インターネットは得られる情報は多いけど、そこには思考が伴わないものって認識。方や本は、得られる情報はピンポイントなことが多いけども、情緒や思考がたくさん働くって感じ。インターネットベースだけど時折本も読みたくなる。注意力散漫な人には雑誌とかいいのかもしれない。ネットと本の中間だと思ってる。一番好き。
辞書の方が成績上がるはマジで嘘。ピンポンイトで理解した方が時間の節約なるし調べるのに時間かかる=理解するために時間がかかることに等しいし素直に自分を納得させるためにネットを利用すべき。長期的に見ると色々寄り道してた方が知識の幹は太くなるだろうけど
もう他界した父が同じことを言ってたのを思い出しました。辞書は引いたときに、目的の言葉だけを見ているのではなく、その周りにある言葉も自然に目が行く。そして、自分の想定した以外の気付きや知恵もつくもの。だから辞書はたくさん引くと良いと。私もネットはよく使うけどもやはり紙の本のほうが目が疲れないし、好きなページをパラパラできるのが魅力です。
一番精錬されてる情報は大学の教科書や専門書。論文だとどうしても質の低い論文が入ってくるけど、専門書レベルになると、色んな人が論文の正しさを認めててきっちり確からしさが検証されてるから、相当情報か精錬されてる。その次が中学高校の教科書参考書だと思う。上記の理論でいけば、むしろ中学高校の教科書や参考書の方が、理論や事実の確からしさは非常に高いけど、ある程度情報が絞られてるからね。ただ、学ぶべき最大公約数的な情報が得られるから、なかなか難しい本が読めなくて劣等感抱く人は、まずは高校の勉強のやり直しするといいよ。自分は大学受験で5教科7科目やったんだけど、読める本のレベルが一気にあがるよ。一度高校レベルまで習得すると、大学の教養レベルの本も読めるし、そこまでいくともうネットでの情報の検索の仕方や立ち読みによる本の選びかたに差が出る上に、難しい本も読めるようになるから。
それからネットはテレビの代わりにもならない5年ほどテレビなし生活を送っていて、スマホで済ませていたけど、芸人とかテレビとか誰が流行っているのか全くわからなかったし、職場のテレビで衆院解散を当日に知ったし、世の中の動きがわからなかった興味あるものしか見てないことを実感した
複雑な論理になると端的にまとめられないのと、まとめた時に削ぎ落とされるものが文章量の多い本の方が少ないから、ひとつの論理であっても多少は多面的だよね。AはBであると言った時に、本当にAとBがイコールならそもそもAって概念が成立した後にBなんて出現しない。ネットはわりとAはBである、なぜならXだから、QED、で終わっちゃうけど、本はそれだと短すぎて出版できないから付帯情報とか異説とかニュアンスの違いとかそれぞれの成立過程とか、そういう余分な情報が付いてきて理解に加えて検証もしてたりする。本は必ずしも価値あるものかは疑問だけど、古典とかそういうものには古びない普遍性と読むだけの価値があることが多いから、長い文章が導く複雑な論理性に対して確かにジム的な要素もあるけど、それは何かを解釈する時に自分が使う関数の複雑さにも寄与すると思う。AはBだと認識するときに、等号しかないのと、様々な変数や要素を持ってきて最終的にAはBであると結論づけるのは結果として同じでもAダッシュやスモールaのインプットに対しては異なる結果が出てくる可能性もあって、そういう複雑さが読書によって養われていくのだと思う。結論は何だと言ってネット的な端的な明快さで答えを言わせるのは簡単だけれども、そこで終わってしまう情報と、なぜそう結論付けたかの検証範囲と深さに応えられる読書とでは質的に差が出るの仕方がない。もちろん論理的に間違っている本はクズだけれども。
情報を得るという目的で考えるとネットと変わらないのかもしれないけど、本を読むと文章力や論理的思考力、理解力は確実に上がるんだろうなと思う。買ったことに満足して読まなくなるタイプだから、私もカフェ行こうっと
社会人になって本に書いてある事と、実際の人間関係は違うのだと思いしり、本を読むのを止めました。他人とゼロから向き合って蓄え直した知識と経験は、学生の頃に読んだ本とは結論が違っていたけど、自分の人生を使って書き上げた結論に概ね満足している。
