信教の自由だから、個人が疑問に感じていながら、やみくもに信じつづけるのは、信仰でもなんでもない。妄信です。子供ややめたいのに、責める親もただの親のエゴイズム。ともにまかせられる教えに出逢うこと。それが人生。
創価学会は仏教とは言えないですよ。彼らの教学から明らかです。 ●釈迦はインドに二千年間だけの仏であり今日民衆の仏ではない。つまりインドの釈迦の経典に帰依する宗教は仏教の形はしているが、何の価値もない。我々は釈迦の仏教に縁のない民衆であることを知らねばならん。折伏経典101貢。 ●末法の時代の御本尊は釈迦ではない。日蓮上人以外絶対認められない。折伏経典104貢 ●今釈迦を用いている人はちょうど腐って毒の作用をする御飯を食べているようなもので、邪宗徒と言わざるを得ない。方便品寿量品精解37貢 等々からはっきり釈迦を馬鹿にしており日蓮上人こそが仏であるとしています。しかし日蓮上人は各宗の批判はしてますが、釈迦を批判したり仏説を邪教呼ばわりしたことはありません。それどころか佐渡で書かれた曼荼羅には天照大御神と八幡神の名もあり、日蓮上人の見識はもっと広いですね。日蓮の教えは佐渡で完成したものです。今日の創価学会の如く全く仏教を無視し自説以外は邪教呼ばわりする事など非仏教的な逸脱です。 また創価学会の教えは人間の幸福の追求で経を幸福製造機などと言ったり価値の創造がもっぱら主ですが、本来仏教とは悪人などを導いて救おうとする意味も同じく重要です。 彼らの勧誘のやり方、つまり折伏(しゃくぶく)は初対面者に向かって暴力的脅迫的な態度で最後は地獄に落ちるぞなんて言ってきます。しかし日蓮上人はそんな折伏の仕方を言った事はない。 日蓮上人は正しい事例として常不軽菩薩が修行してまわる話を上げています。その菩薩は人々に「あなた方を敬います。軽蔑するような事は致しません。何故ならあなた方はいずれ仏になられる方々です」と言って拝まれたという(開目抄)。さらに母親が赤子に乳を飲ますあの慈悲と同じだとも日蓮は言っています(諌暁八幡抄)。つまりそういう心で臨みなさいと諭しています。 さらに入信者に仏壇と位牌を焼けと言ってくる。その根拠は蒙古来襲時の鎌倉時代の日蓮上人の発言にあります。鎌倉幕府は国を守る為何をしたらよいか、平頼綱は日蓮に相談しました。すると日蓮は「寺を焼け、由比ガ浜で僧侶たちの首を切れ。そうしないと日本は救われない(撰時抄)」と回答しました。その発言は実に当時の時代背景(特に寺社や幕府の堕落)から読み解くものであり、例えで言ったのは明らかです。これって本当に日本人の発想でしょうか?日本人の文化的側面からもそう感じます。(参考:石川泰道、嘉戸大恵、塚本三郎らの図書)
三大宗教とか新興宗教とか全ての宗教に言えるけど、生まれた二世三世に強制的に入信させたり、自己を確立していく第二時成長期ぐらいに続けるかどうか確認したり、辞めたら嫌がらせとかしないで欲しい。 そういうのがないから宗教が嫌いな宗教3世です。
少し発想が単純じゃないですか?宗教よりも科学的検知では無いですか?空のコップに水を注ぐと同じ分子の水になり得る素粒子がコップの周りに付着することが輪廻転生の考えではないでしょうか?新興宗教は怪しいがお釈迦さんが説いた法から始まる世界は末法思想からの凡人では解けないですよ。創価だとか日蓮正宗とか置いておいて心筋梗塞等で苦しむ姿を目の当たりにすると俺も死が怖い
創価学会初代会長の牧口氏は、神宮大麻(神社)を拝む事の拒否と焼却を信者にさせ逮捕された。 牧口(1944年11月18日死亡)の命日から74年後の2018年11月18日に明治神宮で火災も起きてますし、いまだにやってんでしょうね。 ちなみに11月18日は創価学会創立記念日でもあります。
実家にいた時に うちのおふくろ一人だと思ってセールスやら宗教の勧誘やら色々くるんだよねえ。。この間なんかおばさん二人組で来るキリスト教系の多分エホバのなんちゃらみたいのが来たわけよ。。くどくど訳の分らん事言って来て”息子さんがいらっしゃるんですね。。。”とか言ってたから ”実はさあ俺が神なんだよ。。。あんたらもジーザス・クライストなんてペテン師の処じゃなく俺の教えを守れば天国に行けるぞ!! とりあえず毎月会費入れてくれれば幸せになれるから。。。。”とか言ってやったらものすごく嫌な顔して帰っていった。心の中でめっちゃガッツポーズだった。
