日本的感性では過程を美しく捉える。例外的に死は結果だと言えるがそれも過程を伴う。ししおどしと噴水から分かるように日本は流動的かつ時間的であり、西洋は物質的かつ空間的。日本の本質はうつろいで西洋の本質は執着である。保存と固執と言ってもいい、或いはドーナツとペン。日本はドーナツであるから本質である芯を捉える。西洋はペンであるから本質を前提として完成される
つまり、範馬勇次郎と郭海王の戦いは、西洋人からすれば「郭海王は、絶対に負けなければならない」という事 ・・・なのでしょうか???(似た感じの理論:「テンカイチ」の、上泉伊勢守信綱は日野長光相手に負ける必然性がある ・・・と、西洋人は自然に考える、という事)また、「終末のワルキューレ」で、アノニマス(Anonymous, 英国貴族の振る舞いをする”ジャック・ザ・リッパーなどの複数の通称を持つ殺人鬼”)も、本来的にはヘラクレスに負けなければならない、との思考回路を西洋人は持ち続けるとか・・・ そういえば、「北斗の拳」のトキや「バキ」シリーズの渋川剛毅といったキャラ、あと「幽遊白書」の幻海が死々若丸相手に勝つときに使った霊光鏡反衝も、西洋人の思考回路には全く通じないのか・・・
おっさんがガンマニアで違法改造で刑務所に入る漫画があったなぁ。マニア同志の会話で目つきの悪い無精ひげの生えた幼女同士になって会話するシーンがあった。かなり変なシーンだけどマニアの会話はこうだよなぁ、って。そういえば花輪和一って海外で評価されてんのかな?
まず日本人は、欧米のほうが文化的、宗教的に優れているという嘘、錯覚から脱しないといけない。自然科学の発達と文化を混同してはいけない。自然科学は欧米でどんどん発達したが、それがイコール文化的に優れているからではない。ここを勘違いして、明治以来、欧米コンプレックスをこじらせ、改悪改悪、間違った欧米化欧米化を繰返し、敗戦から今の経済的悲惨に陥っている。昨今ではグローバル化にポリコレ、ジェンダーフリーなどなどが輸入されてきているが、これらは日本の漫画やアニメ文化を壊滅させるだろう。文化、民族、表現、言語において、日本はガラパゴスでいい。ガラパゴスじゃなきゃダメ。英語化やグローバル化や移民国家化すれば、日本は永遠に欧米やチャイナに勝てなくなるだろう。それはイコール植民地化であり、もう始まっている。今から是正していかなければいけない。既存の政党政治は「グローバル大政翼賛会」と化しており、日本を主語とした当たり前の、日本のための政党はない。
単純に児童文学と同じだって言ってやればいいと思う。外国にも沢山あるよ。子どもが悲劇に見舞われて、その難問に立ち向かう話。かつ、その結末は、メリバやバットエンド問わない。別に日本だけの文化じゃない。ただ昔からの文化も相まって、漫画に昇華され、色んな形で「子どもが難問に立ち向かう話」の発展系が沢山あるだけ。
ズルさでもあると思うけどな弱いものが強いものに勝てば良し、負けてももともと弱いんだから仕方ないよねって保険かけてるでもそれじゃお話にならないからだいたい報われる話が多いというのを逆手に取って絶望的な展開にするのがまどマギだったんじゃないかと
歴史的に振り返っても日本は小国でありながらも大陸からの支配の脅威や清とかロシアなど大陸との戦争に勝ってきた経緯があるから大きなものに勝つって事にロマンを感じる遺伝子が刻み込まれているんだと思う。反対に米国やスペインとかは自分達よりも文明的に弱い未開の部族が住む地域をどんどん武力や宗教で植民地支配して雪だるま式に勢力を大きくしていった過去があるし。
日本人は小さい子供が成長して大人になっていく姿やその過程を美しく見ているからだと思う あとはアメリカなどの巨大な国土と人口を持つ国に比べて、一つの島国とその列島に住んでる日本人は、やはり小さいものに目を向けている様に感じる。(ネガティブな意味ではなく) 総じてアメリカでは大きな変化を、日本では細かな変化を求めたり、感じたりしている気がする。
