自分はゲイだけどキモいとかヘイトスピーチを直接されない事と、パートナーと一緒に生きていくに当たっていつか同性婚かそれに準ずる制度さえ整備されればそれ以上はどうでも良いかな。理解をしてくれとか歩み寄って欲しいとか特別扱いしろとかはまず無いな。そもそも自分だって女性に興味無いんだから女性が好きな男性の気持ち理解しろなんて言われても無理だもんw想像力逞しい作家じゃ無いんだから。
ひろゆきが言うように賛同できないから僕はしないこれも多様性だと思うだからといってマイノリティに攻撃や差別はしたらいけないよって話だよね賛同できないものに差別や攻撃する人が一定数居るからマイノリティの人はデモ活動をするんじゃないかな
自分も常々ひろゆきさんと同じことを思っていました。LGBTの方の自分中心的な考えや要求には疑問を感じていました。トイレがどうこうとか銭湯がどうこうとか、アンタはよくても一緒になる人は嫌だろ…と思います。要は他人への配慮がなく自分中心なだけ。「職場で〜君と呼ばれることで鬱になりそうだった」「男性トイレに入ることが嫌で仕方なかった」とか、もういちいち面倒くさいし、こんなのが同じ職場にいて人権や差別が…とか言ってきたら仕事の邪魔だしうっとうしいだけ。大人である以上、いろんなことで妥協しなければならないことはたくさんあるし、ひろゆきさんの言う通りいろんなとらえ方や考えがあるのもまた多様性。LGBTに対して自分は全く抵抗は感じないし、むしろ応援したいくらいだが、その中で、自分中心な人に対しては嫌悪感を感じます。
おっしゃる通りだと思う。変な主張する人達は自分しか見えてない。LGPTQが居る ではなく LGPTQも居る と考えるのが良いかと。自分以外に色んな人も居るって理解が進んでるから二丁目とか人気なんだとおもう。
LGBTもそうやし、男女平等とかも本来は違いを無くすんじゃなくて違いを認めるってことが本来の目的やと思うわ。女性専用車無くせとか女性にも力仕事させろとかって、それはちゃいますやんって思う。筋力は差があるけど頭脳なら差はないねとか母乳は出んけど子育てのこの部分は出来るねとか認識していくことが大事なのであって、同性内でも個人差あるものを全部平等にする必要は感じない。
こっちもひっそり生きていくから理解されなくていいけどせめて存在ぐらいは許してほしいパートナーシップ制度だったり、法的に異性愛者と同等の権利を保障してほしいというセクシャルマイノリティ当事者一個人の気持ちです
多様性を認めないことは多様性ではない。例えば民主主義国家における共産主義への対応しかり、犯罪者に対する刑罰しかり、「寛容な人々に害をなす不寛容な人々には不寛容を与えるべき」という矛盾したルールの上に世界は成り立っている。つまり世界が寛容であるためには不寛容であることを制限しなければならない。“多様性”はすでに寛容側に位置づけられているから、それを認めないという不寛容は認められない。
理解する事は必要だけど頭から否定するヤツはイヤだな…
受け入れないのも自由だけど、そういう人を攻撃するのはいけないと思うのです。
あーほんとにその通り、と思います。
多様性難しいっす!!
