7月 72024年 【悲報】転売ヤーさん、メルカリやヤフオクで儲けまくったら家に税務署がやってきてしまい、調査員に嘘をつくもバレてしまうwww罰則により莫大な追徴課税金を払うことになってしまい完全終了へwwwwwww
罪を犯した人は先ずは自己の罪を清く認め贖い、被害者の辛い立場に立って心から謝罪できない限り、罪は永遠にその人自身を示すモノであると思います。『罪を憎んで人を憎まず』と言う言葉がありますが加害者自身が明後日の方向を向いている限りでは如何なる慈悲も意味を成しえません。何れにせよ人間である以上誰でも失敗はあろうかと思いますが、大切なのはその後の行動で真価が問われると思います。
「瑞宝重光章 必ず剥奪される場合 刑事事件で起訴され、裁判で有罪となり、死刑、懲役刑、3年以上無期の禁錮刑の実刑判決を受け、確定した場合」 どんなに社会に貢献してきた人でも自分の過ちを認めず人の痛みのわからない人には勲章など与える必要はないと思います。
高齢者が車なんか運転するべきではないということですよ。運転の年齢制限を設けるべき!杖をつくくらい足が自由がきかない人が、何故免許更新できるんだ?もちろん年寄りばかりが事故を起こす訳では無いけれど、年寄りがこんな若い命を奪うなんて、どう考えても許せないではないか。
飯塚幸三被告を批判する社会の底辺の人間のルサンチマン・奴隷道徳は見苦しい 公務員は仕事もしないのに高い給料を貰っていてけしからん、とか 生活保護を受けている人間は毎日パチンコやってワンカップ大関を飲んでいてけしからん とかいうのと同じ類の醜い嫉妬心だね。 ニーチェが最初に持ち出したのが「ルサンチマン」だった。 ルサンチマン? 響きはいいが、非常に危険な言葉である。フランス語で「恨み」とか「嫉妬」という意味だが、哲学用語としての意味は最悪 ・・・ 絶対にかなわない強者に対し、ねたむ、ひがむ、陰口をたたく ・・・ ここまでは想定内だが、ルサンチマンは陰湿でしつこい。相手を悪者に仕立てあげ、自分を正当化する。そして、ここが肝心なのだが ・・・ すべて想像の中で、行動は一切ナシ。 なんで? 立ち向かえば瞬殺されるから。 なんと惨めな。 「あんた立派だね。頑張れば ・・・」 ぐらいの皮肉の一つも言って、あきらめればいいのに。 ところが、ルサンチマンは、それでは腹の虫がおさまらない。卑屈というか、偏屈というか、いびつというか ・・・ ニーチェは著書「道徳の系譜」の中でこう書いている ・・・ 「高貴な道徳」は、どれも誇らしげにみずからを肯定するところから発展するものだが、「奴隷道徳」は最初から外部のもの、異なっているもの、自分以外のものを否定する、この否定こそが、この道徳の創造的な行為なのだ。 まわりくどいので、カンタンにまとめると、 ・高貴な道徳 =社会の道徳 ・奴隷道徳 =宗教の道徳 そして、「奴隷道徳=宗教道徳」の本質は、自分以外を否定することにあると言っているのだ。ちなみに、ここでいう宗教とは「旧約聖書=ユダヤ教&キリスト教」に限定される。 では、なぜ、仏教やヒンズー教ではなく、「ユダヤ教&キリスト教」なのか? 一神教だから。 一神教は、他の神を一切認めない排他的な宗教である。たとえば、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教 ・・・ じつは、この三大宗教には「唯一神」以外にも共通点がある。 旧約聖書をバイブルにしていること、「普遍的な道徳」をもつことである。ここで、「普遍的道徳」とは、国や民族を超えて有効な道徳をいう。たとえば、ユダヤ教の「十戒」。読んで字のごとく、10の戒めがあるのだが、両親を敬えとか、人を殺してはいけないとか、嘘をつくなとか ・・・ 誰でも理解・納得できるルールだ。 一方、一神教の反対言葉「多神教」は ・・・ 文字どおり、複数の神を包含する。