ん~。流儀があるでしょう。掛けてきた効果はひっくり返して返さねばならない。1次遅れですよ。でもそれだけだと、付加価値乗せてない。デフォだとこれで良い。面白いと思わせるだけ何かやったら考えねばならないような気がしてくる。
個人的にダイヤモンドプリンセスって聞くと違和感を覚える。それはクリスフォードの顧問弁護士であるカーマイケルの最後らへんで放ったセリフ。確かミンチンに対して言ったことで「彼女は今や本当のダイヤモンドプリンセスになったのです」ってセリフ。少なくともダイヤモンドプリンセスなる造語はミンチン女学院内で生徒や先生が言ってただけの事で、セーラ自身も含めてクリスフォード関連の人は誰もそんなことは言っていなかったってこと。セーラがクリスフォードの家にいる時にそのことを語った可能性はあるけど、作中のセーラは慎ましく、控えめな性格で、自らをダイヤモンドプリンセスなんて思ってもいなかったはず。なのでそれを語るのもおかしいから、なおさらカーマイケル弁護士が言った言葉に違和感を覚えた。
アニメには、というか特にこういうキッズアニメには例え建前でも「伝えたいテーマ」というのが大事だと思うけれどこの頃のキッズアニメにはそういうのがどうにも首をひねるのが多い印象。なので子供の頃に見てもピンとこない。まあ社会に出ると、ラビニアやミンチンみたいな意地悪なクソばっかりだけどね。そういうことへの啓蒙?警鐘?でもないし。今でいうスカッとジャパン的な安易なオチだし
当時、ラビリア、ミンチンの声優さんたちは、悪役をやるにも心が折れそうだったと雑誌に答えたなあ。演出とはいえ、ここまで人間は非情になれるのかと思いながらも、番組を良くするために耐え忍んだとか。テレビ局と事務所には苦情も来たいたそうだから、徹したのはプロ根性だよなあ。結構、この手の悪役は断る人いるけど、山田さんと中西さんは流石の演技力。今時の声優さんには中々いないよ。
この作品、主人公がいじめられる事と最後にラビニアが「あなたと友達になってやるよ」的なことを言ったことしか知らないなぁ。現代だったら、ラビニアは底辺に落っこちてセーラの隣にいるのは、実はあの時私を助けたイケメンで今は旦那さんです。みたいなオチになるのかな?知らんけど。
『小公女セーラ』は大人になる頃にダイヤモンド鉱山が掘り尽くされ、一人の実業家女性として自立する続編があるとか聞いて同じ作者の『秘密の花園(こちらはなんとナディアの後番アニメ化)』も輝くような野性児ディコンが成長後に戦場で将校になったコリン若様を守って一兵卒として死亡した、と若様がメアリーに告げると聞き、何かこう…「さようなら輝かしき少女時代の夢よ、私は力強く生きていくわ」な感じが強いです(『小公子』はそのまんま何不自由ない感じするので、やっぱり米国と英国の新しい関係作り的プロパガンダに使われた空気が有る主人公は、ずっとキラキラしてなきゃなのでしょうか?…それとも作者が女性なので大貴族後継者の輝かしい成長後の落としどころがピンと来なかったのかも)
なぜセーラを言わないか。答えは簡単で、あの当時オタクはいじめられっ子が多かった。だからイジメを連想するセーラの話題は出したくないんだと思いますよ。私自身作品としてのセーラはあまり好きじゃありません。山田さんや中西さんの演技が上手すぎて、マジで胸糞悪かったから。(このおふたり、「赤毛のアン」のアンとマリラなんですよね。大好きな声優さんなだけに、聞いていてつらかった)怒らないセーラに逆にイラッとしたのは私だけでしょうか?
