【元動画はこちら】↓ https://www.youtube.com/watch?v=EQuThK34U5I 【火垂るの墓シリーズ】↓ 【火垂るの墓①】清太は地獄の3ヶ月を … source Favorite0
節子は絶対に殺す。ここまで殺意の湧いたキャラは初めてだ。土下座させて怒鳴り散らした後、惨たらしく拷問してから殺す死んだときはザマァと思って溜飲を下げられると思ったがなんでもっと早く死にやがらなかったんだと悔しくなった。こんなモノの為に何分も費やすなんて無駄の極み。「泣くから殺してやる」「死んでから愚痴を言え」とストレスが溜まりまくった。アイツは地獄に落ちて散々周りに迷惑をかけた罪を償わなければならない。主人公や叔母さんが可哀想でならない。これほどヘイトが溜まったキャラは初めてだ。。
私は幼い時にこの映画を見ました。幼い私はこれを見て人間が嫌いになりました。何も分かってなかったけど"こんな人間嫌だ" としか思えなかった。 大人になって娘に見せました、娘も"人間って汚い、残酷、二度と見たくない" と言いました。私にはせーたやせつこの悲しみよりも人間の醜さがかなしいです。
正直、蛍の墓を見るとお兄ちゃんもっとしっかりしろよ。お世話になってるんだから、我慢しないいけないだろ。そこで、親戚の家を出てどうすんだ…という気持ちになる。お父さんが、立派な軍人でそれなりに裕福な家の子でプライドも高かったんだろうなというのは思う。
まぁ確かに、例えば特定のエリア内でしか活動出来ない人殺しの化け物が現れたとしてもわざわざ人間は、その化け物を討伐為るために向かうからね。(沢山の犠牲者を出して封鎖するけど動けなくても討伐しようとするね)
煉獄で苦しめられる清太は、生きながらに「後悔し続ける人」のメタファーであると思うな。実際、作家の野坂さん自身は戦後も生き永らえて自分の過ちを悔い続けてきたわけで…。後悔というのは何度も反芻して何度もシミュレーションを繰り返すものじゃないか。
正直この作品ずーっと嫌いだった妹が可哀想だとか守ってあげなきゃみたいな兄貴のエゴというか勝手で妹が死んだだけにしか感じれなかったからどんなに苦しい嫌な目にあう環境だろうと"大人"がいる環境に兄妹がいれたなら自分勝手な兄貴はともかく幼い妹は生きれたんじゃないかってIFを想像してしまうから今でも大嫌いです
せいたの選択が間違ってせつこを死なせちゃったってのは分かるんだけど、それでも中学生くらいの年齢の子が親が死んでその後妹と生きて行ったって時点で凄い偉いと思うなぁ…。おばさんの家出てったのと働かなかったのは時代的に考えても良くないけども。
14歳という年齢がまた微妙なんですよね。節子を助けられる選択肢があったのだとしても、死なせた元の原因はせいたではないし、やっぱり大前提にあるのは環境の悪さだと思う。母親が原型とどめない姿で亡くなって冷静でいられるのかを、せいた叩きしている人に問いたい。
たしかに真面目に働いてたら死ぬわけないもん。⇒普通に親戚は暮らしてるからな。まあ客はいろいろ考えてくれって高畑勲監督からのメッセージだと思います‼️結局きよた自身が悪いからこうなったとも解釈できる。まあ人によって解釈は変わることありきでの事やと思う。なんか奥が深いな‼️子どもには絶対分からん‼️
節子が死んだ蛍を全部まとめて穴(墓)に埋めた時、この蛍のようにまとめて焼かれた母の遺体がフラッシュバックします。その時、2匹の蛍が骨壺に向かって飛んでいきますが、通り過ぎてしまい出会うことはありませんでした。 電車の中、電車から降りた丘の上、節子の夜泣きを叔母に諫められ節子を負ぶって眺めた防空壕(このシーンは節子のもんぺの色で幽霊だと解ります)、いづれも幽霊の清太の視線の先には母の骨壺があります。 清太は節子の骨をドロップの缶に入れていたので出会えましたが母の遺骨を残したまま山を下り、そこで自分も腸チフスを患って死んでしまったので母の遺骨を探す行動を永遠に続けているのだろうと思いました。街の再開発によって遺骨はどこかに行ってしまいましたがいつかきっと母に会うんだという 決意のまなざしがエンディングの表情ではないでしょうか。 付け加えますと、山を下るとき、防空壕の棚の下にあった骨壺が棚の上に置かれ比較的明るく鮮明に描かれています。清太が持っていた節子の骨は一片であり、元は母親の骨と一緒にしたのではないでしょうか。「節子は母と出会って幸せだ」と思いたい原作者の意図を感じます。切ない部分でもあります
煉獄に閉じ込められて何度も繰り返し苦悩するしかないっていうのは作者も生きながらにして同じ思いなのかなと思った。死んだ後煉獄に行って清められるのではなく、生きていても大きな過ちがあれば煉獄にいるのと同じ。言い過ぎれば逆に煉獄の存在はその大きな過ちを犯した人間の心情を誰にでもわかりやすく伝えてるのかなと。
佐田
ぁキナマヤはゆな
可哀想な事情はあるにせよ色んな意味で、学べる話ですね。清太、母親を見ると反面教師に出来ますね。「こんな考え方だから、こんな目に遭うんだ」と。
父親のほうは実は死んでいない可能性がある
警察から父親の話は出てこないこと 手紙が届いていないいこと
あと船が沈んだと言っているだけで父親の死の証拠が完全に明確ではないため
本当に生きたいなら親戚の人の家に泊めてもらい続ける選択を取るべきだったのに….