さらに、多神教の神は、地域に根付いており、普遍性がない。たとえば、古代都市テオティワカンでは「ジャガー神」があがめられたが、ジャガーがいない地域では、宗教そのものが成立しない。 さらに、多神教は、普遍的道徳をもたない。それどころか、生贄(いけにえ)を要求する性悪の神までいた(決めたのは人間だが)。2012年人類滅亡説で話題になったマヤ文明はその最たるものだろう。生贄を制度化していたのだから。 また、古代では、地球上のいたる所でシャーマニズムが存在した(一部の地域では今も存在する)。霊と交信するシャーマンが、占いや儀式を取り行い、為政者を補佐するのだが、王を兼ねることもあった。邪馬台国の卑弥呼もその一人だろう。 というわけで、多神教やシャーマニズムは、太陽や星々、森や動物の霊など、自然をモチーフにしている。つまり、自然と結びついた「自然神」なのだ。ところが、一神教は抽象的な唯一神をつくりあげ、それを崇めるよう強要する。さらに、文明化の名のもとに、森林を伐採し、神々などいないことを証明する。つまり、多神教が「自然神」なら、一神教は「人工神」なのだ。 一方、日本は世界に類を見ない無神論の国である。もっとも、戦国時代までは、日本は熱心な仏教国だった。ところが、織田信長がそれを一変させた。信長は、宗教が政治に口出しすることを極端に嫌い、宗教勢力を根絶やしにしたのである。一向宗「本願寺」との熾烈な総力戦の果てに。 その結果、日本の宗教勢力は弱体化し、無神論の国となった。盆は仏壇の前でチーン(仏教)、クリスマスイヴはケーキをほおばり(キリスト教)、正月には神社(神道)でパンパン。はた目で見ると、花見と変わらない。 ところで、一神教で道徳が重視されるのはなぜか? 治安と秩序をたもつため。 じゃあ、一神教は性悪説!? イエス! そもそも、キリスト教の教えによれば、人間には七つの大罪があるという。ところが、人間は神が創造したというではないか。全知全能の神が罪を作った!?矛盾してません? それとも、神はあえて不出来な人間を造り、大罪で苦しむの眺めて楽しんでいる? やっぱり、この世界は神の見世物小屋かもですね。 ■奴隷道徳 ニーチェによれば ・・・ 宗教も神も、ルサンチマンというひねくれ者が作りだした「妄想」にすぎない。戦っても勝ち目はないので、想像上の復讐で埋め合わせしているだけ(身もふたもない)。 そして、ルサンチマンの源流はユダヤ教と言い切ったのである。 これは興味深い。さっそく、ユダヤ教の歴史をみてみよう。 ユダヤ人が最初に王国を築いたのは紀元前1021年のイスラエル王国である。その後、強国エジプト王国と共存しながら、ダビデとその子ソロモンの治世で全盛期をむかえた。ところが、ソロモン王が死ぬと、内部抗争がおこり、王国はイスラエル王国とユダ王国に分裂した。 そして、ここからユダヤ人の苦難が始まる。 まず、紀元前597年、南方のユダ王国が新興の新バビロニアに滅ぼされた。さらに、ユダヤ民族の支配階級が新バビロニアに連行されたのである。歴史上有名な「バビロン捕囚」である。 ところが、バビロン捕囚には副産物があった。ユダヤ人が新バビロニアの優れた文化に接することができたのである。中でも、重要と思われるのがギルガメシュ叙事詩(古バビロニア版 or ニネヴェ版)である。 というのも ・・・ 後に、ユダヤ人が編纂する「旧約聖書」に、ギルガメッシュ叙事詩とソックリの部分があるのだ。 時間軸にそって説明しよう。 バビロン捕囚から60年後、ユダヤ人に転機が訪れる。紀元前539年、アケメネス朝ペルシアがバビロンに侵攻し、新バビロニアを滅ぼしたのである。ペルシアは異民族に寛大な帝国だった。王キュロス2世の命により、ユダヤ人はエルサレムに帰還することが許されたのである。その後、ユダヤ人は旧約聖書とユダヤ教を成立させた。 イスラエル王国が滅亡し、現実世界で強者から弱者に転落したタイミングで、ユダヤ教が成立したこと。