この動画は2013年12月に配信されたものです 【元動画はこちら】↓ https://www.youtube.com/watch?v=_91_Sbe7Zd8 【おすすめの … source Favorite0
ゆとり教育って本来は「もうキャッチアップは通用しません。独創性が必要です」という産業経済環境の変化と「護送船団方式も年功序列も終身雇用も崩壊します。生きていくには兵隊アリではなく自力で活路を拓く能力が必要になります」という労働環境変化があってむしろ言ってることと逆のことしようとしてた教育施策なはずだったんだけどな。少なくとも臨教審・中教審の段階では。
今の若者は・・・ゆとりは・・・こんな感じの言葉は古代ローマから言われ続けてきたので、つまりは老害の価値観に合わないものを否定しているだけであって非常に視野の狭い言葉である。そして自分の価値観に合わない故の主観的な非難を非難と思わせず、いかに簡単に自分を正当化しいかに簡単に相手を非難するかを突き詰めたかの様な、非常に都合のいい言葉。
波風を立てない、敵を作らないようにする能力が高いって事なのかな?まあ、それが悪い方向に行くとコメント欄でよく見られる便乗叩きに発展するんだけどね。1人に対して複数人で袋叩きにしてるのを見ると本当に悲しくなる。
恩師がユング派で河合隼雄先生の弟子だったので弁解を。受験戦争で荒れた若者のために「心のゆとり」を意識していたのですが、どうにも教育界に目的が十分にうまく溶かし込められなかった。誤解され、ゆとりが「悪」「失敗」だとされた。けれど、若い世代の価値観が変わったという結果は、今後ますます顕著になるでしょうね。
ゆとり教育と言うか、総合的な学習の時間のために学芸会が無くなったのは寂しかったし辛くなった。学芸会の歌や劇はクラス単位で鑑賞されるだけだけど、総合的な学習の時間は発表する時は1人で発表しなきゃいけないし評価もされる。個性が重要視され始めてネタが他の人と被らないかヒヤヒヤしたし、どんなテーマが評価する側から見て真面目か不真面目かの塩梅が判断できない。苦慮して捻り出したものにケチを付けられ、考え出して表現する意欲をバキバキに折られました。 自分がネットに発信しなくても見聞きした誰かが簡単に億単位の人々の目に晒す事が出来る。それだけの数がいればとんでもない行動を起こす人もいるだろうし、危険な目、面倒臭い目にあわないためにも目立つ言動は避けた方が良い。では無難な言動とはどんなものか、と億単位の人々の言動を観察して……途方もない時間と労力と精神力を費やすことになる。自我をさらけ出す事はとんでもなく準備と覚悟が必要な時代だと思う。かと言ってお互いの事をおおよそ知ってる人々に八分にされるのと、顔も数も知らない人々に人格を否定され続けるのと、どちらがマシだろうかと比較もできる訳もなく。どの時代にもそれぞれ辛さがあって、麻痺して他人をも傷つけるか、思い遣って自分も傷つくか……。答えを出せない思考に落ちて、また時間を使ってそれを無駄と取るか、尊いものと取るかでまた悩む。
自我がない自我が溶けてる これすごいわかるこの内容当時学生だった人が研修で集まってグループディスカッションして決めるみたいなことをしたとき、誰も話し出さないか顔色見ながら探り探り話し出すんよね。 20人くらいいたのだが、主体的に動いた人って2~3人くらいだったわ。 これだけの期間経っても通じる話を出来るってのは、すごい人だな。
優秀な人間はよく間違うので言い訳や人のせいが上手になります岡田さんの仕事はじぶんが作り出した被害者の誹謗中傷と偏見つくりですよね?大変優秀です(はなまる大学教育が現実生徒の生活設計の場になって働かなくても勉強しなくてもよくなってきたそれを象徴するのが小保方晴子でしょ。僕誉められたことないんですよ。だから表彰されたいんですSTAP細胞は絶対にあります普通の国だったらこれで自民党政権潰れてるよ
頭の良い人は等価交換みたいな話が大好きだけど等価交換の思想は事実にも則していないし、当然ながら真実も示していない、何も得ることなく失うだけの事もあるし、何も失うことなく得ることもある頭の良い人と悪い人の違いは何かを失った変わりに何かを得た(得よう)とする発想とその実践にある要は頭の良い人は無駄にしない頭の悪い人は無駄にするのであるそして頭の良い人が語る気持ちの良い話にのせられてはいけない、それらはほとんどの場合、信者集めのための嘘だから
