友達がいないと人生楽しくないなんていう人が多いんだけど、孤独に対する強固なまでな耐性というか、孤独であることこそが楽しいオレみたいな人間からすると理解できないんだよなあ。他人の存在はそれ自体がもうストレスでしかないし。だから俺は林先生の意見に賛成。
友達がいまくる人もいなさすぎる人もちょっと変わってる傾向があるかな。ただ友達いないご老人はだいたい厄介なことが多い。タモリさんとかは芸能人なのもあり、ありとあらゆる人と関わるから友達を厳選しないとめんどくさいってことなんでしょうね。一般人が鵜呑みにして友達いらないって言ってたら本当に厄介な人になる気がするけど…
しかし、タモリは「ネクラ」を執拗に否定していた時期が有って、それがいじめを助長したという黒歴史が有る。社会問題になってからは、ご本人も自重しているみたいだけどね。タモリの友だち不要論には「救い」が無いから危険。そこを林先生は上手に補足していると思う。
生前の橋田壽賀子も友達減らしてるって言ってタモリと意気投合してた残り少ない自分の時間を奪われたくないって SNSとかでテーマ別に集まれる時代になったから友達から世界が拡がる時代じゃなくなったわねヤンキー文化の真逆
本当に心許せる友達より、人数で満足するような風潮はむしろ孤独を悪化させる。人数が多いだけでその人のことを心から考えてくれる人はどれだけいるのか。むしろ人として大切にされない人ほど質より量、人数を重視する傾向にある気がする。
タモさんは皆が交わろうとするけど、本人は交わるのが嫌いと言うのは昔から事あるごとに言っていた。だからこそテロフォンショッキングは成り立っていたと思うな。徹子の部屋とは全く違うアプローチで多くの著名人が出演した稀有な番組のコーナー。
小学校時代、二回の転校で三つの学校を渡り歩きました。誰とでも分け隔てなく接する性格だったので、その都度友達は出来ましたが、いまだに付き合っている人は居ません。社会人となり七回の転職(正社員)を繰り返しましたが、こちらもいまだに付き合っている人は居ません。その場に居るときは付き合いの良い方ですが、一旦離れると未練の無いタイプです。友達は居ません!( ̄- ̄)ゞ
若い頃はどんな女にでもアソコが反応したけど年を取る次第に好みが厳選化されて来て好みの女にしか反応しないフェチ傾向が強くなってきた友達や人に対してもそういう厳選化を無意識にしていくのかな単に体力や能力の衰えで扱えるキャパが小さくなってきたって事もあると思うけど頭の良いほど人間関係にも効率化させていくだろうし友達100人作ろって意欲や感性ってもしかしたら子供だけが持つ力かもしれない
人を見る目が無いうちは 質より量なんだよな。 色んなキャラと付き合ってみて 自分の相性とマッチする人間関係ってのもわかってくるんで あるラインを超えると 量より質になるんだわ。 例えば 「本当に分かり合える親友なんてのは1人いれば十分」 などという話もきくけど その年齢のその人にとって正しいありかたであって 小学1年生には本当に友達100人作れるのかは別としても 「なるべくたくさん友達つくるといいよね」 ってのも真理なんだよね。 あと知り合いの中で仲の良い相手を友達といい その中でももっとも相性がいい相手を親友というような ランク付けとしての言葉だとしたら 友達が多いというのも変な話になるんだけども 高校時代そのような意味での少数の友達が20年後同じ意味での友であり得るかはわからない。(恋愛なら初恋で初めて付き合った相手と必ず結婚をするとは限らないようなもの) 逆に小学1年生なら今日の1番仲の良い友達と明日の1番仲の良い友達が同一人物ではなかったりってのも当たり前にある訳ですよ。 ある意味において「1番仲の良い友達ってのは1人でいい理論」を小学1年生にもあてはめる事もできるんだけど 条件として1番仲の良い友達という相手は1日単位で更新されていくようなものであるって考えるとその予備軍は100人ぐらい作っておいた方が良いよねって話にもなると思うんですよね。
人間生きて行くうちに、何となく自然に友達と呼べる存在を取捨選択していると思うよ。日々暮らして様々な遣り取り付き合いの中で、意図的に接近するとか敬遠する人物って意外と少ない。多くの場合、気がつけば「疎遠になったなぁ~」と感じるだけの様な気がする。
友達の定義による。友達とツレは別。友達は10年会ってなくても友達。お互いを認め合ってるのが友達だから。タモリはもう既に殆どの人に認められてるから、タモリの方から人として認めたら、友達として元々成立してる。ツレは現在の領域が重なる者で、今何をやってるかによる。タモリが絞って行ってるというのは多分ツレで、歳とるに連れてやる事狭めて行くものだから、そのやる事を絞って行ってるという意味だろう。お互い本当の意味で認め合える存在は、居ればいるだけ良いけど、それは数の多さという意味ではなく、お互い認め合える人とどれだけ出会えるかが人生だろうから。元SMAP新しい地図が独立した時に、テレビから干されたけど、ブラタモリのナレーションの草薙の事を、友達だと思ってるから、と言ってたのが印象的。ツレではないけど、友達とはそういうのだと。ちなみに動画のタモリ発言と草薙友達発言はスマスマビストロの時に同時にも言ってる。
あー…、誰の意見もわかるわツイッター見てると明らかに友達が居ないと活力が無くなってシオシオになる人が居て、精力的に友達活動してドタバタしてるのは否定出来ない片や好ましくないセレクターに絡まれたらウザそうだしトラブルも見てるから、やはり友達とは増やすべくして増やすものでもないと思う自然に、勝手に増えていくべき、とも自分は思うけど… 人それぞれかね??
