「勉強しておけばよかった」と言っても本当に悔いてはいないのは同意です。本当に悔いているなら大人になってからでも勉強を始めますからね。本音は「勉強して良い会社に入って出世してもっと金があって楽して生活できたのに」だと思います。 もっと楽して生活したい。でも今からじゃ勉強できないと理由付けをして努力をしない。 本当に後悔してる人は現在進行形で勉強を続けています。そして学生時代より勉強に充てられる時間が少なく、記憶力が落ちているので効率が悪いことを愚痴ったり、言い訳にしたり、こんな努力してるんだよと言いたい、そして、年長者としてちょっとした善意とアドバイスをしたい欲求を満たす為に「若いうちに勉強すれば良かった。君はした方が良い」と言うわけです。
岡田さんはたぶん「勉強ができる人の意見」を言ってるんだと思う。「できる」とは二つの意味があって、「理解力ある、能力あるから勉強できる」そして、今回こっちが強調されていて「勉強する気があれば一生続けられる」ということ。この二つの意味があるんだ。能力があるから可能という場合と、状況が許すからできるという場合があるんだ。これが可能の意味なんだ。 学校で勉強無理やりさせられてるんだけど、状況が許されているから、できる、年とってもやる気があって、とにかくやればできるんだ。問題は、能力のほう。今回強調されていない部分について書く。 ちょっと理解しようとしたら本当に理解する人と、本当にいつまでたっても理解できるようにならない人が確かにいるんだ。ここが今回、弱められている。この差が語られていないんだ。 学校で本当に勉強できないとしたら、死活問題だ。絶対にいい仕事に就けないくらいの。企業が簡単すぎる基準で人の能力を無視して決めているので、不採用基準は100%不当なんだ。それが避けられない人がいる。質問した子がどのくらい勉強できるかわからないけど、自分ができるようになるように、勉強法を工夫すればいい。 勉強ができる子は、教科書にないことも考えられる。どうやったら記憶していられるかとか。こういうの、考えられたり、考えられなくても調べたらいいやとか、関連書を読めばいいとか、とにかくやりやすくなるように工夫しようと「思うこと自体」ができるんだ。 だが、世の中には「思うこと自体」ができない人がいる。あまりにも勉強できなさ過ぎて、学校教育を受けていないんじゃないかと言えるレベルにまで、落ち込んでしまう人が確かにいるんだ。本当にできない子は工夫どころじゃない、できないのが気になりすぎて何も考えられない。仮に調べて勉強法知ればいいと思うが、勉強法試しても失敗続きだったりする。そして、テストなどが終わって、どこが間違っていたかばかり気にして、答えを治す実力もつかないんだ。「何が理由で正解だったか」なんて考えるのが無駄だと思ったりする。そして40歳超えても、まったく理解力がつかないんだ。これはつらい。 おっさんの心のメカニズムも聞きたいが「せめて工夫して勉強するようにしてみて」とかも言えばよかったかもしれない。もちろん、岡田さんの動画は笑って見られるんだけどねwこのときたまたまこういう話をしたってことは、まとまった話をする人にはわかる。 私なりの正しい(かもしれない)勉強法を言うと、妄想することだ。知らない言葉をいきなり見ました。暗記しました。あとで使えません。だから勉強できない人だらけなんだ。まとまった話が理解できないとか、人が何を言っても半分以上は理解できないとか、ツイッターのような短文しか理解できないとか、全部、暗記のせいなんだ。君たちが何を見ても「理解」という感覚が感じられないのは、経験不足と暗記のせいなんだ。 学校の先生が一人、大勢いる生徒に講義をするという形態なんだけど、これは実は大学でやるものなんだ。高校くらいまでの勉強を終わらせてから、初めて講義形式で話を聞いて、よりよい社会を作るための考えを作ったり、実際に活動を始めたりするものなんだ。日本の学校はこうならないようにしていると言っても過言ではない。先生の話を聞いて理解する、言葉を見て読み取るには、実は「経験して感覚がだいたいわかる」ようになってからだ。 ところが、おそらく日本だけが小学校からいきなり言葉を聞いて理解して、生徒は高校までほとんど実践をしないでインプットし続けることになるんだ。これは、まったく知らないことで本をいきなり読むとわかる。カラー映像で浮かんでくる言葉がほとんどないはずだ。見たことがなくて知らないから。言葉を理解するには、カラー映像とかで浮かんでこないとわからないんだ。