しかも、その教義というのが ・・・ 「ユダヤ民族は選ばれた民である。絶対神ヤハウェを信仰せよ、そうすれば、神が敵対する民族をすべて滅ぼしてくれる」 そのユダヤ教の流れをくむのがキリスト教だが、初めから苦難の連続だった。創始者イエス キリストの受難から始まり、その後も、ローマ帝国で迫害されたのである。しかも、その迫害は常軌を逸していた。女子供を含む多数の信者が、コロッセウムに引きずり出され、ライオンに噛み殺されたのである。ところが、いくら祈っても、神はライオンを退治してくれなかった。 つまり、キリスト教は、創設当初から、強者に立ち向かう術を持たなかった。そのぶん、教義はパッシブであり、それはイエスの最期の言葉からもうかがえる。 イエスは、ゴルゴダの丘で手と足にクギを打ちつけられたときこう言ったという。 「父(神)よ、かれらをお許しください。かれらは何をしているのかわからないのです」 自分を殺そうとする敵をかばうのだから、慈悲深くみえる。しかし、見方を変えれば、勝ち目のない敵を蔑むことで、自分を上に置く、欺瞞(ぎまん)ともとれる。このように、現実では勝つことのできない弱者(キリスト教徒)が、精神世界での復讐のために創り出した価値観を、ニーチェは「僧侶的・道徳的価値観」とよんだ。そして、このような卑屈な負け惜しみをルサンチマンと呼んだのである。 つまり ・・・ 勝ち目のない惨めな現実から逃れるため、自己を正当化しようとする願望が「奴隷精神」、その手段が「奴隷道徳」なのである。そして、「奴隷道徳」こそが人間を堕落させたのだと。
実刑判決を受けても高齢ゆえに執行停止されます。前例は ロッキード事件で、丸紅の檜山廣会長は最高裁の実刑判決後、高齢を理由に執行停止となっています。檜山氏は1909年12月生まれで、95年2月に最高裁で有罪が確定した当時は85歳。収監されないまま、2000年12月に91歳で死去した。 そもそも刑務所は囚人一人を養うのに年間300万円もの税金を使っているので、更に手間と費用がかかる病人や年寄りを押し付けられると法務省が困るのです。 法務省矯正官署の平成22年度の予算額は2300億円で、矯正施設の収容者は7万5000人である。一人あたりの排除コストは年間300万円という計算になる。 現在の刑務所は福祉施設になっていて、世間で食べていけない底辺の人間を引き受けています。三食昼寝軽作業付きで生活の不安が無くなるので、わざわざ万引きや無銭飲食をして刑務所に入れてもらう囚人ばかりです。 最近話題になっているベーシックインカムというのは、極貧層が食べて行けなくなって強盗殺人や詐欺・窃盗をやるより、最小限必要な生活費を政府が出した方が社会的コストが安くなるという判断に基づいています。
タカユキさん、池袋暴走事故について毎度配信ありがとうございますそもそもこの事故で飯塚被告の家族にまっさきに事故おこしてしまったと、ラインして救護活動もしなかったところから過失があると思います。それなのに2年もの間、車のせいにしてばかりで言い逃れしてきた被告人にたいして強い憤りを感じます。本当に許せないですね9月2日の裁判でしっかりと判決が下ることを祈ります
タカユキさん、お疲れ様です 赤の他人のボクでも、体を引き千切られるような思いです松永さんの心を思うと、辛過ぎます飯塚幸三ぱ、もう人ではない、なにかしらの生き物なので、不本意ですが、もう反省や改心の期待はしません判決を下す人間が、本物の人間であることを、心から願います
すみません 荒れる要素有るかと思いますが言わせて下さいリーガルチェックの高橋弁護士のところに飯塚被告は「最初に跳ねている人を救助していない義務違反」とかある「複数での処罰」で刑を増やせないのかみたいなことを言って良いね貰ったのですが素人が思うことを現役が動かないってなんなんですか?
