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ここまでで誰でもやれそうなのは、成長し続ければいつかその時は来るってことか。「自分が無能すぎてそもそも成長ができません」という人は、たぶんどんなに小さいこともやったことがないだけだと思う。他人がやっていることが小さすぎて「うわちっちぇー」とか笑ってたが、自分はやってなかったと。この人はこれまででは50円を稼ぐこともできなかったでしょう。やり方を知っているのと、やったことがあるのとは違う。こういうと必ず「経験したヤツが偉い」という文脈で言われるが、そういうことじゃない。「やり方を知っているのと、やったことがあるのは違う」って言葉は説教に使いやすく、人格攻撃になるんだが日本人はこの手のきれいな言葉が超絶好きで、こういう言葉だけを発して過ごしていると言っても過言ではない。日本人はかっこいい説教の言葉について、全然気づいていない。相手を人格攻撃しているだけだと。やったことがなかったら「経験していないから黙ってろ」というのではなく、今までやったことがない、たったそれだけの理由であなたは「俺には無理なんだ」と確信を持ってしまうということだ。「やったことがない」「やらなかった」「やる気になれなくて過ごしている」というだけだったんだ。「結局やらなかった=自分は無能」と思ってしまうんだ。生れて成長して、きっと自分は何かやるんだと思っていたが、なぜかやれなかった。「きっと、俺は無能だからやれないんだ」と思ってしまう。「いつか俺も何かするんだ」と思って学生生活を送ったが、なぜかやらなかったというのは、ランダムに発生するからだろうか?発生を自分で作り出すことができなかったのだろうか。 こうならないために、なんでもいいから、一人で試す日常生活を送ることを提案したい。あなたが10代でも90代でもかまわない。これから、どんなに小さなことでもいいから、試しながら生活するといい。小さな動作を真似したりするんだ。 たまたま思い出した映画だと「インセプション」という映画がある。レオナルド・ディカプリオ主演。渡辺謙もでている。ディカプリオがコマのようなものを回す。これを見たから「コマをこうやって回す」という知識は手に入れた。これで済むと、「なにもしなかった」わけだ。 たとえば、このコマを回すだけの動作でも、たまたまコマを持っていたら回してみるとか。言い例えが思いつかなかったが、わかっただろうか。テレビで小さな動作を無数にみられる。見たことがあればできるという知識はつく。芸人の誰誰がこんなことしてたよと。見ていたら言うだけならだれでもできる。 あなたは「実は、おれ、似たことをやったことがあるんだ」と言ったことはないだろう。 芸能界のどんなにくだらない遊びでも、一部でいいから「似たことをやったことがある」と自信を持って言えることはあなたにあるだろうか?おそらくないはずだ。 だから、「やったことがない=俺は無能」という極論になりやすいんだ。生れて大したことをせずに、25歳になると、なまくら刀のようなまさに「ヘタレ」のような気がしてくるんだ。 しかも日本はお互いに「俺とお前はヘタレ♪」という価値観をずーっと叩き込み続けている。 日本人は特に、小さい挑戦をする日常を送る必要がある。ここで、最初の「成長」につながる。小さい挑戦に慣れてくると、すこしずつ難しいことをやりたいと思うようになる。それもできるようになったら、ちょっと飽きてくる。もう少しだけ難しいことをしてみよう。 これでわかっただろう。あなたは「もうすこしだけ難しいことをやってみたいからやってみた」という経験をずーっと詰み続ける毎日を送ればいい。 決して、何もしない生活を送ってはいけなかった。このため、日本人はヘタレになりやすいということだ。 「もう少しだけ難しい事」を試し続けると、だんだん大きなことをする。そこそこ難しいことを無数にやって、生活環境を変えるくらいのでっかい挑戦もやる気になるというわけだ。生活環境を変えるときに生じる問題で「こんなバカ騒ぎがあってな、あのときはこうなったんだ」と言えるようになると自分が小さいとは思わなくなるだろう。 私も中学の時は「私の魂は水素原子より小さい」と思っていた。 何もしないと、自分が本当に何もできない人間ではないかという気がしてくる。25歳を超えたら、最初から挑戦しようと思わなくなる。「これ面白そうだからやってみないか」と言われてできない理由を言うはずだ。耳が痛い人はいるだろう。 やらない言い訳をしなければいけないのは、経験が少ないからだ。経験を積んでいないあなたが下だとは言ってない。あなたが自分は下だと、自分で勝手に感じてしまうのだ。何もしないで生きると、「ただやらなかったから経験がない」と解釈せず、「無能だからやらなかった。きっと、どう頑張ってもできないんだ」という極論になっているのだ。 あなたが「俺は無能だから今までやらなかった」とい思っている言葉は大嘘である。 ただやったことがないだけだから、できなくて当たり前なのに、長年やらないできたからあなたは心の奥から「俺は無能」というレッテルを張ってしまったのだ。 このように、何もしないのは害悪でしかない。大嘘を信じてしまって、自分で自分を何もできない人間にしてしまう。何もしなかったことが証拠に、そう思うのだ。 だから、90歳になってからでもいい、死ぬ15分前からでもいいから何かを始める。 