単純に人が人を殺していいと認めたら人類なんて一年持たずに滅亡するからですよ。自分の目の前に人間が自分殺さない保証は誰もくれない。どこからの誰が誰かを殺そうとして巻き込まれる事もある。じゃあ殺されるぐらいなら先に殺してしまえになるし、自分が殺さなくてもそう考える奴が動いて殺していく。ま、その前にそんな世界じゃこどもを産まないし、育てなくなるし成長する前に殺されて生きちゃいないけどな。
私が行くパン屋の職人は殺してはダメです。食べたいパンが食べられなくなるから、ほかの人がパン屋をすればいいだろって言えるけど現状、大体最適化されてるとすれば、タクシーの運転手が代わりにパン屋するよりは今のパン屋がパン作ってた方がみんなよい生活ができるよねとは思う。
実は軍隊が敵を殺すその瞬間でさえ、殺人を目的に、もとい肯定しているわけではないんよね。対象となる脅威を「無力化」する過程で、爆弾なり銃なり暴力を使うから、付随して人が死んじゃうこともあるってだけで。ちょっと当てるだけで人も戦車もお花に変わる光線とかが開発されたら、多分そっちが主流になる。
誰かが決めたルールや個人の感情でしかないから、殺してはいけないという絶対普遍のルールはないし、絶対普遍の根拠もないよ。現代の日本国内の表社会という条件ならそれをやると身の回りのほぼ全員が敵になる。それだけ。
これについて一度考えたことがあって、結論としては「人間は自分の存在を軽視されたり侮辱されること嫌うから」という答えになった。そして快楽や自己都合のための殺人は、相手の存在を軽視する最上級の行為にあたる。だから人を殺してはいけない。
人殺しは割に合わない、だから人を殺してはいけないというのが自分の中での結論殺すだけの価値やリターンがあるなら別だけど殺人は少なくとも約10年の懲役、最悪死刑出所できても人殺しのレッテルは一生付き纏うし、人並みの生活をするだけでも難儀すると思うそんなリスクを犯してまでやる事ではないよ
最大多数の最大幸福。これに限る自分が殺されても良いから自分は殺しても良いと言う理論もあるが、今の社会は大部分が「殺されないこと」が幸せ。少数の幸せより大部分の幸せ。逆にみんながみんな自分が殺されても良いからと言う社会になったなら人を殺すことこそ幸福
法律は「人を殺してはいけません」とは言ってない。「人を殺したらこうなります」って言ってるだけ。
理由なく人殺していい国なんて住みたくないじゃん
人を殺してはいけない理由は自分が殺されないようにするためだと俺は思う。
まぁ余程酷いことしなけりゃ、一人殺しても死刑ならんからなこの国。
場合によっては無期ですらなく、普通に十数年で戻ってこれる。
いつも本当の自分を殺しながら生きてる。
単純に人が人を殺していいと認めたら人類なんて一年持たずに滅亡するからですよ。自分の目の前に人間が自分殺さない保証は誰もくれない。どこからの誰が誰かを殺そうとして巻き込まれる事もある。じゃあ殺されるぐらいなら先に殺してしまえになるし、自分が殺さなくてもそう考える奴が動いて殺していく。ま、その前にそんな世界じゃこどもを産まないし、育てなくなるし成長する前に殺されて生きちゃいないけどな。
この質問する人(主にガキ)多いけどもっとも愚かな質問だと思うわ
東野幸治「人類が滅ぶからやろ」
人を殺したくなった時は「こいつにも家族はいるんだよな・・・」って踏みとどまろう
理由がなければ殺してはいけない理由を聞きたかった
時代や理由が違えば
大量に人を×して英雄になった人も居るわけだからね。
私が行くパン屋の職人は殺してはダメです。食べたいパンが食べられなくなるから、ほかの人がパン屋をすればいいだろって言えるけど
現状、大体最適化されてるとすれば、タクシーの運転手が代わりにパン屋するよりは今のパン屋がパン作ってた方がみんなよい生活ができるよねとは思う。
ナウル!?!?
