でも10年台の方が綺麗すぎたというか20年代入ってからバイクとかヤンキー増えてない?色んな闇とか不祥事とか暴かれたりはしてるけど、淘汰されてたそういうのに向き合うの流れ出てきてるし。ニューロダイバーシティとか。
過去の生贄とか遊郭とか若年結婚とか宦官とか男尊女卑とか宗教とか、現代からみるとあり得ない倫理も、この「手で握ったおにぎり」のようにかつては美徳や文化とされてきたものなんだよね。過去の美徳は時代が進むほどに蔑まれるようになり真逆の評価になっていくのなんか悲しいな。今や合理主義や結婚制度や科学も蔑まれつつあるよね。科学技術の発展や男女平等精神なんかはそう遠くない未来に軽蔑の対象になるだろうね。
あれだね、機械の体(整形や化粧など)を手に入れられない人々が下層民として虐げれれる999の世界が現実のものに成るってことかな?まあ、メンタルよわよわな自分から見るとミュートがメンタル保持に有効っていうのは本当だと思うな。
オジオバ世代の「汚い本音が本質」っていうのなんとなくわかります。この時代にセクハラで嫌がられる人ってその世代が目立ちますからね。元々デリカシーの無いタイプだったんだとは思いますが。ただ「時代に取り残されてしまっている」と考えたことはなかったんで個人的に面白い分析でした。
999の星野鉄郎くんは、原作・TV版の方が好きだったんだけどなぁ…。 一度身体を取られた相手に切った啖呵のカッコ良さは、映画版の鉄郎には出せないんだよなぁ…。 まぁ…映画では取り上げられないエピソードだから関係ないって言われりゃそれまでですがね…(・・;)
表現に関する評価がシビアだったからこそ、昭和の「アイドル」は本当に芸能の才能がある上手い人もいたし、本職の人も多様性に富んでいたと言えるかもしれない今は韓流アイドルや、日本のものも含めて芸術性の高さや個性の強さがボヤけてしまってつまらなくなっていると思うただ、今においてそれを両立している層は間違いなく本物なんだろう
数学における美しい定理は正しいという考え方に似ていると思いました。恐らく脳の機能の一つなのでしょうね。社会に脳の機能が忠実反映されているのでしょうね。そして汚いものに真実があるという考え方は身体を反映しているのかも知れません。
不潔でも、清潔でも噓をつくし、正論もはく、のを日本人は明治維新以降学び直したとみています。価値観が個人毎に孤立し、せめぎ合った末に「要は見た目」という結論に達したということ。江戸末期にも男は脛毛をそるのが流行ったそうですから。 この流れに逆らおうとする人を見かけますが、完全に孤立していると思います。でも、本音は確かに存在するので、皆少なからず鬱屈した生活を送っているでしょう。私自身も含めて。 これは自然淘汰の一環と考えています。汚れを極めれば、つまるところ何物も存在しえなくなり、結果澄み切った空間が現出し、それに適応できれば生き残るのでしょう。それが幸福か否かは別にして。
何年か前から、基本的に屋台の営業許可は取れなくなっています。厚労省の判断で営業許可は取れません。ただ縁日の屋台については縁日の主催者が縁日の間だけ屋台を出す為の申請をして、その期間だけ屋台を出せます。こういった行政の判断があるので、街から屋台は消えています。 パンツは前後裏表で4日行けます!(爆)
過剰な潔癖は、完全に人間を弱らせるだろうな。特に幼少から過剰な清潔環境に居すぎると、一生その環境が生きるのに必要になってしまう。ますます、若い人が弱り、逆に若い頃、ほどほどの衛生で慣れている老年世代の方が 免疫が強く元気だったりする。
でも10年台の方が綺麗すぎたというか20年代入ってからバイクとかヤンキー増えてない?色んな闇とか不祥事とか暴かれたりはしてるけど、淘汰されてたそういうのに向き合うの流れ出てきてるし。ニューロダイバーシティとか。
岡田先生の話、おもしろいです。
過去の生贄とか遊郭とか若年結婚とか宦官とか男尊女卑とか宗教とか、現代からみるとあり得ない倫理も、この「手で握ったおにぎり」のようにかつては美徳や文化とされてきたものなんだよね。過去の美徳は時代が進むほどに蔑まれるようになり真逆の評価になっていくのなんか悲しいな。今や合理主義や結婚制度や科学も蔑まれつつあるよね。科学技術の発展や男女平等精神なんかはそう遠くない未来に軽蔑の対象になるだろうね。
うーん
少し違うと思うな…
あれだね、機械の体(整形や化粧など)を手に入れられない人々が下層民として虐げれれる999の世界が現実のものに成るってことかな?