本を、よく読んでる人のコメにはその人の文章能力の高さが如実に現れているので知的に感じます。美しい文章で書かれたコメには人柄が滲み出ているので心が震えたり鳥肌が立ったりしています。そして自分から声を掛けずにはいられない衝動に駆られます。
本当だ、まだ10コメくらいしかないんやけど、本読むより動画派or脳溶けてるかもしれないって言ってる人は大体アカウント名が「●●したらチャンネルを登録」みたいなもんやってるわジムより楽して痩せる方法ないかな~って言う人と楽して承認欲求を満たすっていう人は一緒なのかもしれないよな
読書は情報摂取だけでなく体験か
インターネットは得られる情報は多いけど、そこには思考が伴わないものって認識。
方や本は、得られる情報はピンポイントなことが多いけども、情緒や思考がたくさん働くって感じ。
インターネットベースだけど時折本も読みたくなる。
注意力散漫な人には雑誌とかいいのかもしれない。
ネットと本の中間だと思ってる。一番好き。
本も新聞も広報も読むが
それは読みたいから読むだけのこと
トレーニングではしたくないなあ
ネットは情報を取捨選択できるが、本は読んでみないとわからない。だから読む。今不要な知識でも人生の糧となる日が来るだろうから。
最終的にマーシャルマクルーハンに戻ってくるんだと感じてしまいます。
ファーストクラスのお客様は本をたくさん持ち込んでるって話を聞いたことがありますね…
電子書籍にして
あと、電子書籍が高いの何とかして
ネットは1次情報や信頼できる2次情報探すのにコツがいるけど、そもそも本はそれ自体が1次情報だったり編集者がいて品質が担保されてたりする違いはありそう
ネットで理論文を発信する側になりさえすればそう脳が委縮することはないような気がします。
辞書の方が成績上がるはマジで嘘。ピンポンイトで理解した方が時間の節約なるし調べるのに時間かかる=理解するために時間がかかることに等しいし素直に自分を納得させるためにネットを利用すべき。長期的に見ると色々寄り道してた方が知識の幹は太くなるだろうけど
もう他界した父が同じことを言ってたのを思い出しました。
辞書は引いたときに、目的の言葉だけを見ているのではなく、その周りにある言葉も自然に目が行く。そして、自分の想定した以外の気付きや知恵もつくもの。だから辞書はたくさん引くと良いと。
私もネットはよく使うけどもやはり紙の本のほうが目が疲れないし、好きなページをパラパラできるのが魅力です。
一番精錬されてる情報は大学の教科書や専門書。論文だとどうしても質の低い論文が入ってくるけど、専門書レベルになると、色んな人が論文の正しさを認めててきっちり確からしさが検証されてるから、相当情報か精錬されてる。
その次が中学高校の教科書参考書だと思う。上記の理論でいけば、むしろ中学高校の教科書や参考書の方が、理論や事実の確からしさは非常に高いけど、ある程度情報が絞られてるからね。
ただ、学ぶべき最大公約数的な情報が得られるから、なかなか難しい本が読めなくて劣等感抱く人は、まずは高校の勉強のやり直しするといいよ。自分は大学受験で5教科7科目やったんだけど、読める本のレベルが一気にあがるよ。一度高校レベルまで習得すると、大学の教養レベルの本も読めるし、そこまでいくともうネットでの情報の検索の仕方や立ち読みによる本の選びかたに差が出る上に、難しい本も読めるようになるから。
金儲けしたい人達にしたら
本じゃタイムリーじゃない
って感じになっちゃうのかな
それからネットはテレビの代わりにもならない
5年ほどテレビなし生活を送っていて、スマホで済ませていたけど、芸人とかテレビとか誰が流行っているのか全くわからなかったし、職場のテレビで衆院解散を当日に知ったし、世の中の動きがわからなかった
興味あるものしか見てないことを実感した
啓発本とかスピリチュアル系のフワフワしてる系は星レビュー極端で多いのはタイトル詐欺で信者と真面な人で分かれてる場合が多いので前提として岡田さんの目に留まるレベルの本限定だと思う^^;
_人人人人人人人人_
> 同人誌でも良いですか? <
 ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
でも全く頭に入ってこないんよね
岡田さんの好きなところは、この動画の内容だったり浅い映画を好まないと言っているところです。私も少しは深い人になりたいです