ダイヤモンドプリンセス号と言うと、私としては建造中に火災になってしまい急遽2番艦のサファイアプリンセス号をダイヤモンドプリンセス号に変更して、火災で焼けた上層部を解体してサファイアプリンセス号にした、という事が強く印象に・・・。 それはさておき、セーラを思い出さなかったのは「作品見てなかった」からですね。当時もアニメ好きでアニメージュとかも買って読んでて知ってはいたのですが、なんせ私自身が当時からいじめにあう立場だったのでわざわざ家に帰って見るアニメで更にいじめなんてさすがに折れるのでそういう場面がとても多い作品は見ませんでした。 今なら大丈夫だろうか・・・今でも折れるかも・・・。
セーラは物語中盤から終盤までのミンチンとラビニアの壮絶なイビりだなぁ。あれを名作劇場でやったのが凄いラビニア役の山田栄子さん、ミンチン役の中西妙子さん共々さすがの名演だったけど声優さんは台本通りやってるだけなのに、視聴者ヵらセーラをいじめる役の二人に抗議の手紙が届いたりして山田さんはあまりの辛さに泣きながらセーラをいじめるセリフをしゃべってたとかでもそれだけに最後は痛快だった。特にミンチンの妹でセイラには優しかったけどミンチンに逆らえなかったアメリア先生がセイラが結局は大金持ちになった事で、自分のセーラへの所業を後悔する姉を罵倒したシーンはスカッとしたね。あと、そのちょっと前に馬小屋のボヤをセーラのせいにして私の親切をお前は仇で返したというミンチンに私は親切にされた事はなかったしここが自分の家と思った事はないと言い返したシーンもちょっとスッキリした
アニメだから問題ないけど 現実社会では、イライラするからイジメる、とはならない人間は、自分では解決出来ない問題に遭遇すると、自分の無力さを感じイライラする、それが高じると怒りとなる 一方、イジメは集団生活によるストレスの解消そのものだ 怒りとイジメでは、その性質がまるで違う怒りの感情は怒る事では解消出来ない、結局は問題解決しないと怒りは解消されないイジメの場合は、イジメる事でその人間のストレスは解消されるただ、イジメる際にドーパミンが分泌される為、ストレス解消方法としては即効性がある分、ドーパミン分泌の為「より強くより大量に」を求める事となるつまり、エスカレートするのだ イジメをする人間、ネットリンチをする人間の心理は全く同じ「私が彼をイジメるのは、彼がイジメられる事をしたからだ」「みんなやってる、私は悪くない」「だから、今日も私は彼を罵るだけ罵り、叩くだけ叩くのだ」「私は悪くない、みんなやっているのだから」
ん~。流儀があるでしょう。
掛けてきた効果はひっくり返して返さねばならない。1次遅れですよ。
でもそれだけだと、付加価値乗せてない。
デフォだとこれで良い。
面白いと思わせるだけ何かやったら考えねばならないような気がしてくる。
ラビニアは原作(川端康成訳)読んだ時確か2シーンくらいしか登場しなくてセリフも一言二言嫌味言う程度だけだったのが衝撃的すぎたわ
セーラ→宮崎駿のミューズ、島本須美
ラビニア→高畑勲の代表作、アン シャーリーの山田栄子
というキャスティングも凄い
所々で、塩麴セーラ、塩麴セーラって聞こえてしまって・・・。
でも最終回のラビニアは大人を感じた。素直になれないツンデレって言う感じはあったけど。
セーラの気高さが好き
俺の母ちゃんがこのアニメめちゃくそ好きだったけど、俺は大嫌いだったから
このアニメ見始めるたびに、なんでこのアニメ見るの?ってきいてた気がするわあ
キャンディキャンディのイライザより性悪なのか
個人的にダイヤモンドプリンセスって聞くと違和感を覚える。それはクリスフォードの顧問弁護士であるカーマイケルの最後らへんで放ったセリフ。確かミンチンに対して言ったことで「彼女は今や本当のダイヤモンドプリンセスになったのです」ってセリフ。
少なくともダイヤモンドプリンセスなる造語はミンチン女学院内で生徒や先生が言ってただけの事で、セーラ自身も含めてクリスフォード関連の人は誰もそんなことは言っていなかったってこと。
セーラがクリスフォードの家にいる時にそのことを語った可能性はあるけど、作中のセーラは慎ましく、控えめな性格で、自らをダイヤモンドプリンセスなんて思ってもいなかったはず。なのでそれを語るのもおかしいから、なおさらカーマイケル弁護士が言った言葉に違和感を覚えた。
主題歌を下成佐登子が歌ってたんで観てた。(戦えトランスフォーマーは観なかったけど)
アニメには、というか特にこういうキッズアニメには
例え建前でも「伝えたいテーマ」というのが大事だと思うけれど
この頃のキッズアニメにはそういうのがどうにも首をひねるのが多い印象。
なので子供の頃に見てもピンとこない。
まあ社会に出ると、ラビニアやミンチンみたいな意地悪なクソばっかりだけどね。
そういうことへの啓蒙?警鐘?でもないし。今でいうスカッとジャパン的な安易なオチだし
寄宿制の女学院で馬小屋住まいにまで追い込まれるのは見るに耐えなかった
当時、ラビリア、ミンチンの声優さんたちは、悪役をやるにも心が折れそうだったと雑誌に答えたなあ。演出とはいえ、ここまで人間は非情になれるのかと思いながらも、番組を良くするために耐え忍んだとか。テレビ局と事務所には苦情も来たいたそうだから、徹したのはプロ根性だよなあ。
