耳をすませばと紅の豚はジブリで一番好き、同着一位。紅の豚って作者の青春時代の思想なんだ驚単純に漢のかっこよさだと思っていたのに学生運動がらみだなんて笑過激すぎて世間や他人を傷付けるなんてことは論外だけど当時の考え方だから批判は出来ないな 歴史もこれからもなるようにしかならない しかし90年代に戻って恋愛したい笑
彼が映画作りの際によくいう「希望」ですが、彼は一貫して、高畑監督と違って「主人公が、あるいは物語の筋として、物語上で勝ったとしても負けたとしても、それでも諦めない、それでも曲げないという結論に至る」という筋にしています。高畑的な「何がだめになっても何かは残ってるもんさ」的な俯瞰的で自虐気味な達観ではなく、「何がだめになっても意思は残さなくちゃだめなんだよ」という、少年漫画のような青臭い部分があり、それが彼の頑迷なまでの信念なんだと思います。この信念が、どんなに難しい思想や変革する価値観にさらされても、一貫して持ち続けた彼のピュアさであり、アニメという媒体にこだわって子供に伝え続ける「毅さ」だと思います。 この歌詞はもちろん、優れた詩が皆そうであるように、複数の意味、暗喩をこめているのは間違い無いと思います。 耳すま版はカントリーロードの意味を対比にしていて、原曲の歌詞は、成熟した主人公が結末を迎えた物語ですが、耳すま版は、若い主人公が始動する物語を歌っていて、キレイに対比になっています。(原曲の歌詞が象徴的で精緻な表現になっていることに対して、耳すま版の歌詞がシンプルで拙いのも、こんなにもはっきりと意図的にした事だったんですね、感服しました・・・・) しかし、耳すま版の歌詞は確かにそれだけでは終わりません。デンバーの歌詞は、夢の追求の果に夢の価値を見出して、故郷に凱旋する物語です。(例え、夢に破れたり、あるいは、夢の価値の低さを思い知ったという意味の凱旋だとしても) いっぽう宮崎駿の歌詞は、意図的に悲壮感を加えていて、歌詞の人物が、「これから努力しようとしてる」というよりは、「すでに努力をし続けて傷つき続けている」人物である描写があります。実は、夢に向かう青年の歌のようにしていながら、夢に倒れ岐路に立たされたおっさんの歌詞にも見せています。宮崎さんの歌詞は「結末を迎えてなお、また向かおうとする意思」の物語にも見えるようになっています。 岡田さんの解釈は正しく、宮崎さんのこの歌詞は「挑戦者、あるいは敗者への讃歌」になっています。高畑作品の「挑戦者、あるいは敗者への鎮魂歌」と明らかに意図的に対照にしていますw 最近の日本人はもはや讃歌に鎮魂されているのではないかと思いつつも、それでもまだ、宮崎アニメのほうを視聴者が選ぶ限り人の世は明るいのだ、と信じたいです
宮崎駿さんの子供さんが女の子なら同じ道を行ったと思います。アニメ史も今と違った歴史を刻んでいたでしょうねオリビア・ニュートン・ジョンは地上波で見たミュージカル映画が楽しかった最近スポンサーの利益になる映画ばかり放映して偏る内容だけど遠くない昔はもっといろいろな映画が毎週TVで見られましたそれを思うと今のTVは楽しくないですね
原曲も故郷の素晴らしさを語ってるけど、語るって事は「帰れない」からですよね、だから帰れる人は帰ろうよって言う歌。語らないでさっさと帰ってしまえば歌にする必要ないわけで。(笑)こっちの方は故郷いいけれど帰らないで頑張るって意味になってるけどどっちも同じ歌に聞こえますよね。
ボクは、英語の歌を日本語に訳して曲はそのままで歌っている、歌は大嫌いなんです。聞きたくないんです。音節の関係で、日本語で歌うと、元々、外国語(まぁ、英語だけど)で歌っていた、メロディアスな感じがぶち壊しに成っちゃうんですよ。日本語版がヒットしたビューティフルサンデー。「すば すば すば」とか「だ だ だ」とかわけわかんない歌詞が出てくる。その部分で、メロディーを中華包丁でぶった切ってる感じがするんですよ。で「耳をすませば」なのに「耳を塞いじゃう」んですよ。損してるんでしょうねぇ・・・