節子は絶対に殺す。ここまで殺意の湧いたキャラは初めてだ。土下座させて怒鳴り散らした後、惨たらしく拷問してから殺す
死んだときはザマァと思って溜飲を下げられると思ったがなんでもっと早く死にやがらなかったんだと悔しくなった。こんなモノの為に何分も費やすなんて無駄の極み。「泣くから殺してやる」「死んでから愚痴を言え」とストレスが溜まりまくった。アイツは地獄に落ちて散々周りに迷惑をかけた罪を償わなければならない。主人公や叔母さんが可哀想でならない。これほどヘイトが溜まったキャラは初めてだ。。
私は幼い時にこの映画を見ました。幼い私はこれを見て人間が嫌いになりました。何も分かってなかったけど"こんな人間嫌だ" としか思えなかった。 大人になって娘に見せました、娘も"人間って汚い、残酷、二度と見たくない" と言いました。私にはせーたやせつこの悲しみよりも人間の醜さがかなしいです。
あともう少し行動が早かったのに、節子を飢えから助けてあげられなかった後悔と贖罪の気持ちで成仏できなかったのかと…
橋田壽賀子と花登筺で育った私は清太を見て、ん?と思いました。
正直、蛍の墓を見るとお兄ちゃんもっとしっかりしろよ。お世話になってるんだから、我慢しないいけないだろ。そこで、親戚の家を出てどうすんだ…という気持ちになる。
お父さんが、立派な軍人でそれなりに裕福な家の子でプライドも高かったんだろうなというのは思う。
まぁ確かに、例えば
特定のエリア内でしか活動出来ない
人殺しの化け物が現れたとしても
わざわざ人間は、その化け物を
討伐為るために向かうからね。
(沢山の犠牲者を出して封鎖するけど
動けなくても討伐しようとするね)
清太をこいつと言った瞬間、笑った
このおじさん可愛い
成仏した人と、成仏できな人の違い、地縛霊だと思うなあ。
父親、母親の霊が出てくると、何となくハッピーエンドになるけど、この物語は空中分解する。
清太の不器用さでは、戦争直後を強かに生き抜けない、この救いようのなくなる話を、高畑監督は狙っていた、と思う。
『火の鳥』の世界観のように
清田&節子は死ねない運命のまま精神だけが永遠に生きつづけなければいけない。
まるでディストピア小説のようです。
火垂るの墓
解説の本は、あるのでしょうか?
あれば、教えてください。
よろしくお願いします。
煉獄で苦しめられる清太は、生きながらに「後悔し続ける人」のメタファーであると思うな。実際、作家の野坂さん自身は戦後も生き永らえて自分の過ちを悔い続けてきたわけで…。
後悔というのは何度も反芻して何度もシミュレーションを繰り返すものじゃないか。
この映画の公開の数年後に神戸の長田が火の海になり、
三宮の建物が次々と崩壊したのは意味があるのかな。
何度も時間が繰り返すんですかね
え、清太は現代の若者を投影した存在なの?じゃあ意地悪なおばさんは社会で、若者は無駄に高いプライドからそれに迎合できず、かといって自立出来るほど強くない脆弱な存在とでも?
嫌だ嫌だー、そんなの非道いよー!
