【元動画はこちら】↓ https://www.youtube.com/watch?v=BOWUns_UVBU 【火垂るの墓シリーズ】↓ 【火垂るの墓①】清太は地獄の3ヶ月 … source Favorite0
13年前の7歳の自分は直感的にプライドというか信念と言うべきかそれを貫いて(身勝手な行動と語彙力もない当時の自分は受け取っていたが)結果こと他の人から見たら悲しい(と思えるかもしれない)末路を迎えた…と彼の行動のせいで結果的に妹もいなくなったし自分も死んでしまった…と受け取ってあまり見ないようにしてたんだけど、この一連の動画見つけて考察聞いてたら細かい描写が気になってきて機会があればまた見てみようって思いました… 直感そこまでズレてない…気はする(?)
節子は絶対に殺す。土下座させて惨たらしく拷問してから殺してやる死んだときはザマァ!!と思って溜飲を下げられると思ったがなんでもっと早く死にやがらなかったんだと悔しくなった。こんな疫病神の為に何分も費やすなんて無駄の極み。「泣くなら殺す」「愚痴るなら死ね」とストレスが溜まりまくった。アイツは地獄に落ちて散々周りに迷惑をかけた罪を償わなければならない。主人公や叔母さんが可哀想でならない。これほどヘイトが溜まったキャラは初めてだ。私の手で殺してやりたかった
あのとき無理してでもおばさんのところに残っていれば、死ぬ事はなかった。あの家を出ていった時点で既に心中(自殺行為)の道に進んだ。結果、煉獄に取り残されて、赤く燃えるような霊になり、苦しみをさまよっている。
壊れた傘は清太自身を表している と考えていました傘とは『雨から身を守る物』=傘は決して丈夫な物では無いけれど雨という心を蝕む敵から身を守ってくれる=自身は弱いけどそれでも守る事はできるぞ という比喩表現であり壊れた傘とは『自身が傷ついてでも最愛の妹を守ろうとするお兄ちゃん』という意味があったのかなと
清太「僕の持ってきた梅干しもうないんですか?」おばはん「そんなものとうの昔に無くなったさかいに」節子「お母ちゃんのオベベあかん!(泣)からの……………おかわり❤」清太「ハニホホニヒトニハホニハニさんはい!」節子「屋根より高い鯉のぼ〜り…小さい」おばはん「よしなさい!!」所々笑わせる気満々の映画で小学生の頃笑って観てた。周りも。モノマネもやってたし泣いてる?そんな奴居なかったな
時代物、歌舞伎等が好きな人にはポスターを見ただけで「あっ」と解るようになってたのですね。 今までなんかモヤモヤしてた映画だったので、この解説で心底についた感じがします。これで次に見る機会があっても、もうモヤモヤしないです。 清太が浮かばれないのも自分の意思でしょうね。単純に飢えで死んだのなら極楽で家族と楽しく暮らせば良いだけだと思う。
清太に限らずネトウヨは、信念を貫き通すとかではなくて、嫌な気分になるとそれ以上考えなくなる。そこから逃げて強がろうとする。そして親しい人間との関係に逃げ込んで、罪悪感や背徳感を無理やり忘れてなかったことにしてしまう。そういう心と頭の弱い幼稚さを美しいモチーフで飾り立ててみせた、痛烈な皮肉で綴られた作品。 破れ傘なのは心中として見てもあまりにもお粗末だからではないかと。心中は人権蹂躙的な身分や制度の壁への抵抗というところで道理はある。清太のはただの愚かな独善的なわがまま。それを節子に優しく振る舞うことで、自分は善人だ、何も悪くないと言い聞かせてなかったことにしてしまおうとする欺瞞。 さらに身の程も弁えず、努力すればいかなる困難も乗り切れると言い訳して、現実逃避をしてしまう。人に頭を下げることから逃げてしまう。自力で何でもできると強がってみせる。出来もしないくせに。その思い上がりからどうやっても抜けようとせず、地縛霊として、何とかすれば成功したのではないかと永遠に過去をなぞり、執着し、反省しないまま、無限ループにはまってる。まさにネトウヨです。
清太 私は 好きではない。叔母さんの家に 住まわしてもらって 何も手伝いもせず ゴロゴロして。あげくのはて 自炊はするが 食器は洗わない人の家の台所にも関わらず。叔母さんが 怒るのも分からないでもない。
13年前の7歳の自分は直感的にプライドというか信念と言うべきかそれを貫いて(身勝手な行動と語彙力もない当時の自分は受け取っていたが)結果こと他の人から見たら悲しい(と思えるかもしれない)末路を迎えた…と彼の行動のせいで結果的に妹もいなくなったし自分も死んでしまった…と受け取ってあまり見ないようにしてたんだけど、この一連の動画見つけて考察聞いてたら細かい描写が気になってきて機会があればまた見てみようって思いました…
直感そこまでズレてない…気はする(?)