今一番焦点を向けなくてはならないのは裁判官。忖度裁判官なのか法を平等に上級であろうが誰にでも同じ様に執行する法を尊重する裁判官なのか。ああいう人は判決がくだっても変わらないでしょうから裁判官がしっかり納得のいく判決を下さないと裁判所そのもの信用を国民は無くしてしまう重要な件だと思います。
私もこの内容を読みました。松永さん上原さんのご遺族の気持ちを察すると、ほんとにつらいです。そして飯塚被告は、最後まで真実を話すこともなかったし、人として、親として思いやる心と言うものを、持ち合わせていなかった。事故の内容については、既にタカユキさんやその他の方の、動画で説明されている通りで、車の検証や実験、また、何よりも自動車メーカーの検査で異常が認められなかったと、結論がでているので、敢えて言うまでもないと思います。その上で、元工業技術院の委員長までしている技術者が、素人でも分る荒唐無稽な話を、平然と終始させることに、その心境が分かりません。 今回の事故で、どうしても割り切れない事に、飯塚被告の対応も然ることながら、警察の捜査不備が上げられると思います。警察は彼を任意で取り調べしています。なぜ逮捕に至らなかったのか。普通ならばこの事故は逮捕ですよ。そこには元通産省関連に携わっていた上級国民だからとか、後は高齢社だからとか、ろいろ噂されていました。もしそうだったら、警察は大きな取りこぼしをしているように思います。それは彼は、最初アクセルとブレーキを踏み間違いに言及していました。しかし公判が始まる前か後か急遽供述を変えました。公判の及ぶと自分に不利になる事になると、誰かに入れ知恵されたのかどうかわかりませんが。それからは、一貫して私のミスではなくて、全て車の欠陥の原因と供述を変えました。しかもその内容が万に一つの可能性もない、荒唐無稽のお話です。もし逮捕して取り調べれば、詳しい供述が得られたかも知れないし、矛盾した話の追及ができたはずです。それが出来なかったのが大きな痛手です。 過失運転致死傷罪で7年が求刑されています。先日の松永さんの質問で、もし有期刑がでればどうするのかに対して、分らないと答えていました。裁判長がどのように判決を下すのか分かりませんが、真摯に受け止めて刑に服してもらいたいと思います。
"刑務所に入らないとわからないでしょう"残念だけど、ああいう輩は刑務所に入ったところでわかりません。自己愛性人格障害というのはそういう人達です。奴らは"人の皮を被った悪魔"なんですよ。奴らを人間だと思っては、自分をすり減らすだけなんですよ。奴らは"人間の形"をしているだけで、中身は"化けの皮を被った悪魔"なんですよ。奴らに"反省"だの"心変わり"だのを期待しても無駄なんですよ。関わりたくなくても関わってしまったらできることは一つだけ。バレないようにコソッと離れて、二度と関わらないようにするだけ。奴らは"自分は絶対に正しい"と信じ込んでるから、"変わること"を期待しても無駄です。奴らは"絶対に変わらない"です。"変わることを期待"しても徒労に終わるので、最初から期待しないことです。判決が出たとしても、即行で控訴するでしょうね。「控訴はしないと思う」と言っていたが、「そんなこと言ってない」とすっとぼけるでしょうね。自己愛性人格障害の人間の言うことは嘘まみれで、何一つ信用できません。
無罪を主張ってよくよく考えたらゾッとする。人を殺しても罪がないと思ってるって事ですよね。暴力団の抗争で人をころしてしまった暴力団員とか映画で見るような殺し屋でも自分のしてることは悪い事で法を犯していると自覚している。 飯塚幸三はあの母娘があの場所、あのタイミングにいたことが悪いとか思ってそうだ。
タカユキさんお疲れ様です。飯塚居眠り…は?どこまで悪魔なんですかね。ご遺族の方も本来なら発狂したいほどだと思いますが、こんなに悔しく辛い思いをされておられていらっしゃるのに、いつも冷静さを失わず、精神的におかしくなっていてもその姿さえも見せずにとても強く、飯塚をツメることなく心のある方です。尊敬するほどなご遺族さんです。も〜…心が痛くて仕方ありません…涙しか出てきません。
罪を犯した人は先ずは自己の罪を清く認め贖い、被害者の辛い立場に立って心から謝罪できない限り、罪は永遠にその人自身を示すモノであると思います。『罪を憎んで人を憎まず』と言う言葉がありますが加害者自身が明後日の方向を向いている限りでは如何なる慈悲も意味を成しえません。何れにせよ人間である以上誰でも失敗はあろうかと思いますが、大切なのはその後の行動で真価が問われると思います。
「瑞宝重光章
必ず剥奪される場合
刑事事件で起訴され、裁判で有罪となり、死刑、懲役刑、3年以上無期の禁錮刑の実刑判決を受け、確定した場合」
どんなに社会に貢献してきた人でも自分の過ちを認めず人の痛みのわからない人には
勲章など与える必要はないと思います。
仮に十八番の特権で執行猶予を獲ったとしても、天下の上級国民誇り高き名門飯塚家サマから汚ねぇ殺人者出した事実は消えません。
永久に残ります。
飯塚さんの何処に非があるか理解できませんね。
飯塚さんは無罪です!
無罪を?この弁護士に聞きたですが
被害者があなたの家族ならあなたは被告に対し無罪を主張しますか?
自分の犯した罪に真摯に向き合っていないのに何で、無罪を?