だから、暗記中心で7文字くらいしか理解できない頭で、みなさんは社会に放り出されたんだ。 これでわかったと思うが、間違った勉強法を学校でやったため、最悪は、決して身につかない方法で勉強してきた。いや、暗記だけして、勉強ですらなかったんだ。学校にいる間ずっと、暗記と、暗記に近いことをしてきて、たいして考えてなかったんだ。たとえば、ひたすら覚えるまで教科書を読みこむ方法が間違っているなんて、驚きだろう。「忘れないうちに復讐しましょう」という方法も大間違いだ。 このように決して身につかないように勉強していると言っても過言ではないやりかたをしているので、もし、勉強中の人がこれを見ているなら、勉強法を今から、自分にとってやりやすい方法を作るために考えよう。「自分だけにとってやりやすい方法」これが正しい勉強法だ。 私なりの方法を言うと、妄想と言った。なぜか。勉強についていいイメージを持っていないとか、自分を否定しまくったり、自分ができないのを渇いた笑いでアハハハと言っている人は、おそらく、何をしても結果がかんばしくないだろう。どんな方法で勉強しても失敗するかもしれない。なんでだろうな、って思ったんだけど、どうやら、自分を否定しているとか、勉強に悪いイメージがあるとか何らかの形で「否定的」に考えているということだ。 一つでも「できない」と認めてしまうと、理解力、受け入れる力がガーンと下がっていて、本当にできなくなるんだ。 言い換えると「できない」と思いながら、できるように練習できるかってことだ。スポーツでこれを痛感している人は無数にいるが、勉強では全くと言っていいほどわからないのではないだろうか。なぜなら、記憶とかは見えないため、スポーツと似たことが起きているのがわからないためだ。見えないのが理由で、気が付けば長期間「できないわw」と自虐してしまうんだ。それが心の傷となって、やり方次第でできるということを認めたくなくなるんだ。 今すぐに、自虐をやめて、やり方次第でできるんだと考えるようにしよう。 そこで、自虐して心がすっかり傷ついている人でもなんとかなりそうなのが「妄想」ということだ。新しいことを知ったら、いつどこで使うのか想像して、実際に自分が使うとしたらどうするかとかリアルに想像するんだ。ストーリーにして、映画みたいに効果音が大きくて魅力的で、ひきつけられるような妄想をするんだ。この妄想に覚えたばかりの言葉を入れるんだ。驚いたり、楽しかったり、腹が立ったりするのを新しい言葉が結び付く。これが数回繰り返されると、なかなか忘れなくなるんだ。日本語はこうやって話せるようになったので、新しいこともこうやって覚える。 おっさんの心のメカニズムを聞いたら、勉強を「自分だけがやりやすい方法」でやろう40年以上も全く「理解」というものに縁がなかったのが、すこしずつ行動が変わっていくだろう。 どうして正しい勉強法をやるのも失敗するのか。自分の存在を否定しているからだ。「知ればこのヘタレ場自分でもわかる、練習すればこのヘタレな自分でもちょっとはできる」という当然の現実を納得すると実際に新しい情報が入るようになるだろう。これを知った人はヘタレから抜け出す方法を知った。
勉強しといたら良かったな。そうですね。思いますね。ただ、人に言ったりはしないかな。良くも悪くも人は環境に影響されてしまうので、しょーもない環境から抜け出すには、周囲から距離を置いて頑張るか、別の環境に移るしかないわけです。いくら学歴なんて関係ない、本人次第だと言われようが、そこにいる人々はある程度の知的水準を満たしているわけですから、自分の能力にも影響を与えてくれますし、後々の繋がりも良いものになる可能性も高いと思われます。自分に意志があり、熱意があれば、何処であろうが頑張れて、自分の価値観に全力で生きられて、人生を謳歌できるでしょうが、やりたいこともなく、なにも定まっていない、ぼんやりした状態であれば、取り敢えず勉強しておいて、社会的に上に行ける可能性が高い所へ行っといて、モラトリアムを過ごしといた方が楽だったかもしれないなと今にして思うので、もっと勉強しといたら良かったな程度ですかね。
「勉強しておけばよかった」と言っても本当に悔いてはいないのは同意です。
本当に悔いているなら大人になってからでも勉強を始めますからね。
本音は「勉強して良い会社に入って出世してもっと金があって楽して生活できたのに」だと思います。
もっと楽して生活したい。でも今からじゃ勉強できないと理由付けをして努力をしない。
