映画公開時、私には監督の思いは読み解く事ができませんでした。改めて見返し、この解説を聞いて「納得」のひとことです。ある程度この世の中を生き経験を積んできた私たちには、現実世界の「雨の中の晴れ間」を探すことも出来ますが、「雨に濡れることすら望まない」多くの若者がいるのですね。歳を取り、味変を望むオジサン達にとって、こういった作品に出会うことは適度なスパイスとなっています。(笑)
レベル1は「作品論」で、レベル2は「作家論」、レベル3は「社会論」ですね。非常に分かり易い典型的な作品考察だと思います。個人的には、「時間」を引っ繰り返した作品だった《君の名は》に対して、《天気の子》は「事象」を引っ繰り返した作品だったと思うのですが、「世の中よりも君が大事」なので『社会的倫理観』も引っ繰り返っています。須賀圭介の「どうせこの世界は狂っている」と言う台詞そのままに、《天気の子》は本当に何もかもが狂っている作品だったので、今度はそれを鎮めようと《すずめの戸締まり》は「災厄の扉を閉める作品」になったんでしょう。しかし、それが終わってもまた笑顔のために「災害を使う」のでは「難病物」と同じですから、その点では次々回作こそが勝負どころな気もします。
レベル2まではその通りだと思うのだけど、、、レベル3は・・・?ちょっと分からない。新海監督が執筆された小説のあとがきには、意外と色々なことが語られているのだけど、「世界も何があっても大丈夫、僕たちは何とか生きていける。」新海監督は、そんなに楽観的な人でしたっけ?新作「すずめの戸締り」のあとがきを読んでみても、そこら辺の解釈は、ちょっと疑問です。
新海監督がそこまで考えてるなんてちょっと見当違いだと思う。どれだけヒットしたって映画一本で世の中良くなったり悪くなったりするなんておこがましいんじゃありませんか。あの500億円アニメだってそう。あんなの見たって誰が金髪青年の真似をしたいと思いますか?自己犠牲なんて誰かが肩代わりしてくれるから感動に酔いしれていられるです。「さあ、次は君たちの番だ! 」なんて言われたらどうでしょうか。天気の子の二人は自己犠牲を拒否して自己中な愛を優先した。東京は水浸しになったがそれは元々の湿地帯に戻っただけ。都民も割とアッケラカン。君の名はの二人は人々を救うために力を尽くしたが天気の子では世の中なんてクソ喰らえと自分たちの恋を成就した。どちらもハッピーではないが大惨事でもない。結局どんな結末でも良いのです。それなりに楽しめて劇場を後にできれば。商業作品を手掛けているのだから売れるものを作ろうとするのは最優先ですよね。以前のモヤモヤラストでは箸にも棒にも掛からない。今度の新作はヒットメーカーに脱皮をして3作目。この辺りが新開監督にとってこの先への分岐点になるのではないかと思います。
新海誠作品の日常シーンに結構ちりばめられてるコメディで笑ってるんだけど、その後の壮大なシーンや圧倒的に美しい映像ですべて押し流されて、映画館出たときに何一つ覚えてないのどうにかしてほしい。
そして、すずめの戸締まり、に続く
映画公開時、私には監督の思いは読み解く事ができませんでした。改めて見返し、この解説を聞いて「納得」のひとことです。
ある程度この世の中を生き経験を積んできた私たちには、現実世界の「雨の中の晴れ間」を探すことも出来ますが、「雨に濡れることすら望まない」多くの若者がいるのですね。
歳を取り、味変を望むオジサン達にとって、こういった作品に出会うことは適度なスパイスとなっています。(笑)
当時劇場で観たけど映画の内容より本田翼のセリフが強烈すぎてそれしか覚えてないや
監督がRADWIMPS使い続けるのは
自分の映画を言語化してくれるからなのかもな〜
2022 11月ですが、天気の子鑑賞しました。最後に、ひなさんがお祈りしてるシーンの意味が分からなかったので、解説を必要としていました。よく分かりました(*^^*)ありがとうございます✨
映画を見るときに 主人公に共感出来るのかが重要だと思うんだけど
この映画はそれが出来なくて うーん って感じで見終わった記憶
ストーリー以前の問題があると思う
ほぼ同じ考察やったから、同じように感じた人がいたのは嬉しいね。
レベル1は「作品論」で、レベル2は「作家論」、レベル3は「社会論」ですね。非常に分かり易い典型的な作品考察だと思います。
個人的には、「時間」を引っ繰り返した作品だった《君の名は》に対して、《天気の子》は「事象」を引っ繰り返した作品だったと思うのですが、「世の中よりも君が大事」なので『社会的倫理観』も引っ繰り返っています。
須賀圭介の「どうせこの世界は狂っている」と言う台詞そのままに、《天気の子》は本当に何もかもが狂っている作品だったので、今度はそれを鎮めようと《すずめの戸締まり》は「災厄の扉を閉める作品」になったんでしょう。
しかし、それが終わってもまた笑顔のために「災害を使う」のでは「難病物」と同じですから、その点では次々回作こそが勝負どころな気もします。
レベル2まではその通りだと思うのだけど、、、レベル3は・・・?ちょっと分からない。
新海監督が執筆された小説のあとがきには、意外と色々なことが語られているのだけど、「世界も何があっても大丈夫、僕たちは何とか生きていける。」
新海監督は、そんなに楽観的な人でしたっけ?
新作「すずめの戸締り」のあとがきを読んでみても、そこら辺の解釈は、ちょっと疑問です。
新海監督がそこまで考えてるなんてちょっと見当違いだと思う。どれだけヒットしたって映画一本で世の中良くなったり悪くなったりするなんておこがましいんじゃありませんか。あの500億円アニメだってそう。あんなの見たって誰が金髪青年の真似をしたいと思いますか?自己犠牲なんて誰かが肩代わりしてくれるから感動に酔いしれていられるです。「さあ、次は君たちの番だ! 」なんて言われたらどうでしょうか。
天気の子の二人は自己犠牲を拒否して自己中な愛を優先した。東京は水浸しになったがそれは元々の湿地帯に戻っただけ。都民も割とアッケラカン。君の名はの二人は人々を救うために力を尽くしたが天気の子では世の中なんてクソ喰らえと自分たちの恋を成就した。どちらもハッピーではないが大惨事でもない。結局どんな結末でも良いのです。それなりに楽しめて劇場を後にできれば。商業作品を手掛けているのだから売れるものを作ろうとするのは最優先ですよね。以前のモヤモヤラストでは箸にも棒にも掛からない。今度の新作はヒットメーカーに脱皮をして3作目。この辺りが新開監督にとってこの先への分岐点になるのではないかと思います。