小さな上澄みの中で中の下以下になっちゃった奴がコンプレックスの塊になっちゃって、落ちぶれてしまうのをよく見かける。高校は最終学歴じゃないし、まして中学はその手前ですらない。大して優秀じゃないかもしれないけど、中学は公立、高校はソコソコ優秀なところいに行ってお山の大将でやっていけば良いのに、背伸びしてギリギリ入れる私立や国立に行っちゃった多くの人は不幸な人生が待ってるだけだと思う。神童と呼ばれてそのまま神童扱いで普通の学校に行って、大学はそこからギリギリ手が届く一番上の大学に入っときゃ良いんだと、私は思います。
スーパーマン3のガス・ゴーマンみたいなのはネットフリックスには決して雇われないのだろうけど、もしも彼を雇っていたなら大きく貢献しただろうことは間違いないw
まあ、学歴の種類にもよるでしょうね。天才を育てたいのか、秀才を増やしたいのかで教育は変わるからね。今一岡田さんの求めていた教育がわからなかった。岡田さんはテストの点が取れる子供に育って欲しかったのかな?飛び級はいると思うけど、平均点が高い学校ってそんなに価値があるのかな。運動部のレギュラーの話も、日本のトーナメント制の運動部だけで成り立つ話だしね・・・。
そもそも教育に何を求めるかですね。戦前と戦後でも社会的要件や国体の考え方の変化により方向性が違う訳で。受験が目的なら東大と京大以外のレベルの大学は学部にもよるとはいえ良い講師がいて、本人にやる気があれば、本来はどうにかなるでしょう。しかし偏差値で上から合格者を決めていく行く構造のままなら、いくら生徒全体のレベルが上がっても、ネームのある大学に行くことはその生徒の枠の問題からして困難でしょうし、全員百点ならば抽選などとなるでしょう。
つまりは社会的役割と要件に合致する、ならびに構造変化のための柔軟性を養うという観点から、教育もそれに対応すべくその素地を提供できるようなやり方に変えていくということも、マスにとってはひとつのやり方なのかもしれません。
学歴的に超優秀な人たちが集まった企業でも、天下を取れるとは限らない。というのは、凄く社会の真実を衝いているようで面白いですね。
岡田さんの言っていることにすごく納得。システム的に冗長性を持たせること、工業的には生産技術、誰がやってもフェイルセーフ、フールプルーフ的な仕組みを作るのは当然です。上澄み層だけ、外れ値だけ集めたスター軍団で事業を回すのは、特定の能力で「優秀」さを測っているので、事業環境変化に弱い。例えば生物の絶滅しかり、岡田さんが挙げた高度経済成長期の日本の大企業しかり。同じ志向性は一時の成長には大事ですが、組織に多様性がないと、いずれは既存事業で頭打ちになると思っています。だからGAFAなんかは優秀な人+買収で範囲を広げているのでしょうが・・・いつまで勢いが続くか。盛者必衰という言葉があるように。ネットフリックスはポートフォリオが狭いので、今契約者数が頭打ちになりつつあり、困っていますね。
ちょっと違うかもしれないけど
鈴木先生ってドラマで学校は問題を起こさない生徒たちの摩耗の上で成り立っているって言ってた
働き蜂(蟻)の法則の亜種みたいので優秀な25%を抜かれた公立校も今までヤンチャしてた子が真面目になるみたいなのあると思います(逆に私立のレベルの高さで勉強好き→嫌いになる子も)。まあそれでも私立の方が確率的に将来有望ではあると思いますが
ネットフリックスみたいな動画配信会社で
優秀かどうかなんて
どこで決めるのかが分からん。
HUNTER×HUNTERの解説でも言っていた、民主主義の幅の広さに共通しそうな話題ですね。
島田紳助さんは社会の現実を知らせる 世間知らずにしたくないという願いを込めて
小学校だけは地元の公立に行かせたそうですね
生徒は小学校で上位5〜10%の優秀な生徒で教師が平均的な普通の先生なら、生徒が教師の事を尊敬しない荒れた学校になるのでは?
知らんけど
私立校の話はたぶん都会(東京など)での話だよね。
自分の地域では、小中高公立に行くのが普通(私立高校は滑り止めで受験するか部活とか本当にそこでやりたいことがある人が行く)。
それで公立校の校内が荒れてるかといえば別に荒れてなかった。
都会と地方でここまで違うのには驚く。
これ、神回じゃね?