車に乗る限りは事故の責任はありますよ。
飯塚幸三ってクソだな、こんなクソが俺たちの税金で半世紀以上も優雅な生活してるのが不思議だよな・・
・松永さん達遺族が納得できる結果が出る事
・執行猶予、あるいは控訴の容認が決して起こらない事
この2つを願うしかないです。
あと何回飯塚に声を上げなければならないのか
あと何回ご遺族の涙を見なければならないのか
国民の総意を汲んだ公平な判決が下ることを願う
初犯でなければ執行猶予なんてつかないかと……普通の人ならですが…
ただ、禁固刑と執行猶予は罪の重さ的には一緒です。
飯塚被告には懲役刑の方が妥当です。
高齢者が車なんか運転するべきではないということですよ。
運転の年齢制限を設けるべき!
杖をつくくらい足が自由がきかない人が、何故免許更新できるんだ?
もちろん年寄りばかりが事故を起こす訳では無いけれど、年寄りがこんな若い命を奪うなんて、どう考えても許せないではないか。
まっとうな判決がくだされますよう!
飯塚幸三被告を批判する社会の底辺の人間のルサンチマン・奴隷道徳は見苦しい
公務員は仕事もしないのに高い給料を貰っていてけしからん、とか
生活保護を受けている人間は毎日パチンコやってワンカップ大関を飲んでいてけしからん
とかいうのと同じ類の醜い嫉妬心だね。
ニーチェが最初に持ち出したのが「ルサンチマン」だった。 ルサンチマン? 響きはいいが、非常に危険な言葉である。フランス語で「恨み」とか「嫉妬」という意味だが、哲学用語としての意味は最悪 ・・・ 絶対にかなわない強者に対し、ねたむ、ひがむ、陰口をたたく ・・・ ここまでは想定内だが、ルサンチマンは陰湿でしつこい。相手を悪者に仕立てあげ、自分を正当化する。そして、ここが肝心なのだが ・・・ すべて想像の中で、行動は一切ナシ。
なんで?
立ち向かえば瞬殺されるから。 なんと惨めな。 「あんた立派だね。頑張れば ・・・」 ぐらいの皮肉の一つも言って、あきらめればいいのに。 ところが、ルサンチマンは、それでは腹の虫がおさまらない。卑屈というか、偏屈というか、いびつというか ・・・
ニーチェは著書「道徳の系譜」の中でこう書いている ・・・ 「高貴な道徳」は、どれも誇らしげにみずからを肯定するところから発展するものだが、「奴隷道徳」は最初から外部のもの、異なっているもの、自分以外のものを否定する、この否定こそが、この道徳の創造的な行為なのだ。 まわりくどいので、カンタンにまとめると、
・高貴な道徳 =社会の道徳
・奴隷道徳 =宗教の道徳
そして、「奴隷道徳=宗教道徳」の本質は、自分以外を否定することにあると言っているのだ。ちなみに、ここでいう宗教とは「旧約聖書=ユダヤ教&キリスト教」に限定される。
では、なぜ、仏教やヒンズー教ではなく、「ユダヤ教&キリスト教」なのか? 一神教だから。 一神教は、他の神を一切認めない排他的な宗教である。たとえば、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教 ・・・ じつは、この三大宗教には「唯一神」以外にも共通点がある。 旧約聖書をバイブルにしていること、「普遍的な道徳」をもつことである。ここで、「普遍的道徳」とは、国や民族を超えて有効な道徳をいう。たとえば、ユダヤ教の「十戒」。読んで字のごとく、10の戒めがあるのだが、両親を敬えとか、人を殺してはいけないとか、嘘をつくなとか ・・・ 誰でも理解・納得できるルールだ。
一方、一神教の反対言葉「多神教」は ・・・ 文字どおり、複数の神を包含する。さらに、多神教の神は、地域に根付いており、普遍性がない。たとえば、古代都市テオティワカンでは「ジャガー神」があがめられたが、ジャガーがいない地域では、宗教そのものが成立しない。 さらに、多神教は、普遍的道徳をもたない。それどころか、生贄(いけにえ)を要求する性悪の神までいた(決めたのは人間だが)。2012年人類滅亡説で話題になったマヤ文明はその最たるものだろう。生贄を制度化していたのだから。