SNSに適応し過ぎて自分が無くなってる かあ 確かに腑に落ちる炎上っていうのも自己保身で「叩かれる側から叩く側に行っとけば自分を守れる」っていう感覚で善悪の判断というかもう思考抜きで叩く側に人が集まって拡大してその結果誰かを自殺にまで追い込んで反省もしない「集団による殺人炎上」が容易に起きているのかも
心のゆとりがない親がガラスのハートを持つ子供達を生み出して今のゆとり世代の子達は経験不足で自信なく自己肯定感に乏しい。それがパニック障害や色んなメンタルの病もたらしてるんですよね。今の日本の芸能界はタレントに体を張って仕事させすぎてキャパオーバーから体調やメンタル崩させてしまってること大人社会はきずかないといけませんね。
今の話しているみたい昭和時代よりも察する力落ちているように見えるんだけど、自我がないっていうのか。昔から人のいう事に「そうだ」としか言わない人はずっといるんだけど、足りない情報から推測して、自分なりの結論を出さない人が増えた。それで議論しないのか、できないのかわからんけど フランスの例のように、世界中のだいたいの人ってすっごい議論するんよ。フランス人は息継ぎ無しでしゃべり続けて、耐え切れなくなって息継ぎした瞬間にもう一人がしゃべって間を開けないらしい。ロシアも『罪と罰』の登場人物誰が好きか、どう思うかってすごい議論するらしくて。それで結論出ないってのはこの動画で知った。 5ちゃんでも、議論していると言って「こう思います」「そう思うんですね、私はこう思います」「そうなんですね」と言い合うだけで、結論出ないので、議論じゃなくて雑談なんですね。せっかく覚えた専門知識っぽい難しい用語を使いたいから、難しい言葉で雑談しているだけなんですよね。私は、過去にそういう議論しているっポイ場所に参加したことがあって、結論とか、意味ある結果にしたくていろいろ質問して、アクションにつながりそうな結論に持っていきたかった。それでちゃんと内容が通じるようになってほしくて、結論を求めて聞いたんですね。しばらくしたらそのサイト、終わってしまいました。「●●について真剣に議論する」って言ってるんですけど、議論でも何でもなくて、雑談しているだけなのが分かりました。別の場所では意味が通ってほしくて整理しようと質問すると、非難を受けました。 自我がない人が増えたんでしょうね。そういえば科学って全部仮説ですよね。哲学なんて問題が解決すると考えることなくなるんで、常に問題を作るそうですよ。議論に見える会話して、何してるんでしょうね
自分の気持ちを言語化してくれてるコメントをついつい探してしまうのは、すげー共感できました。 しかも、自分でそう思ってても、自分で言葉にするわけじゃないんですよね。常に、自分の気持ちの代弁者を探してるイメージ。 で、これの問題は、代弁者探しを繰り返しているうちに、気持ちっていうのが周りの影響からしか生まれなくなっちゃうことかな、と思ってます。 代弁者探しを繰り返す中で、代弁者が自分の気持ちをいってくれているのか、代弁者の気持ちに自分が共感しているだけなのか、分からなくなくなってしまいます。 だからこそ、「自分の気持ちってなんだろう…?」と、悩む若者が増えたのかと思います。 インターネットの影響が拡大した現代では、インターネットの恩恵をどれだけ受け取るかでなく、逆にどれだけ受け取らず、自分や現実にフォーカスできるかが大切になってくると思いました。 面白い動画、ありがとうございました
Twitterは数ヶ月使ってみて、相互のコミュニケーションを取る場としてはかなり向いてないな…と思った。匿名性はより高くとも、まだ掲示板の特定のスレの方が想定通りのコミュニケーションが図れる可能性が高い。匿名性を排したコミュニケーションとしては実際今でもLINE1強だね。
ゆとりじゃなきゃ「無意味な残業を無くそう」なんて怠惰的で不真面目なこと言わない
ゆとり教育って本来は
「もうキャッチアップは通用しません。独創性が必要です」という産業経済環境の変化と
「護送船団方式も年功序列も終身雇用も崩壊します。生きていくには兵隊アリではなく自力で活路を拓く能力が必要になります」という労働環境変化があって
むしろ言ってることと逆のことしようとしてた教育施策なはずだったんだけどな。
少なくとも臨教審・中教審の段階では。
自我が溶ける。そして8年後、気化した。
2013年!先見性が凄すぎ
11:33 それって、能力上がったとは言えないのでは・・・?