まあ、メンタルよわよわな自分から見るとミュートがメンタル保持に有効っていうのは本当だと思うな。
1960年代のTVで歌謡曲歌っている人たちは、その時代の感覚では綺麗でしたが・・・
なぜなら視聴者はセンスもなくビジャルを磨くすべもなかったせいと思います。
あと経験していないのは戦争だから、日本が攻め込まれた時に、自分が何を感じるか、少し楽しみだな。
人が増え過ぎたな。
20億ぐらいで良いよね。
オジオバ世代の「汚い本音が本質」っていうのなんとなくわかります。
この時代にセクハラで嫌がられる人ってその世代が目立ちますからね。元々デリカシーの無いタイプだったんだとは思いますが。
ただ「時代に取り残されてしまっている」と考えたことはなかったんで個人的に面白い分析でした。
999の星野鉄郎くんは、原作・TV版の方が好きだったんだけどなぁ…。
一度身体を取られた相手に切った啖呵のカッコ良さは、映画版の鉄郎には出せないんだよなぁ…。
まぁ…映画では取り上げられないエピソードだから関係ないって言われりゃそれまでですがね…(・・;)
表現に関する評価がシビアだったからこそ、昭和の「アイドル」は本当に芸能の才能がある上手い人もいたし、本職の人も多様性に富んでいたと言えるかもしれない
今は韓流アイドルや、日本のものも含めて芸術性の高さや個性の強さがボヤけてしまってつまらなくなっていると思う
ただ、今においてそれを両立している層は間違いなく本物なんだろう
確かに、昔は政経サイトも開いていましたが、余りに攻撃的で下品なコメントが多いくて見なくなりました
不潔も不良と同じ自己主張の一部だった。今は不潔は罪で、清潔は利益があると割り切ってます。コメントは玉虫色だから価値があるのであって、美談にそぐわないから、否定されるのは危険です。
数学における美しい定理は正しいという考え方に似ていると思いました。
恐らく脳の機能の一つなのでしょうね。社会に脳の機能が忠実反映されているのでしょうね。
そして汚いものに真実があるという考え方は身体を反映しているのかも知れません。
チリ一つない清浄世界追及の先に何が有るのか、怖いモノ見たさも有る
さっき評価経済社会借りてきた
誰か書いてるかなと過去コメ見たけど無いから書く。悲劇『マクベス』の魔女の言葉「きれいはきたない、きたないはきれい」(Fair is foul, foul is fair.)を思い出す。
不潔でも、清潔でも噓をつくし、正論もはく、のを日本人は明治維新以降学び直したとみて
います。価値観が個人毎に孤立し、せめぎ合った末に「要は見た目」という結論に達したとい
うこと。江戸末期にも男は脛毛をそるのが流行ったそうですから。
この流れに逆らおうとする人を見かけますが、完全に孤立していると思います。でも、本音
は確かに存在するので、皆少なからず鬱屈した生活を送っているでしょう。私自身も含めて。
これは自然淘汰の一環と考えています。汚れを極めれば、つまるところ何物も存在しえなく
なり、結果澄み切った空間が現出し、それに適応できれば生き残るのでしょう。それが幸福か
否かは別にして。
今の10代20代は手軽に整形してるもんな。
一昔前は整形に対して抵抗があったのに今の子は全く無いので気軽に整形する。
何年か前から、基本的に屋台の営業許可は取れなくなっています。
厚労省の判断で営業許可は取れません。
ただ縁日の屋台については縁日の主催者が縁日の間だけ屋台を出す為の申請をして、
その期間だけ屋台を出せます。
こういった行政の判断があるので、街から屋台は消えています。
パンツは前後裏表で4日行けます!(爆)
職人が素手で握った寿司無理だわ
見た目が堺屋太一に似てきたね。
社会の変化とともに人の感覚も変わってるってことですね。
スマホが普及してるのも周りの評価を気にする感覚に繋がってる感じしますね
自営していますが、値段をいくら取るの?と聞く人が多いです。いただくんですけどね!
キッチンカーは増えてます☝️
過剰な潔癖は、完全に人間を弱らせるだろうな。
特に幼少から過剰な清潔環境に居すぎると、一生その環境が
生きるのに必要になってしまう。
ますます、若い人が弱り、
逆に若い頃、ほどほどの衛生で慣れている老年世代の方が
免疫が強く元気だったりする。