『ナウシカ』エコロジックなアニメ版から、衝撃ラストの漫画版への舵切りの心境変化を表す作品が、『ぽんぽこ』『耳をすませば』。なるほどそこから、エコロジックに見えて意外と距離を置いている、『ものけ姫』へとつながるのですね。
どうりで、子供の頃に音楽の教科書で歌った歌詞と違うと思ってました。
「帰りたい、帰れない、さよなら、カントリーロード」の訳のニュアンスを知れて良かったです。
子供時代には見ることができたい世界観に帰りたいと思うことがあるけどもなかなか帰れないですよね
原曲の「カントリーロード」もウエストバージニアには行ったことも見たこともない想像で作られていたりするからなあ、あの歌の憧れの場所は存在してないので行けなかったりする。
これって逆にもののけ姫のアシタカに通じますが
子供の頃に聞くなら日本語歌詞で、大人になってから聞くならJohn Denverのカントリーロード聞けばいいのか
耳をすませばと紅の豚はジブリで一番好き、同着一位。
紅の豚って作者の青春時代の思想なんだ驚
単純に漢のかっこよさだと思っていたのに学生運動がらみだなんて笑
過激すぎて世間や他人を傷付けるなんてことは論外だけど当時の考え方だから批判は出来ないな 歴史もこれからもなるようにしかならない
しかし90年代に戻って恋愛したい笑
凄い目から鱗です。
カントリーロードが暗い歌詞のイメージなのは日本だけというのには驚きました。
耳をすませばを見てからアメリカに引越ししたから最初にcountry road 聞いた時、映画の歌がWalmartに流れてるって親に言ったこと思い出した。
それまで映画製作に関わってこなかった鈴木敏夫の娘さんが作詞者なのに?
音楽の教科書にはジブリの方のカントリーロードが載ってたな。
要は理想と現実 以上ー
私はオリビアとか知らないので、カントリーロードはしずくの翻訳しか知らなかったです。
耳をすませばをコミック原作で読んでいたので
映画化された当時からストーリー展開もカントリーロードの和訳も妙な違和感を感じていました。今回の岡田さんの解説で腑に落ちた気がします。
最近の中学生は(小学校で外国語教育が始まったくらいの年代からは)耳をすませば よりも 英語の原曲の方が知名度があります。だから若年層だけは世界と統一認識を持っているはずです。
オリビア・ニュートン・ジョンさんが、
2022年8月8日乳がんにてお亡くなりになりました。
73歳でした。
合唱・・・
彼が映画作りの際によくいう「希望」ですが、彼は一貫して、高畑監督と違って
「主人公が、あるいは物語の筋として、物語上で勝ったとしても負けたとしても、それでも諦めない、それでも曲げないという結論に至る」
という筋にしています。
高畑的な「何がだめになっても何かは残ってるもんさ」的な俯瞰的で自虐気味な達観ではなく、「何がだめになっても意思は残さなくちゃだめなんだよ」という、少年漫画のような青臭い部分があり、それが彼の頑迷なまでの信念なんだと思います。
この信念が、どんなに難しい思想や変革する価値観にさらされても、一貫して持ち続けた彼のピュアさであり、アニメという媒体にこだわって子供に伝え続ける「毅さ」だと思います。
この歌詞はもちろん、優れた詩が皆そうであるように、複数の意味、暗喩をこめているのは間違い無いと思います。
耳すま版はカントリーロードの意味を対比にしていて、
原曲の歌詞は、成熟した主人公が結末を迎えた物語ですが、
耳すま版は、若い主人公が始動する物語を歌っていて、キレイに対比になっています。
(原曲の歌詞が象徴的で精緻な表現になっていることに対して、耳すま版の歌詞がシンプルで拙いのも、こんなにもはっきりと意図的にした事だったんですね、感服しました・・・・)
しかし、耳すま版の歌詞は確かにそれだけでは終わりません。