仏教だろうとキリスト教だろうとイスラム教だろうと天理教だろうと創価学会だろうと、宗教と言うのは自分が苦しい時に救ってくれたかどうか。救って貰った人は恩義を感じて信仰するし、救ってくれたと子供が思っていないならそれまでの事。ただ、子育てはとても大変で体力的にも精神的にも凄く辛く、その時にその人の心を救ったから信仰する。二世三世で続いている人はそこを理解して、また自分の悩みをその仲間で助け合ったから続けて信仰をする。それだけ。だから、二世さんの現在が有るのはその宗教のお陰で親は頑張れてたからで、今の自分が有る事を理解しなければいけない。親からすれば、子供を育てる時に弱ってる自分を救ってくれた神様なのに、その子供がなんの恩義も感じて無いなら腹が立つのは当然。その上で自分は関係ないと思うなら、それはそれで仕方ない。
10年先でも親孝行は出来るから今はしなくてもいいと聞こえるけどこの人はすでに親孝行はしていますよ!そんな事にいろいろ考えを行き渡らせている事自体が何よりも親孝行ですよね。物や行動で親孝行されたらそりゃ嬉しいのは当たり前やけど心がこもったこの人が何を伝えたいのかもう少し考えてあげてもよかったと思います。
信教の自由だから、個人が疑問に感じていながら、やみくもに信じつづけるのは、信仰でもなんでもない。妄信です。子供ややめたいのに、責める親もただの親のエゴイズム。ともにまかせられる教えに出逢うこと。それが人生。
創価学会は仏教とは言えないですよ。彼らの教学から明らかです。
●釈迦はインドに二千年間だけの仏であり今日民衆の仏ではない。つまりインドの釈迦の経典に帰依する宗教は仏教の形はしているが、何の価値もない。我々は釈迦の仏教に縁のない民衆であることを知らねばならん。折伏経典101貢。
●末法の時代の御本尊は釈迦ではない。日蓮上人以外絶対認められない。折伏経典104貢
●今釈迦を用いている人はちょうど腐って毒の作用をする御飯を食べているようなもので、邪宗徒と言わざるを得ない。方便品寿量品精解37貢
等々からはっきり釈迦を馬鹿にしており日蓮上人こそが仏であるとしています。しかし日蓮上人は各宗の批判はしてますが、釈迦を批判したり仏説を邪教呼ばわりしたことはありません。それどころか佐渡で書かれた曼荼羅には天照大御神と八幡神の名もあり、日蓮上人の見識はもっと広いですね。日蓮の教えは佐渡で完成したものです。今日の創価学会の如く全く仏教を無視し自説以外は邪教呼ばわりする事など非仏教的な逸脱です。
また創価学会の教えは人間の幸福の追求で経を幸福製造機などと言ったり価値の創造がもっぱら主ですが、本来仏教とは悪人などを導いて救おうとする意味も同じく重要です。
彼らの勧誘のやり方、つまり折伏(しゃくぶく)は初対面者に向かって暴力的脅迫的な態度で最後は地獄に落ちるぞなんて言ってきます。しかし日蓮上人はそんな折伏の仕方を言った事はない。
日蓮上人は正しい事例として常不軽菩薩が修行してまわる話を上げています。その菩薩は人々に「あなた方を敬います。軽蔑するような事は致しません。何故ならあなた方はいずれ仏になられる方々です」と言って拝まれたという(開目抄)。さらに母親が赤子に乳を飲ますあの慈悲と同じだとも日蓮は言っています(諌暁八幡抄)。つまりそういう心で臨みなさいと諭しています。
さらに入信者に仏壇と位牌を焼けと言ってくる。その根拠は蒙古来襲時の鎌倉時代の日蓮上人の発言にあります。鎌倉幕府は国を守る為何をしたらよいか、平頼綱は日蓮に相談しました。すると日蓮は「寺を焼け、由比ガ浜で僧侶たちの首を切れ。そうしないと日本は救われない(撰時抄)」と回答しました。その発言は実に当時の時代背景(特に寺社や幕府の堕落)から読み解くものであり、例えで言ったのは明らかです。これって本当に日本人の発想でしょうか?日本人の文化的側面からもそう感じます。(参考:石川泰道、嘉戸大恵、塚本三郎らの図書)
本部に書面で退会通知を書留で送る。
他にも方法はありますよ
三大宗教とか新興宗教とか全ての宗教に言えるけど、生まれた二世三世に強制的に入信させたり、自己を確立していく第二時成長期ぐらいに続けるかどうか確認したり、辞めたら嫌がらせとかしないで欲しい。
そういうのがないから宗教が嫌いな宗教3世です。
前世も来世も
今の世となっては宗教もいらないと思うけれど、悪い奴、屑がとんでもなく多いので地獄だけはあってほしいな
宗教と人間は悪いところをみると悪く言う、創価学会に入った人は、先祖代々の宗教が嫌いだから入った方もいる。
少し発想が単純じゃないですか?