また、古代では、地球上のいたる所でシャーマニズムが存在した(一部の地域では今も存在する)。霊と交信するシャーマンが、占いや儀式を取り行い、為政者を補佐するのだが、王を兼ねることもあった。邪馬台国の卑弥呼もその一人だろう。 というわけで、多神教やシャーマニズムは、太陽や星々、森や動物の霊など、自然をモチーフにしている。つまり、自然と結びついた「自然神」なのだ。ところが、一神教は抽象的な唯一神をつくりあげ、それを崇めるよう強要する。さらに、文明化の名のもとに、森林を伐採し、神々などいないことを証明する。つまり、多神教が「自然神」なら、一神教は「人工神」なのだ。
一方、日本は世界に類を見ない無神論の国である。もっとも、戦国時代までは、日本は熱心な仏教国だった。ところが、織田信長がそれを一変させた。信長は、宗教が政治に口出しすることを極端に嫌い、宗教勢力を根絶やしにしたのである。一向宗「本願寺」との熾烈な総力戦の果てに。 その結果、日本の宗教勢力は弱体化し、無神論の国となった。盆は仏壇の前でチーン(仏教)、クリスマスイヴはケーキをほおばり(キリスト教)、正月には神社(神道)でパンパン。はた目で見ると、花見と変わらない。
ところで、一神教で道徳が重視されるのはなぜか? 治安と秩序をたもつため。 じゃあ、一神教は性悪説!? イエス! そもそも、キリスト教の教えによれば、人間には七つの大罪があるという。ところが、人間は神が創造したというではないか。全知全能の神が罪を作った!?矛盾してません? それとも、神はあえて不出来な人間を造り、大罪で苦しむの眺めて楽しんでいる? やっぱり、この世界は神の見世物小屋かもですね。
■奴隷道徳
ニーチェによれば ・・・ 宗教も神も、ルサンチマンというひねくれ者が作りだした「妄想」にすぎない。戦っても勝ち目はないので、想像上の復讐で埋め合わせしているだけ(身もふたもない)。 そして、ルサンチマンの源流はユダヤ教と言い切ったのである。 これは興味深い。さっそく、ユダヤ教の歴史をみてみよう。 ユダヤ人が最初に王国を築いたのは紀元前1021年のイスラエル王国である。その後、強国エジプト王国と共存しながら、ダビデとその子ソロモンの治世で全盛期をむかえた。ところが、ソロモン王が死ぬと、内部抗争がおこり、王国はイスラエル王国とユダ王国に分裂した。
そして、ここからユダヤ人の苦難が始まる。 まず、紀元前597年、南方のユダ王国が新興の新バビロニアに滅ぼされた。さらに、ユダヤ民族の支配階級が新バビロニアに連行されたのである。歴史上有名な「バビロン捕囚」である。 ところが、バビロン捕囚には副産物があった。ユダヤ人が新バビロニアの優れた文化に接することができたのである。中でも、重要と思われるのがギルガメシュ叙事詩(古バビロニア版 or ニネヴェ版)である。 というのも ・・・ 後に、ユダヤ人が編纂する「旧約聖書」に、ギルガメッシュ叙事詩とソックリの部分があるのだ。 時間軸にそって説明しよう。 バビロン捕囚から60年後、ユダヤ人に転機が訪れる。紀元前539年、アケメネス朝ペルシアがバビロンに侵攻し、新バビロニアを滅ぼしたのである。ペルシアは異民族に寛大な帝国だった。王キュロス2世の命により、ユダヤ人はエルサレムに帰還することが許されたのである。その後、ユダヤ人は旧約聖書とユダヤ教を成立させた。 イスラエル王国が滅亡し、現実世界で強者から弱者に転落したタイミングで、ユダヤ教が成立したこと。しかも、その教義というのが ・・・ 「ユダヤ民族は選ばれた民である。絶対神ヤハウェを信仰せよ、そうすれば、神が敵対する民族をすべて滅ぼしてくれる」
そのユダヤ教の流れをくむのがキリスト教だが、初めから苦難の連続だった。創始者イエス キリストの受難から始まり、その後も、ローマ帝国で迫害されたのである。しかも、その迫害は常軌を逸していた。女子供を含む多数の信者が、コロッセウムに引きずり出され、ライオンに噛み殺されたのである。ところが、いくら祈っても、神はライオンを退治してくれなかった。 つまり、キリスト教は、創設当初から、強者に立ち向かう術を持たなかった。そのぶん、教義はパッシブであり、それはイエスの最期の言葉からもうかがえる。 イエスは、ゴルゴダの丘で手と足にクギを打ちつけられたときこう言ったという。
「父(神)よ、かれらをお許しください。かれらは何をしているのかわからないのです」
