白黒思考、0か100か極端から極端な人が最近、目立つ場所に取り上げられるようになってますね、国策なんでしょうけど。本来人生は、その白と黒の間のグレーゾーンを暗中模索、諸行無常してくのが人間な訳で苦しみがすべてのめんどーくさい世界なわけですよ。そこから逃れたいなら、悟りを開くしかない。出家して徹底的に考えて、気づいて行かないといけない。そこを放棄して極端から極端に右に左に白黒思考で世の中を渡れるような単純な、電車の運行のようなオートマティックなルーティン人生を望む系の人たちは、優生思想とか全体主義とかに行き着いたりするので注意が必要です。ますます人身事故が増えて行きます。
結婚という社会的に男女のペアである事を認めてもらって、権利と義務を背負うという常識的な判断をした人が、自分を非常識人ぶって、披露宴も通常の結婚式も、親族のみの結婚式もどうしてもやりたくないし、他人が常識的である事にうんざりしているという思考なのが興味深いです。一笑に付しておられますがぜひ解説して欲しいです。
敬語だけでなく、マナーや礼儀などテンプレだけどある程度自動化された行動様式は、群れの中で生きるには効果的だし楽です。極限状態に陥ったグルーブで最初に仲間に食われるのは、無能者ではなく下品な礼儀知らずだと聞いたことがあります。
昭和世代ですが歳上にさん付け、上司なら歳に関わらずさん付け、後輩には君付け、呼び捨ては止めました。プライベートの友人、知り合いの場合は古い付き合いの相手は呼び捨て、最近知り合った人は全てに方をさん付けにしました。なんとなくそうした方が良いと個人的に思ったからです。
秘密に関しての取り扱いに目を向けてもらいたいです欧米の隠し事をしない文化と、アジアの秘密に寛容な文化の共存、それが日本だと思います相容れない人が互いにストレスを抱え合う…?いや、秘密に寛容であって欲しいほうが大きくストレスを持つ事が常です
自分は40年以上前に中学生だったのだけど試験の点数を言い合う感じは全くなかったな。点が良ければ思わずニヤけ、悪ければ無言で唇を噛み、出来を知られない様に無表情を装う。仲間の和よりも自分の成績。人生に学歴は重要で試験の点数の出来は遠くは人生に繋る真剣勝負なのだ・・・と実にイヤなガキ共だったと思う(笑)。地域の生徒が通う公立中学であり出来がいい奴の集まりではないので、全国こんなもんだったんじゃないか。だからソレが人間の本能だという岡田さんの意見は疑問に思う。試験成績をワイワイ言い合うってのは極めて最近の現象で、要は孤立に弱くなったのではないだろうか。 そして昭和の嫌なジジイとして言わせて貰えば今の子供は哀れなもんだなw何で其処まで孤立を恐れ、仲間内の序列を確認したがるか。高が人生の内ホンの短期間、都合でツルんでるだけの集団。1-2年経ったら別れて大部分はもう会わないであろう集団。原始時代と違って生涯その「村」に暮らす訳ではないのだから、そこで孤立したって別にいいんじゃないだろうか。そして互いに「試験成績なんて気にしてませんよ」ってフリ(その時点で上辺の集団に過ぎない)して気分転換するより、自分の答案のバッテンに真摯に向き合い心から悔しがるべきだろう。若い頃は実力の育成と糊塗しない素直な感情が大切。そして若い内に孤立の耐性を付けておいた方がいい。大人になると自分が悪くなくても孤立することはままあるのだから。
ひろゆき化して、悩んでたけど、やっぱり岡田先生が答えを出しました。 一応、カウンセリングに行きますけど、危なかったです。
葬式の件マジで言ってるの?
毎回最後に使われてる、マリオがゲームオーバーになるのと同じで~の元の話がどんな話なのか気になってます。
元の話の動画をもしあげられてる様でしたら教えて頂けないでしょうか?