友達の基準てなんだろ? 遊び仲間?仲のいい人?心許せる仲のいい人?
友達がいないと人生楽しくないなんていう人が多いんだけど、孤独に対する強固なまでな耐性というか、孤独であることこそが楽しいオレみたいな人間からすると理解できないんだよなあ。
他人の存在はそれ自体がもうストレスでしかないし。
だから俺は林先生の意見に賛成。
自営業のためのパレートの法則を教える優秀な教材ですねぇ。
友達がいまくる人もいなさすぎる人もちょっと変わってる傾向があるかな。
ただ友達いないご老人はだいたい厄介なことが多い。
タモリさんとかは芸能人なのもあり、ありとあらゆる人と関わるから友達を厳選しないとめんどくさいってことなんでしょうね。一般人が鵜呑みにして友達いらないって言ってたら本当に厄介な人になる気がするけど…
しかし、タモリは「ネクラ」を執拗に否定していた時期が有って、それがいじめを助長したという黒歴史が有る。社会問題になってからは、ご本人も自重しているみたいだけどね。タモリの友だち不要論には「救い」が無いから危険。そこを林先生は上手に補足していると思う。
友達00人作りたかったけど 結局ひとりも出来なかった でもまだ諦めていない
ってことは、友達が沢山いるのに孤独ってのが、一番寂しいよね。でも、ありがち。
タモリは一個人の感覚を語ってるだけだから同調はできなくても尊重しようって気にはなるかな。
生前の橋田壽賀子も友達減らしてるって言って
タモリと意気投合してた
残り少ない自分の時間を奪われたくないって
SNSとかでテーマ別に集まれる時代になったから
友達から世界が拡がる時代じゃなくなったわね
ヤンキー文化の真逆
友達100人って、付き合いの深さにもよりますよね。表層的なものもあれば深いものも。それらを含めて言ってると思うんだけど、、。そこまで真正直に受け取らなくても、、ねえ(-_-;)
そうか!オレに友達がいないのはセレクションした結果なのか!
そうか!そうだったのか…
友達ゼロだし。
小さい頃から頑張ってもいつの間にかはみ出してボッチになってるし。
もうあきらめたわ。
そんで65歳、友達ゼロ。
初めてコメントします。私もタモリさんの意見にとても同意デス。気を使い、自分に負担を掛けてまでプライベートを過ごす必要性を感じ無くなったからカナ。勿論、人それぞれですけどネ♪
「広く浅く」か「狭く深く」どっちがいいかは人それぞれ。どっちもメリット・デメリットはあるしw
本当に心許せる友達より、人数で満足するような風潮はむしろ孤独を悪化させる。人数が多いだけでその人のことを心から考えてくれる人はどれだけいるのか。むしろ人として大切にされない人ほど質より量、人数を重視する傾向にある気がする。
100人友達いないと幸せに成れないやつもいれば友達1人じゃなきゃ幸せになれないむしろ0じゃなきゃ幸せになれない奴もいる。
どうしてそれを全部一括りにして考えてしまうのかが愚か
友達の定義も無しに何を語るのかと私は言いたい。(岡田さんに言いたいのではないですよ)
前提が、一年生にこれからなる人なので、ジジイになって友達多くてもしょうがないのとは別。
タモリは多そうだから自然な発言だったかもね
タモさんは皆が交わろうとするけど、本人は交わるのが嫌いと言うのは昔から事あるごとに言っていた。
だからこそテロフォンショッキングは成り立っていたと思うな。徹子の部屋とは全く違うアプローチで多くの著名人が出演した稀有な番組のコーナー。
休日をすごすのに友達が必要無くなって一人で余暇を楽しめる様になったら大人だと思う。
小学校時代、二回の転校で三つの学校を渡り歩きました。
誰とでも分け隔てなく接する性格だったので、その都度友達は出来ましたが、いまだに付き合っている人は居ません。
社会人となり七回の転職(正社員)を繰り返しましたが、こちらもいまだに付き合っている人は居ません。
その場に居るときは付き合いの良い方ですが、一旦離れると未練の無いタイプです。
友達は居ません!( ̄- ̄)ゞ