サブカルチャーめっちゃ楽しめる世代やった。女遊び弱いイメージ
まさに人間賛歌であるッ!
失敗だね感性弱い子多くて思いやりも無い
今の若者は・・・
ゆとりは・・・
こんな感じの言葉は古代ローマから言われ続けてきたので、つまりは老害の価値観に合わないものを否定しているだけであって非常に視野の狭い言葉である。そして自分の価値観に合わない故の主観的な非難を非難と思わせず、いかに簡単に自分を正当化しいかに簡単に相手を非難するかを突き詰めたかの様な、非常に都合のいい言葉。
言ってることは正しいけど、LINEの普及とゆとり世代がたまたま被っただけで、教育方針による差ではないとおもいますよ
波風を立てない、敵を作らないようにする能力が高いって事なのかな?
まあ、それが悪い方向に行くと
コメント欄でよく見られる便乗叩きに発展するんだけどね。
1人に対して複数人で袋叩きにしてるのを見ると本当に悲しくなる。
人それぞれだろ
恩師がユング派で河合隼雄先生の弟子だったので弁解を。
受験戦争で荒れた若者のために「心のゆとり」を意識していたのですが、どうにも教育界に目的が十分にうまく溶かし込められなかった。
誤解され、ゆとりが「悪」「失敗」だとされた。けれど、若い世代の価値観が変わったという結果は、今後ますます顕著になるでしょうね。
俺はこいつに12分裂いた
英語使わないほうが良いってコメントに即座に「悪い悪い,言い方変えよう」って返せるのすごい語彙力というか,聞き手側に徹して喋ってる
ゆとり世代ですが、私を含め先輩の言うことを聞く人は本当に少ないです。
ゆとり教育と言うか、総合的な学習の時間のために学芸会が無くなったのは寂しかったし辛くなった。
学芸会の歌や劇はクラス単位で鑑賞されるだけだけど、総合的な学習の時間は発表する時は1人で発表しなきゃいけないし評価もされる。
個性が重要視され始めてネタが他の人と被らないかヒヤヒヤしたし、どんなテーマが評価する側から見て真面目か不真面目かの塩梅が判断できない。
苦慮して捻り出したものにケチを付けられ、考え出して表現する意欲をバキバキに折られました。
自分がネットに発信しなくても見聞きした誰かが簡単に億単位の人々の目に晒す事が出来る。
それだけの数がいればとんでもない行動を起こす人もいるだろうし、危険な目、面倒臭い目にあわないためにも目立つ言動は避けた方が良い。
では無難な言動とはどんなものか、と億単位の人々の言動を観察して……途方もない時間と労力と精神力を費やすことになる。
自我をさらけ出す事はとんでもなく準備と覚悟が必要な時代だと思う。
かと言ってお互いの事をおおよそ知ってる人々に八分にされるのと、顔も数も知らない人々に人格を否定され続けるのと、どちらがマシだろうかと比較もできる訳もなく。
どの時代にもそれぞれ辛さがあって、麻痺して他人をも傷つけるか、思い遣って自分も傷つくか……。