米国人ってほんと見た目で強さを評価するんだな。現実世界でも小さいモノの方が大きいモノに勝るって例は沢山あるのに。生き物の進化なんかはまさにソレじゃん。恐竜とか大きな生き物は確かに単体では単純な力は強いけど、環境の変化に弱かったり、繁殖能力が低すぎたり、ウィルスや菌などの微生物やシャチや人間などの群れを成す自分より小さな生物に負けているし。
岡田さんの考えに同意します。私は女性ですが、リラックマやキイロイトリ、ミッフィー、すみっコぐらしなどのキャラクターが大好きです。子供好きなんじゃなくて、自分の中にある子供のような部分が彼らと一体化しているという感じです。すみっコぐらしの映画を観て、泣きました。ロリコン文化は日本人男性だけじゃないかもしれないなと思います。
日本人は子供に神性を見る、欧米人は子供に動物性を見るというのがあるだから日本人は子供にお小遣い(お金)を渡しても当たり前、欧米人は子供にお小遣いを渡したりは基本しない日本人はロリコンなのは神に近づく道だという考え方が無意識下に存在しているからで、欧米人がロリコンに嫌悪するのは獣姦に近い感覚が無意識下に存在しているからまとめると、日本人(というか東洋人の基本なのか?)子供は神様の物で、大きくなるにつれ人間に近づき、近づくにつれ神性を失っていく欧米人にとっては、子供は動物であり、大きくなるにつれ人間になっていく、育っていくという考え方だ これは知性を獲得していく過程という言い方をすればもっと分かりやすいかも知れない日本人は、無知=無垢=善という考え方が根本にあり、欧米人は、無知=悪というのが前提なのだろう良く「クジラは頭が良いのだから食べてはいけない」という発想が欧米人から出るが、日本人からすれば「バカスカ牛肉を食ってる連中に言われたくないわ、馬鹿だから食ってよいという理屈は何事か?」となり、そこに罪悪感はなにのか?と憤慨した経験のある方が多いと思う酪農を批判するつもりはないし、人間では食えない草を、乳や肉と言う形で食料に出来る優れた技術だと理解している例えば良く俳優が「ミルクって優しい味だよね」とかテレビでやってると「こいつはサイコパスか?」と虫唾が走る牛乳と言うのは、乳牛が産まれると、まずアキレス筋を切り一生走れなく(逃げれなく)してから、何度も乳牛を妊娠させる、もちろんそこには恋とか愛とかは一切ない考えてみれば当たり前で、牛乳とは「乳牛が妊娠していないと出ない」ものだし、そこに考えが到達できない人間は多いと思うそこで何度も妊娠させられ、おもちゃのような機械で子供のための乳を一生搾取させられ、出なくなったらくず肉として処分だだから私は、俳優が「ミルクって優しい味だよね」とかテレビでやってる無知な人に対して無恥だと感じ虫唾が走るのだ私は欧米人が持つ無知は悪と言う考え方は、こういう俳優に対して使うべきだと思うのだが・・・しかしこういった根本にある考え方を理解すれば、この問題がなぜ起こり続けるか、罪の概念の差が何かのかが分かってくると思う
そりゃまあ、筋骨隆々のスーパーマンが元祖ヒーローな国だからな。
触れただけで折れそうな華奢な子どもが戦うおはなしなんて「?」だろう。
日本的感性では過程を美しく捉える。例外的に死は結果だと言えるがそれも過程を伴う。
ししおどしと噴水から分かるように日本は流動的かつ時間的であり、西洋は物質的かつ空間的。日本の本質はうつろいで西洋の本質は執着である。保存と固執と言ってもいい、或いはドーナツとペン。
日本はドーナツであるから本質である芯を捉える。西洋はペンであるから本質を前提として完成される
自分の意見を仮の体から発信してるのはその通りだが、皮を被るもう一つ大きな理由がある。
汚いおっさん描いて何が楽しいんだよ、描くなら可愛い子がええ、ってのが男の絵描きの総意や
浅い部分では変身願望とか、そういうのもあるかもしれないね。
つまり、範馬勇次郎と郭海王の戦いは、西洋人からすれば「郭海王は、絶対に負けなければならない」という事 ・・・なのでしょうか???