結構、この手の悪役は断る人いるけど、山田さんと中西さんは流石の演技力。今時の声優さんには中々いないよ。
セーラが寒空の中学園を追い出された際も一切心配せずニヤついてるラビニア怖すぎw
この作品、主人公がいじめられる事と最後にラビニアが「あなたと友達になってやるよ」的なことを言ったことしか知らないなぁ。
現代だったら、ラビニアは底辺に落っこちてセーラの隣にいるのは、実はあの時私を助けたイケメンで今は旦那さんです。みたいなオチになるのかな?知らんけど。
セーラもラビニアも似たり寄ったりな性格なんですよね。
ラビニアは、最終回の捨て台詞「あなたが本物のダイアモンドプリンセスになってる頃、私は大統領夫人になってるわ」が、超かっこよかった。
『小公女セーラ』は大人になる頃にダイヤモンド鉱山が掘り尽くされ、一人の実業家女性として自立する続編があるとか聞いて
同じ作者の『秘密の花園(こちらはなんとナディアの後番アニメ化)』も輝くような野性児ディコンが成長後に戦場で将校になったコリン若様を守って一兵卒として死亡した、と若様がメアリーに告げると聞き、何かこう…「さようなら輝かしき少女時代の夢よ、私は力強く生きていくわ」な感じが強いです
(『小公子』はそのまんま何不自由ない感じするので、やっぱり米国と英国の新しい関係作り的プロパガンダに使われた空気が有る主人公は、ずっとキラキラしてなきゃなのでしょうか?…それとも作者が女性なので大貴族後継者の輝かしい成長後の落としどころがピンと来なかったのかも)
きっとラザニアはセーラが心折れることで、あぁやっぱりセーラも私と同じ人間なんだと
安心したくてそれでいじめ続けたんだろうなぁ
めっちゃ感情移入したアニメだけど最後セーラが何でもかんでも金で解決するようになるのにはドン引きした。
なぜセーラを言わないか。答えは簡単で、あの当時オタクはいじめられっ子が多かった。だからイジメを連想するセーラの話題は出したくないんだと思いますよ。私自身作品としてのセーラはあまり好きじゃありません。山田さんや中西さんの演技が上手すぎて、マジで胸糞悪かったから。(このおふたり、「赤毛のアン」のアンとマリラなんですよね。大好きな声優さんなだけに、聞いていてつらかった)怒らないセーラに逆にイラッとしたのは私だけでしょうか?
ダイヤモンドプリンセス号と言うと、私としては建造中に火災になってしまい急遽2番艦のサファイアプリンセス号をダイヤモンドプリンセス号に変更して、火災で焼けた上層部を解体してサファイアプリンセス号にした、という事が強く印象に・・・。
それはさておき、セーラを思い出さなかったのは「作品見てなかった」からですね。
当時もアニメ好きでアニメージュとかも買って読んでて知ってはいたのですが、なんせ私自身が当時からいじめにあう立場だったのでわざわざ家に帰って見るアニメで更にいじめなんてさすがに折れるのでそういう場面がとても多い作品は見ませんでした。
今なら大丈夫だろうか・・・今でも折れるかも・・・。
セーラは物語中盤から終盤までのミンチンとラビニアの壮絶なイビりだなぁ。あれを名作劇場でやったのが凄い
ラビニア役の山田栄子さん、ミンチン役の中西妙子さん共々さすがの名演だったけど
声優さんは台本通りやってるだけなのに、視聴者ヵらセーラをいじめる役の二人に抗議の手紙が届いたりして
山田さんはあまりの辛さに泣きながらセーラをいじめるセリフをしゃべってたとか
でもそれだけに最後は痛快だった。特にミンチンの妹でセイラには優しかったけどミンチンに逆らえなかったアメリア先生が
セイラが結局は大金持ちになった事で、自分のセーラへの所業を後悔する姉を罵倒したシーンはスカッとしたね。
あと、そのちょっと前に馬小屋のボヤをセーラのせいにして私の親切をお前は仇で返したというミンチンに
私は親切にされた事はなかったしここが自分の家と思った事はないと言い返したシーンもちょっとスッキリした
いじめがつらくて、途中はあんまり見てなくて、セーラーを探してる父親の知人?が出てきた当たりからちゃんと見てましたねW
アニメだから問題ないけど
現実社会では、イライラするからイジメる、とはならない
人間は、自分では解決出来ない問題に遭遇すると、自分の無力さを感じイライラする、それが高じると怒りとなる
一方、イジメは集団生活によるストレスの解消そのものだ
怒りとイジメでは、その性質がまるで違う
怒りの感情は怒る事では解消出来ない、結局は問題解決しないと怒りは解消されない
イジメの場合は、イジメる事でその人間のストレスは解消される
ただ、イジメる際にドーパミンが分泌される為、ストレス解消方法としては即効性がある分、ドーパミン分泌の為「より強くより大量に」を求める事となる
つまり、エスカレートするのだ
イジメをする人間、ネットリンチをする人間の心理は全く同じ
「私が彼をイジメるのは、彼がイジメられる事をしたからだ」
「みんなやってる、私は悪くない」
「だから、今日も私は彼を罵るだけ罵り、叩くだけ叩くのだ」
「私は悪くない、みんなやっているのだから」