自分を殺そうとする敵をかばうのだから、慈悲深くみえる。しかし、見方を変えれば、勝ち目のない敵を蔑むことで、自分を上に置く、欺瞞(ぎまん)ともとれる。このように、現実では勝つことのできない弱者(キリスト教徒)が、精神世界での復讐のために創り出した価値観を、ニーチェは「僧侶的・道徳的価値観」とよんだ。そして、このような卑屈な負け惜しみをルサンチマンと呼んだのである。 つまり ・・・ 勝ち目のない惨めな現実から逃れるため、自己を正当化しようとする願望が「奴隷精神」、その手段が「奴隷道徳」なのである。そして、「奴隷道徳」こそが人間を堕落させたのだと。
居眠りしてる時点で反省は微塵も感じられないです。最高刑でも7年とか甘過ぎ。
暴走したら再起動を主張するぐらいならなぜキーを使って再起動しなかったのか? それにニュートラルに入れるのは非常に簡単な操作だ。これは運転者の人格に問題があると言う事になる。
いっそのこと安楽死でもさせてやりなよ、これ以上聞いても何にもならないようなら。
本当に聞いているだけで泣けてきます。
そしてくそジジイに怒りが湧きます。
今頃クーラーの効いた部屋でのうのうと…
はやくムショにぶち込むべし。
実刑判決を受けても高齢ゆえに執行停止されます。前例は
ロッキード事件で、丸紅の檜山廣会長は最高裁の実刑判決後、高齢を理由に執行停止となっています。檜山氏は1909年12月生まれで、95年2月に最高裁で有罪が確定した当時は85歳。収監されないまま、2000年12月に91歳で死去した。
そもそも刑務所は囚人一人を養うのに年間300万円もの税金を使っているので、更に手間と費用がかかる病人や年寄りを押し付けられると法務省が困るのです。
法務省矯正官署の平成22年度の予算額は2300億円で、矯正施設の収容者は7万5000人である。一人あたりの排除コストは年間300万円という計算になる。
現在の刑務所は福祉施設になっていて、世間で食べていけない底辺の人間を引き受けています。三食昼寝軽作業付きで生活の不安が無くなるので、わざわざ万引きや無銭飲食をして刑務所に入れてもらう囚人ばかりです。
最近話題になっているベーシックインカムというのは、極貧層が食べて行けなくなって強盗殺人や詐欺・窃盗をやるより、最小限必要な生活費を政府が出した方が社会的コストが安くなるという判断に基づいています。
「求刑7年」の時点で執行猶予つき判決はあり得ないそうですよ。
https://www.youtube.com/watch?v=Y2-k5mF12UE
眠たいなら刑務所で眠ってくださいと被告に言いたい。
タカユキさん、池袋暴走事故について毎度配信ありがとうございます
そもそもこの事故で飯塚被告の家族にまっさきに事故おこしてしまったと、ラインして救護活動もしなかったところから過失があると思います。
それなのに2年もの間、車のせいにしてばかりで言い逃れしてきた被告人にたいして強い憤りを感じます。本当に許せないですね
9月2日の裁判でしっかりと判決が下ることを祈ります
司法が国民を裏切らないよう願うばかりです
タカユキさん、お疲れ様です
赤の他人のボクでも、体を引き千切られるような思いです
松永さんの心を思うと、辛過ぎます
飯塚幸三ぱ、もう人ではない、なにかしらの生き物なので、不本意ですが、もう反省や改心の期待はしません
判決を下す人間が、本物の人間であることを、心から願います
事故は自分の所為ではないけど御冥福をお祈りしますって何❓遺族でないのに腹が立つ❗️
すみません 荒れる要素有るかと思いますが言わせて下さい
リーガルチェックの高橋弁護士のところに飯塚被告は
「最初に跳ねている人を救助していない義務違反」とかある「複数での処罰」で刑を増やせないのか
みたいなことを言って良いね貰ったのですが素人が思うことを現役が動かないってなんなんですか?
飯塚の弁護士「ブレーキランプが点いてなかったということを裏付ける証拠はない」
「飯塚がブレーキを踏んでいたことを裏付ける証拠もなければ証人もいない」
飯塚の弁護士も頭がいいとは言えないみたいね。
飯塚は、テメーの無罪を主張して
遺族の悲しさにふれず涙一つもない
こんなの人じゃない
もう死ぬまで刑務所に入れ!
話聞いていて辛すぎる。
執行猶予なんてありえない!
