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ワシの時代は「バーンってなってドーンってきてグシャーってなるねん!」で教わってきたことも、学歴社会の現在では理路整然に伝えなければ届かない。わしはよく文体がアタオカだと言われるが、無学無教養ゆえまとめあげる能力がないアホである。だから現代人に何かを諭せるような事など出来るはずもないので多数決に依存する。しかしワシはその時代に生まれて幸せじゃと心から思う。馬鹿なワシでも生きてこれた時代じゃったからね。
多数決・・・間違ったことでも真実にする方法,幸せではなく示し合わせを追求する積み木細工の方式。 僕たちの不等式、僕たちの不当式 人類が本当の意味で発明したものはこれぐらいだろうか。 そして、これは人類史上最も醜い式である。
小学生の頃、友達AとBが喧嘩してて担任が仲裁に入った時に、喧嘩の理由とかは一切聴取せずにいきなり「どっちが悪いかを多数決で決める」って言い出して、当然クラス内で人気ない方の奴が負けてたけど、あれはマジで非道だったと今でも思う。
これについては春秋時代に晋の欒書という大臣が良い事を言っている。 楚が晋と結んだ鄭へ侵攻した。 晋の欒書はこれを受けて鄭を援けに向かい、繞角で楚軍に遭遇した。楚軍は晋軍との激突を避け、退却すると、晋軍は蔡を強襲した。。 楚の公子・申、公子・成が申と息の軍を率いて蔡を援け、桑隧で晋軍に対抗した。 晋の趙同と趙括が決戦を望み、欒書に進言する。欒書はこれに同意しようとしたが、これを荀首、士燮、韓厥が諫めた。 「いけません。我々は鄭を救うために兵を出したのです。しかしながら楚軍が去ったにも関わらず、我々はここまで来てしまいました。これは殺戮を別の場所に遷すことになります。殺戮を続ければ、楚軍を怒らせることになり、戦っても勝てないでしょう。たとえ勝ったとしても、善事ではありません。また、わざわざ軍を興して遠征し、楚の二県(申県と息県)を破ったところで、栄誉とは言えるでしょうか。逆にもしも敗れたら大きな恥辱となります。兵を還すべきです」 晋軍は撤兵を決めた。 この時、多くの軍帥(指揮官)が決戦を望んでいたのだが、ある人が欒書に言った。 「聖人は大衆と同じ希望を持つから成功すると申します。あなたはなぜ大衆の意見に従わないのでしょうか。あなたは大政(執政の大臣)でございますため、民の意見を酌むべきです。あなたを補佐する者は十一人います」 中軍の佐・荀首、上軍の将・荀庚、上軍の佐・士燮、下軍の将・郤錡、下軍の佐・趙同、新中軍の将・韓厥、新中軍の佐・趙括、新上軍の将・鞏朔、新上軍の佐・韓穿、新下軍の将・荀騅、新下軍の佐・趙旃の十一人。 「その中で戦いを欲さないのは三人しかおりません、多くが戦いを欲しているのです。『商書(尚書・洪範)』にはこうあります『三人占えば、二人の結果に従わん』これが多数の意見に従うということではありませんか?」 欒書はこう言った。 「同じように善い意見なら、多数の意見に従うものである。善とは大衆の主(従うべき対象)である。今回、三卿が同じ主張をした。三人いれば『衆』といえるではないか。これに従っても悪いことはない」 これは多数決を決める際、全員が善であれば良いが、皆がバラバラのことを考え、私益のために考えている者がもし多数の際、それに従って国の大事を決めるのはどうなるだろうか。それに対する一つの答えではある。
合理性だけで決定する方が多数決で決めるよりはまだましってケースはとても多いと思います。 合理性だけで決めるのだって確かにだいぶ偏るけど、それでも多数決よりはまだまし。だって多数決の多くは、変化の少なさやそれに伴うリスクの少なさだけで支持しているから。あとは穏健的ってだけでそれを優しいとか知的だとかって勘違いして信頼をおくのもありますよね。本質からズレてるにも関わらずそれに気づけないまま。 柔軟な発想ができない頭の悪い人が多くを占めている考え方が果たしてより良い考えなのか、個人的には違うと思います。
多数決をとっても、周りは自己都合主観で多数派に入り込むから、そもそも意味がない。そして気づいてないフリをしてまで多数派に入るが、いざ自分らで決めた癖に実務で自分らに負荷が乗っかると自分らで決めた事にすら愚痴を言い出す人多数。そして少数で反対してた人に、強調性が無いとかいっては、自分の仕事を振ろうとしてくる多数派。こんな奴が多数派には多い♫苦笑