伊坂幸太郎の「マリアビートル」に同じような質問があったな
自分が殺されたくないから殺人する奴は悪い奴だっていう認識を得ただけの話
実は軍隊が敵を殺すその瞬間でさえ、殺人を目的に、もとい肯定しているわけではないんよね。
対象となる脅威を「無力化」する過程で、爆弾なり銃なり暴力を使うから、付随して人が死んじゃうこともあるってだけで。
ちょっと当てるだけで人も戦車もお花に変わる光線とかが開発されたら、多分そっちが主流になる。
人を殺してはいけないだと死刑ができない。
普段屁理屈で固めてくるのに
こうゆう時だけあっさりしてんのな
前に似たようなのを相棒で見ました。
食事中に、教授役が「なぜ人を殺してはいけないのだろうか」と右京さんたちに投げかけるシーン。
当時リアルタイムで見てて、あまりにも衝撃的だったので記憶に残ってます。
てめーがされて嫌なことはするなってことだよね法は大体
その社会が嫌なら別のとこに行けばいいし
誰かが決めたルールや個人の感情でしかないから、殺してはいけないという絶対普遍のルールはないし、絶対普遍の根拠もないよ。
現代の日本国内の表社会という条件ならそれをやると身の回りのほぼ全員が敵になる。
それだけ。
これについて一度考えたことがあって、結論としては「人間は自分の存在を軽視されたり侮辱されること嫌うから」という答えになった。
そして快楽や自己都合のための殺人は、相手の存在を軽視する最上級の行為にあたる。だから人を殺してはいけない。
撃っていいのは、撃たれる覚悟があるやつだけ
ってのもある
お偉いさんがなんかいっぱい語ってらぁ
人を殺すのがあかんとか、いいとかそんなんないで
殺したかったら殺したらええねん
そのかわり今の時代は罰があるよ?ってだけやから
俺の嫁はんが殺されたらすぐ犯人殺すわ
人殺しは割に合わない、だから人を殺してはいけないというのが自分の中での結論
殺すだけの価値やリターンがあるなら別だけど殺人は少なくとも約10年の懲役、最悪死刑
出所できても人殺しのレッテルは一生付き纏うし、人並みの生活をするだけでも難儀すると思う
そんなリスクを犯してまでやる事ではないよ
殺人に限らずこの世でしてはいけないことはないよ。
いかにも厨二がしそうな質問だけど、
君が誰かを殺してもいいって事は、誰かが君を殺しても許されるって事になるんだけどそこ分かってるのかな
この動画のサムネ大丈夫か?
最大多数の最大幸福。これに限る
自分が殺されても良いから自分は殺しても良いと言う理論もあるが、今の社会は大部分が「殺されないこと」が幸せ。少数の幸せより大部分の幸せ。逆にみんながみんな自分が殺されても良いからと言う社会になったなら人を殺すことこそ幸福
究極的には、加害者以外の誰かが嫌な思い(苦痛、絶望、悲しみ、嫌悪、面倒、束縛etc…)をするから。
ただの倫理観の問題やん
確かに禁止にしたら殺傷力のある道具なんてしょっちゅう持てないよな…
最後の「理由があれば殺していい」はかなり御幣がある言い方だよね
殺人が悪という概念は、ただの経験則であってその方が社会がうまくいくと歴史上わかったから。
殺しちゃだめだから殺しちゃだめな人間もいれば、法律違反になるから殺しちゃだめなヤツもいる
自分が死にたくないから殺してはいけないという理論は、一歩間違えると自爆テロや一家心中みたいに自分が死にたいなら殺しても良いという理論になってしまう
あら
キノの旅という本の「人を殺してもいい国」という回が面白いのでおすすめです
殺してもいいけど、基本的に罰せられるよ
いやダメだよ
人間は不完全な生き物だからね