答えを出せない思考に落ちて、また時間を使ってそれを無駄と取るか、尊いものと取るかでまた悩む。
今の20〜25歳は両方の良いところ兼ね備えてるから結構無敵。
誰が勝手に失敗と決めつけるのだろうと思う。
自我がない
自我が溶けてる
これすごいわかる
この内容当時学生だった人が研修で集まってグループディスカッションして決めるみたいなことをしたとき、誰も話し出さないか顔色見ながら探り探り話し出すんよね。
20人くらいいたのだが、主体的に動いた人って2~3人くらいだったわ。
これだけの期間経っても通じる話を出来るってのは、すごい人だな。
大谷世代もゆとり世代に関わるんだよね。
視野を広げる。
かな。
ゆとり教育の動画の冒頭で時間の話をするの、議論の結論を出すこと以外にも繋がってる部分があると思う
土曜授業だったり、馬鹿みたいに時間をかければ学力が上がるなんて旧時代的な発想はまずやめるべき
優秀な人間はよく間違うので言い訳や人のせいが上手になります
岡田さんの仕事はじぶんが作り出した被害者の誹謗中傷と偏見つくりですよね?
大変優秀です(はなまる
大学教育が現実生徒の生活設計の場になって
働かなくても勉強しなくてもよくなってきた
それを象徴するのが小保方晴子でしょ。
僕誉められたことないんですよ。だから表彰されたいんです
STAP細胞は絶対にあります
普通の国だったらこれで自民党政権潰れてるよ
土木施工管理技士って資格ができたのは、一級建築が難しくてだれも受からないからだって聞いたな
これ無料で見れるってマジィ!?
頭の良い人は等価交換みたいな話が大好きだけど
等価交換の思想は事実にも則していないし、当然ながら真実も示していない、
何も得ることなく失うだけの事もあるし、何も失うことなく得ることもある
頭の良い人と悪い人の違いは何かを失った変わりに何かを得た(得よう)とする発想とその実践にある
要は頭の良い人は無駄にしない
頭の悪い人は無駄にするのである
そして頭の良い人が語る気持ちの良い話にのせられてはいけない、それらはほとんどの場合、信者集めのための嘘だから
すごい。せめてコメントする(自分の意見を文章で出力する)事をしようと思った
ゆとり推進ながらも学歴重視する社会の矛盾とは如何に
自分軸があるのとないとで幸福さの二極化あると思う。
スビリチュアルしよ(雑)
リアルタイムのコメを読みながらと、処理能力がすごいな
漠然と、人間が持ってるスキルポイントは個人や年齢に関係なく一定で能力の総量は変わらないって持論を持ってたから、岡田さんが答え合わせしてくれたようで嬉しい
「ですよね~」が口癖のやつがいて、「なんだろ、こいつ」と思っていたけど、そういうことか!
社会が回ってんだからゆとりでも良いだろ。
創造力ある人が増えたのも皆んな頭悪くなったお陰だし。
面白すぎるー!!