自分は中堅の私立中高一貫、子供は全部公立へ行ったが、最終学歴は自分より子供の方が優秀になりそう。笑
どっちでもいいと思う。子供に合ってれば。
生徒と保護者として両方経験した(PTA執行部にいたから学校の内情もよく理解してる)身から言えば、中学校に関して言えば先生の質はそう大差ない。公立を定年になった優秀だったであろうおじいちゃん先生がいたりしたけど。
岡田氏の言う通り、入試で選別されてほぼ決まる。
公立中には、私立に比べて普通とそれ以外はそりゃ多くなるが、「ピン」もいることはいる。自分の成功体験から、「公立で十分」と思ってる親も一定数いたりするんで。
うちは夫婦の意見が合わず、本腰入れてやれなかったのと子供が精神的に幼かったせいもあって中学受験は失敗した。結果的には県内普通公立高校トップ校に入り難関国立大に行ったが、下手なぬるま湯私立(要するに私の母校みたいなとこ。笑)に入ってたらこうはならなかったかもしれないと思ってるし、雑な環境で過ごしてきただけあって、自分よりはるかに逞しい。(ちなみに塾は本人が必要ないというんで、中学受験の時以来一度も行ってない。)大学進学するなら、家から出すに限る。もっと逞しくなる。笑
くっそーw
今回は同意しかねぇww
『違うよ斗司夫くん』て言えねぇw
とある田舎の私立中高一貫校で非常勤講師で働いてました。
よく生徒に話したのは、「田舎町の進学校では、東大京大行っても1か2名位、有名私立校だと30名近く行き、高校での先輩後輩関係で既に大学内人脈が出来ている。勉強も重要だが、人脈作りの会話力と趣味は大切だ。東大京大行くだけけではなく、人脈作らないと置いていかれるぞ」と。
勉強だけ出来る歪な生徒には共感されませんでしたが。
最後の質問に対する答え、本当にその通りだと思います。
公立の中高一貫校という微妙な立ち位置の学校に通ってます。結構癖が強い人や訳ありの人もそこそこ居て、公立中の荒れ方(そこまで荒れてないけど)に少々頭の良さが引っ付いた感じです。
Netflixの有能無能がなにを指していっているのかわかりませんが、人間関係の良いコミュニティを作れる人々が結局最強だと私は考えています。
お互いに持っている知識、能力を存分に気兼ねなく使える関係性を作れなければ、各個人の中で腐って朽ち果てるだけでしょうから。
能力が上位のものだけ残る仕組みであれば、協力ではなく、競争になり、そこから足の引っ張り合いとなる。組織全体の利益よりも個人の実績に走る。失敗を隠し、成功を大きく見せる。他人を蹴落とす。そんな人々が残る仕組みにしか思えませんが、私よりも数段賢い人々がそうしているのですから、その辺はなにか対策済みなんでしょうけどね。
無能に使われる有能は正解か、有能を集められる無能は成功か。個人々々がそれそれぞれの幸せを感じられればいいのか、人類社会全体が幸せになる事を考えないといけないのか。
やれる事をやるしかない、ではダメかねぇ…
以前NHKで放送したヤングライダースというドラマがありました。最近シーズン1のみ吹き替え版がYOUTUBEに出ています。南北戦争のころの若者たちの成長を描いていますが銃社会を中心に人種問題やネイティブアメリカンや資本家と労働の問題、戦争観、西部開拓史も含めています。ナバホの人たちに代表されるネイティブはもともと土地を私有化するという概念がなくバッファローを追いかけ木の実やトウモロコシなど神の恵みをそこに住むものすべてが享受できると考えていたので白人の移民者も受け入れても問題は起きないと思っていた。酋長も実は政治的な統治者でなくシャーマンの最高権威者だったと思います。そういう意味からするとトランプの言動はアメリカ的デモクラシーから逸脱するのでは?マイケルサンデルの議論なんかも出てきた背景では。ウクライナの戦争にもつながってしまっているのではと思えます。
上位の人が私立に行くというのは都会限定の話です。
Netflixユーザーだけどスカンジナビアとか中途半端な国にお金をつぎ込んでるイメージです。あとポリコレ気にしすぎ。ばらまくぐらいならちゃんとした作品を作った方がいいです。ディズニープラスみたいに
優秀な人間ばかりではない大企業なんてほぼないだろw
出来の悪い人は、自分が出来の悪い事実に気付かない。