本当に後悔してる人は現在進行形で勉強を続けています。
そして学生時代より勉強に充てられる時間が少なく、記憶力が落ちているので効率が悪いことを愚痴ったり、言い訳にしたり、こんな努力してるんだよと言いたい、そして、年長者としてちょっとした善意とアドバイスをしたい欲求を満たす為に「若いうちに勉強すれば良かった。君はした方が良い」と言うわけです。
岡田さんはたぶん「勉強ができる人の意見」を言ってるんだと思う。
「できる」とは二つの意味があって、「理解力ある、能力あるから勉強できる」そして、
今回こっちが強調されていて「勉強する気があれば一生続けられる」ということ。この二つの意味があるんだ。
能力があるから可能という場合と、状況が許すからできるという場合があるんだ。これが可能の意味なんだ。
学校で勉強無理やりさせられてるんだけど、状況が許されているから、できる、年とってもやる気があって、とにかくやればできるんだ。
問題は、能力のほう。今回強調されていない部分について書く。
ちょっと理解しようとしたら本当に理解する人と、本当にいつまでたっても理解できるようにならない人が確かにいるんだ。
ここが今回、弱められている。この差が語られていないんだ。
学校で本当に勉強できないとしたら、死活問題だ。絶対にいい仕事に就けないくらいの。
企業が簡単すぎる基準で人の能力を無視して決めているので、不採用基準は100%不当なんだ。
それが避けられない人がいる。
質問した子がどのくらい勉強できるかわからないけど、自分ができるようになるように、勉強法を工夫すればいい。
勉強ができる子は、教科書にないことも考えられる。どうやったら記憶していられるかとか。
こういうの、考えられたり、考えられなくても調べたらいいやとか、関連書を読めばいいとか、とにかくやりやすくなるように工夫しようと「思うこと自体」ができるんだ。
だが、世の中には「思うこと自体」ができない人がいる。あまりにも勉強できなさ過ぎて、学校教育を受けていないんじゃないかと
言えるレベルにまで、落ち込んでしまう人が確かにいるんだ。
本当にできない子は工夫どころじゃない、できないのが気になりすぎて何も考えられない。
仮に調べて勉強法知ればいいと思うが、勉強法試しても失敗続きだったりする。
そして、テストなどが終わって、どこが間違っていたかばかり気にして、答えを治す実力もつかないんだ。
「何が理由で正解だったか」なんて考えるのが無駄だと思ったりする。
そして40歳超えても、まったく理解力がつかないんだ。これはつらい。
おっさんの心のメカニズムも聞きたいが「せめて工夫して勉強するようにしてみて」とかも言えばよかったかもしれない。
もちろん、岡田さんの動画は笑って見られるんだけどねw
このときたまたまこういう話をしたってことは、まとまった話をする人にはわかる。
私なりの正しい(かもしれない)勉強法を言うと、妄想することだ。
知らない言葉をいきなり見ました。暗記しました。あとで使えません。だから勉強できない人だらけなんだ。
まとまった話が理解できないとか、人が何を言っても半分以上は理解できないとか、ツイッターのような短文しか理解できないとか、全部、暗記のせいなんだ。
君たちが何を見ても「理解」という感覚が感じられないのは、経験不足と暗記のせいなんだ。
学校の先生が一人、大勢いる生徒に講義をするという形態なんだけど、これは実は大学でやるものなんだ。
高校くらいまでの勉強を終わらせてから、初めて講義形式で話を聞いて、よりよい社会を作るための考えを作ったり、
実際に活動を始めたりするものなんだ。日本の学校はこうならないようにしていると言っても過言ではない。
先生の話を聞いて理解する、言葉を見て読み取るには、実は「経験して感覚がだいたいわかる」ようになってからだ。
ところが、おそらく日本だけが小学校からいきなり言葉を聞いて理解して、生徒は高校までほとんど実践をしないでインプットし続けることになるんだ。
これは、まったく知らないことで本をいきなり読むとわかる。
カラー映像で浮かんでくる言葉がほとんどないはずだ。見たことがなくて知らないから。
言葉を理解するには、カラー映像とかで浮かんでこないとわからないんだ。
だから、暗記中心で7文字くらいしか理解できない頭で、みなさんは社会に放り出されたんだ。
これでわかったと思うが、間違った勉強法を学校でやったため、最悪は、決して身につかない方法で勉強してきた。
いや、暗記だけして、勉強ですらなかったんだ。