(似た感じの理論:「テンカイチ」の、上泉伊勢守信綱は日野長光相手に負ける必然性がある ・・・と、西洋人は自然に考える、という事)
また、「終末のワルキューレ」で、アノニマス(Anonymous, 英国貴族の振る舞いをする”ジャック・ザ・リッパーなどの複数の通称を持つ殺人鬼”)も、本来的にはヘラクレスに負けなければならない、との思考回路を西洋人は持ち続けるとか・・・
そういえば、「北斗の拳」のトキや「バキ」シリーズの渋川剛毅といったキャラ、あと「幽遊白書」の幻海が死々若丸相手に勝つときに使った霊光鏡反衝も、西洋人の思考回路には全く通じないのか・・・
逆に考えると、イケメン高身長のBLも、女子のイノセントな思いの発露であると…言えるのかなあ。日本人の特殊性は、趣味やこだわりの世界における現実と空想の境界線が非常に曖昧な所にあると思う
おっさんがガンマニアで違法改造で刑務所に入る漫画があったなぁ。
マニア同志の会話で目つきの悪い無精ひげの生えた幼女同士になって会話するシーンがあった。かなり変なシーンだけどマニアの会話はこうだよなぁ、って。
そういえば花輪和一って海外で評価されてんのかな?
水星の魔女が海外人気がイマイチなのも
こういう部分が反映してるのかもしれないね
まず日本人は、欧米のほうが文化的、宗教的に優れているという嘘、錯覚から脱しないといけない。自然科学の発達と文化を混同してはいけない。自然科学は欧米でどんどん発達したが、それがイコール文化的に優れているからではない。
ここを勘違いして、明治以来、欧米コンプレックスをこじらせ、改悪改悪、間違った欧米化欧米化を繰返し、敗戦から今の経済的悲惨に陥っている。昨今ではグローバル化にポリコレ、ジェンダーフリーなどなどが輸入されてきているが、これらは日本の漫画やアニメ文化を壊滅させるだろう。文化、民族、表現、言語において、日本はガラパゴスでいい。ガラパゴスじゃなきゃダメ。
英語化やグローバル化や移民国家化すれば、日本は永遠に欧米やチャイナに勝てなくなるだろう。それはイコール植民地化であり、もう始まっている。今から是正していかなければいけない。
既存の政党政治は「グローバル大政翼賛会」と化しており、日本を主語とした当たり前の、日本のための政党はない。
逆かも。西洋では、大人でも子供のようにムキになるし、不条理に堂々と文句を言う。『大人だから』という制限がないので、わざわざ子供の視点を通す必要がない。
でもさ、「ショタコン」の語源となったとされる「金田正太郎」と「鉄人28号」は日本発祥だけど、「ロリコン」の語源となった「ロリータ」はロシア発祥なんだが。
単純に児童文学と同じだって言ってやればいいと思う。外国にも沢山あるよ。子どもが悲劇に見舞われて、その難問に立ち向かう話。かつ、その結末は、メリバやバットエンド問わない。
別に日本だけの文化じゃない。
ただ昔からの文化も相まって、漫画に昇華され、色んな形で「子どもが難問に立ち向かう話」の発展系が沢山あるだけ。
ズルさでもあると思うけどな
弱いものが強いものに勝てば良し、負けてももともと弱いんだから仕方ないよねって保険かけてる
でもそれじゃお話にならないからだいたい報われる話が多い
というのを逆手に取って絶望的な展開にするのがまどマギだったんじゃないかと
大人が自分のインナーチャイルドが冒険するのを見て癒されてるんですかね?