どうか執行猶予が付きません様に。
他人事なのはホントに許せません。求刑以上の重い刑を裁判所が出したならまだまだ捨てたものではないなと思うのですが。
地獄があってくれ!そして未来永劫のた打ち回って苦しめ幸三!信仰心の全くない自分でも願わずにいられない。
今一番焦点を向けなくてはならないのは裁判官。忖度裁判官なのか法を平等に上級であろうが誰にでも同じ様に執行する法を尊重する裁判官なのか。ああいう人は判決がくだっても変わらないでしょうから裁判官がしっかり納得のいく判決を下さないと裁判所そのもの信用を国民は無くしてしまう重要な件だと思います。
1億歩譲って踏み間違いの過失ということは認めるとしてその後の対応の悪質さを鑑みると無罪なんて有り得ない
私もこの内容を読みました。松永さん上原さんのご遺族の気持ちを察すると、ほんとにつらいです。そして飯塚被告は、最後まで真実を話すこともなかったし、人として、親として思いやる心と言うものを、持ち合わせていなかった。
事故の内容については、既にタカユキさんやその他の方の、動画で説明されている通りで、車の検証や実験、また、何よりも自動車メーカーの検査で異常が認められなかったと、結論がでているので、敢えて言うまでもないと思います。
その上で、元工業技術院の委員長までしている技術者が、素人でも分る荒唐無稽な話を、平然と終始させることに、その心境が分かりません。
今回の事故で、どうしても割り切れない事に、飯塚被告の対応も然ることながら、警察の捜査不備が上げられると思います。警察は彼を任意で取り調べしています。なぜ逮捕に至らなかったのか。普通ならばこの事故は逮捕ですよ。そこには元通産省関連に携わっていた上級国民だからとか、後は高齢社だからとか、ろいろ噂されていました。
もしそうだったら、警察は大きな取りこぼしをしているように思います。それは彼は、最初アクセルとブレーキを踏み間違いに言及していました。しかし公判が始まる前か後か急遽供述を変えました。公判の及ぶと自分に不利になる事になると、誰かに入れ知恵されたのかどうかわかりませんが。それからは、一貫して私のミスではなくて、全て車の欠陥の原因と供述を変えました。しかもその内容が万に一つの可能性もない、荒唐無稽のお話です。
もし逮捕して取り調べれば、詳しい供述が得られたかも知れないし、矛盾した話の追及ができたはずです。それが出来なかったのが大きな痛手です。
過失運転致死傷罪で7年が求刑されています。先日の松永さんの質問で、もし有期刑がでればどうするのかに対して、分らないと答えていました。裁判長がどのように判決を下すのか分かりませんが、真摯に受け止めて刑に服してもらいたいと思います。
"刑務所に入らないとわからないでしょう"
残念だけど、ああいう輩は刑務所に入ったところでわかりません。
自己愛性人格障害というのはそういう人達です。
奴らは"人の皮を被った悪魔"なんですよ。
奴らを人間だと思っては、自分をすり減らすだけなんですよ。
奴らは"人間の形"をしているだけで、中身は"化けの皮を被った悪魔"なんですよ。
奴らに"反省"だの"心変わり"だのを期待しても無駄なんですよ。
関わりたくなくても関わってしまったらできることは一つだけ。
バレないようにコソッと離れて、二度と関わらないようにするだけ。
奴らは"自分は絶対に正しい"と信じ込んでるから、"変わること"を期待しても無駄です。
奴らは"絶対に変わらない"です。
"変わることを期待"しても徒労に終わるので、最初から期待しないことです。
判決が出たとしても、即行で控訴するでしょうね。
「控訴はしないと思う」と言っていたが、「そんなこと言ってない」とすっとぼけるでしょうね。
自己愛性人格障害の人間の言うことは嘘まみれで、何一つ信用できません。
これが無罪なら、日本の事故は全て無罪だな。
仕事とはいえこういうのを弁護してる人も憎まれるのにな。よーやるなと思ってしまう。
無罪を主張ってよくよく考えたらゾッとする。人を殺しても罪がないと思ってるって事ですよね。暴力団の抗争で人をころしてしまった暴力団員とか映画で見るような殺し屋でも自分のしてることは悪い事で法を犯していると自覚している。 飯塚幸三はあの母娘があの場所、あのタイミングにいたことが悪いとか思ってそうだ。
こんばんは。
ご遺族の話を聞いて、ますます許せない気持ちでいっぱいです。
この後に及んでまだ踏み間違いが無いだなんて!人の皮をかぶった悪魔だと私は思います。
タカユキさんお疲れ様です。
飯塚居眠り…は?どこまで悪魔なんですかね。
ご遺族の方も本来なら発狂したいほどだと思いますが、こんなに悔しく辛い思いをされておられていらっしゃるのに、いつも冷静さを失わず、精神的におかしくなっていてもその姿さえも見せずにとても強く、飯塚をツメることなく心のある方です。
尊敬するほどなご遺族さんです。
も〜…心が痛くて仕方ありません…
涙しか出てきません。