【へうげもの】本能寺の変はコレが1番面白いです/織田信長【岡田斗司夫/切り抜き】【岡田斗司夫まとめ】



0:00 豊臣秀吉が斬る 0:35 織田信長と豊臣秀吉の会話 2:56 織田信長の野望 4:36 安土城 5:39 織田信長がポルトガル語を 6:36 古田 …

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「【へうげもの】本能寺の変はコレが1番面白いです/織田信長【岡田斗司夫/切り抜き】【岡田斗司夫まとめ】」への19件のフィードバック

  1. より:

    身も蓋もないこと書いちゃえば、都に信長がいるときに、都のそばを大軍を率いて堂々と通過できるなんてそんな大チャンスを活かさない武将はいない。
    ここからは想像だけど、
    そんなことに気付かなかったからこそ、つまり自分は武将として必要な感性を無くしていたことに気付いたからこそ、信長は「是非もなし」と言ったのだと思う。

  2. より:

    ダール・イ・レゼベール

  3. より:

    隙ではなくて、数寄ですよ。

  4. より:

    愛よ

  5. より:

    岡田さんの続きが紹介されたかは分かりませんが、
    利休が光秀に心を奪われる2つのシーンが好きです。
    安土城を白塗りしてしまう。
    辞世の句で七七を省略しちゃう。

  6. より:

    8:05 織田ラブ長w

  7. より:

    織田信長

    日本人の臨死体験者の話から
    過去に旅したらしい(汗)

    織田信長は、日本の十字軍の将軍では、飽き足らたず!

    本能寺の変と言う!
    超側近の明智光秀を使い!
    茶番劇を演じて、自身は死亡と見せかけて!日本を出奔して!ローマへ(汗)

    日本人初の枢機卿まで、なったらしい?(笑)

    その先は、ローマ教皇か?(汗)
    然し、生憎ここまででお亡くなりに(汗)

  8. より:

    織田信長?

    完全に、日本の十字軍の将軍(汗)

    彼の数々の所業を、見れば解る(汗)

    後の、豊臣秀吉もね!(汗)
    朝鮮出兵から中国か?

    だから、後の徳川家康は真逆な政策を取った!(汗)

    徳川幕府が倒れてからは、明治政府は十字軍=日本軍を朝鮮から中国へとね!(汗)

  9. より:

    「♡の信」は、確かに面白い。【へうげもの】に興味が出ました。紹介、ありがとうございます。

  10. より:

    信長には子供も孫も弟達も後継者は山ほどいたんだけど秀吉はあえて後継者をはっきりさせない事で後継者争いを起こし、有力後継者だった信孝を殺して織田家を実質的に乗っ取ってしまう。織田家の一武将に過ぎなかった男が本能寺の変のわずか3年後には関白になってしまうのは凄いスピードだ。
    『へうげもの』は漫画であるが秀吉が信長に対して忠誠心など持っていなかった事だけは間違いない。

  11. より:

    信長は天守閣も茶の湯も松永久秀から影響を受けたでしょうね。

  12. より:

    史実の信長は頭良すぎて変人にみられるタイプ。
    高い論理性と合理性を持つゆえに身分を気にせず気さくな対人関係を作りたいと思いながらも立場を理解できるためにそれを身近な人物のみに抑え込み、そうでない人達には非常に気を使いながら接していた。
    結果 明智光秀のような誰であろうと上手く合わせるような人物に対して身内的な扱いをしてしまい、髷掴んで城の欄干に頭グレイグリのような事をやってしまうことにw。

  13. より:

    「愛よ」

  14. より:

    私が茶道に嵌まった漫画ですわ。

  15. より:

    安土城の夜景のシーンってそもそも、この漫画が描かれる前に岡田斗司夫が本で取り上げてたもんな。
    「世界征服は可能か」に書いてあったわ。

  16. より:

    「へうげもの」面白かったですね。
    黒人の侍弥助も何の説明もなく、普通に登場してたし。これまでの歴史漫画とは一線を画してましたね。

  17. より:

    戦国モノの中では相当異質な作品だったよね
    ある意味、利休がもう一人の主役でしたね

  18. より:

    家康の述懐が正しいでしょうね。
    同時代で同じ支配階級。
    多少の準備をしていたと言っても光秀の行動はかなり衝動的。信長は我慢が足りなかったということでしょう。

  19. より:

    【織田信長はどういう武将だったか?】
    歴史専門家による最近の「織田信長の研究」では…
    織田信長は、古い時代を打破し新しい時代を切り開いた「天才」でも「革命家」でも何でもなく、戦国大名としては政治的にも軍事的にも当時の常識の範囲内であったそうだ

    確かに織田信長の行動様式は「室町時代」人そのものであり、今まで織田信長が最初だと思われていた「楽市楽座」や「鉄砲戦術」は織田信長以前に先行例が幾つもあって特に「目新しいもの」ではない──強いて言えば織田信長は先行していた施策や戦術をより「大規模」に行ったというべきだろう

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