そして、たった一つの動作からでもいいから習得してみることだ。見ただけで簡単そうな動作を「簡単だよ」と言っているだけの状態から脱しよう。 大人になってからでも何かを始めると、本気で何もできないという感覚がうすれるだろう。 たとえば楽器演奏をはじめて、どれもこれも難しくてできないとするなら、マニュアル通りの順番に曲を弾いて学ぶのではなく、好きな曲が弾きたいから技法を学ぶ方がうまくいきやすいだろう。このように、習得法自体に工夫があるので、あなたが本気で何もできないと思うのは大嘘である。たまたまとはいえ「何もしなかった」ということは「自分は無能」くらいに思ってしまうのだ。 「自分は無能」という苦しい気持ちから解放されるには、むしろ何かをするのが当たり前の人生を送るべきだった。 それから、「たった一つのことしかできない」という思い込みから脱する必要が出てくる。いくつかのことが同時にできるようになれば、伍代夏子さんのような少し前の時代の方も、もっと自分が大きくなる。同じような事しかしないというのは、性格が頑固になっているのと似たような状態である。歌とは全く違う活動で、簡単な事だけをやると、内面に幅ができる。算数でもやってみるとかだ。足し算引き算をただやる。そろばんが難しかったらいきなりやらなくてもいい。100マス計算だったか、ただ四足演算を繰り返す作業だけをして、勉強で遊ぶという感じである。同じような事しかしていない人は、おそらく遊びを作るのが下手だと思う。自分が慣れていないことがとことんまでぎこちないのは、そのためだ。慣れないことをやらなさ過ぎるのだ。飛躍思考ができないと遊ぼうとも思えないので、遊べるようになると心に余裕が生まれる。ちょっと変化をつけたいときに、さほど苦労せず何か思いつくだろう。そうなると昭和時代の苦しかった経験をした人は、胸を締め付けられるような感覚が緩むだろう。 ながくなったが、こうやって学び続け、成長し続ければ、成功の時をつかみやすくなる
猫の効果音は元動画の方で入ってるものです。
DaiGoは本当に優しい男だ
良い人でいたいがために憎まれ口叩いてる
好事魔多し
チャンスをいち早く見つけてそれを活かせるかどうかだよね、結局行動力
「いつチャンスが来るか分からないのに、高い生産性をキープする」ってサラッと言ってるけど、めちゃくちゃハードル高いな笑笑
小銭もお札もよく拾うし芸能人にもすぐ気づくんだけど………
すごく参考になりました。
落ちぶれてる感えぐいなこの人
弟となんでこんなに差がついたんだろう
ここまでで誰でもやれそうなのは、成長し続ければいつかその時は来るってことか。
「自分が無能すぎてそもそも成長ができません」という人は、たぶんどんなに小さいこともやったことがないだけだと思う。
他人がやっていることが小さすぎて「うわちっちぇー」とか笑ってたが、自分はやってなかったと。
この人はこれまででは50円を稼ぐこともできなかったでしょう。
やり方を知っているのと、やったことがあるのとは違う。
こういうと必ず「経験したヤツが偉い」という文脈で言われるが、そういうことじゃない。
「やり方を知っているのと、やったことがあるのは違う」って言葉は説教に使いやすく、人格攻撃になるんだが日本人は
この手のきれいな言葉が超絶好きで、こういう言葉だけを発して過ごしていると言っても過言ではない。
日本人はかっこいい説教の言葉について、全然気づいていない。相手を人格攻撃しているだけだと。
やったことがなかったら「経験していないから黙ってろ」というのではなく、今までやったことがない、たったそれだけの理由で
あなたは「俺には無理なんだ」と確信を持ってしまうということだ。
「やったことがない」「やらなかった」「やる気になれなくて過ごしている」というだけだったんだ。
「結局やらなかった=自分は無能」と思ってしまうんだ。
生れて成長して、きっと自分は何かやるんだと思っていたが、なぜかやれなかった。
「きっと、俺は無能だからやれないんだ」と思ってしまう。
「いつか俺も何かするんだ」と思って学生生活を送ったが、なぜかやらなかったというのは、ランダムに発生するからだろうか?
発生を自分で作り出すことができなかったのだろうか。
こうならないために、なんでもいいから、一人で試す日常生活を送ることを提案したい。
あなたが10代でも90代でもかまわない。
これから、どんなに小さなことでもいいから、試しながら生活するといい。
小さな動作を真似したりするんだ。
たまたま思い出した映画だと「インセプション」という映画がある。レオナルド・ディカプリオ主演。渡辺謙もでている。
ディカプリオがコマのようなものを回す。
これを見たから「コマをこうやって回す」という知識は手に入れた。
これで済むと、「なにもしなかった」わけだ。
たとえば、このコマを回すだけの動作でも、たまたまコマを持っていたら回してみるとか。
言い例えが思いつかなかったが、わかっただろうか。
テレビで小さな動作を無数にみられる。見たことがあればできるという知識はつく。
芸人の誰誰がこんなことしてたよと。見ていたら言うだけならだれでもできる。
あなたは「実は、おれ、似たことをやったことがあるんだ」と言ったことはないだろう。
芸能界のどんなにくだらない遊びでも、一部でいいから「似たことをやったことがある」と自信を持って言えることは
あなたにあるだろうか?