自分が今出向してる会社は有能でも無能でも同じことができるようなシステムや仕組みを目指してやってますね。誰がやっても同じにできないものは不完全なものという考えによるところです。みんながそれを目指してるし、過ちに対しても前向きです。
その会社は今の世の中でも生き残ってるので、岡田さんが言ってるのは的を得てると実感しました。
年老いた人間から一言だ。金や名誉などあの世に持って行けは、しない。若い時に遣りたい事をする、これ以上の事はない。年老いては何も出来ない。何故ならば、遣りたかった事など忘却の彼方だからだ。
Netflixの経営方法や放送している内容を分析した上で私個人の意見を言う
Netflixは「典型的な学力が高ければ〜と人の事を上かしたかで判断する朝鮮系バリバリの企業」
外面や経歴ばかり重視し、人の内面や視聴者が求めているものを理解しようとしない殿様商売…あれじゃダメになって当然
教員レベルというより環境レベルが違いますね。子供たちは結局塾で勉強しますからね
違うな。冒険だと思いますね。ペーパーテストの欠点というか、優秀になればなるほど、冒険をしなくなる。知識の本質は、利己主義です。いい成績を取りたい。出世したい。お金持ちになりたい。凡人よりも不安感が強いから、先行投資する。臆病だから、お金持ちになろうとする。優秀であればあるほど、一か八かの冒険をしなくなり、現状を維持する気持ちが強くなる。ソニーやパナソニックは、戦前の人たちが作った会社。欧米諸国に対して、追いつけ、追い越せの気持ちがありました。軍事でそれをやって失敗し、民間でそれをやったのが、ソニーやパナソニック。追いついて、追い越したとき、冒険する理由がなくなりました。日本人全体が、なにをしていいか、わからなくなりました。会社には、一か八かの冒険をするバカも必要です。宴会が大好きで、仕事が終われば飲み歩く楽天家も必要です。楽天家の仕事は、人と人とを結び合せること。縁結びの神様ですね。社会は多様であればあるほど、強いです。優秀な人材という言葉は、心理学的には、特定の、限られた衝動を持つ人々の集まり。学校という環境があり、その環境にもっともよく適合した人たちは、別の環境では真っ先に不適合になる人たちです。学校という環境が、ペーパーテストによって特殊化されてしまった。万能に思えたペーパーテストが、特殊な精神範疇の人しか合格できない淘汰システムになりました。ペーパーテストで振るい落とされる人のなかに、天才がいることに気づくべきですね。アインシュタインも、ヴィトゲンシュタインも、スティーブ・ジョブズも、学校の成績は普通です。普通だからこそ、冒険心をなくさなかった。
駅伝とか、スポーツのドリームチームがいまいちうまく機能しないのはそういうことかな?
完全であるがゆえに、失敗ができない。
しかし、スポーツをするうえで失敗はつきもの
だから、本人たちは一生懸命頑張っていても、周囲の人たちの期待に耐えうるだけの結果が出ない。
お互いの欠点を理解しあって、初めて物事はうまくいく。
逆に言うと欠点を補うようにすれば、どんな組織でもうまくいくのでは?
優秀が入ったら下から切られる、クビじゃなくても左遷や追い出し部署行きという形で多くの組織で実践されてる気もしますね、、優秀の意味が立ち回りや手の抜き方、責任のなすりつけ方とか色々なベクトルがあるのでしょうけど。
みんな私立に行かせればいいじゃん(無償化補助金)→じゃあその財源は?
公教育を蔑ろにするのも違うと思う
先生も悩みながら間違いながら反省しながら…という所はすごく納得するものがありました。
そしてそのためには世間が(企業が家庭が地域社会が)教育ということを考えて若者とぶつかったり受け入れたりしながら共に成長していく。そういう気持ちをもってほしい。
私立中学校に良い印象がない。言われるように上澄みは上澄みなんだけど、その小さな上澄みの中で中の下以下になっちゃった奴がコンプレックスの塊になっちゃって、落ちぶれてしまうのをよく見かける。高校は最終学歴じゃないし、まして中学はその手前ですらない。大して優秀じゃないかもしれないけど、中学は公立、高校はソコソコ優秀なところいに行ってお山の大将でやっていけば良いのに、背伸びしてギリギリ入れる私立や国立に行っちゃった多くの人は不幸な人生が待ってるだけだと思う。神童と呼ばれてそのまま神童扱いで普通の学校に行って、大学はそこからギリギリ手が届く一番上の大学に入っときゃ良いんだと、私は思います。