盲目的に多数決で決めるのは無能組織にとって良い方針=多数派の意見っていう論理しか持ってないやつがやるね。それで自分で責任取るならまぁ別に良いけど。 管理職は意思決定の論理を必死に考えて、周りの意見も参考にしつつ、自分で決めるためにいるんでしょ。(もちろんその責任は自分で取る)
ワシの時代は「バーンってなってドーンってきてグシャーってなるねん!」で教わってきたことも、学歴社会の現在では理路整然に伝えなければ届かない。
わしはよく文体がアタオカだと言われるが、無学無教養ゆえまとめあげる能力がないアホである。
だから現代人に何かを諭せるような事など出来るはずもないので多数決に依存する。
しかしワシはその時代に生まれて幸せじゃと心から思う。
馬鹿なワシでも生きてこれた時代じゃったからね。
小学校あるある
何かで揉めると多数決と誰かが言う→それに納得して多数決を取る→負けた側が多数決に対してグチグチ文句を言う
多分一度は経験したことあるはず
困った時は多数決もありやろ。
知らんけど。
責任逃れだーとか言ってる輩は…なんか…疲れるわ…。
多数決でいいんじゃないですか?(諦め)と多数決でいいんじゃないですか?(前のめり)の違いさあ
多数決でもいいけど多数決を選択した上司の責任なんだよねコレ。
質問者本人です笑
話し合いの内容がにもよると思いますが、経営に関わる方針などを多数決で決めるのはよろしくないですよね。
ひろゆきさんと皆さんのおかげで、成長できました!
ありがとうございます。
多数決は無能な上司が責任から逃げるためにやることもある。
上司「みんながこうしたいって言ったからやっただけ、俺は悪くない!」
ってね。
多数決の主目的は責任逃れだから
多数決・・・
間違ったことでも真実にする方法,幸せではなく示し合わせを追求する積み木細工の方式。
僕たちの不等式、僕たちの不当式
人類が本当の意味で発明したものはこれぐらいだろうか。
そして、これは人類史上最も醜い式である。
多数決以外、何があるんだ?
多数決で問題なのは、多数派が正しい判断をできていない時でしょ。そのような状況で、正しい少数派の意見が通る手段ってあるのかな。
小学生の頃、友達AとBが喧嘩してて担任が仲裁に入った時に、
喧嘩の理由とかは一切聴取せずにいきなり
「どっちが悪いかを多数決で決める」って言い出して、
当然クラス内で人気ない方の奴が負けてたけど、
あれはマジで非道だったと今でも思う。
どうでもいいことを決めるとき、どっちでもいいことを決めるときは多数決でもいいけど、逆に言えばそういうときにしか使わない方がいいよな
これについては春秋時代に晋の欒書という大臣が良い事を言っている。
楚が晋と結んだ鄭へ侵攻した。
晋の欒書はこれを受けて鄭を援けに向かい、繞角で楚軍に遭遇した。楚軍は晋軍との激突を避け、退却すると、晋軍は蔡を強襲した。。
楚の公子・申、公子・成が申と息の軍を率いて蔡を援け、桑隧で晋軍に対抗した。
晋の趙同と趙括が決戦を望み、欒書に進言する。欒書はこれに同意しようとしたが、これを荀首、士燮、韓厥が諫めた。
「いけません。我々は鄭を救うために兵を出したのです。しかしながら楚軍が去ったにも関わらず、我々はここまで来てしまいました。これは殺戮を別の場所に遷すことになります。殺戮を続ければ、楚軍を怒らせることになり、戦っても勝てないでしょう。たとえ勝ったとしても、善事ではありません。また、わざわざ軍を興して遠征し、楚の二県(申県と息県)を破ったところで、栄誉とは言えるでしょうか。逆にもしも敗れたら大きな恥辱となります。兵を還すべきです」
晋軍は撤兵を決めた。
この時、多くの軍帥(指揮官)が決戦を望んでいたのだが、ある人が欒書に言った。
「聖人は大衆と同じ希望を持つから成功すると申します。あなたはなぜ大衆の意見に従わないのでしょうか。あなたは大政(執政の大臣)でございますため、民の意見を酌むべきです。あなたを補佐する者は十一人います」
中軍の佐・荀首、上軍の将・荀庚、上軍の佐・士燮、下軍の将・郤錡、下軍の佐・趙同、新中軍の将・韓厥、新中軍の佐・趙括、新上軍の将・鞏朔、新上軍の佐・韓穿、新下軍の将・荀騅、新下軍の佐・趙旃の十一人。