髪色指定の話、そのくらいの指定が出せない飲み込んでくれない人間が会社からの依頼を飲み込めるものかね?って思う。
白黒思考、0か100か極端から極端な人が最近、目立つ場所に取り上げられるようになってますね、国策なんでしょうけど。本来人生は、その白と黒の間のグレーゾーンを暗中模索、諸行無常してくのが人間な訳で苦しみがすべてのめんどーくさい世界なわけですよ。そこから逃れたいなら、悟りを開くしかない。出家して徹底的に考えて、気づいて行かないといけない。そこを放棄して極端から極端に右に左に白黒思考で世の中を渡れるような単純な、電車の運行のようなオートマティックなルーティン人生を望む系の人たちは、優生思想とか全体主義とかに行き着いたりするので注意が必要です。ますます人身事故が増えて行きます。
岡田さんは、タイミー知らないんだな。
結婚という社会的に男女のペアである事を認めてもらって、権利と義務を背負うという常識的な判断をした人が、自分を非常識人ぶって、披露宴も通常の結婚式も、親族のみの結婚式もどうしてもやりたくないし、他人が常識的である事にうんざりしているという思考なのが興味深いです。一笑に付しておられますがぜひ解説して欲しいです。
敬語だけでなく、マナーや礼儀などテンプレだけどある程度自動化された行動様式は、群れの中で生きるには効果的だし楽です。極限状態に陥ったグルーブで最初に仲間に食われるのは、無能者ではなく下品な礼儀知らずだと聞いたことがあります。
なんか真面目すぎる子が多いというか、言葉そのままを飲み込んで言葉の真意に気づけないアスペっぽい人が多いというか
敬語の質問くん
敬語がイヤなら、トシヲへの質問状もタメ語で書けよw
コメントを見てると、群れの本能をもう少し理解出来れば、岡田さんの話がわかるようになりそう。時間を置いてもう一度見てみたい。
テストの点数を教えたくないのは、自分の情報を押さえられたら負け、みたいな心理があるかと思ってます。私の同世代の古い友人は未だにそんな態度なのでちょっと微妙に感じてます。
昭和世代ですが歳上にさん付け、上司なら歳に関わらずさん付け、後輩には君付け、呼び捨ては止めました。プライベートの友人、知り合いの場合は古い付き合いの相手は呼び捨て、最近知り合った人は全てに方をさん付けにしました。なんとなくそうした方が良いと個人的に思ったからです。
敬語つかってますよ。年下にたいしてでも。
イエスを利用してるねんで。
いわんだけ、かんしゃしいや。
かんしゃしいや。
秘密に関しての取り扱いに目を向けてもらいたいです
欧米の隠し事をしない文化と、アジアの秘密に寛容な文化の共存、それが日本だと思います
相容れない人が互いにストレスを抱え合う…?
いや、秘密に寛容であって欲しいほうが大きくストレスを持つ事が常です
敬語はマジで時間の無駄だと思ってる。
日本語の良い所は端折って伝えても割とちゃんと伝わるところなのに、わざわざ敬語で文章長くしてるのは変じゃね?って思うわ。
追記
論点わかってねぇやつは返信してくんな。
使い分けるのが面倒なので、新入社員にも敬語使っちゃいますね。
自分は40年以上前に中学生だったのだけど試験の点数を言い合う感じは全くなかったな。
点が良ければ思わずニヤけ、悪ければ無言で唇を噛み、出来を知られない様に無表情を装う。仲間の和よりも自分の成績。人生に学歴は重要で試験の点数の出来は遠くは人生に繋る真剣勝負なのだ・・・と実にイヤなガキ共だったと思う(笑)。地域の生徒が通う公立中学であり出来がいい奴の集まりではないので、全国こんなもんだったんじゃないか。
だからソレが人間の本能だという岡田さんの意見は疑問に思う。試験成績をワイワイ言い合うってのは極めて最近の現象で、要は孤立に弱くなったのではないだろうか。
そして昭和の嫌なジジイとして言わせて貰えば今の子供は哀れなもんだなw
何で其処まで孤立を恐れ、仲間内の序列を確認したがるか。高が人生の内ホンの短期間、都合でツルんでるだけの集団。1-2年経ったら別れて大部分はもう会わないであろう集団。原始時代と違って生涯その「村」に暮らす訳ではないのだから、そこで孤立したって別にいいんじゃないだろうか。
そして互いに「試験成績なんて気にしてませんよ」ってフリ(その時点で上辺の集団に過ぎない)して気分転換するより、自分の答案のバッテンに真摯に向き合い心から悔しがるべきだろう。若い頃は実力の育成と糊塗しない素直な感情が大切。そして若い内に孤立の耐性を付けておいた方がいい。大人になると自分が悪くなくても孤立することはままあるのだから。