100万年後の人類も紙とペンと黒板で勉強しているのか?文字なんて所詮道具でしかないんだよ。コンピューターがなかった時代は目的の勉強をするために文字を書く必要があったが、より便利で早く文字を書くことができるようになった今練習すべきは、ペン字ではなくタイピングだろ。もう紙とペンで書くのは趣味の世界でしかないんだよ。チンカスババア
テクノロジーに頼ることが出来る部分は積極的に取り入れていくことも大切と思う一方で、何でも効率化重視で無駄と判断されて削られていくのが少し悲しい 将来、特別美しく綺麗な字ではなくても、「文字が書ける」こと自体が、絵が描けるくらいの芸術になっていってしまうんだろうか……
この回のひろゆきは、自分の理解できない価値観を徹底的に嘲って攻撃する素が出ていて特に嫌悪感を覚える反対に、阿刀田さんが感覚的な話題な分、言葉を考え、選びながら終始誠実に会話しているのが分かるからさらに際立っている阿刀田さんが仰りたいような、単なるツールとしての文字ではなくて、文字を書くことで文字と言語に向き合い、書きながら文字と日本語を自らの血肉にするという、いまだ非科学的且つ感覚的だが、日本語を操り、文化を作っていく上で極めて重要なことが、ひろゆきにとってはくだらないことだし、理解できないし、したくもないのなんだと思う。ブーバーの『我と汝』でも読んだ方が良いひろゆきの論はいつも通り表層的な利便論。彼は基本的に文系を馬鹿にしていて、よく口に出すが、多言語話者みたいにすごくて役に立つならいいけど、そのほかはどうでもいいような考え方。子どもの人格や将来の日本語と日本文化形成を子どもの無意識化で涵養することに考えが至っているのか甚だ疑問。教育学や国語の専門家でもないのに否定的に断言しているところをみるとやはり幼稚に見える。せめて自分の理解の出来ないことでも分かろうとしたり歩み寄ったりする姿勢を見たい
日本語は、手書きで覚えた方が間違えにくいと思うな‼️綺麗な字にしょうと努力もするし、綺麗じゃないといけないとは思わないがせめて読める程度の文字にはして欲しい。これも普段からの使用頻度で変わってくる。やはりたまには手で書くことを棄てるのは不味いと思う。
脳は読む、書く、認識する、を違うところでやってますよね。子供が書くをしないまま成長するとやはり書けない人になってしまうでしょう。外国人でも日本で生活は出来てるので生活は出来るでしょうが、、、まあ、日本の漢字の使い方って憶える事が多いですからね。
16:26「漢字というものは日本語の中核をなしている」漢字は日本語の中核ではないですよ。日本語は「やまとことば」が中核で、漢字はもともとは外来のものです。もちろん、この小説家の方が言いたいのは外来語としての文化ですが。
手書きの是非を問われているが、端末等が使用できない場合の手段を確保するのは必要と思う。大学時代に意図的に黒板に書いている先生(化学・物理)がいた。その理由は、計算式は打ち込むことが困難なため、手書きで計算する学生の書くスピードを考慮する必要があるからである。数学はどうしても手書きになる。 教科書は紙の方が良いと思う。数学と理科と地理の教科書を同時に開いて地学や地形の勉強をしたこともある。歴史と美術の教科書を同時に見たりと、画面の範囲に収める事が出来ない芸当も紙だから出来る。 ちなみに私は小学生時代の漢字テストのトラウマがあるため、漢字を書くことは大嫌いです。
手書きと知能の関連研究は出てるし、バックライトで表示される映像と反射光で見える映像だと認知方法が違うらしい だから、知能形成期の子供には手書きの方がいいんじゃないかと 便利とか実用性とかは学びとは別軸で考えた方がいい
ご視聴ありがとうございます。
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面白かったです。結論は様々ですので!
紙で書くことを神格化しすぎている人達が多い時代だからしょうがないけど、デジタルネイティブが大半になった時代にはこれらの意見はひっくり返るだろうね アナウンサー>紙の本をなくさないのは常識
ひろゆきは最初から最後まで噛み付くところを探すのが必死で顔に出ちゃってるね(笑)
まーその役目で呼ばれてるのはわかるんだけどね。
結論、2つ使いこなせたら最高
100万年後の人類も紙とペンと黒板で勉強しているのか?