自分はゲイだけどキモいとかヘイトスピーチを直接されない事と、パートナーと一緒に生きていくに当たっていつか同性婚かそれに準ずる制度さえ整備されればそれ以上はどうでも良いかな。理解をしてくれとか歩み寄って欲しいとか特別扱いしろとかはまず無いな。そもそも自分だって女性に興味無いんだから女性が好きな男性の気持ち理解しろなんて言われても無理だもんw想像力逞しい作家じゃ無いんだから。
その通りですね、わかりやすいですね^_^
BBCの記事で、性転換手術してないトランスジェンダー(体は男)で性指向はレズの人に、
生まれつきの女性でレズの人が性行為を強要された体験談が載ってましたけど
ああいう押付けはダメですね。
ひろゆきが言うように賛同できないから僕はしないこれも多様性だと思う
だからといってマイノリティに攻撃や差別はしたらいけないよって話だよね
賛同できないものに差別や攻撃する人が一定数居るからマイノリティの人はデモ活動をするんじゃないかな
同調圧力で成長してきた日本にとって、
多様性が浸透していくのはまだまだ時間かかってしまうよなーと思った。
自分も常々ひろゆきさんと同じことを思っていました。LGBTの方の自分中心的な考えや要求には疑問を感じていました。トイレがどうこうとか銭湯がどうこうとか、アンタはよくても一緒になる人は嫌だろ…と思います。要は他人への配慮がなく自分中心なだけ。「職場で〜君と呼ばれることで鬱になりそうだった」「男性トイレに入ることが嫌で仕方なかった」とか、もういちいち面倒くさいし、こんなのが同じ職場にいて人権や差別が…とか言ってきたら仕事の邪魔だしうっとうしいだけ。大人である以上、いろんなことで妥協しなければならないことはたくさんあるし、ひろゆきさんの言う通りいろんなとらえ方や考えがあるのもまた多様性。
LGBTに対して自分は全く抵抗は感じないし、むしろ応援したいくらいだが、その中で、自分中心な人に対しては嫌悪感を感じます。
給食だけ食べに来る人学生の時いたな
そういう事だったんだね
おっしゃる通りだと思う。変な主張する人達は自分しか見えてない。
LGPTQが居る ではなく LGPTQも居る と考えるのが良いかと。
自分以外に色んな人も居るって理解が進んでるから二丁目とか人気なんだとおもう。
差別主義者をみとめてほしいな
兎にも角にも某観相学の先生と対談していただきたい、、、。
トイレの男女のマークの形とか色を変えたりすることについてどう思うか誰かスパチャで質問してくれ
LGBTもそうやし、男女平等とかも本来は違いを無くすんじゃなくて違いを認めるってことが本来の目的やと思うわ。
女性専用車無くせとか女性にも力仕事させろとかって、それはちゃいますやんって思う。
筋力は差があるけど頭脳なら差はないねとか母乳は出んけど子育てのこの部分は出来るねとか認識していくことが大事なのであって、同性内でも個人差あるものを全部平等にする必要は感じない。
こっちもひっそり生きていくから理解されなくていいけどせめて存在ぐらいは許してほしい
パートナーシップ制度だったり、法的に異性愛者と同等の権利を保障してほしい
というセクシャルマイノリティ当事者一個人の気持ちです
ひろゆきがこんなに簡単に説明してるのに、多様性がー!の人達は理解できないんだろうな
多様性というかそのコミュニティに属するためのルールってだけなんで思想は自由なのが当たり前、行動は制限可否の範疇の問題
自分がどこに属するかは自由だが、そこで受け入れられるかは別問題
多様性とかいうただの我儘
人の勝手
終了〜
可愛かったら男でもイケるわって言ったらドン引きされた。異常って言われたけど可愛かったらイケるよな。
多様性を認めないことは多様性ではない。例えば民主主義国家における共産主義への対応しかり、犯罪者に対する刑罰しかり、「寛容な人々に害をなす不寛容な人々には不寛容を与えるべき」という矛盾したルールの上に世界は成り立っている。つまり世界が寛容であるためには不寛容であることを制限しなければならない。“多様性”はすでに寛容側に位置づけられているから、それを認めないという不寛容は認められない。
同性愛の人は別に同性愛で生きていけば良い
でもその同性愛をキモいなぁ~って思うのも自由なんだよね
まぁ普通の大人はキモいキモいなんていちいち言わないけどね
本当これですね!
私は多様性を受け入れます→わかる
だからあなたたちもそうしなさい→は?
イスラム教徒受け入れない
せや!好きにすりゃ良いだけの話。
多様性を認める訴えをする人は
"多様性を認めない人"の"多様性"も認めないといけないという矛盾
切り抜きのスピードはやっ!
少数派って多数派を駆逐したいように感じる。
性的マイノリティーから豚肉の話になりお弁当に行き着く いつも話が飛ぶ ひろゆきさんは面白い
この人本当にいろんな視点を持ってるなぁ。
同年代なんだが、自分はここまでの柔軟性は持ってない。
わたしもかってにすれば良いと思います。社会も色々と法律を変えてまで認めようとしていますが、その後幸せになったのかが気になります。
多様性を認めることが多様性ならば
多様性を認めないことも多様性なのか、、、
まあ要するに頭ごなしに否定せずに、ある程度理解を持つことが大切なのね。
自称多様性認めろ派の人達は自分で負担することが何よりも嫌いだから他人に負担させやすいようにまずは価値観の押し付けから始める。