宗教よりも科学的検知では無いですか?空のコップに水を注ぐと
同じ分子の水になり得る素粒子がコップの周りに付着することが
輪廻転生の考えではないでしょうか?新興宗教は怪しいがお釈迦さんが説いた法から始まる世界は末法思想からの凡人では解けないですよ。創価だとか日蓮正宗とか
置いておいて
心筋梗塞等で苦しむ姿を目の当たりにすると俺も死が怖い
親御さん含め大人達が憲法20条、信教の自由を知らなさ過ぎるのでは・・・
創価学会初代会長の牧口氏は、神宮大麻(神社)を拝む事の拒否と焼却を信者にさせ逮捕された。
牧口(1944年11月18日死亡)の命日から74年後の2018年11月18日に明治神宮で火災も起きてますし、いまだにやってんでしょうね。
ちなみに11月18日は創価学会創立記念日でもあります。
どんな人も、生まれる前に人生の計画をして、親になる人も選んで生まれてくる❗世間でその組織が、どうこう言われてても、実際は違う事も多い‼️
その目でしっかり見て体験せよ‼️
親の問題ではなく、あなたの問題!
ただ単に価値が分からないだけ
信仰したくなく
辞めたければ、辞めればいいけど脱会すれば、二度と入会できないので、よく考えるように!
しかし、互いにいがみ合っていた大川隆法、浅井昭衛、池田大作が同じ年に黄泉に行くんだから数奇な偶然ってあるもんだよな。
まぁ、誰一人として極楽に行けてる気がしないが(笑)
実家にいた時に うちのおふくろ一人だと思ってセールスやら宗教の勧誘やら色々くるんだよねえ。。この間なんかおばさん二人組で来るキリスト教系の多分エホバのなんちゃらみたいのが来たわけよ。。くどくど訳の分らん事言って来て”息子さんがいらっしゃるんですね。。。”とか言ってたから ”実はさあ俺が神なんだよ。。。あんたらもジーザス・クライストなんてペテン師の処じゃなく俺の教えを守れば天国に行けるぞ!! とりあえず毎月会費入れてくれれば幸せになれるから。。。。”とか言ってやったらものすごく嫌な顔して帰っていった。心の中でめっちゃガッツポーズだった。
学会人二世です。
自分は特殊な部類なのかも知れません。
宗教は信じてますが、同じ様に入ってる人間は信じてません。
正直、自分だけ信じて自分なりに動けば良くないですかね?
岡田さんは宗教とは何かとによるけど哲学的なのは間違いないな。
俺はしつこい親の目の前で仏壇を担いで走り神田川へ放り投げて止めた!w
バチが当たるだのなんだの言われたが「そんな物なら初めから要らない!」と突っぱねたらもう何も言わなくなった。
このころの人生相談の方がキレがあるなぁ。今の人生相談は面白くないというか相談自体が面白くないんだけどね。
仏教だろうとキリスト教だろうとイスラム教だろうと天理教だろうと創価学会だろうと、宗教と言うのは自分が苦しい時に救ってくれたかどうか。
救って貰った人は恩義を感じて信仰するし、救ってくれたと子供が思っていないならそれまでの事。
ただ、子育てはとても大変で体力的にも精神的にも凄く辛く、その時にその人の心を救ったから信仰する。
二世三世で続いている人はそこを理解して、また自分の悩みをその仲間で助け合ったから続けて信仰をする。それだけ。
だから、二世さんの現在が有るのはその宗教のお陰で親は頑張れてたからで、今の自分が有る事を理解しなければいけない。親からすれば、子供を育てる時に弱ってる自分を救ってくれた神様なのに、その子供がなんの恩義も感じて無いなら腹が立つのは当然。その上で自分は関係ないと思うなら、それはそれで仕方ない。
前世についてはAmazonPrimeの「リンカネーション」の動画が面白いです。70億の人間の魂と数が合わないのは前世が別の生き物(微生物も可)だと説明がついてしまいますね。
岡田さんの話は、納得できるものが多く
かつ楽しいので、いつも楽しく聞かせてもらってますが、タイトルには違和感しかない。単なるつりのタイトルでしょうもない
脱会するとその身近な学会員が
『信心が足りないから脱会者が出た』と
他の学会員に糾弾されるから必死に引き留める
これが朝鮮人宗教の運営方針です
10年先でも親孝行は出来るから今はしなくてもいいと聞こえるけどこの人はすでに親孝行はしていますよ!そんな事にいろいろ考えを行き渡らせている事自体が何よりも親孝行ですよね。物や行動で親孝行されたらそりゃ嬉しいのは当たり前やけど心がこもったこの人が何を伝えたいのかもう少し考えてあげてもよかったと思います。
信心する人が可笑しいというより、可笑しい人が信心する事が多いんだろうな…