歴史的に振り返っても日本は小国でありながらも大陸からの支配の脅威や清とかロシアなど大陸との戦争に勝ってきた経緯があるから大きなものに勝つって事にロマンを感じる遺伝子が刻み込まれているんだと思う。
反対に米国やスペインとかは自分達よりも文明的に弱い未開の部族が住む地域をどんどん武力や宗教で植民地支配して雪だるま式に勢力を大きくしていった過去があるし。
日本人は小さい子供が成長して大人になっていく姿やその過程を美しく見ているからだと思う
あとはアメリカなどの巨大な国土と人口を持つ国に比べて、一つの島国とその列島に住んでる日本人は、やはり小さいものに目を向けている様に感じる。(ネガティブな意味ではなく)
総じてアメリカでは大きな変化を、日本では細かな変化を求めたり、感じたりしている気がする。
米国人ってほんと見た目で強さを評価するんだな。現実世界でも小さいモノの方が大きいモノに勝るって例は沢山あるのに。
生き物の進化なんかはまさにソレじゃん。恐竜とか大きな生き物は確かに単体では単純な力は強いけど、環境の変化に弱かったり、繁殖能力が低すぎたり、ウィルスや菌などの微生物やシャチや人間などの群れを成す自分より小さな生物に負けているし。
単に小さいキャラが勝つだけではなく、キャラの背景があって何かに対して勝ったときこそが面白いと思う。
日本はかわいさ、強さという側面を持っているから生まれるんだなぁって
そういや日本の国技の相撲に階級制が無いのはおかしいと言った外国人を思い出した。
ソップ型の力士がアンコ型の力士と同じ土俵で戦うのは不公平に見えたらしい。
これ、岡田氏キレキレの意見
その通りだと思う
まあ、僕は僕のままでありたいしそれ以外の見た目なんて価値ないけどね
両方の視点で理解することが大事。ロリショタ文化は異常だと言われればそうだと思います。もちろんそんなに薄い解釈で語れないとしても、その指摘自体は間違いとは思えないし、ブレーキをかける部分はあるべきです。
本質論は関係なく虚淵のストーリーは人間に対してネガティブすぎて好みじゃないなーまどかも最後は神になっちゃったし
メイドインアビスは根がポジティブだからか好みだけど
岡田さんの考えに同意します。私は女性ですが、リラックマやキイロイトリ、ミッフィー、すみっコぐらしなどのキャラクターが大好きです。子供好きなんじゃなくて、自分の中にある子供のような部分が彼らと一体化しているという感じです。すみっコぐらしの映画を観て、泣きました。ロリコン文化は日本人男性だけじゃないかもしれないなと思います。
日本人は子供に神性を見る、欧米人は子供に動物性を見るというのがある
だから日本人は子供にお小遣い(お金)を渡しても当たり前、欧米人は子供にお小遣いを渡したりは基本しない
日本人はロリコンなのは神に近づく道だという考え方が無意識下に存在しているからで、欧米人がロリコンに嫌悪するのは
獣姦に近い感覚が無意識下に存在しているから
まとめると、日本人(というか東洋人の基本なのか?)子供は神様の物で、大きくなるにつれ人間に近づき、近づくにつれ神性を失っていく
欧米人にとっては、子供は動物であり、大きくなるにつれ人間になっていく、育っていくという考え方だ
これは知性を獲得していく過程という言い方をすればもっと分かりやすいかも知れない
日本人は、無知=無垢=善という考え方が根本にあり、欧米人は、無知=悪というのが前提なのだろう
良く「クジラは頭が良いのだから食べてはいけない」という発想が欧米人から出るが、日本人からすれば「バカスカ牛肉を食ってる連中に言われたくないわ、
馬鹿だから食ってよいという理屈は何事か?」となり、そこに罪悪感はなにのか?と憤慨した経験のある方が多いと思う
酪農を批判するつもりはないし、人間では食えない草を、乳や肉と言う形で食料に出来る優れた技術だと理解している
例えば良く俳優が「ミルクって優しい味だよね」とかテレビでやってると「こいつはサイコパスか?」と虫唾が走る
牛乳と言うのは、乳牛が産まれると、まずアキレス筋を切り一生走れなく(逃げれなく)してから、何度も乳牛を妊娠させる、もちろんそこには恋とか愛とかは一切ない
考えてみれば当たり前で、牛乳とは「乳牛が妊娠していないと出ない」ものだし、そこに考えが到達できない人間は多いと思う
そこで何度も妊娠させられ、おもちゃのような機械で子供のための乳を一生搾取させられ、出なくなったらくず肉として処分だ
だから私は、俳優が「ミルクって優しい味だよね」とかテレビでやってる無知な人に対して無恥だと感じ虫唾が走るのだ
私は欧米人が持つ無知は悪と言う考え方は、こういう俳優に対して使うべきだと思うのだが・・・
しかしこういった根本にある考え方を理解すれば、この問題がなぜ起こり続けるか、罪の概念の差が何かのかが分かってくると思う
海外の多くは卑怯なやり方でも勝った者が正義で正々堂々と勝負しても負けたら意味がないって思考
戦いにも精神性を求める日本人には理解しにくい
痩せ蛙、負けるな一茶、ここにあり
弱い対象が頑張る姿に、人は感銘を受けるのでは?