学校にいる間ずっと、暗記と、暗記に近いことをしてきて、たいして考えてなかったんだ。
たとえば、ひたすら覚えるまで教科書を読みこむ方法が間違っているなんて、驚きだろう。
「忘れないうちに復讐しましょう」という方法も大間違いだ。
このように決して身につかないように勉強していると言っても過言ではないやりかたをしているので、
もし、勉強中の人がこれを見ているなら、勉強法を今から、自分にとってやりやすい方法を作るために考えよう。
「自分だけにとってやりやすい方法」これが正しい勉強法だ。
私なりの方法を言うと、妄想と言った。なぜか。
勉強についていいイメージを持っていないとか、自分を否定しまくったり、自分ができないのを渇いた笑いでアハハハと
言っている人は、おそらく、何をしても結果がかんばしくないだろう。
どんな方法で勉強しても失敗するかもしれない。
なんでだろうな、って思ったんだけど、どうやら、自分を否定しているとか、勉強に悪いイメージがあるとか
何らかの形で「否定的」に考えているということだ。
一つでも「できない」と認めてしまうと、理解力、受け入れる力がガーンと下がっていて、本当にできなくなるんだ。
言い換えると「できない」と思いながら、できるように練習できるかってことだ。
スポーツでこれを痛感している人は無数にいるが、勉強では全くと言っていいほどわからないのではないだろうか。
なぜなら、記憶とかは見えないため、スポーツと似たことが起きているのがわからないためだ。
見えないのが理由で、気が付けば長期間「できないわw」と自虐してしまうんだ。
それが心の傷となって、やり方次第でできるということを認めたくなくなるんだ。
今すぐに、自虐をやめて、やり方次第でできるんだと考えるようにしよう。
そこで、自虐して心がすっかり傷ついている人でもなんとかなりそうなのが「妄想」ということだ。
新しいことを知ったら、いつどこで使うのか想像して、実際に自分が使うとしたらどうするかとかリアルに想像するんだ。
ストーリーにして、映画みたいに効果音が大きくて魅力的で、ひきつけられるような妄想をするんだ。
この妄想に覚えたばかりの言葉を入れるんだ。
驚いたり、楽しかったり、腹が立ったりするのを新しい言葉が結び付く。
これが数回繰り返されると、なかなか忘れなくなるんだ。
日本語はこうやって話せるようになったので、新しいこともこうやって覚える。
おっさんの心のメカニズムを聞いたら、勉強を「自分だけがやりやすい方法」でやろう
40年以上も全く「理解」というものに縁がなかったのが、すこしずつ行動が変わっていくだろう。
どうして正しい勉強法をやるのも失敗するのか。
自分の存在を否定しているからだ。
「知ればこのヘタレ場自分でもわかる、練習すればこのヘタレな自分でもちょっとはできる」という当然の現実を納得すると実際に新しい情報が入るようになるだろう。
これを知った人はヘタレから抜け出す方法を知った。
勉強しといたら良かったな。そうですね。思いますね。ただ、人に言ったりはしないかな。
良くも悪くも人は環境に影響されてしまうので、しょーもない環境から抜け出すには、周囲から距離を置いて頑張るか、別の環境に移るしかないわけです。
いくら学歴なんて関係ない、本人次第だと言われようが、そこにいる人々はある程度の知的水準を満たしているわけですから、自分の能力にも影響を与えてくれますし、後々の繋がりも良いものになる可能性も高いと思われます。自分に意志があり、熱意があれば、何処であろうが頑張れて、自分の価値観に全力で生きられて、人生を謳歌できるでしょうが、やりたいこともなく、なにも定まっていない、ぼんやりした状態であれば、取り敢えず勉強しておいて、社会的に上に行ける可能性が高い所へ行っといて、モラトリアムを過ごしといた方が楽だったかもしれないなと今にして思うので、もっと勉強しといたら良かったな程度ですかね。
僕はもっと最初からファイブスター読んどけば良かった!とずーっと思ってます
死ぬまで勉強は本人の気持ち次第で出来るので、若いころやっときゃ良かったって思ったことは無いです。私は今も若いですが…。(笑)
勉強するのは何歳でもできるけど、過ぎ去った時間は戻せないからなぁ
中学、高校と勉強をしっかりとやっていれば大学も就職先も選択肢が増えて違う人生を歩むことができたんじゃないかて後悔してます
そーわ言うけど「青春時代のまん中はー道に迷っているばかりー」だよな。
こうやってネットで先人の知恵を聞くこと多くなったな