「その中で戦いを欲さないのは三人しかおりません、多くが戦いを欲しているのです。『商書(尚書・洪範)』にはこうあります『三人占えば、二人の結果に従わん』これが多数の意見に従うということではありませんか?」
欒書はこう言った。
「同じように善い意見なら、多数の意見に従うものである。善とは大衆の主(従うべき対象)である。今回、三卿が同じ主張をした。三人いれば『衆』といえるではないか。これに従っても悪いことはない」
これは多数決を決める際、全員が善であれば良いが、皆がバラバラのことを考え、私益のために考えている者がもし多数の際、それに従って国の大事を決めるのはどうなるだろうか。それに対する一つの答えではある。
多数決…だがそれは危険で甘い罠(トンパさん並感想)
多数決やるよりKJ法の方が色んな意見を知れるし実用的だったりするよね
合理性だけで決定する方が多数決で決めるよりはまだましってケースはとても多いと思います。
合理性だけで決めるのだって確かにだいぶ偏るけど、それでも多数決よりはまだまし。だって多数決の多くは、変化の少なさやそれに伴うリスクの少なさだけで支持しているから。あとは穏健的ってだけでそれを優しいとか知的だとかって勘違いして信頼をおくのもありますよね。本質からズレてるにも関わらずそれに気づけないまま。
柔軟な発想ができない頭の悪い人が多くを占めている考え方が果たしてより良い考えなのか、個人的には違うと思います。
間違ったことでも無理やり通せる方法
自分の意見押し通すプレゼンができる有能が居ない限り多数決になって当たり前
多数決基本的にクソだとは思ってるけど、遊びとかで時間が勿体ない時にさっさと決める分にはいいと思ってる。
あれ、選挙って…
99人のバカがいたら、1人の正しいやつはダメになるのが民主主義。民主主義の多数決をそんなに信用しなくたっていい
by 北野武
0:43 進歩的ぃー↑
多数決ほど合理的な事は無いと思う。何しろ、ある程度根回しが出来る上に大手を振って事実関係をネジ曲げられるんだから。
ハンターハンターのトンパ思い出した
多数決をとっても、周りは自己都合主観で多数派に入り込むから、そもそも意味がない。
そして気づいてないフリをしてまで多数派に入るが、いざ自分らで決めた癖に
実務で自分らに負荷が乗っかると自分らで決めた事にすら愚痴を言い出す人多数。
そして少数で反対してた人に、強調性が
無いとかいっては、自分の仕事を振ろうとしてくる多数派。こんな奴が多数派には多い♫苦笑
ナチも多数決で勝っとるわ。
多数決で成功した時のメリット 多数派になれば勝ち馬に乗れて少数派になれば間違った意見を通した責任を持たなくてよい
中世のフランス、スペインみたいになるから最適なのは有能たちが出した案を多数決にするって事で良いのかな?
レオリオの悪口はそこまでだ
そもそも選択肢を決めてから決めるはおかしい
流行を生むのは、少数派の中で自己アピールできる人だと思うけどな…
取り敢えず多数決でなんとかなる
民主主義の弊害!
要は責任取りたくない人の常套手段!
んじゃ何が正解かを聞きたい
二つの意見が出たらそれを合わせて意見を出すっていうノリがどちらかの意見を切り捨てたら意見出した人に申し訳ないからって理由ででているやつうざい
時間ない時とかめんどくさくてどうでもいいことなら多数決でやってるわ
逆に多数決を絶対に認めないワンマン社長、ワンマン上司も無能だけどね。
多数決はもうこれ以上議論はしませんってことだからな
自分は無能だからとりあえず多数決にしてる
じゃんけんで決めよう!
ハンターハンターで多数決の虚弱性学んでないのか?
答えは沈黙
盲目的に多数決で決めるのは無能
組織にとって良い方針=多数派の意見
っていう論理しか持ってないやつがやるね。それで自分で責任取るならまぁ別に良いけど。
管理職は意思決定の論理を必死に考えて、周りの意見も参考にしつつ、自分で決めるためにいるんでしょ。(もちろんその責任は自分で取る)
多数決を採用してる偉い人みたことないー(*´▽`*)w
結果論は置いといて、やっぱり「決める」ことがリーダーの仕事だと思う
参考までに多数決するのは良いかもだけど、安易に多数を採用しちゃいけない
あくまでリーダーが主導すべき、かなぁ~って思う