ポンポロン、ポンポロンポンポロン♪花びらの〜♪
物語上登場人物が多くて面倒だからって解釈もで
なんで清太ってビニール袋着てんだろう
これを見て戦争反対という人に何だかしっくりこなかった自分は反戦アニメでない理由を知ってスッキリしました
清太の考え方を改めさせる為に、ループしているのでは?
清太自身が人に対しての思いやりの行動(協力)や言動に反省しなければいつまでもこの煉獄という地獄に囚われてしまっているのでは……
ひでぇ話だよ
正直この作品ずーっと嫌いだった
妹が可哀想だとか守ってあげなきゃみたいな兄貴のエゴというか勝手で妹が死んだだけにしか感じれなかったから
どんなに苦しい嫌な目にあう環境だろうと"大人"がいる環境に兄妹がいれたなら自分勝手な兄貴はともかく幼い妹は生きれたんじゃないかってIFを想像してしまうから
今でも大嫌いです
『生きてない生きてない(笑)』
台詞だけ見るとサイコパス。
あ、合ってたわ。
はだしのゲン見た後に火垂るの墓見ると地獄に落とされたような気持ちになると同時に清太とゲンを無意識に比べてしまう
皆さんの自由回答コーナー好き
せいたの選択が間違ってせつこを死なせちゃったってのは分かるんだけど、それでも中学生くらいの年齢の子が親が死んでその後妹と生きて行ったって時点で凄い偉いと思うなぁ…。おばさんの家出てったのと働かなかったのは時代的に考えても良くないけども。
戦争系統の話をみると、胸に込み上げる虚しさがあるけど。火垂るの墓は何か違和感があるなっては、思ってた。
このおっちゃんが言語化してくれたから心にストンと落ちて納得出来た。
煉獄と無限って言葉を聞いて鬼滅の刃を連想してしまった…
14歳という年齢がまた微妙なんですよね。節子を助けられる選択肢があったのだとしても、死なせた元の原因はせいたではないし、やっぱり大前提にあるのは環境の悪さだと思う。母親が原型とどめない姿で亡くなって冷静でいられるのかを、せいた叩きしている人に問いたい。
これ凄いな
火垂るの墓なんて戦争反対で平和主義なだけの映画かと思ってたけど
もっと深いんだね
たしかに真面目に働いてたら死ぬわけないもん。⇒普通に親戚は暮らしてるからな。まあ客はいろいろ考えてくれって高畑勲監督からのメッセージだと思います‼️結局きよた自身が悪いからこうなったとも解釈できる。まあ人によって解釈は変わることありきでの事やと思う。なんか奥が深いな‼️子どもには絶対分からん‼️
自業自得ではあるけど清太の気持ちもわかる。
苦しいね
節子が死んだ蛍を全部まとめて穴(墓)に埋めた時、この蛍のようにまとめて焼かれた母の遺体がフラッシュバックします。その時、2匹の蛍が骨壺に向かって飛んでいきますが、通り過ぎてしまい出会うことはありませんでした。
電車の中、電車から降りた丘の上、節子の夜泣きを叔母に諫められ節子を負ぶって眺めた防空壕(このシーンは節子のもんぺの色で幽霊だと解ります)、いづれも幽霊の清太の視線の先には母の骨壺があります。
清太は節子の骨をドロップの缶に入れていたので出会えましたが母の遺骨を残したまま山を下り、そこで自分も腸チフスを患って死んでしまったので母の遺骨を探す行動を永遠に続けているのだろうと思いました。
街の再開発によって遺骨はどこかに行ってしまいましたがいつかきっと母に会うんだという
決意のまなざしがエンディングの表情ではないでしょうか。
付け加えますと、山を下るとき、防空壕の棚の下にあった骨壺が棚の上に置かれ比較的明るく鮮明に描かれています。清太が持っていた節子の骨は一片であり、元は母親の骨と一緒にしたのではないでしょうか。
「節子は母と出会って幸せだ」と思いたい原作者の意図を感じます。切ない部分でもあります
外国人が火垂るの墓を見て、清太は叔母に対して誠意を持って自分自身も何かしら働いていたらこんな悲劇にはならなかったと思うって言ってる動画があったのを思い出した
煉獄に閉じ込められて何度も繰り返し苦悩するしかないっていうのは作者も生きながらにして同じ思いなのかなと思った。死んだ後煉獄に行って清められるのではなく、生きていても大きな過ちがあれば煉獄にいるのと同じ。言い過ぎれば逆に煉獄の存在はその大きな過ちを犯した人間の心情を誰にでもわかりやすく伝えてるのかなと。
前の動画とつながっていて驚いた