文字なんて所詮道具でしかないんだよ。
コンピューターがなかった時代は目的の勉強をするために文字を書く必要があったが、
より便利で早く文字を書くことができるようになった今練習すべきは、ペン字ではなくタイピングだろ。
もう紙とペンで書くのは趣味の世界でしかないんだよ。チンカスババア
脳の発達が
阿刀田先生が貴重な話をしているのにも拘らず、ひろゆきが割って御託を並べるせいでグダグダだな。もっと阿刀田先生に敬意を持てよ。
人生は間違いなく短距離ではなくマラソンである。
筆記具で字を書くことは長期に渡って人間の内面を磨いていく。
川の流れのように…
テクノロジーに頼ることが出来る部分は積極的に取り入れていくことも大切と思う一方で、何でも効率化重視で無駄と判断されて削られていくのが少し悲しい
将来、特別美しく綺麗な字ではなくても、「文字が書ける」こと自体が、絵が描けるくらいの芸術になっていってしまうんだろうか……
司法試験の受験生はかなりイライラしてこの動画見てるだろうなw
ひろゆきの早口で阿刀田さんの言ってることをへし折るからイライラする
書くことが手先の運動神経とか使って脳の発達に関係ある
って研究があればやったほうがいいよね
現代では文字を書くより打つ方が多いのは確かだが書けなかったら書けないで馬鹿にされて恥かくよ。
クオリティー下がってないなら手書きは不要
この回のひろゆきは、自分の理解できない価値観を徹底的に嘲って攻撃する素が出ていて特に嫌悪感を覚える
反対に、阿刀田さんが感覚的な話題な分、言葉を考え、選びながら終始誠実に会話しているのが分かるからさらに際立っている
阿刀田さんが仰りたいような、単なるツールとしての文字ではなくて、文字を書くことで文字と言語に向き合い、書きながら文字と日本語を自らの血肉にするという、いまだ非科学的且つ感覚的だが、日本語を操り、文化を作っていく上で極めて重要なことが、ひろゆきにとってはくだらないことだし、理解できないし、したくもないのなんだと思う。ブーバーの『我と汝』でも読んだ方が良い
ひろゆきの論はいつも通り表層的な利便論。彼は基本的に文系を馬鹿にしていて、よく口に出すが、多言語話者みたいにすごくて役に立つならいいけど、そのほかはどうでもいいような考え方。子どもの人格や将来の日本語と日本文化形成を子どもの無意識化で涵養することに考えが至っているのか甚だ疑問。教育学や国語の専門家でもないのに否定的に断言しているところをみるとやはり幼稚に見える。せめて自分の理解の出来ないことでも分かろうとしたり歩み寄ったりする姿勢を見たい
この人たち ガチで言ってる?書かないと脳が衰えるぞ
お爺さん、そんな押し付けてるっていう感じの言い方はしてないと思うけどな。すごい謙虚に喋ってるのに…。
ひろゆきさんってこんな感情の起伏が激しい人だったけ?何か喋り方が異常に高圧的で恐く感じる。目も恐い。
教科書ってほんとに重いから全部デジタル化してあげて欲しいな〜って思うけど…色々問題もあるよね。
日本語は、手書きで覚えた方が間違えにくいと思うな‼️綺麗な字にしょうと努力もするし、綺麗じゃないといけないとは思わないがせめて読める程度の文字にはして欲しい。これも普段からの使用頻度で変わってくる。やはりたまには手で書くことを棄てるのは不味いと思う。
脳は読む、書く、認識する、を違うところでやってますよね。
子供が書くをしないまま成長するとやはり書けない人になってしまうでしょう。
外国人でも日本で生活は出来てるので生活は出来るでしょうが、、、
まあ、日本の漢字の使い方って憶える事が多いですからね。
必要なくなればなくなるだけ。
銀座はいまだに
爺さんの溜まり場w
16:26「漢字というものは日本語の中核をなしている」
漢字は日本語の中核ではないですよ。日本語は「やまとことば」が中核で、漢字はもともとは外来のものです。
もちろん、この小説家の方が言いたいのは外来語としての文化ですが。
爺をイジメるな~可愛そうだろ!
手書きの是非を問われているが、端末等が使用できない場合の手段を確保するのは必要と思う。
大学時代に意図的に黒板に書いている先生(化学・物理)がいた。その理由は、計算式は打ち込むことが困難なため、手書きで計算する学生の書くスピードを考慮する必要があるからである。数学はどうしても手書きになる。
教科書は紙の方が良いと思う。数学と理科と地理の教科書を同時に開いて地学や地形の勉強をしたこともある。歴史と美術の教科書を同時に見たりと、画面の範囲に収める事が出来ない芸当も紙だから出来る。
ちなみに私は小学生時代の漢字テストのトラウマがあるため、漢字を書くことは大嫌いです。
私たちは機械ではなく人間なので、自分の手で文字を書いたり何かを表したりすることは脳みそを育てる上でとても重要なことだと考えます。
この動画で、作家の人の話をすっ飛ばして視聴した。
番組としては、この作家の話を中心にしたいんだろうけど・・・
手書きと知能の関連研究は出てるし、バックライトで表示される映像と反射光で見える映像だと認知方法が違うらしい
だから、知能形成期の子供には手書きの方がいいんじゃないかと
便利とか実用性とかは学びとは別軸で考えた方がいい