節子は絶対に殺す。土下座させて惨たらしく拷問してから殺してやる
死んだときはザマァ!!と思って溜飲を下げられると思ったがなんでもっと早く死にやがらなかったんだと悔しくなった。こんな疫病神の為に何分も費やすなんて無駄の極み。「泣くなら殺す」「愚痴るなら死ね」とストレスが溜まりまくった。アイツは地獄に落ちて散々周りに迷惑をかけた罪を償わなければならない。主人公や叔母さんが可哀想でならない。これほどヘイトが溜まったキャラは初めてだ。私の手で殺してやりたかった
小説の題名が心中じゃなかったっかけ?
公開当時、父と観て「生きたいなら辛くても親戚の家を出るべきじゃない。これは緩やかな自殺だな」と話し合った記憶があります。あの傘にはそんな意味があったんですね。不思議でした。
反戦映画ではないと言うのは、世界平和を声高に叫んで共産主義に没頭した青春時代に、共産主義者に内ゲバや革命と言う暴力を正当化する思想だということに裏切りを感じたからか?
心中かぁ。でもなぜ?
周りに頼り方が分からないから心中せざるを得ない?
その間にもう一つ何か腑に落ちるものが欲しい。
BGMない方がいいですね
すげえなぁ、素直に。そしてこの映画やっぱ深すぎる。難しいww
あのとき無理してでもおばさんのところに残っていれば、死ぬ事はなかった。あの家を出ていった時点で既に心中(自殺行為)の道に進んだ。結果、煉獄に取り残されて、赤く燃えるような霊になり、苦しみをさまよっている。
壊れた傘は清太自身を表している
と考えていました
傘とは
『雨から身を守る物』
=
傘は決して丈夫な物では無いけれど雨という心を蝕む敵から身を守ってくれる
=
自身は弱いけどそれでも守る事はできるぞ
という比喩表現であり
壊れた傘とは
『自身が傷ついてでも最愛の妹を守ろうとするお兄ちゃん』
という意味があったのかなと
キノコ雲を傘の形にくり抜いてるのかと思った
とり殺させたって表現は、なんだかピンときませんね。
兄が亡くなって、先に亡くなった妹に会えたという風にしか感じられませんが。
まあ、捉え方はそれぞれですね。
節子が姉だったら変わってきたかもですね。
清太「僕の持ってきた梅干しもうないんですか?」
おばはん「そんなものとうの昔に無くなったさかいに」
節子「お母ちゃんのオベベあかん!(泣)からの……………おかわり❤」
清太「ハニホホニヒトニハホニハニさんはい!」
節子「屋根より高い鯉のぼ〜り…小さい」
おばはん「よしなさい!!」
所々笑わせる気満々の映画で小学生の頃笑って観てた。周りも。モノマネもやってたし
泣いてる?そんな奴居なかったな
火鉢やら道具、櫛買った時雨降ってたから店の叔父さんからボロだからもらったんやろ
移動中を描いたんやろ
3歳?と14歳で生きようとしたってポスターに書いてたような…心中は考えすぎだと思う
時代物、歌舞伎等が好きな人にはポスターを見ただけで「あっ」と解るようになってたのですね。
今までなんかモヤモヤしてた映画だったので、この解説で心底についた感じがします。これで次に見る機会があっても、もうモヤモヤしないです。
清太が浮かばれないのも自分の意思でしょうね。単純に飢えで死んだのなら極楽で家族と楽しく暮らせば良いだけだと思う。
見せかけているわけではないですよね。
メタファーですな。
どうしよう、節子が凄く羨ましい…
原作者も「心中もの」って表現してたね。
清太に限らずネトウヨは、信念を貫き通すとかではなくて、嫌な気分になるとそれ以上考えなくなる。そこから逃げて強がろうとする。そして親しい人間との関係に逃げ込んで、罪悪感や背徳感を無理やり忘れてなかったことにしてしまう。そういう心と頭の弱い幼稚さを美しいモチーフで飾り立ててみせた、痛烈な皮肉で綴られた作品。
破れ傘なのは心中として見てもあまりにもお粗末だからではないかと。心中は人権蹂躙的な身分や制度の壁への抵抗というところで道理はある。清太のはただの愚かな独善的なわがまま。それを節子に優しく振る舞うことで、自分は善人だ、何も悪くないと言い聞かせてなかったことにしてしまおうとする欺瞞。
さらに身の程も弁えず、努力すればいかなる困難も乗り切れると言い訳して、現実逃避をしてしまう。人に頭を下げることから逃げてしまう。自力で何でもできると強がってみせる。出来もしないくせに。その思い上がりからどうやっても抜けようとせず、地縛霊として、何とかすれば成功したのではないかと永遠に過去をなぞり、執着し、反省しないまま、無限ループにはまってる。まさにネトウヨです。
清太 私は 好きではない。叔母さんの家に 住まわしてもらって 何も手伝いもせず ゴロゴロして。あげくのはて 自炊はするが 食器は洗わない人の家の台所にも関わらず。叔母さんが 怒るのも分からないでもない。
原作者は実は生き残ってる清太だから、本当はあの時一緒に死んでいい兄でいたかったみたい。現実は残酷
どんどん見てしまう。
清太がお兄ちゃんじゃなかったら、節子生き延びてた可能性ふつうにあるよね。
鳥肌が止まらない。。考察が秀逸すぎます。
高畑監督「へーそうだったのか」