デンバーの歌詞は、夢の追求の果に夢の価値を見出して、故郷に凱旋する物語です。(例え、夢に破れたり、あるいは、夢の価値の低さを思い知ったという意味の凱旋だとしても)
いっぽう宮崎駿の歌詞は、意図的に悲壮感を加えていて、歌詞の人物が、「これから努力しようとしてる」というよりは、「すでに努力をし続けて傷つき続けている」人物である描写があります。実は、夢に向かう青年の歌のようにしていながら、夢に倒れ岐路に立たされたおっさんの歌詞にも見せています。
宮崎さんの歌詞は「結末を迎えてなお、また向かおうとする意思」の物語にも見えるようになっています。
岡田さんの解釈は正しく、宮崎さんのこの歌詞は「挑戦者、あるいは敗者への讃歌」になっています。高畑作品の「挑戦者、あるいは敗者への鎮魂歌」と明らかに意図的に対照にしていますw
最近の日本人はもはや讃歌に鎮魂されているのではないかと思いつつも、
それでもまだ、宮崎アニメのほうを視聴者が選ぶ限り人の世は明るいのだ、と信じたいです
ナウシカの終わりを悲観的に考える奴多過ぎ、清浄な世界になったらその世界に適応した種が出てくるだけだろ
コンクリ〜ロード
オリビアニュートンジョン、亡くなりましたね。。ご冥福を。
宮崎駿さんの子供さんが女の子なら同じ道を行ったと思います。アニメ史も今と違った歴史を刻んでいたでしょうね
オリビア・ニュートン・ジョンは地上波で見たミュージカル映画が楽しかった
最近スポンサーの利益になる映画ばかり
放映して偏る内容だけど遠くない昔はもっといろいろな映画が毎週TVで見られましたそれを思うと今のTVは楽しくないですね
原曲も故郷の素晴らしさを語ってるけど、語るって事は「帰れない」からですよね、だから帰れる人は帰ろうよって言う歌。語らないでさっさと帰ってしまえば歌にする必要ないわけで。(笑)こっちの方は故郷いいけれど帰らないで頑張るって意味になってるけどどっちも同じ歌に聞こえますよね。
オリビア・ニュートン・ジョン往生のニュースが届きました。
奇跡的なタイミングの動画です。
今コロナで活動が出来ないクラッシックとかの演奏家がポコチャや17で配信してて
カントリーロードは実際ジブリとして演奏している
正常な世界→清浄な世界
つまり、宮崎駿の意図とは逆の解釈して、二次創作しても構わないって事ですね。本人が他人にやってる事だもの。
オリビアニュートンジョンさん、
たくさんの歌ありがとうございました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
合掌
ボクは、英語の歌を日本語に訳して曲はそのままで歌っている、歌は大嫌いなんです。聞きたくないんです。
音節の関係で、日本語で歌うと、元々、外国語(まぁ、英語だけど)で歌っていた、メロディアスな感じがぶち壊しに成っちゃうんですよ。
日本語版がヒットしたビューティフルサンデー。「すば すば すば」とか「だ だ だ」とかわけわかんない歌詞が出てくる。
その部分で、メロディーを中華包丁でぶった切ってる感じがするんですよ。
で「耳をすませば」なのに「耳を塞いじゃう」んですよ。
損してるんでしょうねぇ・・・
訳詞のニュアンスは「カントリー・ロード」よりもむしろその数年前にヒットした「サン・ホセへの道」に近いのかなとふと思いました。
「サン・ホセへの道」の主人公は夢破れて強がりながら故郷に帰っちゃいますが….
先程オリビアニュートンジョンが亡くなりました。
宮崎駿の映画って・・・考えてみると少女多いね。 視聴年齢層を意識してなのかな?
『ナウシカ』エコロジックなアニメ版から、衝撃ラストの漫画版への舵切りの心境変化を表す作品が、『ぽんぽこ』『耳をすませば』。
なるほどそこから、エコロジックに見えて意外と距離を置いている、『ものけ姫』へとつながるのですね。
オリビア版に比べてあまりにも違うし
歌が下手すぎて映画自体見てないです