おそらくないはずだ。
だから、「やったことがない=俺は無能」という極論になりやすいんだ。
生れて大したことをせずに、25歳になると、なまくら刀のようなまさに「ヘタレ」のような気がしてくるんだ。
しかも日本はお互いに「俺とお前はヘタレ♪」という価値観をずーっと叩き込み続けている。
日本人は特に、小さい挑戦をする日常を送る必要がある。
ここで、最初の「成長」につながる。小さい挑戦に慣れてくると、すこしずつ難しいことをやりたいと思うようになる。
それもできるようになったら、ちょっと飽きてくる。
もう少しだけ難しいことをしてみよう。
これでわかっただろう。あなたは「もうすこしだけ難しいことをやってみたいからやってみた」という経験をずーっと
詰み続ける毎日を送ればいい。
決して、何もしない生活を送ってはいけなかった。
このため、日本人はヘタレになりやすいということだ。
「もう少しだけ難しい事」を試し続けると、だんだん大きなことをする。
そこそこ難しいことを無数にやって、生活環境を変えるくらいのでっかい挑戦もやる気になるというわけだ。
生活環境を変えるときに生じる問題で「こんなバカ騒ぎがあってな、あのときはこうなったんだ」と言えるようになると
自分が小さいとは思わなくなるだろう。
私も中学の時は「私の魂は水素原子より小さい」と思っていた。
何もしないと、自分が本当に何もできない人間ではないかという気がしてくる。
25歳を超えたら、最初から挑戦しようと思わなくなる。「これ面白そうだからやってみないか」と言われて
できない理由を言うはずだ。耳が痛い人はいるだろう。
やらない言い訳をしなければいけないのは、経験が少ないからだ。
経験を積んでいないあなたが下だとは言ってない。あなたが自分は下だと、自分で勝手に感じてしまうのだ。
何もしないで生きると、「ただやらなかったから経験がない」と解釈せず、「無能だからやらなかった。
きっと、どう頑張ってもできないんだ」という極論になっているのだ。
あなたが「俺は無能だから今までやらなかった」とい思っている言葉は大嘘である。
ただやったことがないだけだから、できなくて当たり前なのに、長年やらないできたから
あなたは心の奥から「俺は無能」というレッテルを張ってしまったのだ。
このように、何もしないのは害悪でしかない。大嘘を信じてしまって、自分で自分を何もできない人間にしてしまう。
何もしなかったことが証拠に、そう思うのだ。
だから、90歳になってからでもいい、死ぬ15分前からでもいいから何かを始める。
そして、たった一つの動作からでもいいから習得してみることだ。
見ただけで簡単そうな動作を「簡単だよ」と言っているだけの状態から脱しよう。
大人になってからでも何かを始めると、本気で何もできないという感覚がうすれるだろう。
たとえば楽器演奏をはじめて、どれもこれも難しくてできないとするなら、
マニュアル通りの順番に曲を弾いて学ぶのではなく、好きな曲が弾きたいから技法を学ぶ方がうまくいきやすいだろう。
このように、習得法自体に工夫があるので、あなたが本気で何もできないと思うのは大嘘である。
たまたまとはいえ「何もしなかった」ということは「自分は無能」くらいに思ってしまうのだ。
「自分は無能」という苦しい気持ちから解放されるには、むしろ何かをするのが当たり前の人生を送るべきだった。
それから、「たった一つのことしかできない」という思い込みから脱する必要が出てくる。
いくつかのことが同時にできるようになれば、伍代夏子さんのような少し前の時代の方も、もっと自分が大きくなる。
同じような事しかしないというのは、性格が頑固になっているのと似たような状態である。
歌とは全く違う活動で、簡単な事だけをやると、内面に幅ができる。
算数でもやってみるとかだ。足し算引き算をただやる。そろばんが難しかったらいきなりやらなくてもいい。
100マス計算だったか、ただ四足演算を繰り返す作業だけをして、勉強で遊ぶという感じである。
同じような事しかしていない人は、おそらく遊びを作るのが下手だと思う。
自分が慣れていないことがとことんまでぎこちないのは、そのためだ。慣れないことをやらなさ過ぎるのだ。
飛躍思考ができないと遊ぼうとも思えないので、遊べるようになると心に余裕が生まれる。
ちょっと変化をつけたいときに、さほど苦労せず何か思いつくだろう。
そうなると昭和時代の苦しかった経験をした人は、胸を締め付けられるような感覚が緩むだろう。
ながくなったが、こうやって学び続け、成長し続ければ、成功の時をつかみやすくなる
確かに
チョコプラさんなんかはいい例だと思います
一度のれたらそれで経済的自由手に入りますが
入れなくても自由手に入るので無理せず行動していきます