若い頃はどんな女にでもアソコが反応したけど年を取る次第に好みが厳選化されて来て好みの女にしか反応しないフェチ傾向が強くなってきた
友達や人に対してもそういう厳選化を無意識にしていくのかな
単に体力や能力の衰えで扱えるキャパが小さくなってきたって事もあると思うけど
頭の良いほど人間関係にも効率化させていくだろうし
友達100人作ろって意欲や感性ってもしかしたら子供だけが持つ力かもしれない
何千人も知り合いがいる人間と、これから世界を広げていこうとする人間では考え方が違って当然。
人を見る目が無いうちは
質より量なんだよな。
色んなキャラと付き合ってみて
自分の相性とマッチする人間関係ってのもわかってくるんで
あるラインを超えると
量より質になるんだわ。
例えば
「本当に分かり合える親友なんてのは1人いれば十分」
などという話もきくけど
その年齢のその人にとって正しいありかたであって
小学1年生には本当に友達100人作れるのかは別としても
「なるべくたくさん友達つくるといいよね」
ってのも真理なんだよね。
あと知り合いの中で仲の良い相手を友達といい
その中でももっとも相性がいい相手を親友というような
ランク付けとしての言葉だとしたら
友達が多いというのも変な話になるんだけども
高校時代そのような意味での少数の友達が20年後同じ意味での友であり得るかはわからない。(恋愛なら初恋で初めて付き合った相手と必ず結婚をするとは限らないようなもの)
逆に小学1年生なら今日の1番仲の良い友達と明日の1番仲の良い友達が同一人物ではなかったりってのも当たり前にある訳ですよ。
ある意味において「1番仲の良い友達ってのは1人でいい理論」を小学1年生にもあてはめる事もできるんだけど
条件として1番仲の良い友達という相手は1日単位で更新されていくようなものであるって考えるとその予備軍は100人ぐらい作っておいた方が良いよねって話にもなると思うんですよね。
人間生きて行くうちに、何となく自然に友達と呼べる存在を取捨選択していると思うよ。日々暮らして様々な遣り取り付き合いの中で、意図的に接近するとか敬遠する人物って意外と少ない。多くの場合、気がつけば「疎遠になったなぁ~」と感じるだけの様な気がする。
こんなこと他人の意見を参考にするようなことではない。他人から言われてセレクションするような人は信用できない
別に人間関係を否定してる訳ではなく、友達が居る、多い方が良いという
価値観を押し付けるなと、言ってるのでは?
友達の定義による。
友達とツレは別。
友達は10年会ってなくても友達。
お互いを認め合ってるのが友達だから。
タモリはもう既に殆どの人に認められてるから、タモリの方から人として認めたら、友達として元々成立してる。
ツレは現在の領域が重なる者で、今何をやってるかによる。
タモリが絞って行ってるというのは多分ツレで、歳とるに連れてやる事狭めて行くものだから、そのやる事を絞って行ってるという意味だろう。
お互い本当の意味で認め合える存在は、居ればいるだけ良いけど、それは数の多さという意味ではなく、お互い認め合える人とどれだけ出会えるかが人生だろうから。
元SMAP新しい地図が独立した時に、テレビから干されたけど、ブラタモリのナレーションの草薙の事を、友達だと思ってるから、と言ってたのが印象的。
ツレではないけど、友達とはそういうのだと。
ちなみに動画のタモリ発言と草薙友達発言はスマスマビストロの時に同時にも言ってる。
あー…、誰の意見もわかるわ
ツイッター見てると明らかに友達が居ないと活力が無くなってシオシオになる人が居て、精力的に友達活動してドタバタしてるのは否定出来ない
片や好ましくないセレクターに絡まれたらウザそうだしトラブルも見てるから、やはり友達とは増やすべくして増やすものでもないと思う
自然に、勝手に増えていくべき、とも自分は思うけど… 人それぞれかね??
47才 量より質 わかるなぁ
友達居ないけど寂しいと感じたことないな。
そう思います。