複雑な論理になると端的にまとめられないのと、まとめた時に削ぎ落とされるものが文章量の多い本の方が少ないから、ひとつの論理であっても多少は多面的だよね。AはBであると言った時に、本当にAとBがイコールならそもそもAって概念が成立した後にBなんて出現しない。ネットはわりとAはBである、なぜならXだから、QED、で終わっちゃうけど、本はそれだと短すぎて出版できないから付帯情報とか異説とかニュアンスの違いとかそれぞれの成立過程とか、そういう余分な情報が付いてきて理解に加えて検証もしてたりする。本は必ずしも価値あるものかは疑問だけど、古典とかそういうものには古びない普遍性と読むだけの価値があることが多いから、長い文章が導く複雑な論理性に対して確かにジム的な要素もあるけど、それは何かを解釈する時に自分が使う関数の複雑さにも寄与すると思う。AはBだと認識するときに、等号しかないのと、様々な変数や要素を持ってきて最終的にAはBであると結論づけるのは結果として同じでもAダッシュやスモールaのインプットに対しては異なる結果が出てくる可能性もあって、そういう複雑さが読書によって養われていくのだと思う。結論は何だと言ってネット的な端的な明快さで答えを言わせるのは簡単だけれども、そこで終わってしまう情報と、なぜそう結論付けたかの検証範囲と深さに応えられる読書とでは質的に差が出るの仕方がない。もちろん論理的に間違っている本はクズだけれども。
好きなミュージシャンが影響受けた「裸のランチ」って本読んだけどある意味価値観が変わった。
本はネットと違ってアフィブログみたいなノイズが少ないから
探す際にストレスが無くて良い
ほとんどの人は読書しないからコツコツ続ければ差がつく
本とは違うけどサウンドノベルとか好きでしたね。かまいたちの夜とか。
キャラクター全員シルエットで声も無いけど、床が軋むSEとか状況をより盛り上げるBGMとか、文章もそうだけど想像力を刺激された。
今年に入ってから、毎日入浴時に15分ほど読書してますが、結構おすすめです。
今のところ2か月で4冊読めてます。
個人的に最近はオーディブルブックに頼りがちですが、やはり紙で読むのもいいですね。
ネットの情報はどうしても濃くなってしまいますからね。
あまりにも多くの情報が集まるため、より注目してもらうためにはどうしてもインパクトが強い情報にせざるを得ない。
情報を得るという目的で考えるとネットと変わらないのかもしれないけど、本を読むと文章力や論理的思考力、理解力は確実に上がるんだろうなと思う。買ったことに満足して読まなくなるタイプだから、私もカフェ行こうっと
某読書系サイトで、私には読めなさそうな難しげな小説に感銘をうけた方々の感想を読んでいると、何だか人生損をしている気になったりしてたなぁ。
社会人になって本に書いてある事と、実際の人間関係は違うのだと思いしり、本を読むのを止めました。
他人とゼロから向き合って蓄え直した知識と経験は、学生の頃に読んだ本とは結論が違っていたけど、自分の人生を使って書き上げた結論に概ね満足している。
読書の醍醐味とは、己の想うが儘に、声無き声を心に響かせ、姿無き姿を心に描き観る事が可能である事だと考察します。
ネットって時間喰い虫だ
カフェいいですね
本を、よく読んでる人のコメには
その人の文章能力の高さが如実に現れているので知的に感じます。
美しい文章で書かれたコメには人柄が滲み出ているので
心が震えたり鳥肌が立ったりしています。
そして自分から声を掛けずにはいられない衝動に駆られます。
ラノベ選ぶ時アニメが少しでも面白いと思ったら原作はほぼあたりだと思ってます。
読書ってめっちゃ楽しいんだけど、疲れるタイプの楽しさだからなぁ
本当だ、まだ10コメくらいしかないんやけど、本読むより動画派or脳溶けてるかもしれないって言ってる人は大体アカウント名が「●●したらチャンネルを登録」みたいなもんやってるわ
ジムより楽して痩せる方法ないかな~って言う人と楽して承認欲求を満たすっていう人は一緒なのかもしれないよな
毎日毎日、NHK衛星ワールドニュースで、世界各国のニュースを見るおかげで、脳が熱くなります。
今日は、ウクライナの学校がロシアに空爆され、子供数十人が殺害されました。
こう言われてもなかなか出来ないのが人間なんだよなw
軽く得た物は軽く扱う
真理ですね