シシガミは討たれて頭部と胴体が切り離されて別々の存在、作用を発揮し始めたよね。人も同じ。強い想いや念が、行動とその結果が力を存在を変える。 乙事主やモロは、あんな結果でも生きて散るその形を満足とまでは言わぬとも許容しているんです。 祟るのは納得いかない時に起こります。作用反作用の法則と同じです。尊ぶ↔︎祟る。より強い力を持つ存在ほど、曖昧さがなくシャレが効かないのです。 例えば私たちが小さなアリの群れならば人は巨神に近く、我々の存在を見ながら歩きません。ふんでしまっても気にも留めません。それと同じです。 人は自然(神)や環境の許す範囲で慎ましく暮らしていた。そこが他の生物と同様の原点です。だが好奇心と欲が人間にはある…。 自然の世界を変える科学、化学が人間の力。既存の環境、自然界を変える為に神を56すのです。 そして人間が食物連鎖の頂点に近づくほど相対的に…乙事主たちのように獣神、土着信仰の対象だった神々は獣に位置が下がるのです。 そして日本は八百万の神々の存在を認める、畏れ敬う考え方がありそれがユダヤ教やキリスト教などと根本的に違うのです。
シシガミは討たれて頭部と胴体が切り離されて別々の存在、作用を発揮し始めたよね。
人も同じ。
強い想いや念が、行動とその結果が力を存在を変える。
乙事主やモロは、あんな結果でも
生きて散るその形を満足とまでは言わぬとも許容しているんです。
祟るのは納得いかない時に起こります。
作用反作用の法則と同じです。
尊ぶ↔︎祟る。
より強い力を持つ存在ほど、曖昧さがなくシャレが効かないのです。
例えば私たちが小さなアリの群れならば
人は巨神に近く、我々の存在を見ながら歩きません。
ふんでしまっても気にも留めません。
それと同じです。
人は自然(神)や環境の許す範囲で慎ましく暮らしていた。
そこが他の生物と同様の原点です。
だが好奇心と欲が人間にはある…。
自然の世界を変える科学、化学が人間の力。
既存の環境、自然界を変える為に神を56すのです。
そして人間が食物連鎖の頂点に近づくほど
相対的に…
乙事主たちのように獣神、土着信仰の対象だった神々は獣に位置が下がるのです。
そして日本は八百万の神々の存在を認める、畏れ敬う考え方があり
それがユダヤ教やキリスト教などと根本的に違うのです。
たしかに作中で弓を放った時や、刀ひん曲げた際にそんなシーンありましたね。