日本版Tedにして上位互換だな。
巧みにプレゼンをしながらコメントも読みながら会話する。岡田斗司夫さんぱないっす
ゆとり教育はわからんけど、SNSが我々に与える影響はあるだろうね
2040年の映像って言われても違和感ない
岡田さん、コメントで「英語を使うな」と言われとっさに 日本語に切り替えて言い直して対応してしまうところに、頭の良さと回転の速さの凄さを感じる。
話し合いとかした時に誰も何も言わないの気持ち悪すぎて耐えられん
SNSに適応し過ぎて自分が無くなってる かあ 確かに腑に落ちる
炎上っていうのも自己保身で「叩かれる側から叩く側に行っとけば自分を守れる」っていう感覚で
善悪の判断というかもう思考抜きで叩く側に人が集まって拡大してその結果
誰かを自殺にまで追い込んで反省もしない「集団による殺人炎上」が容易に起きているのかも
でもゆとりは仕事で使えない。悲しいけどそれが現実なのね。
twitterよりニコ動の方が終わるの早かったね
FBに残った若者層がインスタに移って中高年が「真にFBに残った人」になってる感覚がある
心のゆとりがない親がガラスのハートを持つ子供達を生み出して今のゆとり世代の子達は経験不足で自信なく自己肯定感に乏しい。それがパニック障害や色んなメンタルの病もたらしてるんですよね。今の日本の芸能界はタレントに体を張って仕事させすぎてキャパオーバーから体調やメンタル崩させてしまってること大人社会はきずかないといけませんね。
今の話しているみたい
昭和時代よりも察する力落ちているように見えるんだけど、自我がないっていうのか。
昔から人のいう事に「そうだ」としか言わない人はずっといるんだけど、足りない情報から推測して、自分なりの結論を出さない人が増えた。
それで議論しないのか、できないのかわからんけど
フランスの例のように、世界中のだいたいの人ってすっごい議論するんよ。フランス人は息継ぎ無しでしゃべり続けて、
耐え切れなくなって息継ぎした瞬間にもう一人がしゃべって間を開けないらしい。
ロシアも『罪と罰』の登場人物誰が好きか、どう思うかってすごい議論するらしくて。
それで結論出ないってのはこの動画で知った。
5ちゃんでも、議論していると言って「こう思います」「そう思うんですね、私はこう思います」「そうなんですね」と
言い合うだけで、結論出ないので、議論じゃなくて雑談なんですね。
せっかく覚えた専門知識っぽい難しい用語を使いたいから、難しい言葉で雑談しているだけなんですよね。
私は、過去にそういう議論しているっポイ場所に参加したことがあって、結論とか、
意味ある結果にしたくていろいろ質問して、アクションにつながりそうな結論に持っていきたかった。
それでちゃんと内容が通じるようになってほしくて、結論を求めて聞いたんですね。
しばらくしたらそのサイト、終わってしまいました。
「●●について真剣に議論する」って言ってるんですけど、議論でも何でもなくて、雑談しているだけなのが分かりました。
別の場所では意味が通ってほしくて整理しようと質問すると、非難を受けました。
自我がない人が増えたんでしょうね。そういえば科学って全部仮説ですよね。哲学なんて問題が解決すると
考えることなくなるんで、常に問題を作るそうですよ。
議論に見える会話して、何してるんでしょうね
自分の気持ちを言語化してくれてるコメントをついつい探してしまうのは、すげー共感できました。
しかも、自分でそう思ってても、自分で言葉にするわけじゃないんですよね。常に、自分の気持ちの代弁者を探してるイメージ。
で、これの問題は、代弁者探しを繰り返しているうちに、気持ちっていうのが周りの影響からしか生まれなくなっちゃうことかな、と思ってます。
代弁者探しを繰り返す中で、代弁者が自分の気持ちをいってくれているのか、代弁者の気持ちに自分が共感しているだけなのか、分からなくなくなってしまいます。
だからこそ、「自分の気持ちってなんだろう…?」と、悩む若者が増えたのかと思います。
インターネットの影響が拡大した現代では、インターネットの恩恵をどれだけ受け取るかでなく、逆にどれだけ受け取らず、自分や現実にフォーカスできるかが大切になってくると思いました。
面白い動画、ありがとうございました
人の時間の使い方を考えると……本が売れるには、ゲーム・スマートホン・ケータイが強敵
Twitterは数ヶ月使ってみて、相互のコミュニケーションを取る場としてはかなり向いてないな…と思った。
匿名性はより高くとも、まだ掲示板の特定のスレの方が想定通りのコミュニケーションが図れる可能性が高い。
匿名性を排したコミュニケーションとしては実際今でもLINE1強だね。