【元動画はこちら】↓ https://www.youtube.com/watch?v=mDFAKSDEWP4 ☆もののけ姫考察シリーズ↓ 【ジブリ】サンの母親がエボシ様 … source Favorite0
サンはアシタカの村の人が森に捨てたのだと思います。何故なら、アシタカの村の長の耳飾りと、サンの耳飾りが同じものだからです。又、サンの面も長の服の文様と似ている気がします。長の判断の速さとにも過去に何かがあったことを思わせます。祟り神がわざわざアシタカの村を目指してやってきたこともいんねんのようなものを感じます。実はアシタカとサンは兄妹なのでは・・?
私は二人が親子だったという後付けは物語をむしろ浅くしてしまうと思いますね エボシ御前は心の内に功利主義者と博愛主義者の二つの矛盾した人格を併せ持ち、かつあまり内省などせずに自分の決めた正義感、世界観に従って強烈に前へ前へ突進するエゴイストでもあると思います それでも頭の悪い人ではないのでそのまま突き進むとどこかでこの矛盾で行き詰まるかもしれないという予感もうっすらとしかし日に日に増して感じてきている そんなエボシにとってサンは自分の世界観では定義づけ不可能なまさに功利主義と博愛主義の矛盾を象徴する存在面白くなく鬱陶しい存在だったと思います そんなヤキモキしながらも前進していたところにさらに自身の世界観を壊しかねない純度100%の博愛主義者アシタカが来たもんだから、みんなの手前どっしりと構えてましたが、心中穏やかだではなかったと思います わざわざ自分がハンセン病の患者達を匿ってることを見せたりして、自分の功利主義的な冷酷さは正に博愛主義の実践の為であるといったような「お前の考える博愛精神など空論だ、現実はこうだ」と言ったような説教であり、かつそんな自分の行いをこの純粋な青年に肯定してほしかった(つまりエボシは誰かから赦しを求めていた) エボシ御前は大人でありたたら場の長であるがゆえに、アシタカのように素直に悩んだりしてみせることが許されない立場でもあります 結果的に物語で一番救われたのは実はエボシ御前ではないかとも思います心の奥底で抱えている自身の深い業について誰かに赦しか禊を求めていたそれをアシタカがもたらした
いい考察だよ;;
「根拠は無いけど(結構ある)」
エボシとサンは姉妹なのでは?と思っていました。
赤ん坊の時に掘られた墨は綺麗に残りませんよ。
宮崎駿がそんなミスはしないでしょう。
タタラバでの戦いは、エボシはサンを生け捕りにして、モロを誘い出そうとしてるだけなのでは?
親子確定です。根拠は顔が似てます。
モロがエボシを憎んでるのは、エボシが鉄を作るために森を壊してるからでは?
アシタカが初めてサンを見たとき耳飾りがきらめいて音が鳴ります。その瞬間アシタカは同じ村の子であることを理解したのではないでしょうか。
サンはアシタカの村の人が森に捨てたのだと思います。何故なら、アシタカの村の長の耳飾りと、サンの耳飾りが同じものだからです。又、サンの面も長の服の文様と似ている気がします。長の判断の速さとにも過去に何かがあったことを思わせます。祟り神がわざわざアシタカの村を目指してやってきたこともいんねんのようなものを感じます。実はアシタカとサンは兄妹なのでは・・?
色々点が線になった気分です!
英語に訳して世界に広めてほしい…!
タタラ場に子供がいないのは、子供を未来の象徴として、森を資源として開拓していく方法は続かないよというメタファーなのかと思ってた
この考察には感動して言いたいことは多々あるけど、一言で言わせて欲しい… エモい…
深い
エボシ様に育てられたいわぁ、
特殊技能があるとはいえ差別対象のハンセン病患者をタタラバで保護する程度の慈愛のあるエボシが娘を捨てる行為なんてするだろうか。
宮崎駿って設定厨だったんだなぁ
うーん子供がいないのは食料が足りなくなるからだと思うし、自分の子供、あんな近くに捨てるかねえ?考えすぎと違う?
産みの親と、育ての親の綱引きか。
とにかく「もののけ姫」の初見でのわかりにくさは、あまりにもひどくてダメでしょ!と思ってる。
たしかになんか エボシと
サン顔似てるね…
世の中には逆立ちしてもかなわない人がいるって知ると気が楽になるな~
想像力がスゴすぎて引いちゃうレベル
色々な都市伝説や解釈をみてから、もう一度見直すのも楽しめるかもしれませんね
私は二人が親子だったという後付けは物語をむしろ浅くしてしまうと思いますね
エボシ御前は心の内に功利主義者と博愛主義者の二つの矛盾した人格を併せ持ち、かつあまり内省などせずに自分の決めた正義感、世界観に従って強烈に前へ前へ突進するエゴイストでもあると思います
それでも頭の悪い人ではないのでそのまま突き進むとどこかでこの矛盾で行き詰まるかもしれないという予感もうっすらとしかし日に日に増して感じてきている
そんなエボシにとってサンは自分の世界観では定義づけ不可能なまさに功利主義と博愛主義の矛盾を象徴する存在
面白くなく鬱陶しい存在だったと思います
そんなヤキモキしながらも前進していたところにさらに自身の世界観を壊しかねない純度100%の博愛主義者アシタカが来たもんだから、みんなの手前どっしりと構えてましたが、心中穏やかだではなかったと思います
わざわざ自分がハンセン病の患者達を匿ってることを見せたりして、自分の功利主義的な冷酷さは正に博愛主義の実践の為であるといったような「お前の考える博愛精神など空論だ、現実はこうだ」と言ったような説教であり、かつそんな自分の行いをこの純粋な青年に肯定してほしかった(つまりエボシは誰かから赦しを求めていた)
エボシ御前は大人でありたたら場の長であるがゆえに、アシタカのように素直に悩んだりしてみせることが許されない立場でもあります
結果的に物語で一番救われたのは実はエボシ御前ではないかとも思います
心の奥底で抱えている自身の深い業について誰かに赦しか禊を求めていた
それをアシタカがもたらした
十代前半で産むのも当たり前の時代だっただろうから、エボシがまだ未熟な時に産んだ子供って考えたら納得かも
岡田さんの言う通りモロは本音出さないしアシタカに威圧的な所神々しくて怖かったです!